第六話 かっちゃん防衛戦
「ねえかっちゃん、私と一緒に文化祭やろうよー」
しぃちゃんが私の右腕を掴み、左右に振る。
「お願いです。御徒先輩、私を助けるためと思って一緒に文化祭やりましょう」
かわちゃんは私の左腕を掴み何度も何度も腰を直角に曲げる。まるで選挙のお願いをしている政治家さんのようだ。
ここで仮に私が断ってもしぃちゃんとかわちゃんは文化祭の実行委員をやるだろう。二人が作ろうとする文化祭、そこに私が何か手伝えることは無いだろうか。というか手伝いたい。
そんな理由で引き受けてもよいのかと言う不安はある。しかし私は自分の気持ちをみんなに伝えたかった。
「私でよければ……みんなのお手伝いするよ」
「やったー、ありがとう。かっちゃん!」
しぃちゃんが背中から私に抱きつき何度も飛び跳ねる。
「ありがとうございます。御徒先輩」
かわちゃんはさっきと同じように何度も腰を直角に曲げる。まるで当選のお礼を有権者にしている政治家さんのようだ。
「はるちゃんもやるでしょ? 文化祭」
両腕を私の首筋に絡めたまま、しぃちゃんははるちゃんのほうを見る。はるちゃんは冷めた表情で一言。
「私はやらないよ」
その言葉を聞いたかわちゃんが素早くはるちゃんの正面に立ち、両肩をしっかり掴んで
「伊井国先輩も一緒にやりましょうよ、みんなで文化祭作りましょうよ」
と、激しく叫ぶ。まるで選挙で苦戦を強いられている政治家のよう……、って政治家さんに例えるのはいい加減しつこいか。
「私にはダンスサークルという大切なものがあるから」
はるちゃんは会長のほうを見て彼に聞こえるほどの大きな声を出した。会長は右耳に指を入れて掃除をしている。
「そりゃあみんなと文化祭をやりたいというきもちはあるわよ、だけど私はすでにサークル活動をしているの。これで文化祭の実行委員をやっていたらどっちも中途半端になってしまう。私、そういうのはいやだから」
会長の耳掃除をしている姿を見たはるちゃんは、さらに大きな声を出した。
「確かにはるちゃんの言うとおりだよ。はるちゃんはダンスサークルに専念するのがいいよ」
私は首に絡まるしぃちゃんの腕を支えながらはるちゃんのほうを見る。
「そうか……残念だけどしょうがないね」
しぃちゃんは私の背中で悲しそうな声を上げる。
「うー、分かりました。伊井国先輩は参加しないということで……」
かわちゃんは力なくはるちゃんの肩から手を離した。
「まあ実行委員にはなれないけど、ダンスサークルとして文化祭に協力することになると思うから、よろしくね」
はるちゃんは目を細めて私たちに向かって微笑んだ。
はるちゃんと自治会室で別れた私たちは文化祭実行委員のために用意されている部屋へと向かっている。部屋の名前は「文化祭室」と言うらしい。
自治会から歩くこと三分。文化祭室の扉を開けると中は辺り一面白いもので覆われていた。
「……何、これ……?」
得体の知れない風景に私は足を一歩踏み出す勇気が出ない。
しぃちゃんが私の足元に座り込み、じっと白いものを見つめる。
「これは埃だよ。かっちゃん」
「文化祭が終ってからこの時期まで誰も立ち入らないというから、埃がすっかりたまってしまったんだろうな」
高見さんが白いもの――埃を踏んで中へと入る。埃がふわりと私の目線の辺りまで舞う。
「だから文化祭実行委員の最初の仕事はこの部屋の掃除なんだそうだ」
高見さんは掃除用具の入ったロッカーを開けると、数枚の雑巾とバケツを私達のほうへと投げた。
投げられた雑巾やバケツはしぃちゃんが全て両手でしっかりと受け止めた。さすがはボクシング好き、毎日体を鍛えているだけはある。
しかし、雑巾はともかくとして、バケツを投げるなんてちょっと危なくない?
