第四十九話 ルネサンスの惨劇
今回、タイトルにありますようにちょっと過激で残酷な表現があります。かなり柔らかく書いたつもりですが、ご注意ください。
体育館を出るともう時間は十二時、ちょうどお昼の時間だ。
「それじゃあしぃちゃん、はるちゃんのサークルがやっている屋台に行こうか」
「はるちゃんのところはオムソバを作っているね」
オムソバならお腹一杯になれそうだ。
「よーし、行くぞ……って相変わらず人がいっぱいだなー」
「ドーナツ今なら五個で二百円ですよー」
「焼き鳥いかがっすかー、三本で百えーん」
ただでさえ狭い大学の中庭や外の通路に屋台がひしめき合っているのだからさらに狭く感じるのなんの。
「しょうがないよ、お昼時だもん」
これじゃあ時間を避けるためにあちこち回った意味が無いじゃない。
それでも空腹には負けてしまう。しょうがなく人ごみを掻き分けながら。はるちゃんたちがいるであろう屋台へと向かう。はるちゃんの屋台は中庭の通路の一番奥、いつも私たちが三時にお茶を飲む喫茶店の目の前にある。
人ごみを掻き分けること一分。目の前に「オムソバ」と書かれた屋台を発見。
「はるちゃーん、オムソバ食べに来たよー……ってあれ?」
笑顔で店の前に立ったのはいいが、屋台にいたのははるちゃんでも明石先輩でもなく浅野先輩と数人の女子学生だった。
「はるちゃんと明石先輩はいない時間帯なんですか?」
しぃちゃんが小さい背を伸ばして浅野先輩に尋ねると
「遙と真奈美は屋台に出ないよー。二人はダンスの特訓があるから」
「特訓ってそんなに大変なダンスなんですか?」
二人で小さな輪に入ったり、頭の上に火のついた蝋燭をつけて踊ったり……、なんかダンスと言うよりマジックショーだな、こりゃ。
「前にも言ったけど、二人は特別に二人だけのダンスタイムがあるからねー。しかもイベントのトリを務めるから。そりゃ大変なプレッシャーだと思うよー」
焼き蕎麦を炒めながら浅野先輩は呑気そうに答える。二人ならやってくれるという安心感があるのだろうか。
「うーん、時間があったらその二人のダンスだけでもいいから見に行きたいなー」
「かっちゃん、プログラム見ていないの? ダンスの時間は私たちの出番はないよ」
ということは、裏方の仕事がなければはるちゃんたちのダンスイベントを最初から最後まで見られるというわけだ。
「まあ二人は実行委員の仕事があるから全部は見られないと思うけど、時間が空いたら見に気なよ。うちのイベントは途中入場も退場も可能だから」
焼き蕎麦が薄い膜のような玉子焼きに包まれ、それを鉄へらで大きく二つに分け、それぞれ紙皿に載せていく。これらの作業を話しながらするなんて、浅野先輩は器用だな。
「はい、オムソバ二人前お待ち!」
「わーい、いただきまーす」
浅野先輩が差し出したオムソバと割り箸を私たちはゆっくりと受け取る。
湯気が立ち上る卵の膜を箸で切り、焼き蕎麦に包んで口に入れる。浅野先輩が自信満々に作っただけあってオムソバの味は美味しいのなんのって。
「おいしー、これだけ美味しければかなり売れるんじゃないですか?」
「まだ店開いてから三時間も経っていないけどお客さんが多くて嬉しい悲鳴を上げたいくらいよ」
「すいませーん、オムソバ二つ」
「はい、いらっしゃいませ」
他のお客さんが来たので、私としぃちゃんは割り箸を咥えながら浅野先輩の屋台を後にした。
お昼ご飯のオムソバを食べた後でもまだ私たちの出番まで時間がある。そこで私としぃちゃんはもう一度一号館をぶらぶらすることに。
「次はどこにいこうかね」
「そうだねー、少ないお金で時間がかかるところがいいなー」
しぃちゃんの金銭感覚が主婦なみになっている。
パンフレットを見ながら二階にあがり、エレベータホールを通ると目の前に「中世の館」と書かれた看板が。
