第八話 理由を尋ねて
五月の連休が明け、文化祭実行委員の募集も本格化してきた。この月の内に委員として充分機能できるほどの人数を集めないと十月末に予定されている文化祭の実施がスケジュール的に危険な状態になってしまう。
チラシ配りや入り口の呼びかけなどをしてメンバーは私たちを入れて現在二十人。自治会の会長曰く、文化祭に必要な人数は最低でも四十ということだが、その半数が仲間に入った。
この調子で行けば残り二十人は五月中に集まるという見通しがたって一安心いきたいところだが、私には大きな問題が残されていた。
それは私が呼びかけて実行委員に入ったメンバーは一人もいないということだ。他のみんなは最低一人か二人は入れているというのに。
「はぁ、今日もゼロ人だったか……」
授業の合間に一号館一階の掲示板前で呼びかけをしていた私は手ごたえの無さにため息をついた。その横ではしぃちゃんが男子学生に時折笑顔を交えながら一生懸命文化祭の説明をしている。
「……そういうわけだから、もし時間があるようだったら一緒に作ろうねー」
そう言ってしぃちゃんは手を振って男子学生と別れた。そして私のほうを見る。
「さてかっちゃん。教室に行ってはるちゃんたちと合流しようよ」
つまらなそうな視線をしぃちゃんに向ける私を見て、彼女は私の左袖を強く引っ張る。
「もーう、そんな顔しないで授業行くよ」
「しぃちゃんはどうしてそんなにメンバーの募集が上手いのよ……」
「えー、別に特別な話をしているわけではないよ」
そう言うとしぃちゃんは瞳を上に向けて「うーん」と考え込んだ。
「変わった話じゃないけど、『なぜ自分が文化祭を作りたいのか』を話しているかな」
「なぜ作りたいか?」
「そう、街角で見る選挙演説を思い出してみてよ。候補者の人って『自分が議員になったらこうします』って話と『なぜ立候補したか』という話をすることで、自分に一票入れてもらうようにお願いするわけよ」
文化祭から選挙というスケールの大きな話になってしまった。私はやっと二十歳、つまり選挙権を得たばかりなので、あまり選挙と言うものに関心を持っていないから選挙演説など気にしていない。
「文化祭もそうだと思うのよ。『こんな文化祭を作る』というのと『なぜ文化祭実行委員になったか』という二つの話が大切だと私は思うのね。その話をすることで、共感を得るというかー。『自分もやってみよう』という気にさせるとか……」
二つの話か……。よく考えてみると二つとも同じ事を言っているような気がするな。
「『こんな文化祭を作りたいから実行委員になった』ということもあるんじゃない?」
私がふと思った疑問をそのまましぃちゃんに投げかけると、しぃちゃんは驚かずいつものかわいい笑顔を見せた。
「そうだね、二つとも同じになってしまうこともあるね。まあ『どんなものを作りたいか』というビジョンと、『なぜ作りたいのか』その理由をはっきりさせることが必要ってことよ」
「しぃちゃんはどうして文化祭を作りたいって思ったのよ」
私が尋ねると、しぃちゃんは瞳を輝かせてすぐに口を開いた。
「文化祭は大学の年中行事の中で一番の大きなイベントでしょ。これが楽しみで大学生活送っている人いるかもしれないし。そういう人を少しでも増やしたいと思ったからだよ」
しぃちゃんの瞳がさらに輝く。
「それにねー。こういう大きなことみんなで長時間かけて楽しみながらやるって大学時代が最後でしょー。一度そういうことしてみたかったんだよねー」
瞳をますます輝かせるしぃちゃんの話を聞きながら、私たちは教室へと着いた。
「かわちゃんはどうして文化祭を作りたいと思ったの」
授業中に先生の目を盗みながら私は小声で隣のかわちゃんに尋ねる。かわちゃんは一瞬目を大きく見開いたがすぐに答えた。
「文化祭はその名の通り大学の文化を内外に示すイベントよ。『のびのびと楽しく学ぶ』というこの大学のモットーを私は自分の手で皆に知らしめたいの」
みんなであだ名を決めて以来、順応性がいいかわちゃんは私たちにすっかり敬語を使わなくなっている。「なんでそんなことを聞くの?」と言うかわちゃんの心の声が聞こえたような気がした。
「文化祭実行委員会に入った理由」――私の理由はしぃちゃんとかわちゃんに比べたらとても人に言えたものじゃないよ。だって「大学のため」とか「学生のため」とかではなくて「友達のために」なんだもん。
授業が終わり私はみんなと別れて一人図書室へ向かっていた。たまたま私一人で受ける授業が休講だったので、とりあえず勉強しようと思ったのだ。
「かっちゃーん!」
明るい陽気な掛け声が聞こえた直後、私は後ろから激しく抱きつかれた。こんなことをするのはこの大学では一人しかいない(はずだ)。
「いやー、かっちゃんはかわいいねー」
顔は見えないけど、私の頭を優しく撫でる明石先輩はきっといつもの明るい笑顔なのだろう。そんな笑顔に対して私は口を小さく開いてため息をつく。
「うん、どうした? この前より力弱くしているけど息苦しい?」
「いや、明石先輩。そういうわけではないんです……」
力を弱くしたと言っているが明石先輩の力は十分強い。まあそんなことは置いといて、私は先ほどからの悩みを明石先輩に話した。
