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第三十六話 六十二万の行方は

 イラケン選手の試合の翌日、私としぃちゃんとはるちゃんは大学の食堂でお昼ご飯を食べていた。八月ももう末、といっても窓から差し込む太陽の光の強さはまだまだ元気だ。

「ところでかっちゃん、六十万の使い道は決まった?」

 はるちゃんが口をニヤニヤさせながら私に尋ねる。

「ちょっと、はるちゃん。お金の話はしないでよ」

 昨夜私はイラケン選手の試合を見た後、偶然会ったタカビーと姉小路会長の勧めで大井競馬の馬券を百円購入した。その馬券が当ったのだが、もらえるお金がなんと六十二万円という大学生にとっては大金だったのだ。

 タカビーと会長としぃちゃんに守られながらその夜はしぃちゃんの家にお泊りし、明け方これまたしぃちゃんに守られながら家へと戻り私の部屋にある大きなタンスの一番下の隅っこにしまいこんだという始末。……ってお金の隠し場所を話しちゃいけないじゃないか。

 その後しぃちゃんとはるちゃんと一緒にイラケン選手のいるジムへ昨日の試合のお礼(毎回試合のチケットはイラケン選手からタダで貰っているのだ)を言いに行ったのだけど、頭の半分はお金のことでいっぱいでまともに話ができなかったと思う。

 そして文化祭の準備のために大学に来たわけなのだが、六十二万の大金……、どうしよう。

「とりあえず……、貯金しようと思う」

「あーあ、ありきたりな答え、どこか旅行に行くとか何か美味しいものを食べるとかないのー?」

 はるちゃんは口を尖らせて呟く。

「だって、旅行と言ったって文化祭の準備はこれから忙しくなるし……、そんな暇は無いよ」

「まあ銀行に預けるのが一番安全かもね」

 しぃちゃんが手作りのエビフライをお箸でつまみながら答える。彼女は夏休み中でもお昼は手作りだ。

「そんなときこそ、我が文化祭実行委員会に寄付ですよ」

 突然、亜由美が緑のトレーにラーメンをのせて現れた。

「よりよい文化祭を作るためにご協力をお願いいたします」

「ち、ちょっと待った。亜由美!」

 頭を下げる亜由美を私は手で制した。

「いくら私が文化祭実行委員だからって、寄付ってことはないんじゃない?」

 亜由美は分かっていないな、とばかりにため息をつきながら割り箸を割った。

「今から二千年前、紀元一世紀の話です」

 割れた片方の割り箸をラーメン丼の淵に立たせて先をゆらゆらと揺らす。

「時のローマ皇帝はローマ経済の活性化のために元老院げんろういん議員にこう言ったそうです」

 あ、立てている割り箸がローマ皇帝ね。すると中のラーメンは元老院議員か。ずいぶん熱そうだな。今の議員さんたちもこのくらいの熱気を持って……、いやいや亜由美の話を聞こう。

 亜由美はローマ皇帝をまっすぐに立たせると、私を見て叫んだ。

「『ローマ市民の物はローマ市民のもの、文化祭実行委員の物は文化祭実行委員のもの』文化祭実行委員の一人であるかっちゃんのお金は、文化祭実行委員みんなのお金なのです!」

