第五十四話 二日目と三日目の間に
二日目もいろいろあったけど、なんとか無事に終了することができた。文化祭も明日を残すのみだ。昨日と同じくしぃちゃんは屋台から買った食糧をタッパに詰めてお持ち帰りをしている。
「いやー、文化祭もとうとう残り一日かー」
シャッターが閉まった店の並ぶ商店街を歩きながら私は叫んだ。夜の冷たい空気が口の中に入る。もうすぐ冬だ。
「あと一日だからって油断しちゃダメだよ。最後まで気を抜かないでしゃんとしないと」
右隣を歩くしぃちゃんが私を見上げて注意する。
「最終日は二人にやってもらう仕事が多いですからね」
亜由美がパンフレットを開く。
えーと、まずはイラケン選手の公開スパーリングの司会と「ミス文京大学コンテスト」の結果発表。そしてラストを飾る閉会式の司会……。
「その合間に私たちのダンスを見に来てくれるんでしょ」
はるちゃんが後ろから抱き着いてきた。今日もしぃちゃんの家に私としぃちゃんはるちゃん亜由美そして明石先輩の五人でお泊りだ。私はしぃちゃんの家の近くに家があるから泊まる必要は無いんだけど、なんか寂しいじゃない。
「そうだね、はるちゃんのダンスのとき私としぃちゃんの仕事は無いからね」
「私と明石先輩の華麗なダンスをみんなに早く見てもらいたいわ」
はるちゃんが楽しそうに声を上げる。
「ところではるちゃんと明石先輩は二人で何を踊るの?」
しぃちゃんが私に抱きついたままのはるちゃんを見上げる。
「んふふー、それは内緒よ、しぃちゃん」
明石先輩が後ろから抱き着いてきた。もっともその対象はしぃちゃんじゃなくて亜由美だ。しぃちゃんの後ろから襲い掛かろうものなら何をされるか分かったもんじゃない。まあ後ろに立つだけで殴ってこないところは超A級スナイパーと比べてマシなところだけど。
「うわあああっ、明石先輩いきなり何をするんですか!」
まさか自分が抱き疲れると思わなかった亜由美が悲鳴を上げる。
その悲鳴を聞いてしまったのだろう。自転車に乗ったお巡りさんがやってきてしまった。
「どうしました、何かありました」
お巡りさんはいかにも真面目そうな人だ。本当に何かあったのか心配そうな顔をしている。
「えーと、後ろから……」
セクハラされた、と亜由美が言いそうなところを私が必死に
「いーえ、なんでも無いです。ただじゃれているだけです」
と、否定する。
「そうですか、夜も遅いんで気をつけて帰ってください」
お巡りさんは心底ほっとしたような表情を浮かべて白山駅方面へと去っていった。
「もーう、亜由美明石先輩に後ろから抱きつかれたぐらいで大げさな声上げないでよ」
しぃちゃんがお巡りさんの後姿を眺めながら亜由美に抗議する。
「だって、どう考えても私に抱きつく場面と違うでしょう……」
亜由美は明石先輩に頬ずりされながら必死の弁解をする。
「亜由美の気持ちも分かるけどさ、一番明石先輩の影響を受けているんでしょ。いまさら大声を上げることないじゃん」
亜由美は影響を受けすぎて私に抱きつくぐらいまでしているからな。大声を上げるなど何をいまさらという感じだ。
「いやー、そんな私でも不意を疲れたら驚きますよ。驚いて胸の鼓動が……」
そう言いながら亜由美は胸に手を当てるがその手の動きがどうもいやらしい。
「乳を寄せるな!」
自分の胸のデカさをアピールするなんて胸の無い人にとっての嫌がらせだ。
「亜由美ー、その手の動きは私に対する嫌がらせぇー?」
五人の中で一番胸の無い人――明石先輩――が亜由美を締め付ける。
「ち、ちょっと明石先輩、痛いっ、痛いって!」
亜由美が胸を寄せながらもだえる。なんとも厭らしい光景だ。先ほどのお巡りさんが来たら何事だと思うだろう。
