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第四十三話 部室に泊まろう(二)

 それは今から約六十年前――、これから私たちがお泊りする予定の四号館は東京の下町の一部だったそうだ。

 その下町の一角に母一人兄妹二人の家族が暮らしていた。当時は戦後の食糧難、父親を戦争で失った家族は三人で寝る間を惜しんで働き、それで得たお金で僅かばかりの米とさつま芋を手に入れていたという。

 そんな真夏のある日、母親は日ごろの疲れが溜まっていたのだろう。灼熱の太陽の光の下道端で倒れ、還らぬ人となってしまった。

 兄妹は母親がいなくなった後も気丈に振る舞い、小さな痩せ細った体で小さな手で働き続けた。しかし、母親を失った子どもの得る収入なんてほんの僅かだ。自然に食べるものも少なくなっていく

 そして母親が死んでから半年後――。町の人は家の中で変わり果てた兄妹の姿を発見する。妹は骨と皮だけとなった腕に空になったドロップの缶を抱えていた――。


「それから三十年経ってその町はこの大学の一部になったんだけど、それ以来この四号館には夜な夜なその兄妹の姿が……」

「いやー! やめてー!」

 亜由美が悲鳴を上げながら耳を塞ぐ。

 ……というわけで、三人とも今夜は気をつけるのよ」

 明石先輩がいつもの明るい笑顔を浮かべながらお茶をすする。

「明石先輩、どうしてそんな話をするんですか、これからシャワーを浴びに行くところなのに!」

 私が右手に持っている石鹸がケースの中でカタカタ震えている。シャワー室はこの四号館の地下一階の南の端。私たちのいるダンスサークルの部室は三階の北の端にある。つまりシャワーを浴びるために暗い階段と廊下を歩き続けなければならないということだ。

「いや、シャワーを浴びに行くときだからこそ、気をつけて欲しいなぁと思ってさ」

「明石先輩はそんな話をして怖くはならないんですか?」

 しぃちゃんは目を潤ませながら明石先輩に迫る。

「私はねー、霊感が強いからそういうもの見慣れちゃっているんだよ。あっ……」

 明石先輩の笑みが突然消え、亜由美の背後を見つめる。

「え! なに、なになになに!?」

 亜由美が怯えながら後ろを振り向く。私も見るけど何もいない。でも明石先輩には見えている……?

「今見ても遅いよ、通り過ぎちゃったから」

 通り過ぎちゃったって、ここはお化けの通り道ですかー?

「すごく速かったよ。あれはきっと世界記録だね」

 世界記録って、お化けの世界選手権でも開催されているんですか? 「お化けに生まれて良かったー!」と喜べばいいんですか!?

「浅野先輩とはるちゃんはどうなのよ! 怖くは無いの!?」

 私は二人を見て声を震わせながら叫ぶ。いつもこんな人と一緒にいたら迷惑だろう。

「最初は怖かったけど、もう慣れちゃったから。私は実際に見たことないし」

 浅野先輩は平然と答える。

「私は霊感全く無いみたいね。時々明石先輩の見る光景はきっと楽しいんだろうなー、って羨ましくなる」

 はるちゃんはいたずらっぽい笑顔で明石先輩を見つめる。この二人はほんとに平気らしい。

「まま、この大学に泊まるときの諸注意を述べたところでシャワーを浴びに行きましょうか」

 明石先輩、全然注意事項じゃないですから。

 

 六人でシャワーを浴びに行くと、部室に誰もいなくなってしまう。いくら誰もいない大学といっても物騒な世の中なので、誰かは部室に残ろう、と私たちは二つのグループに分かれてシャワーを浴びることになった。厳正なじゃんけんで選ばれた結果、私はしぃちゃんと明石先輩と先発隊としてシャワー室へ向かう。

「私も霊感は無いので、お化けが出ても見ることは無いんでしょうねー」

 私は今までの経験を元に自分を勇気付けた。今まで見たこと無いんだもん、今日も見ることはない……はず。

「その考えは甘いよ、かっちゃん」

 明石先輩のいつもの笑みが突然私の目の前に現れた。私の肩が激しく揺れる。

「霊感が強い人が一緒にいるとその他の人の霊感も若干レベルアップすると言われているのよ。つまり私と一緒にいるから、今日はかっちゃんは初めて……」

「明石先輩、それ以上続けないで下さい!」

 しぃちゃんが目に涙を浮かべながらファイティングポーズをとる。その先を言ったら本気で殴るつもりなのだろう。

「う、うん……悪かった。それ以上は言わないよしぃちゃん」

 明石先輩は顔を引きつらせながらしぃちゃんをなだめる。見たことも無い、居るか居ないかも分からないお化けより、現実に私の目の前に居るしぃちゃんのほうが怖いかもしれない。

