第三十七話 我輩は……
九月も半ばに入り夏休みも終ろうとしているころ、私たちが作る文化祭も一つの「終わり」を迎えようとしていた。
「締切をもう少し延ばして欲しいって声があるんだけどー」
「無理無理、パンフレット用の記事を書いてもらって印刷に出すこと考えたら伸ばすなんて無理」
私のお願いをけーまは軽く手を振って断った。
「企画の締切が九月二十日というのは前から決まっていたことじゃないか。いまさら変更されたらこっちのほうがいっぱいいっぱいになるわ。文化祭が近付けば俺たちは看板も造らなければならないし、パンフレットは早いうちに完成させたいから無理!」
けーまの言うことはもっともだ。私はすごすごと原稿用紙とインクまみれの教室を退散した。
「どうだったー、締切の話は」
秋の光が差し込むテラスでしぃちゃんはカフェオレを片手に私を迎える。
「けーまに断られたー。やっぱり当初の予定で行くしかないねー」
「まあ決まっていたことですし、仕方が無いですね。校内に企画募集の締切が迫る旨のチラシを貼って生徒達に呼びかけますか」
亜由美が緑茶の缶を右手で投げる。缶は綺麗な半円の弧を描いて「空き缶専用」のゴミ箱へと入る。
「あと一週間かー……」
今日は九月十三日。締め切りの二十日まであと一週間だ。うん? 九月十三日って……。
「今日はしぃちゃんの誕生日だー! しぃちゃんおめでとー!」
私はしぃちゃんの頭を思いっきり撫で回す。
「覚えていてくれたんだね、ありがとう」
去年は私の家で誕生日パーティーをしたけど、今年は何も準備していない。それどころか今日であることすら忘れるところだった。危ない危ない。
「週末みんなで誕生日パーティーをやろうよ。もちろん私の家で」
それまでに誕生日プレゼントを買わないと、と私は心の中で冷や汗をかいた。
しぃちゃんの誕生日パーティーも無事終わり九月二十日――。文化祭企画募集の締切日だ。
私としぃちゃんと亜由美の三人は教室を一つ借りて滑り込みで企画を持ってくるサークルや団体の代表者と面接を行う。今日でダメだったらそのサークルや団体は文化祭に企画者として参加できないということになる。うーん、シビア。
「締切まであと三時間ですが、一人も来ませんねー」
待ちくたびれた亜由美が鉛筆をテーブルの上に何度も転がす。そのうち消しゴムをすごろくのコマに見立てたのか、消しゴムはテーブルの上を進み、隣のしぃちゃんの前でパタリと倒れた。
「誰も来ないけど、今日は締切日だから一応時間まで待っていないと……」
しぃちゃんが倒れた消しゴムを左手で転がしていく。ホントに誰も来ないのなら帰りたいな。
そんなとき、激しい足音が私たちの教室に迫ってきた。
「誰か来たみたいね」
「あと三時間もあるから、そんなに急がなくてもいいのに……」
扉が勢いよく開かれ、上下紺色のジャージ姿の女子学生が息を切らせながら現れた。途中で激しい風にでも遭ったのだろうか、首筋まで伸びている髪が乱れている。そう言えば明治の歌人、与謝野晶子の歌集に「みだれ髪」というのがあったな。でも今の彼女は「みだれ髪」どころか「爆発」だけど。
「あ……、あの……、ええと……女子スケバブです!」
スケバブ? 「スケバ部」かな。いったい何をする部なんだろう。室町時代に農民がうさ晴らしのために始めたとされる格闘技でもするのだろうか。
「女子スケバブの方ですね。真ん中にある席に座ってください」
しぃちゃんに促されて女子学生は席にゆっくりと座り、大きく息を吐いた。髪のことには気づいていないらしく、手をかけて直しもしない。
「女子スケバブ部長の今泉智美です。よろしくお願いします」
「ところで、『女子スケバブ』っていったい何をする部活なんですか?」
亜由美が尋ねると、今泉さんは不思議そうに首を傾げた。
「えーと、名前の通り。バスケットボールをする部活なんですけど……」
「それってバスケ部じゃん!」
うちの大学の運動部はどこぞの業界のように逆さまに言うことが流行っているのだろうか。「『スケバ』終ったら『やーしぶ』行こうよー」みたいな。
「ええ、だから『女子バスケ部の今泉』って言っていたじゃないですか」
ああ、そうか。慌てていたために「バスケ部」を「スケバブ」と言い間違えたんだな。
「そうですか。『女子バスケ部』ですか……」
亜由美が訂正するも今泉さんは自分が言い間違いをしたことに気がついていないらしい。
「ええ、『女子バスケ部』ですよ」
と明るい顔で微笑んだ。
「それで、『女子バスケ部』は今回どのような企画を提案するのですか」
「ええとですね……実は先週まで締切があることに気がつきませんで、だから一週間で考えて……、あっでも一週間で考えたからって適当な企画じゃなくてちゃんとした全うな企画なんですよ」
今泉さんは自分で墓穴を掘って自分でそれを一生懸命埋めるような人だな。
