第五話 自治会室へ行こう
五人で一緒にお昼ご飯を食べた翌日の午後――。私としぃちゃんとはるちゃんが大学内の喫茶店でのんびりとしているところに、かわちゃんと大井君がやってきた。
「よっ、ラブラブなお二人さん」
はるちゃんが手を上げて二人を空いている隣のテーブルへと案内する。
「御徒先輩、椎名先輩、伊井国先輩こんにちは」
かわちゃんは礼儀正しく私たち一人ひとりに丁寧に頭を下げた後で席に座る。
「三人ともどうも」
大井君は右手を上げて私たちに挨拶した後で席に座った。
「ねえダーリン。先輩達なら知っているんじゃない?」
かわちゃんが生クリームたっぷりのコーヒーを飲みながら私たちに視線を送る。
「うーん、それはどうだろう……。興味がなければ案外知らないかもよ……」
大井君は砂糖やミルクを混ぜぬままコーヒーを口にする。
「何、何? 私たちが知っていることならなんでも教えてあげるよ」
アッサムティーを手にしたはるちゃんが楽しそうな顔をして身を乗り出す。かわちゃんはコップをテーブルに置くと、私達のほうへ体を向けた。
「この大学の自治会室に行きたいのです」
自治会とは学生の中から有志が集まって出来たものである。何をしているのかといえば、大学にあるサークルの管理・支援。文化祭や入学試験などの大学で起こるイベントの企画・協力。大学生活をよりよいものにするためにと大学へ校内規則の改正などの交渉事などを行っている。分かりやすく言えば、高校や中学校にあった生徒会の大学版だ。
その自治会のための部屋が自治会室である。
「うーん、自治会室かー。私は分からないなぁ……」
マンゴーティーを手にしながらしぃちゃんは首を横に振る。
「私も知らないや、ごめんね」
砂糖とミルクが入っているブレンドコーヒーを飲みながら私はかわちゃんに謝る。
「もーう、二人ともだめねぇ……。ところでかわちゃんは自治会室に何か用なの?」
はるちゃんが尋ねると、かわちゃんは黄色いカバンを開けながら満面の笑みで答えた。
「自治会に入会届を出すのです」
かわちゃんがカバンの中から取り出したのは、「入会届」と墨で書かれた白い封筒だった。そういう「なんとか届」って普通封筒に入れるものなのかな?
「真値は高校では生徒会長をやっていたんだよ」
「そうです、『清く正しく美しく』をテーマに高校をよりよいものにしようと頑張ったのです」
かわちゃんはそう言った後で鼻歌を歌い始めた。それは私が聞いたことの無い歌だった。しぃちゃんとはるちゃんは、ぽかんとした顔でかわちゃんを見つめている。二人も聞いたことがないのだろう。
「あ……これ俺達の高校の校歌だから、気にしないで」
大井君は冷静にかわちゃんの肩を叩いて鼻歌を止める。
「すいません、つい昔を思い出して……。つまり大学でも同じようなことをしたいのです。それには自治会に入るのが一番じゃないですか」
「なるほど、かわちゃんはいずれは自治会長になりたいのね」
「そうです。だから一年のうちからいろんな役職に就きたいのです」
どうやったら自治会長になるのかは分からないけど(自治会長などを決める選挙が去年行われていたかどうかを私は知らない)きっと大変なことなんだろう。
「でも入学したばかりなのに自治会に入りたいなんてすごいよ、かわちゃん」
「ありがとうございます」
かわちゃんはしぃちゃんに向かって丁寧に頭を下げた。
「そうだね、大学に入ったばっかりなのにやりたいことが既に決まっていて、実行に移そうとしているのはすごいことだよ」
大学でダンスをするという明確な目標があるはるちゃんが、笑顔で頷く。
「ところで伊井国先輩、伊井国先輩は自治会室がどこにあるか知っているのですか?」
