第四十一話 雪子さん、再び
脳が揺れるくらいの激しいベルの音が鳴り響く。眠りの世界から引きずり出された私はその音源を手探りで探し力強くそれを叩く。
音が止まるのを確認すると、私は再び眠りの世界へと入る。
しかし、目覚まし時計が止まればそれを待っていたかのように
「真知ちゃーん、起きなさーい」
と、お母さんの声が部屋に響くのであった。
しょうがないので上体を起こし、壁にかけられているカレンダーを見る。子猫の絵だらけのカレンダーを見つめて思わず呟く。
「あと一ヶ月か……」
今日は十月一日。文化祭まであと一ヶ月――。
「文化祭まであと一ヶ月ですよ!」
秋の少し寂しげな日差しの入る食堂で、亜由美が醤油ラーメンをすすりながら私としぃちゃんに檄を入れる。
「我々文化祭実行委員会は最後まで気を抜かずに全力投球で残りの一ヶ月間を走りきるのです!」
ラーメン丼の淵を一本の割り箸が何度も廻る。たぶんこの割り箸は私たち実行委員を表しているのだろうけど、そんな暑そうな所は走りたくないわ。
「そうだね、あと一ヶ月だね」
しぃちゃんがお手製の玉子焼きを箸に刺して応える。
「『あと一ヶ月』なのか、『もう一ヶ月』なのか……」
私はスプーンでとんかつを切りながら呟く。同じ「一ヶ月」でも後者の方が切羽詰った感じがするな。果たして私たちはどっちのほうなのだろう。
「あと一ヶ月を思い切ってやるのみでしょう! 私はこの一ヶ月ずっと踊り続けるわよ」
はるちゃんがナポリタンのケチャップがたっぷりついたフォークを振り回して叫ぶ。はるちゃんは実行委員じゃないけど文化祭でダンスをするからね。それにしてもフォークを振り回す癖はやめてほしいな。
「はるちゃんはダンスに専念するとして、私たちイベント企画チームが残り一ヶ月でやるべき事をここにまとめてみました」
亜由美が差し出したプリントには「一ヶ月でやるべきことリスト」と書かれてあった。
「まだまだ足りない部分があるとは思いますが、これだけは最低限やったほうがいいと私が思ったことを書いてみました」
亜由美の醤油ラーメンが少しのびている。そろそろ食べきらないともったいないことになるぞ。
「えーと、まずは『芸能人のスケジュール確認』ね……」
しぃちゃんがエビフライの尻尾を丁寧に弁当箱の中へ置く。
「イラケン選手を初め大学に呼ぶ芸能人のスケジュール確認は必要です。確認したら『実は他の仕事と被っていました』ってことになったり、仕事で怪我をして来られなくなったりとする場合があるので、直前まで気が抜けないのです」
「ドタキャンするかもしれないからね」
はるちゃんが力強くフォークでテーブルを叩く。ケチャップのついたベーコンが一切れテーブルに落ちた。
そういえば聞いたことあるな、仕事をダブルブッキングしてヘリコプターで移動した狂言役者とか、文化祭当日にいきなり「旅に出たくなった」と言う理由で本当に旅に出てしまった大物司会者の話とか。
まあイラケン選手はそんなことはしないと思うけど、三組のお笑い芸人さんは注意しておかなくちゃね。
「それで次は……、『パンフレットの広告主を探す』」
しぃちゃんが手作りのコロッケを箸で割る。
「ほんとはけーまが担当する仕事なんですけどね。まだまだ広告主、つまりスポンサーが足りないらしくて、もし時間があれば私たちもお手伝いしようかと思いまして」
「大学の近所じゃないけど、私がアルバイトしている『御団子』のオーナーに頼んでみようか?」
「ええ、お願いします」
しぃちゃんのアルバイト先は大学から歩いて十分のところにある。「御団子」くらい離れていても大丈夫ということは……。
「スポンサーって文京区内じゃなくても大丈夫だっけ?」
もし大丈夫だったら……。
「ええ、東京二十三区内ならどこでも大丈夫です」
亜由美が割り箸を真っ直ぐ私に向ける。小さい青ねぎが私の頬に付く。
「それならさ……、うちの店も出してもらえないかな。荒川区だけど」
私の実家は和菓子屋を経営しているのはみんな知っていることだ。スポンサーとして文化祭に貢献できる上に、文化祭の参加者に対して宣伝も出来る。まさに一石二鳥だ。
「それじゃあ、『御団子』とかっちゃんの店をスポンサーに加えるってことで交渉してみましょう」
いよっしゃ、さっそくお祖父ちゃんに報告しなくちゃ。
「そして次は……『マスコミ対策』ね。芸能人やイラケン選手を呼ぶのだから、マスコミ関係者が入ってくる可能性があるわね。これは取材の要請が来たら受けるか受けないかってことでしょ?」
「そうです、それを話し合う必要がありますね。ダメならダメ、受け入れるなら受け入れるとはっきり線を引かないといけません」