「……しぃちゃん、これって『ルネサーンス!』って言って入るべきなのかな」
「いや……、そこは『ボンジュール!』でしょ。かっちゃん」
挨拶(?)の言葉は違えど、この教室に入るという点では暗黙のうちに意見が一致した。
扉を開けて中へと入る。
「ルネサーンス!」
「ボンジュール!」
自説を曲げない私たち。
中は真っ暗で奥の様子が分からない。というか、黒いカーテンで目の前が遮られており、ダンボール製の看板が天井から下げられていてそこには「順路」と書かれている。その看板が指し示す方向を見ると、何か不気味な感じのする暗い道が。これってもしかして……。
「しぃちゃん、これは……いわゆる……」
「お化け屋敷というやつだね。どうしよう……、怖いな……」
私はお化けと言うのが苦手なのは既に話したと思う。当然、お化け屋敷も苦手なのだが、しぃちゃんの怯えようはそれ以上だ。
「えーと、それじゃあ引き返しますか」
「そうだね、帰ろう」
と、入ってきた扉を開けて帰ろうとしたのだが、誰かが外側から扉を押さえているのか開かない。
『お化け屋敷の道は一本道。引き返すのは許されないことでルネサーンス』
とどこからか声が聞こえてきた。どうやら私たちの様子を監視しているらしい。しかし、それにしても強引な語尾だな……。
「しょうがない、前に進むか」
「そうだね、かっちゃん。進むにあたってお願いがあるんだけど……」
しぃちゃんは少しもじもじした様子で私を見る。
「うん、しぃちゃんどうした?」
「私が前を歩くから、しぃちゃんは私の後ろぴったりとくっついて歩いてくれない? そして私の両腕をがっちりと押さえて欲しいの」
「こ……こんな感じでいいのかな」
私は小さなしぃちゃんの背中にぴったりと張り付き、しぃちゃんの手を掴む。
「そう、その感じで歩こう。私怖くてお化け殴っちゃうかもしれないから、その用心」
しぃちゃん曰く、過去に当時付き合っていた彼氏とお化け屋敷に入ったとき、怖さのあまり出てきたお化け全てを殴り倒してしまい、そのうえ彼女を止めようとした彼氏まで殴ってしまったということだ。お化け屋敷の人は私たちを帰したほうがよかったのじゃないのか?
「しぃちゃんの腕を完全に押さえられる自信はないけど……。頑張ってみるよ」
しぃちゃんの動きに合わせて私はお化け屋敷の中へと入った。
『まずは「魔女狩りのコーナー」でルネサーンス、中世は怪しげな予言や行いをするものを「魔女」とみなし、裁判や拷問に掛けて最終的に処刑したのでルネサーンス』
「魔女狩りのコーナー」と言うけど展示しているものは何もなく、相変わらず真っ暗な空間が続いている。そして中世のお化け屋敷なのに、日本のお化けが出てきそうな太鼓の音が流れている。そして気の抜けるナレーションの語尾。
『魔女として処刑された有名人といえば、「ジャンヌ・ダルク!」』
その瞬間、天井から棒に縛られた女性が振ってきた。
「キャー! いやー」
早くもしぃちゃんがその物体を殴ろうと手を動かす。
「しぃちゃん、落ち着いてよ。これは人形だよ」
私もお化けは怖いけど今はしぃちゃんのほうが怖い。しぃちゃんは吊るされたその物体をしばらく眺めていた
「ほんとだ、人形だね」
と、涙目の笑顔を私に見せた。
その後もこのような感じでお化け屋敷は続いた。気の抜けるナレーション、お化けを殴ろうとするしぃちゃん、それを力いっぱい抑える私。時々しぃちゃんは
「キャー! いやー! うわーっ! わーっ!」
とお化けに向かって叫ぶことも
「しぃちゃん、いくらなんでも叫びすぎだよ」
「いや……殴る代わりに思いっきり叫べば殴らなくてもすむかなって……」
私はしぃちゃんのことばかり気にしてお化けどころではなかった。