「そうね……図書館に行って『大学の歴史』とか『文化祭の歴史』関係の本を探してみたらどう? 大学や文化祭のことを知ったら自然に理由なんて見つかると思うけど……」
明石先輩は両手を私の胸の辺りでクロスさせながら答える。傍から見たら私の胸を触っていると誤解をされるかもしれないのだが、先輩はそんなことは全く気にしない。
「『文化祭の歴史』ですか……。そういう本ありますかね……」
「あるかどうかは分からないけど、探してみないうちに諦めるのはどうかと思うよ」
明石先輩は軽く片手でピアノを弾くような仕草で私の胸を触った。今度こそ本当に触った。悲鳴を上げたいところだけど、恥ずかしい思いをするのはたぶん私だけなので、声を胃の中へと収め、我慢した。
「そうですね……。図書館に行って探してみます」
「そうだよ、まずは『文化祭の歴史』はなくても『大学の歴史』は確実にあるだろうから、それを参考にするんだよ」
明石先輩の両腕が私の視界から消え、押さえつけていた力が軽くなっていく。やっと解放された私は、後ろを振り返ったが、すでに明石先輩は私に背を向け歩き出していた。
「明石先輩、ありがとうございます。あとメンバー募集の件よろしくお願いします!」
私は明石先輩の背中に向かって先ほど上げたかった悲鳴の分まで含めて叫んだ。明石先輩は右ひじを肩に対して直角に上げて手を振って応えた。二年生になって初めてダンスサークルの部室を訪れたあの日、私としぃちゃんはダンスサークルの方々に、文化祭実行委員の募集の協力をお願いしていたのだ。
明石先輩の右手の動きを確認した私は先輩に背を向け、図書館へと歩き出した。
「文京大学文化祭の歴史」は前後編と二冊あった。私は二冊とも借りていつもしぃちゃんとはるちゃんと行く喫茶店で読む。前後編と別れているけど一冊一冊の厚さはそれほどない。
序文を読むと、文京大学文化祭は一九四〇年大学設立五十周年を記念して「文化祭」という名称で開催されたのが始まり。太平洋戦争で一時中断されるも、戦後になって現在のような学外の方も入場できるという形式で復活したという。
「うーん、序文だけでも覚えることがいっぱいだ……」
文学部なので本を読むということは決して嫌いではないが、文字が多すぎて全部読むのに少々時間がかかりそうだ。
アイスコーヒーのストローの先を歯でかじりながらページをめくる。またしても文字がびっしりのページが私の視界に広がる。
ページ一面に広がる文字と格闘して三十分ぐらい経ったその時、私の前の席に一人の女性が座った。
その女性の髪は栗色で肩までの長さ。眠そうな感じの目、唇は下が厚く、口を閉じたときに結ばれる線の右側(私から見て)にあるほくろが少しセクシーに見える。
体つきも胸が大きく出ている(少なくとも私が今まで会って来た人たちより大きい)。それでいて太っているわけではなく、私と同じくらいの体の線なのだ。
(うわーっ、セクシーな女の子ー)
私が見とれているとその女の子は眠そうな目を私に向けて
「御徒真知さんですね」
と、私の名前を言い出したではないか。驚きで本を支えていた右手を離した。表紙がテーブルを叩く音が小さく鳴る。
「はい、ええと……確かに私は御徒真知ですけど、山手線の御徒町じゃなくて、山手線じゃないほうの『おかちまち』です……」
動揺ゆえに私はわけの分からないことを口走ってしまった。だって今まで生きていて見ず知らずの人にいきなり正しい名前を言われることなんて無いんだもん。
「分かっています。御徒真知さん。私は社会学部二年の真田亜由美です」
淡々とした口調で、真田さんは私に挨拶をした。
「社会学部って事は明石先輩と同じ学部か……」
「そうですね、私は明石真奈美先輩の後輩になります。御徒さんのことは明石先輩から聞きました。」
明石先輩の同じ学部の後輩ならば、彼女も先輩の抱きつきの被害にあっているのだろう。
「やっぱりあなたも明石先輩に強い力で抱きつかれたりしているの?」
私がそう尋ねると、彼女は眠そうな顔を困ったような表情にして話しはじめた。
「そうなんですよ、一緒の授業で会うたびに『亜由美セクシー!』って抱きついてきて、時には胸をちょっと揉まれたりして大変なんですよ」
真田さんは自分の両手で自分の胸を揉む仕草をしながら(実際には胸には触れていないけど)その時の状況を熱心に語っていたが、眠そうな目を一瞬大きく見開かせた後で、眠そうな表情(これがいつもの表情なのだろう)に切り替えた。
「そういう話をしに来たのではありません。大学の文化祭の件を話しに来たのです」
「えっ、文化祭実行委員に入ってくれるの?」
私は喜びのあまり口元を緩めながら叫んだ。ところが真田さんは左手の手のひらを私の目の前に差し出して、「落ち着いてください」となだめた。
「入ろうと思っていますが、それには条件が一つあります」
「条件? 大丈夫だよ、なんでもするよー」
実行委員のメンバーを未だ一人も入れていない私は、死ぬ以外のことなら本当になんでもする気であった。
真田さんは淡々とした口調で驚くべき条件を告げた。
「なんでもするのであれば、今すぐここで裸になってください」
「えっ!?」
は、裸!?