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小夜物語      第24話   生まれた家は跡形もない The produced house does not have marks, either.

作者: 舜風人

今はもうとおい昔、、、、。


それは昭和20年代のことだった。


まったくの山村でしかも僻地、


それが私が生まれたふるさとだった。


私が生まれた家は、農家で天井もない,梁がむき出しの家でした。


藁葺だったのを屋根はのちにトタンぶきに変えましたが、


家の建っている敷地は500坪もあったでしょうか?


裏庭には大きな一抱えもあるクルミの木が2本ありました。


樹高はそうですね。10メートルくらいでしょうか。


母屋をクルミの樹勢が完全に覆っていて涼しかったですね。


そのクルミの木に上って遊ぶのが少年時の楽しみの一つでした。


樹上に丸太を4本渡して、樹上生活を楽しむのです。


風は吹き渡り周りには見わたす限り雑木林が広がり爽快でしたね。


敷き地のはずれはうっそうとした竹林でそこはスズメのお宿、


夜はそこにスズメがねぐらにしてましたね、


春は竹の子が出てあく抜きしては煮て食べました。


家の周りにはスモモ(プラム)イチジク、小梅、梅、桑、棗,茱萸などの樹木が茂っていました、


時期になるとそれらは実を着けて格好のおやつ(デザート)になりました。



完熟したスモモのあの甘酸っぱい味はいまも脳裏によみがえります。



イチジクも完熟するまで放置しますから


そこには甘い蜜を求めて大きなスズメバチが飛んで来たり


それをよけながら収穫した完熟イチジクの味はまたとろけるようでした。


また、口を、真青に染めながら食べた桑の実のあの、ほろ甘い懐かしい郷愁の味、


俵茱萸の木もあってその実もよく食べましたね、


ほんのりと、薄甘い淡白な味でしたね。


夏場はスイカ、メロン(といってもまくわ瓜ですが)なども出来て


食べましたね。


おもやから離れた別棟に風呂場があってそこは薪風呂でした、火吹竹で吹いて沸かします。



トイレも別棟です、


田舎の農家はみなそうでした。


夜など怖くてトイレに行くの難儀でしたね。


真っ暗で雑木林に夜風がそよそよと吹いてるんですから、


隣家は100メートルくらい離れてますし、


ほんとに山村でしたね。。


また母屋から離れたところには鶏小屋とヤギ小屋もありました。


我が家は豚や牛は飼っていませんでしたが、隣家ではそれも飼っていましたね。



ヤギは子ヤギを生ませてそれを売りまたヤギ乳を絞って売るのです、


ヤギ乳は濃厚で病人などのいるうちが買ってくれました、


ヤギ乳を絞るのは母の仕事でした。


絞ったヤギ乳はろ過し、煮て殺菌します、それを冷ましてサイダー瓶に詰めて


契約している家に売るのですね。


良い現金収入になりました。


卵は自宅消費用でした。

鶏も10羽くらいしかいませんでしたしね。


放し飼いで勝手に庭のミミズや雑草を食べて生活していました。


それでも毎日のように卵を産んでくれてそれを食べるのです。


当時の農家の食事といっても畑で採れたキュウリナスジャガイモネギ大根、ホウレンソウなどを


食べるだけで今のようにスーパーで買って食べるなんてありえませんでした。


商店など10キロ先まで行かなければ、ありませんでした。


それも小さないわゆる雑貨屋、、というか村のなんでも屋さんですよ。


だから普段は自給自足ですね。


たまーに行商が来てさんまの開きなどを買うくらいが関の山でしたね。


猫と犬もいました。


猫も昔の猫ですから自分でネズミをとって生きてました。


それだけでは足りないので「ねこまんま」も与えていましたね。


犬はつながれてるので「いぬまんま」を与えていましたが。


もちろん、ドッグフードなんてありませんから


ご飯にカツ節です、


あとはたまーにさんまの骨くらいですね。


それでも病気もせず結構長生きしてましたね、


それを想うと今の犬猫はぜいたくすぎるでしょうか?



まあ日本全体がまだ貧しい時代でしたから


人間だってろくなもの食べてませんでしたからね。



特に田舎では自給自足ですから。


こんなもんでしょう



飲み物はきりりと冷えた井戸水がうまかったです。


まさにテンネンミネラルウオーターです。


しかも井戸水は一年中水温15度くらいです、


夏はひんやりとうまいです。



そんな我が家も


やがて私が大学に行くので離れて、、、、、


とうとう故郷へは帰れずに遠い他県で就職し、そこで結婚し、そこで、建売住宅も買って


気が付けば30年が異郷の地でたっていましたね。


わが生家も、やがて父が死に、そのあとは


こちらに呼び寄せた母も1週間もいると、


『回り中ごみごみと家が密集していて息が詰まる」と言い残して


さっさと田舎に帰ってしまいました。



その後母はその家を一人で守って父の死後17年後に


亡くなりました。


そして、生家は誰も住むこともなく空き家に、


私も仕事でこちらに住んでいるので生家に住めませんし、


草蒸す荒れ家にと任されたのです。


私も生家に帰ることも無理だったので、仕方ない選択でした。


あの雑木林に囲まれたわが生家周辺も


今では新興住宅地へと変貌しています、


時の流れはまさに目まぐるしいばかりですよ。


生家は取り壊されて、、、、、、。


時代は変わり、人も変わりますから


やむをえませんね。



私が仮にこれから生まれ故郷に帰ってみても、


生家を離れて40年、今さら帰っても浦島太郎です。


知ってる人も誰もいません。


この今のマッチ箱建売住宅が私の故郷なのですね?


その私も今や老いぼれて


やがて亡くなれば


この家もどうなることやら。



まあ流れるままに


なるがままに


なっていくんでしょう。



「家も人も一代限り」



そういう時代なんですからね。




それでいいんですよね?



それでしかたないんですよね?



ね?




神様?













「生も死もいずれ川面の泡と消え残る谷間にウグイスの鳴く」



                    水晶窟 銀河人   自詠







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投稿作品400作目記念。


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