第三十八話 紙飛行機、飛んで
文化祭の企画募集も締切を過ぎ、本番まであと一月半、いよいよ準備に忙しくなると思っていた昨今。私としぃちゃんと亜由美はA四の画用紙に黒いマジックで絵を描き続けている。
何を書いているのかと言えば、文化祭当日に大学の正門に建てる門のデザインを書いているのだ。実行委員自ら設計し、材料を集め組み立てるというまさに全てが手作りの門である。
「テーマが『東京とともに六十年』だから、『まさに東京』と思えるものを書いてくれ」
けーまがマジックを持つ手を動かしながら私たちを見る。本来門の作成はけーま率いる広報チームが担当するはずだったんだけど、文化祭の玄関は重要だろうということで、イベント企画チームの私たち三人もお手伝いに入っているのだ。
「『まさに東京』か……」
私は黒いマジックを何度も空中へ投げては手のひらで受け止める。五月の東都大学の文化祭でみんなに知られてしまったことだが、私は絵を描くのが苦手なのだ。だからそんな私がどうして門のデザインを書くことになったのか、未だに納得がいかない。
かといって何も書かないわけにはいかないので、渋々「東京」と聞いて思いつくものをいろいろ頭の中に浮かべるうちに私はある建物に行き当たった。すぐさま黒いマジックを動かし画用紙に線を引き続ける。
「おー、やっとかっちゃんが本気を出したみたいね」
右隣のしぃちゃんが驚きの声を上げた。
しかし、頭の中でははっきりと思いついたものでもそれを実際に絵に表すとなると上手くはいかないものだ。この絵の肝となる大きな円も描き始めと終わりの位置がずれてしまい、まるで「F-1」のコースのシケインカーブのような線を描くことで、なんとか円としての体裁を保つことができた。
その円の中にはあちこちで交差する斜線。本物はこの斜線によって規則正しい正方形になるはずだけど、私の絵は長方形になったり、ひし形なったり台形になったりと……、いろんな四角形が円の中に入っている。
これ以上描くと訳がわからなくなるので、円の下を支える長方形を描いて
「できた」
と画用紙をみんなが見えるように向けた。
「……そ、それは『鮑のステーキ』か?」
けーまが目を輝かせて尋ねる。鮑が好きなのだろうか。
「違うでしょう、これは角切りにしたマンゴーですよ」
亜由美がそっけなく答える。ううむ、二人には私が何を描いたのか分からないようだ。
「もーう、二人ともどっちも『東京』と関係ないものじゃない」
「それじゃあしぃちゃんにはかっちゃんのあの絵が何を描いたものか分かるというの?」
亜由美の質問にしぃちゃんはちょっと戸惑いの表情を浮かべながら私の絵を見つめていたが、やがて……
「は、ハンバーグ?」
と、首を傾げた。
「惜しい、ハンバーグじゃなくてステーキ。この下の四角いのは、熱々の鉄板ね」
私は誇らしげに答える。この絵が東京ドームだなんて言っても誰も信じてくれないだろう。
「食べ物じゃなくて東京に関するものを描いてくれよー」
けーまがちょっと腹立たし気に私注意する。いや、一応東京に関するものを描いたんだよ。みんなが分かってくれないだけで。
「大人は分かってくれない」とは言わないけど、ちょっとショックだったぞ。
「しぃちゃんはいったい何を描いたのよ」
私より数段絵が上手いしぃちゃんならば、きっといいものが描けているはずだ。いいもの描けていないと許さないぞ。
「私は……、あんまり自信が無いんだけど……」
しぃちゃんが描いた絵は右側に東京タワー、左側に東京都庁。そして中心部には「雷門」の提灯がぶら下がっていて、まさに「東京尽くし」である。描かれている線はどれ一つとして無駄な線が無い。
「うーん、さすがはしぃちゃんだ。今回のテーマが余すところ無く入っているよ」
料理と絵と体力においてしぃちゃんを越えることはきっと無いだろう、と私は心の中でため息をつく。
「これだけ今回のテーマが入っていれば、しぃちゃんの案で決まりですね」
亜由美は自分の画用紙を伏せてしぃちゃんの絵を羨ましそうに見る。
「そんな……、まだ決まりっていうわけじゃないよ」
しぃちゃんは顔を赤くさせながら亜由美の右肩を軽く何度も叩く。
「いや……、もう決まりでしょ、これで充分って」
亜由美がちょっと顔をゆがめながら応える。「軽く叩く」と言ったけど、亜由美にとっては痛いパンチに違いない。
「ところで亜由美はどんな絵を描いたのよ。しぃちゃんの絵ばかり褒めていないで、自分の書いた絵を見せてよ」
私がしぃちゃんの右手を止めながら亜由美に絵を見せることを促す。
「そ、そんな……私の絵はいいですよ。しぃちゃんの絵だけでもう充分でしょう」
そう言いながら亜由美は自分の画用紙を両腕で隠す仕草を見せた。さっきの羨ましそうな表情といい、もしかして彼女は……。
