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第五十八話 私を月まで連れてって

「イラケン選手、喜久蔵さん。今日はどうもお疲れ様でした」

 楽屋に戻った二人のボクサーに私としぃちゃんは丁寧に頭を下げた。

「おかげで文化祭、大成功ですよ」

 私が言うとイラケン選手は首を横に振った。

「いや、俺達の出番はここまでだけど、文化祭はまだ午後もあるじゃないか」

 そうでした。文化祭はまだ続くんでした。私は右手でげんこつを作って軽く頭を叩いた。

 イラケン選手はフードコートを身にまとうと

「それじゃあまた駐車場まで案内してもらいましょうか」

 と、立ち上がった。


 イラケン選手を見送った後、私としぃちゃんは楽屋へと戻って後片付けを始めた。

「お茶結構買ったけどあんまり飲んでもらえなかったね」

 今朝私が何度もスーパーを往復してお茶を買ったのだがその努力はむくわれなかったようだ。うーんちょっと悔しいな。

「まあ二人とも減量中だからね、水分も控えようと考えているのかもしれない」

 しぃちゃんは部屋の端に寄せたテーブルを開きながら答える。私はイラケン選手のちょっとこけた頬を思い出した。

「ところで亜由美は何をやっているの?」

 そういえば亜由美の姿が見えない。

「ボクシングの部員さんと体育館の後片付けをやっているはずだよ」

 また部員さんとリングについて熱く語っているのだろうか。

「まあ楽屋の片付けは女の子二人でできるからね」

 私は折りたたまれた椅子を開いてしぃちゃんが開いたテーブルにセットする。

 十分もせずに楽屋は元の教室へと戻った。ゴミ袋を持ちながら私たちは忘れ物・落し物がないか確認をする。

「よーし、これで部屋の中には何も無いね」

「それじゃあ体育館のほうに向かおうか、かっちゃん」

 と、部屋を出たところで亜由美と出くわした。

「片付けお疲れ様です。体育館のほうはもう終りましたよ」

「えっ、もう終ったの!?」

 この教室の十倍以上ある広さの体育館に置かれたリングと椅子が全て片付けられたって信じられない速さだ。

「全部が終ったわけではないです。とりあえず今日できる分は終ったということで、続きは明日やりますので二人ともご協力お願いします」

 そうだったー、文化祭は今日で終わりだけど、後片付けがまだあるんだった。お客さんなら今日で終わりだけど、運営する私たちにしてみればまだまだ仕事は続くのだ。

「とりあえず、ゴミを持って一旦文化祭室へ行こう」

 燃えないゴミが入った袋をちょっと上げて、私はしぃちゃんと亜由美に告げた。


 文化祭室ではテーブルの上にシチューやら唐揚げやらクレープなどが置かれている。今日のお昼ご飯のつもりだろう。

「『ミス文京大学』の投票は進んでいるのかな?」

 すっかり冷めているシチューを味わいながら私は呟く。それにすかさず亜由美が答えた。

「思ったより票が入っているみたいです。投票箱がいっぱいになったところもあるとか」

 時間は午後零時、投票の締め切りまであと四時間だ。

「まあそれだけ票が入っているって事は盛り上がっているってことだね。主催者の側としては嬉しいことだよ」

「その代わり開票作業は大変だけどね」

 う……、しぃちゃん嫌なこと言うな。しかし今回の「ミス文京大学コンテスト」は某超大国と違ってパンチカード方式ではなく記名方式だから開票結果に不満を持たれて裁判沙汰に持ち込まれることはないのである。

