第七話 女子大生も好き!
文化祭室の掃除を終えた私としぃちゃんは、かわちゃんたちと別れてはるちゃんのいるダンスサークルの部室へと向かっていた。
「明日から実行委員の募集か……」
私は掃除のせいで疲労がたまった右肩を揉みながら呟く。
「てっきり五人で作るのかと思ったのに……」
「もーう、かっちゃん。五人だけで文化祭が作れるわけ無いじゃない」
しぃちゃんが目を細めて笑顔で答える。確かにしぃちゃんの言うとおりだな。
これから私たち五人は実行委員の中心的存在である「文化祭実行理事会」の委員として一緒に文化祭を作ってくれるメンバーを募集しなければならない。充分な人数が集まってから本格的に文化祭作りがスタートするのだ。
私たちがはるちゃんのいるダンスサークルに向かうのは、はるちゃんに会うためのほかに、文化祭に興味がありそうな友達を紹介してもらおうという理由があってのことなのだ。
ダンスサークルのちょっと黒ずんだ木製のドアが見えると私たちは素早くそのドアノブを回し部室の中を覗いたが、素早くその扉を閉めた。
「もー! 入る前にノックするー!」
中からはるちゃんの恥じらい声が聞こえてくる。
「もーう、部室にはちゃんと鍵をかけるー!」
しぃちゃんが顔を赤くしながら反撃する。練習を終えたはるちゃんが、着替えのために胸をさらけ出していたのだ。
「それにしてもはるちゃんの胸、相変わらず綺麗だったな……」
私は以前にも見た彼女の胸を思い出していた。
「もーう、かっちゃん何言っているのよー!」
しぃちゃんの顔がますます赤くなった。
「もう入っていいよー」
はるちゃんの声と同時に中から扉が開かれた。
「おじゃましまーす」
私としぃちゃんは声をそろえて部室の中へと入る。中にいたのははるちゃんの他にもう一人いた。髪が長いその人は私達の姿を見るや、嬉しそうな笑み(といってもこの人はいつも明るい笑顔なのだが)を浮かべて抱きついてきた。
「うわーっ、かっちゃんとしぃちゃんだーっ! 久しぶりー!!」
ダンスサークルの現部長、明石真奈美先輩の私たちを締め付ける力はかなり強い。そのまま私たちの背骨を折るほどの勢いだ。(悲しいことに私と明石先輩の胸はそんなにないため、クッションの役割を果たすものなど無いのだ)視界の端にはるちゃんの笑顔が見える。それはまるでいたずらっ子が自分の仕掛けた落とし穴に人が落っこちたのを喜んでいるようだった。
私は声をなんとか絞り出して明石先輩の喜びの気持ちに答えた。
「あ、明石先輩……お久しぶりです」
「ほんとだよー、二人とも二年生になってからちっともここに来ないんだもん、物すごく寂しかったよー!」
「そ、それは……何よりです」
しぃちゃんは息も絶え絶えに答える。
明石先輩の腕がやっと私たちから離れた。私としぃちゃんはほぼ同じタイミングで咳き込む。私たちはやっと満足に取り入れられる空気を思いっきり吸い込んだ。
「いやー、久しぶりに見たけど二人ともかわいいねー」
明石先輩は左手で私の頭を、右手でしぃちゃんの頭を撫でる。そんな明石先輩の私たちへの扱いに私はふとした疑問を浮かべた。明石先輩は女子高生好きでかわいい女子高生を見つけると思わず抱きついてしまう困った癖がある。以前私の妹である真耶がその被害に遭った。
「明石先輩……、私たちは女子大生ですよ……」
咳のせいで目から出てくる涙を拭きながら私は心に浮かんだ疑問を明石先輩にぶつけた。
「なあに? 女子高生好きの私が女子大生であるあなたたちに抱きつくのはおかしいってこと?」
明るい笑顔を私に向ける明石先輩にしぃちゃんが答える。
「ええ、そういうことです」
しぃちゃんも私と同じことを考えていたようだ。
「いやいやいやいや」と明石先輩は再び私としぃちゃんの頭を撫でた。
「私ももう三年生、年で言ったら二十一なわけですよ。二つ下の子まで大学生になってしまうのです。それに気がついたとき、ふと思ったのですよ」
そこまで言った明石先輩は、右手の人差し指を下唇に当てた。
「女子大生もありかな、って」
顔は笑っているがよく見ると眼は笑っておらず、するどい光を私たちへ放っている。本気だ。
「私なんかそのおかげで毎日会うたびに抱きつかれているんだから」
私たちが抱きつかれている間、お茶の用意をしていたはるちゃんが湯飲みを四人分こたつの上に置いた。
「いやー、だってはるちゃんかわいいじゃない」
明石先輩がはるちゃんの頭を優しく撫でる。
「私でかわいいと抱きつくなら明石先輩はこの大学で何人の女の子に抱きつかなければいけないのですか。目にする女の子全てに抱きついていたらそれだけで日が暮れてしまいますよ」
「はるちゃん、自分を卑下しない。これでもものすごく厳選しているんだから」
はるちゃんが明石先輩の手をとろうとしたが、先輩はそれを払って再びはるちゃんの頭を撫でる。確かにはるちゃんは明石先輩の厳選に耐えうるかわいさを持っている。しぃちゃんももちろんそうだ。そして、私も……そうなのか?