「今回ですねー、我が『女子バスケ部』が考えた企画はー、今流行りの『冥土喫茶』! じゃない、『メイド喫茶』です」
今泉さんは最初の「めいどきっさ」を手で払ってもう一度「めいどきっさ」と言う。全く同じに聞こえたのだが、きっと彼女の中で何か間違えたのだろう。
「店員の格好はすでに決まっているんですよ。浩子ー、入ってきてもいいよー」
今泉さんの声を聞いて廊下から浩子さんが入って来た。その姿に私は驚いてシャープペンシルをテーブルに落とした。
「こ……これは……!」
全身白と黒を基調とした、白いフリル付きメイド服なのだが、問題が三つある。一つは首に首輪と鈴がついていること。二つ目はショートヘアの髪に猫耳をつけていること。そして三つ目これが最大の問題なのだが、お腹の部分に半円状のポケットをつけていること。これで全身が青だったら「ねずみに耳をかじられる前のロボット」じゃないか。
「お帰りニャさいませ、ご主人さニャ」
浩子さんはちょっと恥らいながら両手を猫のように丸めて前に出す。
「普段はジャージやユニフォームを着ている私たち女子バスケのメンバーが全員猫耳メイドになろう、ということです」
今泉さんは立ち上がり、浩子さんの首の鈴を撫でる。
「ちなみにこの首の鈴を撫でると……」
「ゴロゴロゴロゴロ……」
浩子さんは目を瞑って気持ちよさそうな声を出す。猫は首を撫でられると喜ぶもんな。
ずっと撫で続けていると……。
「くかー」
「寝ます」
「えっ! 寝るの!?」
事実浩子さんは目を瞑って立ったまま安らかな寝息を立てている。それって、店員さんの設定と言うか、浩子さん個人の特技ではなくて?
「鈴の意味は分かりました。それではお腹のポケットの意味を聞きましょうか」
半ば呆れながらしぃちゃんが今泉さんに尋ねる。
「ああ、このポケットですか。やっぱり『バスケ部』だからバスケらしいことをしたいなーと思いまして」
まだ寝ている浩子さんのポケットを思いっきり広げてその中身を見せた。中に入っていたのは。ピンポン玉サイズのバスケットボールが五個入っている。
「なるほど、そのポケットにフリースローをしてもらおうと言うわけですね」
亜由美の発言に今泉さんは笑顔で頷きながらボールを取り出した。
「ピンポン玉に色を塗ってバスケットボールにしたんです。よかったらチャレンジしてみますか?」
入ったボールの数によっていろいろサービスしてくれるらしい。
「亜由美、挑戦してみなよ、きっと全部入るって」
一週間前五メートル離れていたゴミ箱へ空き缶を見事に入れた亜由美だ。彼女ならきっとやってくれる。
「確かに投げるのは得意ですけど、こういう小さいボールは……」
そう言いながらも亜由美は今泉さんからボールを受け取ると目が真剣になった。右手にボールをつまんで狙いを定める。亜由美と浩子さん(まだ寝ている)との距離は約二メートル。
「えいっ」
亜由美の投げたボールは一週間前と同じく綺麗な半円の弧を描いて浩子さんのポケットに吸い込まれていった。
ボールの感触をお腹に感じたのか、突然浩子さんが目覚めて
「ニャー!」
と、叫んだ。
「わっ、いきなり起きた」
私が驚くと、今泉さんはなんでもないような顔をして。
「このようにボールが入ると、私たち店員からきっとお客さんが萌えるであろうセリフが飛び出します」
ちなみに私は「ニャー」と聞いても萌えなかったけどね。
二つ目のボールが浩子さんのポケットに入る。
「ニャ、ニャント!」
あ、二回目だから一応セリフを変えてみたんだ。
三投目は一旦お腹に当ったものの、そのままポケットに転がり落ちた。
「凄いニャー」
なんか丸い物を落として消すゲームのコンビネーションを聞いているみたいだ。
四投目、これも何ら問題なくポケットに入る。
「ニャニャニャ、ご主人ニャマはバスケの達人ニャ」
五投目が入ったらパーフェクトである。一体どんな驚きの言葉が出てくるのだろうか。と思っている側から亜由美の五投目がポケットに入った。
「ネコナリー!」
え……、今までとキャラがだいぶ違うような……。浩子さんは猫の形をした手を前に突き出している。
「ところで、全部入ったら何か景品とかもらえるんですか?」
亜由美が訪ねると、二人は私たちを無視して小声で話をしはじめた。ひょっとして何も考えていなかったのだろうか……。
「わ、私たちの手作りチョコをプレゼントします!」
「なんか今決めたような感じがするのですが……」
しぃちゃんが突っ込むと二人は同時に首を横に振って。
「そんなこと、ない、ない」
と同時に叫んだ。今泉さんがソプラノで、浩子さんがアルトだ。
女子バスケ部の「メイド喫茶」は、手作りチョコをちゃんと作ってくることを条件に私たちは承認した。
その後はまた暇な時間が続き、文化祭の企画案の締切を迎えた。