「もーう、亜由美。ローマ皇帝がそんなこと言うわけがないでしょ」

 しぃちゃんの突っ込みにも亜由美はめげない。

「ちなみに『俺のものは俺のものお前のものは俺のもの』と言ったローマ皇帝は、元老院より『皇帝失格』の決議を受けたといわれています」

 あー、そんな暴れん坊で自己中なまるで雑貨屋の長男のような皇帝は皇帝失格だな。

「そんなことを言われるより、はるかにましじゃないですか。だから文化祭実行委員会に寄付をするんです」

 うーん、確かに「俺のもの」にされるよりは「文化祭実行委員のもの」にされたほうがましだな……って

「あ、亜由美。なんだか結論がおかしいよ! 私の六十万とローマ皇帝とはなんの関係もないし、寄付する理由もないでしょ」

 というか「俺のもの」の「俺」って誰のことよ。

「六十万も当ったんですか……」

 亜由美が目を丸くして私を見つめる。しまった、どうやら墓穴を掘ったようだ。

「そんなことより亜由美はどうして私がお金を持っていることを知ったのよ!?」

 私が尋ねると亜由美はラーメンをすすりながら淡々と答える。

「タカビーから先ほど聞きました。かっちゃんが昨日競馬でだいぶ儲かったって」

 タカビーめ、余計なことを……。昨日馬券売り場では「お金のことを話すな」と言っていたのに、自分から話すとは何事だ。

「使い道が無いのならもっと有意義なことに使ったほうがお金も喜ぶと思いません? タンス預金じゃ日本経済は潤いませんよ」

 亜由美の言葉に私はお味噌汁を噴き出しそうになった。事実私の六十万円は現在タンスの中にしまってあるからだ。

「もーう、亜由美。いい加減にしなさい! かっちゃんのお金はかっちゃんのものなの、いくらかっちゃんが文化祭実行委員だからって文化祭のために使わなきゃいけないというきまりはないでしょ」

 しぃちゃんが語尾を強めて亜由美を咎める。「もーう」を言っているからまだ本気で怒っているわけじゃないけど。

「寄付するんだったら、私のダンスサークルに寄付してよ。私も先輩も一生懸命アルバイトしてお金を稼いでいるんだから!」

 はるちゃんがパスタを巻いたフォークを掲げて身を乗り出した。

「ちょっとはるちゃん、ソースが跳ねるじゃない!」

「ダンス大会が成功するために是非とも私たちのサークルに寄付を」

 はるちゃんはフォークを置いて右手を差し出すと、「お願いします!」と頭を下げた。

「文化祭実行委員に寄付してください。お願いします!」

 亜由美も負けじと立ち上がると右手を差し出して頭を下げる。

 差し出された二人の右手。私は寄付をしてもいいと思った人の右手を握るルールになっている。すでに私の答えは決まっていた。

「ごめんなさーい」

 ちょうど食べ終えたカツカレーの皿を持ちながら私は席を立った。誰が寄付なんてするもんか。私のものは私のものよ!


「どうして亜由美がついてくるのー」

 お昼ご飯も終ってせっかくサークルに行くはるちゃんからは逃げられたのに亜由美はまだ私の後をつけてくる。

「どうしてって、同じ文化祭実行委員なんだから歩く方向が一緒なのは当然じゃないですか」

「かっちゃんも心配しすぎだよー。誰も本気で寄付してほしいなんて思っていないから」

 たぶんしぃちゃんの言う通りなんだろうけどね。それでも心配に思えるのは私のほうの性根が悪くなっているのだろうか。

 と、自問自答を繰り返しているうちに前から明るい笑顔の明石先輩が突っ込んできた。

「かっちゃーん、競馬で儲かったんだってー!」

 明石先輩はスピードを緩めることなく私に抱きついて頬をすり寄せた。

「これで着ぐるみバイト生活からおさらばできるわー」

 はっきりと言葉にしてはいないが、サークルにお金を寄付しろと言う意図が見え見えである。

「明石先輩……、着ぐるみのバイトをしているんですか?」

 しぃちゃんが尋ねると明石先輩はしぃちゃんの頭を左腕に抱き寄せた。

「そうなのよー、この暑い季節着ぐるみなんてもう大変よー」

「そりゃあそうでしょうね、あんな黒いもの被っているんですから余計暑いですよね」

 うん? 亜由美は明石先輩がどんなアルバイトをしているのか知っているのか?