「はい、かっちゃん。ぼーっとしてないで水を入れてきて」
しぃちゃんが雑巾を入れたバケツを私の胸にぽんと当てる。
バケツに水を入れて部屋に戻ると中の四人は掃除もせず楽しく何かを話していた。
「河原真値さんは、あだ名はかわちゃんなのよ」
「しぃちゃん、一体何の話をしているの?」
「かっちゃん、みんなで自己紹介をしていたところなの」
しぃちゃんに言われて私はそうか、と思った。今ではこうして普通に話しているけど、私たちは高見さんに自分の名前を名乗っていなかったのだ。
「高見さんのフルネームは高見勝太って言うんですよ」
かわちゃんがそう言いながら私が手にするバケツから雑巾を二枚取る。
「年は一つ上だけど学年は俺たちと同じ二年生なんだ」
大井君がかわちゃんの手にする二枚の雑巾のうち一枚を手に取り机を拭き始める。なんでもお父さんが病に倒れて入院してしまったため、大学を一年間休学し、父親に変わってマグロ漁船を操っていたのだそうだ。
「ええと、それで私以外自己紹介は終ったというわけね……」
「さすがかっちゃん。察しがいいじゃない」
しぃちゃんが笑顔で雑巾を二枚取り、一枚を高見さんに渡す。
またきたか、この瞬間が。まあ今まで何度も自分の名前を名乗ってきたけど、やっぱり緊張するね。
私は唾を飲み込みと、息を大きく吸って大声で名乗る。
「私の名前は御徒真知です!」
私は高見さんの目をじっと見つめて彼の反応を待つ。何を言われても大丈夫だ、さあ来なさい。
ところが高見さんの反応は私の想像を超えるものだった。
「うーん、『御徒真知』で『かっちゃん』か……。俺と同じだな……」
「御徒真知」に反応せず、「かっちゃん」で悩む高見さん。あれ? 私、自分のあだ名は「かっちゃん」だって言っていないけど……。
「かっちゃんがバケツに水を入れに行っている間にかっちゃんの名前とあだ名を教えたんだよ」
しぃちゃんが私の足元を一生懸命雑巾で拭きながら、私がいなかった間の事情を話す。それはもう少し先に言ってほしかった。さっきの私の気合はなんだったのだろう。
「えーと、『同じ』というのはどういうことですか……」
「俺もあだ名が『かっちゃん』。名前が勝太だからね」
「そうそう、同じ文化祭実行委員の仲間同士、改まって『さん付け』で呼び合うのではなくて、お互いあだ名が呼び捨てで呼び合おうって決まったんだ」
大井君がロッカーから箒とちりとりを取り出す。
「ダーリンのあだ名は『けーま』ですよ」
「けーま」か、なんとも呼びやすいあだ名だな……。ちなみにしぃちゃんのあだ名は今までどおり「しぃちゃん」、かわちゃんのあだ名はこれも今までどおり「かわちゃん」と決まったらしい。
「高見さんと御徒先輩のあだ名が同じならば、今どちらかのあだ名を新しく決めなければなりませんね」
「そうだね、でもどっちのあだ名を決めればいいんだろう……」
しぃちゃんが私と高見さんの顔を見回す。「かっちゃん」と呼ばれてまだ一年しか経っていないけど、私はこのあだ名を譲る気は無い。
「言っとくけど、私は『かっちゃん』以外のあだ名は嫌だからね」
だってしぃちゃんが名づけてくれたあだ名だからね。
「高見さんのあだ名は私が新しく作ります。それで文句は無いですね!」
先に「新しいあだ名」という既成事実を作ってしまえばこっちのものだ、と私は思った。
「俺は十年間も『かっちゃん』というあだ名で呼ばれているから、それ以外のあだ名は考えられないよ」
十年と一年か……。いや年の長さで勝ち負けが決まるわけが無い。
「十年も経てばテレビや自転車も古くなって買い替え時じゃないですか。それと同じであだ名も変えたほうがいいんですよ」
「自転車とテレビって普通十年も使えるかな?」