かわちゃんが期待の目ではるちゃんを見つめる。私としぃちゃんに「だめねぇ」と言ったはるちゃんの事だ。きっと知っているのだろう。
はるちゃんは自信満々の表情で立ち上がると右手を腰に当てた。何か嫌な予感がする。
「私もどこにあるか知らないわよ」
「いや、はるちゃん。それ自慢にならないから」
はるちゃんには自慢にならないことを自慢する癖がある。さらに人に期待させるだけさせておいて突き落とすという困った癖がある。私はやはりそう来たか、とはるちゃんに突っ込みを入れた。
「気持ちは嬉しいが君は一年だろ? 悪いことは言わない、勉強に集中しなさい」
十五分後――、私たちは事務の人から自治会室の場所を教えてもらい、自治会室へと足を踏み入れた。かわちゃんは中にいる会長の姿を見るや、
「私を自治会に入れてください!」
と、カバンの中から「入会届」を出して会長の机に勢いよく叩きつけた。本人は叩きつけるつもりはなかったのだろうが、結果として叩きつける格好になってしまった。
会長は苦笑しながらかわちゃんの入会届を見る。そして出たのが先ほどのセリフだ。
「どうしてダメなんですか!? 一年生とかそんなの関係ないじゃないですか! 私を自治会に入れてください!」
かわちゃんは机に手を突いて身を乗り出す。
「会長さん、彼女本当に自治会に入りたいんです。なんとかなりま……」
私がかわちゃんに助け舟を入れる。会長は笑いながら手を出して私の話を止めた。
「いいかい、河原さん。君は大学生なんだよ。大学生の本分は勉学に励むことだ。大学生活に慣れていない一年のうちは勉強に励むべきなんだ。それが本来の学生の姿とは思わないかね」
髪を茶色に染めている会長は大学生とはなんたるかについてしっかりとした自分の考えを持っているようだ。笑いながらかわちゃんの勢いをさらりとかわす。
「じゃあサークルに入っている学生はどうなんですか、彼らもサークルをやめて勉強に励めと言うんですか?」
会長の顔から笑みが消え、眉間に少し皺がよるのが私にも見える。
「自治会をサークルと一緒にしないでもらえないかな」
「ちょっと! なにサークルを見下したような発言をしているのよ」
「はるちゃん、落ち着いて。落ち着いて!」
はるちゃんが怒鳴りながら会長の机へ詰め寄ろうとするのを、しぃちゃんがなんとか食い止めた。
「気を悪くしたのなら謝る。しかし河原さん、高校のとき生徒会長をやった君ならわかるだろ?」
じっとお互いを見るめる会長とかわちゃん。視線での会話が交わされているようだ。高校のときに生徒会に関わりの無かった私にとって自治会とサークルの違いがなんだか分からない。
「うっ、それを言われると……」
かわちゃんがちょっとたじろいたのを見て、大井君が彼女の肩を叩いた。
「真値、これで分かっただろ。自治会に入るのは二年になってからだ」
「ダーリン……」
人前を気にせず、少々涙声のかわちゃんは大井君に抱きつく。私たちはそれを照れながら見守る。
「えーと、そろそろ人が来るのだが……。いいかな?」
会長は抱き合っている二人を伺いながら軽く咳払いをした。慌てて二人は離れる。
「はっ、はい。どうもすみませんでした」
かわちゃんはご丁寧に会長に向かって頭を下げた。
「えーと、会長さん。これだけは言っておきたいんだけど……」
真剣な表情の大井君が右手を会長の机の上に乗せた。かわちゃんの気持ちを会長に伝えたいんだろうか。
「俺たちは決して馬鹿カップルではないから。それだけは誤解しないでくれ」
大井君を見つめる会長の目が点になった。
「いちいちそう断りを入れるのが馬鹿カップル……」
「もーう、はるちゃん」
小声で突っ込みを入れるはるちゃんの口をしぃちゃんが押さえる。
「あー……うん、そうは思っていないから大丈夫だよ」
会長の言葉を聞くと大井君は表情をくずした。
