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死神裁判  作者: 川上純也
2/2

罪人2


 いつもの心地よい揺れが、いつの間にか止まっていることに男は気付いた。

 億劫そうに目を開くと、漂白された光が視界に広がる。

「うっ……」

 思わず、開けた目を細める。

 強烈な光に目を焼かれながらも、男は必死に自分が置かれた状況を理解しようと視線を動かす。

 肩から提げているかばんが、量に重く感じる。

「あれ……?」

 一箇所だけ、光が届いていない空間があった。

 正確には、周囲の光を吸収する黒い影があったのだ。

 椅子に座しているようなその影を、男は唯一の救いのように凝視した。

「あの……!」

 影に向かって、男が叫んだ。

 空間に広がる、声の残響が全て沈黙した後、影はようやく男を見る。

 そこで初めて、男は影の姿を正確に捉えることができた。

 全身を黒に包まれた衣装。

 青年とも老人ともとれる、掴み所のない顔立ち。

 組まれた脚の上に乗るパソコンを操作する姿は、まるで世界の運命を片手で弄んでいるように感じられる。

 ひとしきりパソコンを弄り終えたところで、ようやく影は表情らしきものを表した。

「ようこそ」

 いかにも作り物のような、素っ気のない言葉と表情に、男の期待は霞む。

「あの……、ここは……」

 男は視線を泳がせるように、周囲を見渡す。

 漂白された世界に目が慣れていくと、異様な光景が露わになっていく。

 複数の巨大な白い柱に、自分と影を取り囲む無数の椅子。

 高低差が激しい机には、見覚えがあった。

「裁判所……ですよね?」

 男の質問に、影は作り物の表情を動かさない。

「どうして、ぼくが裁判所に?」

「あなたを裁くため、ですよ」

 男の再度の問いに、影が答える。

 その声は、この状況を楽しむような、どこか弾みのある声だ。

 影はパソコンから手を離し、おもむろに上着の内ポケットへと滑らせる。

 ポケットから引き出されたのは、影の男より一層濃い黒の旗だった。

 男が状況について行けず、呆けたように影の男と旗を交互に見やる。

 影は、そんな男の様子に、温かみを模倣した笑顔で説明を始める。

「これは、あなたの生死を決める『死亡フラグ』です。」

 影は、手元の旗を男に見やすいように掲げる。

「ぼくの……生死……」

 まるでその旗が強力な重力場であるように、男の熱烈な視線が集中する。

 影は男の様子など気にも留めずに、説明を続ける。

「このフラグが3本立ったとき、残念ながらあなたはお亡くなりになります」

「3本立たなければ、ぼくは死なないのですね……?」

 男が影に質問を投げる。

 熱病に冒されたような視線は、今も『死亡フラグ』に注がれたままだ。

 男は、大きなかばんの中に手を入れていた。

「そうですね。これから、あなたの罪を確認していきます。あなたには、己の罪を弁解してもらいます」

 男の質問に淡白に答え、説明を続ける影。

 しかし、その声には期待の色が滲んでいた。

「あなたの弁解に私が納得できれば、フラグは立ちません。しかし、そうでない場合はフラグが1本づつ立っていきます」

「承知しました」

 影の説明を聞き終わると、男は間を置かずに答えた。

 その反応に、影が男を見る。

 視線はフラグから影の男に移っているが、熱のこもった視線は変わらない。

 影の表情に、興味の色が一刷毛された。

「話が早くて助かります」

 影の周りの空間が、一瞬だけ歪む。

 瞬間、影の男の前に備え付けられた机の上に、黒い長方形が蜃気楼のように浮かび上がる。

「それでは、ご健闘ください」

 影は、机上の槌に手を伸ばす。

「開廷」

 純白の裁判所に、振り下ろされた槌の音が反響した。



「早速始めていきましょう」

 影の男は、再びパソコンに目を落とす。

「一ヶ月前、あなたは何をしていましたか?」

 影は、手元のパソコンから目を放さずに質問を投げた。

「随分前の事を聞くんですね」

 影の質問に、平静を取り戻した様子の男が言葉を返す。

 男は開廷前から、かばんの中に手を入れたままだ。

「覚えていない?」

「まさか」

 厭らしく響く影の声に動じることなく、男は答える。

「その日は、彼女と始めて手を繋いだ日ですよ」

「ほぉ」