大井君ことけーまがちりとりに埃を入れながら首を傾げる。けーま、今はそんなことを話し合う時間ではないわよ。
その時かわちゃんが雑巾を持った右手を勢いよく上げた。
「それじゃあ二人で相手の新しいあだ名を作って、ナイスなあだ名を作った方が勝ちってことで」
「そうだね、互いに恨みっこ無しって事で」
私のあだ名「かっちゃん」の名付け親であるしぃちゃんがあっさりとかわちゃんの提案に乗った。あだ名を名づけられた方と名づける方のあだ名に対する気持ちには温度差があるようだ。
だからと言って私は「かっちゃん」と言うあだ名を譲るわけにはいかないのである。だって「かっちゃん」以外のあだ名って他に「御徒町」しか無いのだから。
こうして「かっちゃん」の名をめぐって私と高見さんで、「あだ名名づけ対決」をすることになった。審査員はしぃちゃんと、かわちゃんとけーまの三人。
先にあだ名を閃いたのは高見さんだった。素早く右手をきっちりと上げる。
「『かっちゃん』だから、かっちゃん、かっちゃん……かーちゃん、かぁちゃん。『かあちゃん』、でどうだ。なんかお母ちゃんぽいし」
「かあちゃん」? 「かあちゃん」って何よ。確かに人より負けん気は強いかもしれないけど、ちっとも「お母ちゃん」らしくないわよ。と、私は高見さん、そしてしぃちゃんを見つめた。料理が上手と言う点では私よりしぃちゃんの方が何倍もお母さんらしい。
「『かあちゃん』か……。御徒先輩に似合っていますね」
かわちゃんが「かあちゃん」に好印象を示している。いけない、このままでは「かっちゃん」が高見さんに取られてしまう。
しぃちゃんとけーまが何も言っていない今のうちに、なんとか新しい彼のあだ名を考えないと……。えーと、高見さんだから、「たかみ」「たかみ」「たかみ」……。
そのとき、私の頭の中を一筋の稲妻が走った。私はその稲妻の中で光り輝く言葉を高見さんに向かって思いのままに叫んだ。
「うるさい! タカビー!!」
高見さんことタカビーは、顔を少し赤くさせ、口を大きく開けて叫んだ。
「なんだ、『タカビー』って。高飛車か!? 俺は高飛車じゃないぞ」
「高飛車だろうがそうじゃなかろうが『タカビー』は『タカビー』なの!」
彼が高飛車かどうかは問題ではない。私が「かっちゃん」の名を守れるかどうかの問題なのだ。
「『タカビー』か、いいね、面白いよかっちゃん」
雑巾をバケツの中に入れたしぃちゃんがお腹を抱えながら私の意見を支持してくれた。
「私も、『かあちゃん』より『タカビー』のほうがぴったりだと思います」
かわちゃんが私に一票を入れてくれる。これで二対零。すでに過半数を達している。
「俺も『タカビー』に賛成」
けーまが雑巾を上げる。これで三対零、全会一致だ。まさに完勝。
こうして一度は失いかけた「かっちゃん」の名は私の元へと戻ってきた。
「待て、俺は納得してないぞ」
タカビーが負けを認めていないらしく、雑巾をきつく絞りながら叫ぶ。雑巾からは水滴がいくつか床へと落ちていく。
「タカビー委員長。委員全員の意見です。諦めてください」
しぃちゃんが、タカビーの雑巾から零れ落ちた水滴を、再びバケツから取り出した雑巾で拭きながらはっきりした声で言う。
「う……、それを言われると……」
「委員」と言う言葉が出たので、タカビーは雑巾を持つ両手の力を緩めた。
「そうですよ、タカビー委員長。委員の意見です。従ってください」
「委員の総意には従うべきだ。委員長」
かわちゃんと、けーまが私の後押しをする。タカビーは左手で雑巾を机に叩きつけると、右手で頭を抱えながら呟いた。
「わかった……委員の意見ならしょうがない」
こうして、文化祭実行委員の活動はタカビー委員長、私、しぃちゃん、かわちゃん、けーまの五人でスタートした。
「タカビー委員長、よろしくー」
「やっぱり気にいらねー!」