四人で暖かいお茶を飲み始めたとき、紺色のスーツに身を包んだダンスサークルの前部長、浅野いのり先輩が入ってきた。彼女はその名前ゆえに幼いころは「朝のお祈り」と同級生にからかわれた経験がある。
「浅野先輩、どうしたんですか? そのスーツ姿は」
私が尋ねると、浅野先輩はよくぞ尋ねてくれたと言わんばかりに胸を張って見せた。
「就職活動よ。今日は面接を二社受けてきたの」
そうか、浅野先輩は今年四年生だ、と私は思った。浅野先輩は左手でVサインを作り、大きく前へと伸ばしていた。
「その後家から電話があって、一社内定もらったって!」
「せんぱーい、おめでとうございまーす!」
明石先輩が喜びの声とともに浅野先輩に飛びつく。浅野先輩の背中が強かたに部室の壁に打ち付けられる音がした。
「ま、真奈美。い、痛いって! ありがとう」
浅野先輩が口を引きつらせて明石先輩にお礼を言う。きっと本当に痛いのだろう。怪我をしていなければいいけれど。
「明石先輩から見れば、浅野先輩も『かわいい女子大生』に入るのね」
しぃちゃんが浅野先輩を気遣う視線を向けながら、小声で私とはるちゃんに呟く。
「浅野先輩の場合、『かわいい』と言うより、『かっこいい』んじゃ……」
浅野先輩の髪型ははるちゃんのそれより短く、耳がはっきりと見えるほどだ。涼しげな顔立ちとダンスで鍛えられたシャープな体系は、私から見れば「かっこいい」が相応しい。というか明石先輩、女子大生なら年下でも年上でもいいのか。
「そ……、そういうわけだから、き……今日は私のおごりよ。みんなでとんかつを食べに行くわよ」
浅野先輩の両手が明石先輩から逃れようと激しく壁をなぞる。しかし、明石先輩の抱きつく力はそんなものでは屈しない。それどころか、浅野先輩の「おごり」という発言に、
「うわーっ、先輩! ありがとうございまーす!」
とはるちゃんが喜びの声を上げて明石先輩もろとも浅野先輩に抱きついてきた。
「痛いっ!」
浅野先輩の悲鳴が再び部室の中、そして開けっ放しのドアを抜けて廊下に響き渡る。
「しぃちゃんも一緒に抱きつこうよ」
楽しそうな三人(一人は明らかに痛がっているのだが)を見て。なんだか仲間はずれな気分になったので、私はしぃちゃんを誘ってみた。
「えー、でも浅野先輩がかわいそうだよ」
しぃちゃんがもっともな意見を言ったので、私は抱きつくのを諦めることにした。
「二人ともいい加減離れなさい! とんかつおごってあげないわよ」
圧迫に耐えながらも浅野先輩が精一杯の大声を上げると、はるちゃんと明石先輩は、現金にもあっさり離れた。浅野先輩は口から風船の空気が抜けたときのような音を出して腰から崩れ落ちた。
「うわー浅野先輩、しっかりしてくださいー!」