「そうか、それならいいんです」
そのとき、ドアが音を立てて開き、髪の短いTシャツ姿の大きな男の人が部屋の中に入ってきた。
「おう、待っていたぞ。高見」
「かわちゃん、もう出よう。自治会の入会はまた別の機会にお願いするといいよ」
しぃちゃんがかわちゃんの袖を引っ張る。かわちゃんは口をへの字に曲げて不満そうな顔だったが、
「はい……、分かりました」
かわちゃんは礼儀正しく会長にお辞儀したが、彼はそれに気づかず高見と呼んだ男の人と話している。
部屋を出ようとしたとき、会長のある一言が私達のそしてかわちゃんの耳に入った。
「実はお前に文化祭の実行委員長になってほしいんだが……」
「文化祭実行委員!!」
かわちゃんは大声を上げると、高見と呼ばれた男の人の太い右腕を掴んだ。
「はい! 委員長殿。私、文化祭実行委員になります!」
「こら、一年生は勉強に励めと言っているだろう!」
かわちゃんは会長を睨みつけて意地悪そうに応える。
「あなたにお願いしているんじゃありません。私は委員長にお願いしているのです」
かわちゃんの反応に会長は一瞬たじろいたが、すぐに体勢を立て直した。
「君がお願いしている彼はまだ文化祭実行委員長ではないよ」
「そうだよ、俺はまだ文化祭実行委員長をやるとは言ってはいない」
「そんな……」
はっきりとした高見さんの言葉にかわちゃんの顔がゆがんだ。高見さんはかわちゃんの反応を気にせず、会長のほうを見て、
「この子を実行委員に入れるのを了承するまで俺は委員長をやるとは言わない」
「おい、その子は一年生だぞ、分かっている……」
「それはお前の論理だろ? 俺の論理とは関係ない」
会長の自説を高見さんは強い口調で押しとどめる。
「はい、会長。文化祭の実行委員と、自治会は別のもので会長が全てを決めるものではないと思います」
私は手を上げて高見さんを支援する。自治会と文化祭実行委員がどう違うのかはよく知らないけど、可愛い後輩のためにこのくらいの知ったかは必要でしょ。
「……ああ、もういい。文化祭の実行委員長は高見、お前だ。誰が委員になるかはお前が決めることだ」
会長はそう言うと椅子をくるりと回し、私たちに背を向けた。
「やったね、かわちゃん。これで文化祭の実行委員になれるよ!」
私はかわちゃんの手を取って私の喜びの気持ちを素直に伝えた。かわちゃんは丁寧に頭を下げて私にお礼を言う――。のかと思ったが、かわちゃんの言葉は意外なものだった。
「はい、御徒先輩も、文化祭実行委員になれますよ」
えっ、私もなの? 私はかわちゃんの手を握ったまま、そして口を開けたまま返す言葉がなかった。かわちゃんは気にせず目じりを下げて微笑む。
「ダーリンも、椎名先輩も、伊井国先輩も文化祭の実行委員ですよ」
みんなもなの? 私は開けっ放しにしていた口を結んで周りを見回す。大井君の反応を見るに、自分がかわちゃんとともに何かの役職につくことは想像の範囲だったのだろう。
「いいじゃん、かっちゃん、しぃちゃん。文化祭の実行委員やりなよ」
はるちゃんが自分の事は棚に上げて私たちをあおる。
「文化祭か……。一度何かそういう大きな事をやってみたかったんだよね……」
しぃちゃんは目をうっとりさせている。すっかりやる気でいるようだ。
「やる気があるのだったら、大歓迎だよ」
高見さんも私たちの実行委員入りを受け入れる構えを見せている。
「ほら、かっちゃんも実行委員やろうよ」
はるちゃんは楽しそうな表情を浮かべて私の頭を何度も叩く。
「大学生活を楽しくするためにも何か大きいことをやろうよ」
もうすでに実行委員になったつもりでいるしぃちゃんが私の右手を握り締めゆっくりと左右に振る。
確かに大学に入って何かやりたいと思っていたけど……。文化祭かぁ。