 誇らしげな男の答えに、影は関心にも似た声を発した。

「ぼくの部屋でね、旅行に行く算段を立てていたんですよ」

「旅行ですか」

 影の男が、男の言葉に反応を示す。

「えぇ、ここではこうしよう、ああしようと話していました。実に楽しい時間でしたよ」

 一月前のことを、まるで遠い昔を懐かしむように話す。

「なるほど。だからそのかばんなのですね」

 影は、男がずっと手を入れているかばんを指差す。

 大きめの旅行かばんだった。

「えぇ。これはとても大事なものですから」

「そうですか」

 影は、作り物の笑顔で頷く。

「では、三週間前、あなたは何をしていましたか?」

 事務的な声で、影が質問を続ける。

「あぁ、その日は出発の日でしたね」

 影の質問に、男は詰まることなく答える。

「先ほどの旅行に?」

「はい。一緒に電車で行きました」

「恋人はどんな様子でしたか?」

「楽しんでいたと思いますよ。ずっと手を繋いでいましたから」

 淡々と質問をしていた影が、ここで表情を変える。

 唇が悪意の形に歪んだ。

「手を、ですか?電車の中で?」

 影が、粘着質な声を出す。

「当然でしょ!」

 影の声を断ち切る、男の鋭い声が響いた。

 そのときの男の動きは、どこかかばんを庇うようでもあった。

「失礼」

 影が、軽く頭を下げる。

 しかし、すぐに顔を上げ、仕切りなおすように口を開く。

「では、一週間前、あなたは何をしていましたか?」

 口調は、前の質問のときより平坦なものになっていた。

「その日も、旅行中でした」

 またも、男は即答する。

「随分長いんですね」

「まぁ、そういう計画でしたから」

「そうですか」

 納得したのか否か、影は事務的に声を返す。

「そのときの移動は、何でしましたか?」

 影は膝の上に乗せたパソコンを見ながら質問する。

「電車ですよ」

 男も正直に答えるが、声にはいらつきが見えた。

「電車がお好きで?」

 顔の位置は変えずに、目線だけを動かし、影は男を見た。

「いえ、別にそういうわけでは……」

 いきなり視線を向けられたためか、初めて男の言葉が曇った。

「恋人はどんな様子でしたか?」

 畳み掛けるように、影が質問を放つ。

「長旅で疲れていたんでしょうね。萎びてました」

 この質問には即答する。

 恋人の話になると、男はよどみなく返答する。

「では、手は?」

「もちろん繋いでいましたよ」

 男が誇らしげに答える。

「そうですか」

 今回の影の反応は淡白だった。

 しかし、何を思ってか口元だけは不気味に歪んでいる。

「それでは、ここからは五月雨式に質問をしていきます」

 そう言うと、影は再び視線をパソコンに落とす。

「はい」

 男も、話しやすいよう唇をなめて潤す。

「では、恋人の出身は?」

「埼玉」

「恋人の血液型は?」

「B型」

「恋人の誕生日は?」

「7月7日」

「恋人の命日は?」

「………………」

 今まで即答し続けてきた恋人の話題で、男は言葉を詰まらせた。

「覚えていない?」

 影の声が、男の耳にまとわり付く。

「まさか……」

 男は苦しみを誤魔化すような、悲痛な笑みを浮かべた。

「9月……30日」

「旅行に行く計画を立てた日の前日、ですね?」

 男は、自分に向けられている視線を肌で感じていた。

「はい……」

 先ほど潤した唇は、暗い感情で震えている。

「恋人の死因は?」

 執拗な影の質問攻めは、男の視線を下げていった。

 自分の足元まで見えそうなほど頭を落とし、男は何とか答えようと喉を動かす。

「もともと、心臓に病気が……。それが悪化して……」

 蚊の鳴くような声しか出なかったが、影には届いたようだ。

 では、と影が男の肩に提げている旅行かばんを指差す。

「恋人はそこに?」

 男は動じるでもなく、ただ俯いたまま粘ついた口を開く。

「手首から下が……」

 男はかばんの中のモノを強く握る。

「あった?」

「………………はい」

 影の確認に、男が肯定する。

 影の男が、例の『死亡フラグ』を手に取る。

「今そこにあるのは?」

 男は、自らが握っている『なにか』について考える。

「……わかりません。綺麗な手だったのに……今は……」

 男の声が消えると同時に、耳障りな甲高い音が空間に響き渡る。

