第四十六話 カウントダウン(三)
文化祭まであと二日――。
「用意していた服の替えが無くなってしまいました……」
醤油ラーメンをテーブルに置いた亜由美が寂しそうに呟く。ここ数日亜由美は家に帰らずしぃちゃんの家にお泊りしている。
「今まで着た服はちゃんと洗濯しているからそれを着ればいいよ」
「本当は私の服が着られればいいんだけど……」と、しぃちゃんは亜由美を見上げた。亜由美は私と同じくらいの背の高さだから、しぃちゃんの服のサイズには合わない。
「よかったら私が服貸そうか」
私はカツカレーのカツを一つスプーンで切る。そのついでに今日亜由美は私の家にお泊りすればいいのだ。
「え、いいんですか?」
「いいよー。ついでに今日は私の家にお泊りすればいいし。家族には私が連絡しておくから」
しぃちゃんもずっと亜由美と一緒だったからね。たまには一人でいたいときもあるでしょ。
「ただ一つ問題が……」
亜由美が心配そうな表情を私に見せる。
「うん、どうした? 私に遠慮することは無いよ」
半年近く一緒に文化祭を作った仲間だ。今更何を遠慮することがあるのだろうか。
「いえ、この胸が服に合うかどうか……」
確かに亜由美の胸は私のそれより大きい……亜由美、何をやっている。
「乳を寄せるな!」
「いや、こうやって自らの胸の大きさを強調しようと思いまして……」
亜由美には恥じらいの気持ちと言うのが無いのか? 明石先輩にほぼ毎日セクハラされている影響なのか?
「もーう亜由美、昼間からそんな恥ずかしいことしないでよ……」
しぃちゃんが手作りのエビフライを箸でつまんだ。
今日も十時過ぎに家に到着。この時間家族はほとんど寝ている(和菓子屋は朝が早いからね)ので、起こさないように静かに家に入る。
「おい真知、その子は一体誰だ」
トイレのために起きたのだろうかお爺ちゃんが亜由美を見て私に声をかける。
「電話で言ったでしょ、今日泊まる私の友達だよ」
「そうか、その子の実家は一体どこだ?」
恒例のお爺ちゃんの質問だ。いつもではなくたまに出てくるから油断がならない。
「え、えっと三重県です……」
「三重だと!?」
お爺ちゃんの眉間が険しくなる。
「それは津のほうかね、桑名のほうかね」
「え、ええと……、桑名のほうです」
その答えを聞いた途端、お爺ちゃんの顔がにこやかになった。
「そうか、桑名か。最後まで良く頑張ってくれたよ」
お爺ちゃんは亜由美の両手を取って握手をすると、機嫌よく自室へと戻って行った。
「今のは……、一体なんですか?」
亜由美がお爺ちゃんの背中を見ながら少々怯え気味に尋ねる。
「たぶん私の勘だけど、『津』って答えたら家を追い出されていたかもしれないよ」
それが当っていたのを知ったのは翌朝のことだ。
いつものことながらお爺ちゃんの話は長いので、私が要点をまとめると、幕末から明治にかけて行われた戊辰戦争のおり、津の城主だった藤堂家は当初幕府側だが、いきなり新政府軍に寝返り、敗走するかつての仲間に対して大砲を浴びせたというのだ。
一方桑名はというと殿様自ら最前線に立って戦い最後まで幕府側についたという。
亜由美が「津」と答えていたら、「この裏切り者が!」と追い出されていたことだろう。
「まあとりあえず私の家にも入れたし、私の服も着られてよかったね、亜由美」
「ええ、でも一つ問題が……」
「うん、サイズは大丈夫だと思うんだけど……」
身長は私と同じくらいだからね。色が気に入らないのだろうか。
「胸が、少々きついと思うんです……」
「乳を寄せるな!」
さて、翌朝と言うことは文化祭まであと一日、つまり明日ということである。
「うわー、大きな門だねー」
大学に着いた私たちを迎えたのは、以前私たちがデザインした文化祭用の正門だ。右側に西郷さんこと西郷隆盛、左側に勝海舟がしっかりと描かれている。上手いな、一体誰が書いたんだろう。
「この下の二人はダーリンがみんな描いたんだよ」
かわちゃんが誇らしげに二人を指し示す。けーま絵が上手いな。私と亜由美に絵を描かせる必要がなかったんじゃないのか?
「ダーリンかわいそうにこの絵を描くために二日も大学に泊まって……」
かわちゃんがめそめそと袖で目の辺りを押さえる。
「そうですか……、折角の『ほにゃらら』や『ふにゃら……むごっ」
亜由美の口をしぃちゃんが精一杯背伸びして抑えた。
「『ほにゃらら』って一体何?」
「あ、かわちゃん、気にしなくていいから」
「あ……うん、分かった」
かわちゃんはちょっと納得の行かない顔で応えた。
「ところでかわちゃん、良かったね。文化祭の開催期間中は秋晴れだって朝の天気予報で言っていたよ」
「そうだね、話し合っていた内容が無駄になっちゃうのはちょっと残念な気がするけど……」
かわちゃんたちのチームは万が一文化祭の日に荒天になった場合の対応について話し合いを何度もしていたのだが、天気予報が正しければその対応もしなくて済みそうだ。当然、私たちやみんなが考えた企画や屋台に対しても都合がいいわけで。
門をくぐって坂を上ると五号館が見える。その前の広場には各サークルや団体が企画した屋台が立ち並んでいる。
「コンロちゃんと火がつくー?」
「材料のジャガイモはちゃんと確保できたんだろうなー」
あちこちの屋台から確認の声が聞こえてくる。
中庭には「ミス文京大学コンテスト」などメインイベントに使う舞台が設置されていた。
「舞台はあと照明の確認だけですね」
「それは今夜みんなでやろうね」
今日は文化祭の準備期間として授業は全て休講である。そのため私たちは一日中最後の準備に追われた。
「えー、これまで文化祭の準備お疲れ様でした」
午後十時三階の二百人くらいが入れる教室でタカビーは文化祭実行委員全員を集めた。
「しかし、これで終わりじゃない。明日から、いや今からが本番だ。準備がちゃんとできていたとしても本番に問題があったら台無しだ。本番中実行委員は自分たちが関わる企画はもちろん、他の企画に対しても配慮を怠らないこと」
「また、文化祭が終っても俺たちの仕事は終わりじゃない、文化祭の後片付け、報告も俺たちの仕事だ、それらが全て終って、家に帰るまでが文化祭だ」
みんな一斉に「はい!」と声を揃える。
「おい、なんだみんな! さっきのは笑うところだぞ」
タカビーが慌てた声を上げた。
あー、きっと「家に帰るまでが文化祭」って所で突っ込みが欲しかったのだろう。というかこのタイミングでは分かりにくい笑いだぞ。
タカビーの「分かりにくい笑い」が出たところでいよいよ文化祭!!