やがて出口と書かれたダンボール製の看板と、赤いカーテンが私たちの目の前に現れた。このカーテンをめくったら、お化け屋敷は終わりと言うことだ。
「あー、やっと出口だよ。しぃちゃん」
「そうだね、一回も殴らずにすんでよかったよ」
一度だけ、骸骨の鼻先で寸止めしたけどね。あの骸骨は学生さんがやっていたから、直撃していたら鼻血どころではなかっただろう。
「それじゃあ、しぃちゃん出るよ」
わたしはしぃちゃんの両腕から手を離すと、赤いカーテンをめくった。差し込んだ光が眩しい。
『ルネサーンス! よくぞここまでたどりつきました。ルネサンスの時代になって人間は宗教に縛られない自由な学問や思想を持とうという運動が起こったのでルネサーンス』
そこは今までの真っ暗な世界とは違った明るい世界――というかただの教室の風景だった。
「やっとゴールだけどあっけない感じだね」
「うん……、お化け屋敷もそうだけど、この出口は手抜きって感じかな」
私たちの冷静な評価にもめげずにナレーションは続く。
『新たな学問と思想――、人間はいろいろなことに興味を持つようになったのでルネサーンス』
『例えば人間の体の構造とか……』
その瞬間、天井から何かが降ってきた。
「いやーっ!」
しぃちゃんがすかさずその物体を殴る。
ゴールに到達していた安心感から私はしぃちゃんの腕を自由にしていた。油断していたのだ。その油断があんなことになるなんて――。
私の目の前に倒れているのは人、いや「人間だったモノ」だった。全裸であるそのモノの腹はやぶれ、「その中に入っていたモノ」を辺り一面撒き散らしている。
頭は半分が壊れていてその中身――私たちが物事を考えたりするのに使う臓器――がその近くに転がっている。
目は大きく見開かれまるで断末魔の瞬間を目に焼き付けているようだ。
しぃちゃんはとんでもないことをしてしまった。しぃちゃんのパンチがこの男性であったヒト(表情や髪型からそう推察される)を壊してしまったのだ。
ヒトハコンナニカンタンニコワレルノダロウカ?
私の頬を一筋の涙が落ちていった。
「もーうかっちゃん、ボーッとしていないで手伝ってよー」
しぃちゃんが私の肩を揺らす。私は我に帰って
「手伝うって、一体何をすればいいのよー」
と、涙声で応えた。
「これを元に戻すのよ」
「無理だよ……、しぃちゃん。死んだ人はもう元には戻れないよ……」
私たちは天才無免許医師でも魔法使いでもない、ただの人間だ。
「何言ってるのかっちゃん、よく見なさいよ」
と、しぃちゃんは臓器の一部を私に見せつける。
「よく見なさいって、これは内臓でしょ」
「そう、内臓の模型よ」
モケイ? もけい……、模型……。そうか、これは人体模型だ。
「なーんだ、人体模型か……、よかった……」
私の目から安堵の涙が零れ落ちた。私の大切な友達は殺人者にならずにすんだのだ。
「かっちゃん、何泣いているのよー」
「だって……、しぃちゃんがとうとう人を殺しちゃったと思って……」
しぃちゃんが持つ内臓を触りながら私は泣きじゃくる。
「もーう、人間がそんなに簡単に壊れるわけ無いでしょ。私のパンチでこんなになるならイラケン選手がパンチしたらもう粉々だよ」
私は、イラケン選手が殴った場合を想像して、背筋が寒くなった。「ひぐらし」の泣く村でもそんな粉々な死体はなかったであろう。
「とりあえずかっちゃん、これを元に戻すよ。中の人は出てこないから、私たち二人が片付けることになるね」
「うん、そうだね。片付けて中の人に謝ろう」
人体は結構複雑で元に戻すのにかなりの時間がかかった。自然にその間は
「あーっ怖かった、やっと出口だよー」
と、安心してカーテンを開いたお客さんに対して
「ルネサーンス」
「ぎゃーっ!!」
と、最後のお化けになってしまったのは言うまでもない。