 シチューを食べて、唐揚げを食べて、お茶を飲んでまったりとしているとあっと言う間に時間は過ぎていく。

「しぃちゃん、今何時ー?」

 机に顔を伏せながら私はしぃちゃんに尋ねる。

「えーとね、今ちょうど一時かな?」

「はるちゃんたちのダンスショーって何時からだっけ」

「十二時からですね」

 亜由美が淡々と答える。

「ちょっ、十二時ってことは……」

 すでにダンスショーは始まっていてそれから一時間が経過している。ひょっとしたら終っているかもしれない。

「やばいよしぃちゃん、亜由美。文長ホールに行かないと」

 ダンスショーを見逃したことがバレたらはるちゃんと明石先輩に何をされるか分かったものじゃない。私は空になったシチューの容器を机の上に置いたまま文化祭室を飛び出した。


「ええと、今からでも入れますか」

 五号館地下二階の文長ホールに駆け足でたどり着いた私たちは息も絶え絶えに受付の方に尋ねる。

「ええ、今からでも入れますが……」

 その言葉を聞いた私はしぃちゃんと亜由美の手を引っ張って文長ホールのドアを開けた。

 中は超満員で立見の人も何人かいる。そして音楽がかかっておらず一面水を打ったような静けさ。舞台には幕が降ろされている。ひょっとしてもう終っちゃった?

「もう終っちゃったのかな?」

 しぃちゃんは不安げにささやく。

「終ったのならお客さんが出るはずですが、まだ座っているところを見ると終ってないのでしょう」

 観客席の一番先まで歩いて空いている席が無いことを確認すると、私たちは通路に座り込んだ。舞台を右端から見ることになる。

 亜由美が答えた直後にホーム上にアナウンスの声が響き渡る。

「それでは最後の演目です。今回のダンスショーの主催である明石真奈美、伊井国遙によるデュエットで『FlyMeToTheMoonフライミートゥザムーン』」

 ああ、良かった二人のダンスが見られて、私はほっと胸を撫で下ろした。舞台の幕が上がるとそこには黒のモーニングを着た男装のはるちゃんと、ピンクのショーガールの衣装を身に纏った明石先輩の姿があった。その裏には大きな満月が吊り下げられている。

 曲が始まると二人は静かに互いの体を抱き寄せた。互いの頬を撫であう。まるで口づけしそうなくらいだ。

 手を繋いだ二人は時にはくっつき、時には離れてそれぞれの動きを見せる。静かだが、力強さを感じさせる動き。

 はるちゃんが明石先輩の腰を抱き寄せると、明石先輩は九十度に体を折れ曲げて手を伸ばし、観客に妖しげな笑顔を見せた。曲自体はそんなに厭らしいものではないのだが、明石先輩の動きにはセクシーさが感じられる。

 凛々しい男装のはるちゃんの動きとセクシーな明石先輩の動きが私たちの目を釘付けにする。

 そして曲が最後に近づくと、はるちゃんは舞台の中央に、明石先輩は舞台の端立ちはるちゃんめがけて走り出した。

 はるちゃんが両手を水をすくうような仕草で明石先輩に差し出すと明石先輩の右足はその上に乗っかった。

 瞬間はるちゃんの両手が高く上がる。その勢いで明石先輩の体は高く空中へと跳ね上がり吊るされた満月の上で一回転した。まさに「FlyMeToTheMoon」。

 明石先輩は両手を綺麗にそろえて体操選手のように静かに舞台の上に着地した。その姿を見た観客からは拍手と喝采が沸き起こった。私たちもその中の一人だった。

 そして元気のいいポップミュージックが流れると、舞台の袖から様々な衣装を身に纏ったダンスサークルのメンバーが飛び出した。中には女子高生の姿をしたり、野球選手の姿をしたり、浅野先輩に至ってはシスターの格好。一体何を踊ったのか気になるけど、私たちは見ていないので分からない。うーん、残念。

「みなさん、本日は私たちのショーを見てくださってありがとうございました」

 明石先輩がマイクを片手に舞台のお客さんに向かって叫ぶ。

 はるちゃんや明石先輩、浅野先輩の顔にはやり遂げたという表情が見えた。

 私たちもいずれ三人のような顔をするのだろうが、それにはまだ時間が残っているのであった。

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