 男が少し目線を上げると、フラグが1本、黒い長方形の上に突き立っていた。

 影の男は、黒いフラグを手元で弄んでいる。

「あ……あの!」

 男は焦ったような表情になる。

「もう質問は終わりなんですか!?」

「………………」

 影は男の顔をじっと見つめる。

 その眼差しは、わずか期待の光をはらんでいた。

「では」

 影は男を見据えながら、質問をする。

「あなたの恋人は、かばんの中にいますか?墓の下にいますか?」

 男は、質問に一瞬だけ戸惑ったが、すぐに目を閉じて熟考する。

 片手はもちろん、かばんの中のモノを握り締めながら。

「………………どちらでもありません」

 搾り出された男の回答に、影の男は一つため息を漏らした。

 からん、と乾いた音が響く。

 見ると、影の男の机の上に黒いフラグが転がっていた。

「おめでとうございます」

 影がつまらなそうな声を出す。

「………………え?」

 驚きよりも、ある種の恐怖の顔つきで、男は影を見る。

 影は、パソコンを閉じ、その上に手を組んで乗せている。

「あなたの純愛は良くわかりました。あなたは『見送り』にします」

 影の声を聞くと同時に、男の姿勢が前のめりになる。

 恐怖と理不尽に、男の顔は猛獣になっていた。

「何でですか!?あなたはぼくを殺したいんでしょ?」

「殺したい?」

 男の噛み付くような絶叫を、影は怒りのこもった視線で射抜く。

「とんでもない!私は生死を決めるだけです」

 得体の知れない影の怒りは、恐怖そのものの形に思えた。

 しかし、男も影に喰らい付いていく。

「同じ事でしょう?早く私を殺してください!そうすれば……」

「会えませんよ」

 影は先ほどとは打って変わって、冷徹な氷の声を発する。

「え……?」

 声の冷気に当てられたかのように、男の顔から色味が抜けていく。

「あなたが死んでも、あの世で恋人には会えません」

 影は、ただただ事実を述べるだけの口調で続けた。

「何でですか!?あの世があるなら、会えない事もないでしょう?」

「あなたの恋人、完全には、あの世に送られていないんですよ」

 影が、男のかばんを指差す。

「完全……?」

 男は、紫色に乾いた唇を震わせる。

 もちろん旅行かばんは、しっかり抱いたままに。

「あなたが恋人の一部を持ち去ったのですから。人間で言うところの『死に切れていない』という状態です」

 影の口調に、悪意は一片も感じられない。

 聞き分けのない子供に言い聞かせるような、温度の低い口調だ。

「ぼくの……せい……?」

「まぁ、そんなのは珍しいことじゃありませんし、大した罪にはなりませんよ」

 影が机上の鎚に手を伸ばす。

「でも!」

 影の動きを遮るように、男が最後にあがく。

「ぼくは『死体』から手首を切り取った。これは大罪でしょう?」

 男の叫びは、しかし、影を止めることはなかった。

 裁判の終わりを告げる鎚を、影の手が握る。

「それは『人間』の裁判官に裁いてもらってください」

 男の絶叫が、漂白された空間に響く。

「無罪」

 影の判決と、打ち付けられた鎚の音が、空間からこだまを奪った。






 耳を劈くような、どこか馴染み深い。

 そんな音で男は目を覚ました。

 座席に座りながら、眠りに落ちていたようだ。

 ここ最近、当然のように電車で移動していたため、疲れが溜まっているのだろう。

 そんなことを考えている今も、知らない土地の、聞いた事もない路線を電車で移動している最中だ。

 この逃避行はいつまで続くのだろう。

 ふと、いつも避けている疑問を心中で呟いてしまった。

 今の自分は、間違いなく犯罪者となっている。

 しかも、自分の恋人の手首を持ち歩く、猟奇的な犯罪者に。

 しかし。

「しかし、これを純愛と呼んだのは、誰だっただろう」

 辺境の無人電車の中、夕日に焦がされた男は、誰にともなく呟いた。

 思い出そうとすると、心が急速に冷える思いがした。

 いつものように人肌を求め、旅行かばんの中に手を突っ込む。


『ぐちゃ』


 男の手に、暖かな泥のような感触と小さく固いものがまとわり付いた。

 電車は止まることなく、『二人』を運んでゆく。










罪人2/無罪/閉廷

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