亜由美が割り箸をテーブルの上に置く。たぶん「その線」を表しているんだろうな。
「えーと、次は何? 『ミス文京大学』の優勝賞品を探す、もしくは作る?」
「一昨年の文化祭で『雪子さん』とともに行方不明となった。優勝トロフィーを探すか、新しいのを発注するのです。あと副賞を何にするか考えないと……」
「雪子さん」とは、一昨年の文化祭、『ミス文京大学コンテスト』に颯爽と現れ、優勝賞品を手にするやそのまま行方不明となった謎の美女「雪子さん」のことである。
雪子さんとともに代々「ミス文京大学」へ受け継がれていた優勝トロフィー(毎年トロフィーはコンテストの一番初めに前年の「ミス文京大学」が返還する決まりになっていたそうだ。「ミス文京大学」が四年生だったらいったいどうするんだろう……)も行方不明となってしまったのである。
「探すって言っても……、まず『雪子さん』を見つけないといけないんじゃないの」
しぃちゃんがもっともなことを言う。優勝トロフィーを見つけるにはそれを持っているであろう「雪子さん」を探すのが一番の近道だ。
「といっても、雪子さんって一昨年の文化祭から一度も大学に来ていないんでしょ? なんでも幽霊じゃないかって噂もあるじゃない。幽霊と一緒に優勝トロフィーも『どろん!』しちゃったんじゃないの?」
はるちゃんが両手を垂れ下げながら恨めしそうに私たちを見つめる。しかし「どろん!」って古い言葉だなぁ。
「まあ優勝トロフィーをどうするかは置いておくとして、まずは副賞の賞品を考えようよ」
しぃちゃんがお弁当の蓋を閉じて「ごちそうさま」のポーズを取る。
「ええと……『雪子さん』の回が『ビール樽』で、去年が南紀白浜温泉の『温泉宿泊券』ですね」
おお、「ビール樽」から「温泉宿泊券」っていきなりレベルアップしているな。
「一応予算と照らし合わせてみた結果、関東近辺なら温泉宿泊券を賞品とすることも可能ですね」
うーん、去年とのバランスを考えるとそれもいいんだけどな……。
「テーマが『東京とともに六十年』だから、東京に関する賞品がいいよね」
そうそう、しぃちゃんの言うとおりだ。東京がテーマだから東京に拘らないと。あ、「東京」と名乗っているけど実際の所在地が東京じゃないところは対象外にしないとね。
「ここはベターなところで、『東京タワーホテル』の宿泊券にすればいいんじゃない」
「東京タワーホテル」とは、明治時代日本で最初に出来たホテルだ。完成当初は「大日本ホテル」と呼ばれていたのだが、昭和に入り近くに東京タワーが完成したのと同時に名前を今の「東京タワーホテル」に改めたのである。
「はるちゃん、それいいね。予算の許せる範囲で最高の部屋を取ろうよ」
しぃちゃんがはるちゃんの左肩を叩く。はるちゃん、ちょっと痛そうだ。
「それじゃあ副賞は『東京タワーホテル宿泊券』という案を明日のイベント企画チームの会議に提出しますね」
ここで決まったからと言って正式に採用されるわけではない。イベント企画チームの総意があって初めて副賞が正式に採用される。でもここで決まったことはほとんど正式に採用されているんだけどね。
「と、そして『雪子さん』に話が戻るわけね」
はるちゃんが目を輝かせながら身を乗り出す。
「話が戻るといってもどうする? 『雪子さん』を探すか、新しくトロフィーを作るか決めなきゃならないんでしょ」
亜由美がプリントを片手にかすかにうなり声を上げる。
「うーん……製作所の話では、トロフィーは早いもので半月あればできるとのことでした。それを考えて『雪子さん』の捜索は今日を入れて一週間が限度ってところですね……」
「一週間もあるんだからやれるだけのことはやろうよ、みんな」
はるちゃんがなんだかやる気だ。よっぽど「雪子さん」に会いたいのだろう。
「案外校舎で『雪子さんを探しています』と呼びかけたら、誰か知っている人が出てくるかもしれないね」
しぃちゃんもなんだか楽しそうだ。
「そうだね、私もちょっとその『雪子さん』に会いたいなって思うし、探してみようか」
「それじゃあ一週間と期限を定めて『雪子さん捜索大作戦』を決行しますか」
「大作戦」って……、亜由美も結構ノリノリじゃないか。
この私たちの会話を「雪子さん」はきっと聞いていたのだろう。
なぜなら翌日、文化祭実行委員の部屋に「ミス文京大学」の優勝トロフィーと一枚の紙がぽつんと床の上に置かれていたのだ。
紙には「優勝トロフィーお返しいたします 雪子」と綺麗な文字で書かれていた。やはり「雪子さん」は実在したのだ。
だけど返すなら直接会って返してもらいたかったな、「雪子さん」。