団子坂下の交差点で一旦しぃちゃんたちと別れた私は家へと帰る。家に用意されている夕食をしぃちゃんの家へ持っていくためだ。
「ただいまー」
「あ、お姉ちゃんお帰りなさい」
靴を脱いだ私をパジャマ姿の真耶が出迎える。既に食事を終えたのか歯ブラシを口に咥えている。
「お姉しゃんにょうも椎名さんのいへにお泊り?」
歯磨きしながら話しているから言葉は変だけど、大方意味は通じる。「お姉ちゃん今日も椎名さんの家にお泊り?」だろう。
「うん、そーだよ」
私は真耶を避けながら居間へと歩く。ちゃぶ台にはお茶碗とお椀の変わりに一つの鍋が蓋を閉めた状態で置かれていた。お母さんは私が今日も泊まることを予想していたのだろう。台所から皿と皿がぶつかる音が聞こえる。
「おかあさーん、この鍋を持っていってもいいのー?」
私は台所に向かって叫んだ。
「いいわよー、今日は麻婆豆腐だから辛さが合わない人がいるかもしれないけどねー」
台所からお母さんの声が聞こえてきた。
「大丈夫だよ、うちの麻婆豆腐が辛いと思う人なんていないから」
まあ一般の基準で言ったら甘口だろう。
「んふふふふ」
台所からお母さんが顔を覗かせて私の顔を見ると笑顔になった。
「お母さん、何笑っているの」
「いや、真知ちゃんの顔、いきいきしているなーと思って」
エプロンで手を拭きながらお母さんは目を細める。(もともと目はものすごく細いけどね)
「ええー、そうかなー」
私は自分の頬を抑える。そんな顔しているのかな?
「一年のときは新しい生活と新しい友達が出来て嬉しそうな顔していたけど、今年はそれとは違う、何か楽しいことをやろうとしている顔になっているわ」
「一年も二年も顔は一緒だよ」
そう簡単に顔って変わるものだろうか。
「いや、違うわね。楽しいだけじゃない、何か責任感を持っている顔になっているわ。文化祭、を作ろうとしている気持ちがそうさせているんでしょう」
「そうかな……」
私は自分の頬をつねってみる。
文化祭を作ると決めたのは四月の中ごろ、それから授業と文化祭の準備をずっと両立させてきた。
時にはタカビーと言い争いになり、同じメンバーの仕事の出来にイライラしたこともあったけど、楽しいこともあった。
夏休みなんか休みなのにほぼ毎日大学に通っていた。そんな文化祭も本番を向かえあと一日で終ろうとしている――。なんだかちょっと複雑な気持ちだ。やっと終わる、というほっとした気持ちもあれば、もう少し続けていたいという気持ちもある。気持ちってなんて贅沢なんだろう。
複雑な気持ちのまま着替えと麻婆豆腐の鍋を持ってしぃちゃんの家に向かう。チャイムを鳴らすとドアを開けたのはしぃちゃんではなく、はるちゃんの声だった。
「あ、かっちゃんちょうどよかった。ちょっと大変なことになっているのよ」
はるちゃんが鍋を持っている私の手を引っ張る。
「え、何? どうしたの」
鍋を落とさないように気をつけながらしぃちゃんの家に入る。お風呂場からシャワーの音が聞こえる。誰かシャワーを浴びているのだろう。
しぃちゃんの部屋に入ると中にはしぃちゃんの下着が床一面に散らばっていた。
「明石先輩や亜由美がしぃちゃんの弱点を見つけようとしぃちゃんがシャワーに行っている間にこんな風にしてしまったの」
「いやー、しぃちゃんのお宝モノを見つければしぃちゃんにも抱きつけるかなーと思って」
明石先輩が悪びれもせずに頭を掻く。
「早くしぃちゃんが戻る前に片付けないと、大変なことになるわ。かっちゃん、片付けるの手伝って」
こうして私たちはしぃちゃんが戻ってくるまで床一面に散らばっていた下着の類をタンスに戻すのに大童になった。おかげでさっきまでの複雑な気持ちはふっとんでしまった。