 そんなことを考えると少しは怖さが和らいだ……。いや、やっぱり怖い。さっきの明石先輩の発言が怖い。どうして私はこの人と一緒にシャワーを浴びることになってしまったのだろう。

「って二人とも危ない!」

 突然明石先輩が私としぃちゃんに抱きついて壁に押さえつけた。

「ど、どうしたんですか明石先輩?」

 また何か見えたのだろうか、それともただ抱きつきたかっただけなのだろうか。

「い、いやあ、しぃちゃんめがけて『やり』がね、飛んできたからさ……」

「『やり』って『やり投げ』の『やり』ですか?」

 しぃちゃんが明石先輩の腕の中で尋ねる。

「そう、『やり投げ』の『やり』。あ、審判の人が集まってきた。えーと、記録は……」

「明石先輩、さっさとシャワー室に行きましょう」

 私は明石先輩とともにしぃちゃんのものすごい力に二階へと引っ張られていった。

「ところで明石先輩、さっきの『やり投げ』の記録は何メートルだったんですか?」

 しぃちゃんに聞こえないように(聞かれたら怒られそうだからね)明石先輩の耳元で囁いた。

「ああ……かっちゃんの吐息にぞくぞくする……」

 明石先輩が恍惚の表情を浮かべる。

「最後のほうはしぃちゃんの声にかき消されちゃったけど、八十メートルは越えていたようね」

 ちなみに生きている人間の「やり投げ」世界記録は男子が九十八メートル四十八センチ。女子が七十一メートル七十センチだ。

 明石先輩がまた何か発見しないかとビクビクしながら私たちはなんとかシャワー室へたどり着いた。


 シャワー室に入って十分後――、私は廊下でしぃちゃんと明石先輩が出てくるのを待っていた。一人でシャワーを浴びるのが怖くてさっさと済ませたのだ。だって、目を閉じて頭を洗っていると後ろから誰かに襲われそうな気がするじゃない。

 でも廊下に立っても怖いのは一緒だと気づいたときは遅かった。私は暗い廊下に一人で立ってしぃちゃんと明石先輩を待たねばいけないのだから。二人とも何をのんびりしているのだろう……。

 「怖い」と思っていたら、ますます「怖く」なってしまうので、私ははるちゃんのように楽しい想像をしようと考えた。

 お化けが走り幅跳びをしたり、八人で百メートル走をしたり……。おお、なんだか楽しくなってきたぞ。ハンマーを空高く投げ、気合を込めて叫ぶ選手の口から飛び出す放送禁止用語……。なんだかエロくなってきたぞ。

 そんな想像をしていたせいだろうか。突然、私の耳に「おーい」という男の声が聞こえてきた。

 声のするほうを向くと、人影が二つ、「おーい」と声を上げながら私に近付いてくる。つ、ついにお化けが出たー!!

 いやいや、落ち着こう。はるちゃんのように楽しい想像をしてこの場は凌ごうじゃないか。相手は声を出しながら近付いてきている。声を出して相手に近付くスポーツ……。私の脳裏に一つの競技が閃いた。すかさず

「カバティ、カバティ、カバティ」

 と叫ぶ。これで向うは私を「カバティをしているお化け」と認識し、襲ってくることはないだろう(お化けが人を襲うのかと言う問題はおいておく)。

 声の主はどんどん近付いてきているが、私は怯まない。

「カバティ、カバティ、カバティ」

「何を訳の分からないことをしているんだ、かっちゃんよ」

「カバティ、カバティ……ってカバビー、じゃなくてタカビーと会長さんじゃない。二人こそなんでこの時間にここにいるのよ」

 声の主はジャージ姿のタカビーと姉小路会長だった。そう、人間だったのだ。

「なんでって、姉小路と文化祭について話していたら終電の時間過ぎたんで、今日は生徒会室に泊まろうか、ってことになってな」

「生徒会室はこういうときのためにいくつか布団を用意しているのだ」

 私たち以外にも泊まっている人がいることを知り、私は少し心強くなった。

「しかし、かっちゃんたちが泊まっているということはあの叫び声はかっちゃんたちのせいということか?」

 は、叫び声って何?

「時々聞こえてきたんだよ。『うおおっ!』って女性のうなり声とかな、姉小路」

「あとなんか拍手も聞こえてきたな。陸上の棒高跳びの前に選手が観客に求めるやつ」

 生徒会室は四階の真ん中にあるが、例えダンスサークルの部室からそんな声や拍手をしても生徒会室の二人に聞こえるわけがない。

「ち、ちょっと待って! 私たちがそんなことするわけないじゃない。タカビーたちがここにいること今初めて知ったんだし」

「え……」

「それじゃあ誰が……」

 え……えーと、お化けの世界選手権は、ここ文京大学にて開催中でーす。

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