「こらー、亜由美。子どもの夢を壊すようなことをいうもんじゃありませーん」

 明石先輩の魔の手が私を離れて亜由美に襲い掛かる。

「う、うわっ。明石先輩!?」

「あーあ、せめて亜由美の胸の半分くらい私の胸もあったらなー」

 明石先輩が亜由美にセクハラをしている隙に逃げようと私はゆっくりとしぃちゃんを連れて二人から離れたが……。

「こらっ、かっちゃん。逃げるな!」

 明石先輩に襟を掴まれる。

「こら、真奈美。かっちゃんからお金をせびろうなんて卑しい真似はしない」

 たまたま廊下を通りかかった浅野先輩が明石先輩を責める。

「だってー、ダンス大会の資金が入るチャンスなんですよー」

 明石先輩が私に起こった昨夜の出来事を話す。

「だからって、部員じゃないかっちゃんからお金を貰うことは無いでしょ。いくら六十万手に入ったからって……」

 浅野先輩は一瞬視線を私へ向けてすぐに明石先輩へと戻した。やはり六十万は魅力的な金額のようだ。

「で、でも……、文化祭のために使われなかったらかっちゃんのお金がムダに使われる可能性があるんですよ」

「ムダ!?」

 浅野先輩の顔が険しくなった。

「そう、浅野先輩の大嫌いなムダ、ムダ」

「ムダ使いー!」

 わー、浅野先輩が壊れたー。白目むいているし。前に私のストレス発散のためにカラオケに行ったときに「ムダ使い」を叱る歌を歌っていたけど、浅野先輩本人もムダ使いが嫌いなんだな……。

 浅野先輩は私を見るなり両肩を抑えて叫んだ。

「いい、かっちゃん。何に使うのかはあなたの自由だけど、ムダ使いだけは絶対にしちゃいけないからね!」

「え……はい、分かりました」

 ムダ使いなんてしたら、浅野先輩から電気アンマをやられてしまう。それだけは勘弁だ。


「はー、今日はいろいろ大変な一日だったなー」

 文化祭実行委員の打ち合わせも終わった帰り道、私は夕日を背に浴びながらため息をついた。昨日は大金を持っているために疲れたけど、今日は持っていなくても疲れた。

「そうだね、みんなかっちゃんにお金ちょうだい、って言ってくるからね。でもみんな本気じゃないから大丈夫だよ」

「そりゃそうだね」

 みんな本気だったら私はこうやって団子坂を下って家へと向かっていないはずだ。

「ところでかっちゃん、もうすぐ私の誕生日だよね」

「ああ、そうだね。あと半月だね」

 しぃちゃんの誕生日は九月十三日、あと二週間だ。そろそろ何かお祝いの準備をしないと。

「それでね、今年は去年より豪華な誕生日にしてくれたら嬉しいなーと思うんだ。かっちゃん、競馬でお金がいっぱい入ったことだし」

 明るく可愛い笑顔を見せるしぃちゃんを見て、私は紀元前一世紀当時共和制であったローマを帝政に導こうとしてその途上で暗殺されたローマ第一の英雄の最後の言葉を思い出していた。


 ブルータ……じゃなくて、しぃちゃんよ、お前もか!!


「嘘だよ、かっちゃん。びっくりしたー?」

 しぃちゃんが笑いながら私の肩を叩く。かなり痛い。

「びっくりしたも何も今のしぃちゃんの言葉が一番ダメージだったよー」

 安心した後に一番信頼している友達に言われたんだからたまったものではない。私はその場に力なく腰を落とした。

「ち、ちよっとかっちゃん? 腰が抜けちゃった」

「しぃちゃんに言われたら冗談でも抜けるものは抜けるわよー」

 腰に力が入らないのを見ると本当に腰が抜けたようだ。

「かっちゃん、ごめん! お詫びに『御団子』で好きなもの頼んでいいから、許して」

「え、ほんと!? 許す許す」

 チーズケーキを奢ってもらえる嬉しさに私の腰は治り、勢いよく立ち上がることができた。

 よーし、最低二個は食べるぞ!


 翌日――。私の六十二万は無事に私の銀行預金に加わりましたとさ。

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