「亜由美、隠さないで絵を見せなさい」
私だけへたくそな絵を見せるなんて不公平だ。
「そうだぞ、亜由美。いろんな案の中から決めていくんだから、亜由美の絵もその一つだぞ」
しかしけーまは私の絵を候補としてあげることは無いだろう。なんていったって私の絵は「東京ドーム」じゃなくて「ステーキ」なのだから。
「いえいえ、私の絵なんてしぃちゃんに比べたらそんな……」
「遠慮しないでいいんだよ、亜由美」
しぃちゃんは亜由美が絵が下手だという仮説を立てていないようだ。
「そうよ、亜由美。お姉さんの言うことは聞きなさい、ってご両親にも言われているでしょ」
「『お姉さん』って誕生日が違うだけで、みんな同い年じゃないですか」
ちっ、ばれたか。亜由美の誕生日は来月。けーまも含めたこの四人の中では一番遅い。
そのうち亜由美が画用紙をくしゃくしゃに折りたたみ始めた。
「ここで『私の絵』として人様に見せるよりは、『作者不明の絵』として他の人に見せたほうがマシです」
亜由美は見事に画用紙で紙飛行機を完成させた。後ろの窓へと駆け寄り、私たちが一歩でも近付こうならすぐに外へと飛ばす姿勢を見せている。
「分かった、分かったから。もう見せなくていいから、その紙飛行機を飛ばすのはやめよう、ね、ね」
本気で嫌がっている人の絵を無理やり見ようだなんて、私はそんなに酷い人間ではない。
しかし私の説得にも関わらず、亜由美は画用紙でできた紙飛行機を飛ばしてしまった。ただ行き先は外ではなくて教室の中へ――、亜由美の絵もとい紙飛行機はゆらゆらと揺れながら教室のゴミ箱へと吸い込まれていった。
「亜由美……、誰にでも欠点と言うのはあるんだよ。そんなにコンプレックスを感じることなんてないんだから」
亜由美が絵が下手だという仮説(と言うか事実だ)にやっと気づいたしぃちゃんが慰めの言葉を描ける。
「かっちゃんを見てみなよ、去年は自分の名前を物すごく嫌っていたのに、今では自ら笑いのネタにしようと言う勢いなんだから」
いやいやしぃちゃん、嫌いじゃないがそこまでの気持ちはまだ持てていないぞ。
「それとプラスして『絵が下手だ』と言う欠点も今こうしてネタにしているじゃない」
絵が下手なのはネタにするためじゃないですよ。本当に下手なんですよ。
「無理です、私にはかっちゃんのような芸人根性はありません!」
だから私には芸人根性は無いってば。
「えーと、盛り上がっているところ悪いんだけど……」
けーまが大きく手を広げて私たちの会話を止めた。
「しぃちゃんの絵にもう一つか二つ東京に関するアイテムをつけて完成させようと思うんだけど」
つまり、もう一度私たちに絵を描けってことですか。
「私はもう描きませんよ」
亜由美はだらしなく机の上に上体を倒す。
「うーん、もう一つか……、考えてみるよ」
そう言いながらしぃちゃんは早くもマジックを動かす。
一方の私はと言うと、これは描かないといけない流れだよな、と頭の中に再び東京に関するものを思い浮かべていく。
やがて東京の名物となっている一人の人物に思いついた。線を描くために手にしたのはマジックではなくて鉛筆。マジックではこの人は描けない。
すらすらと線が進み、私の頭の中の思い通りの人物像が画用紙へと描かれていく。さっきの東京ドームとは大違いだ。きっと私に大いに関わりのある人物だからだろうか。
「よし、出来た!」
先に絵を描き始めたしぃちゃんよりも早く私は絵を描き終えた。今度はきっとみんな分かってくれる、と自信満々に絵をみんなへと見せる。
「ち、ちょっとかっちゃん上手すぎ!」
「どうしてその人だけそんなに上手く描けるんだ」
「確かに東京にもいますけど、どちらかというと鹿児島のような……」
私が描いたのは幕末明治初期の日本にその名をとどろかせる西郷隆盛さんである。私のご先祖様が西郷さんのおかげで今の家に和菓子屋を開業できたこと、討幕派の人間にもかかわらず、うちの家族からは神様のように扱われていることはすでに話したと思う。
「これは、門のデザインと言うより胸像にして門から入る人を迎える形にしたいな……」
そして入ってきたお客さんにパイを投げつけられるのだろう、と私はパイまみれになった西郷さんの胸像を思い浮かべた。
「だけど……、今から胸像を作るなんて時間もお金も物すごくかかるでしょう、ここは無難に門のデザインの一部にしたほうが……」
亜由美の言うことはもっともだ。胸像なんて一体どれくらいのお金がかかるんだ。
私の西郷さんは、しぃちゃんの描いた門の右側、東京タワーの下に位置することになった。一方の左側は西郷さんに関連する人物として、勝海舟さんを東京都庁の下に描くことになった。
これで正門のデザインが完成した。作るのは他の人のまかせ……られるのかな?