第三十二話 日本最強の姉妹タッグ編
結衣ちゃんが実家のある米沢へ帰る日がきた。
私たちは東京駅に彼女を見送りに来ている。結衣ちゃんはここから山形新幹線に乗って、実家へと帰る。
「夏休みなんだから、もうちょっとゆっくりすればいいのに」
私は結衣ちゃんのお土産にと、うちで作っている和菓子の入った紙袋を渡した。
「いやー、受験生なのでゆっくりはしていられないですよ。ここからが正念場です」
結衣ちゃんは紙袋を受け取りながら頭をかいた。
「まあ今の結衣の成績なら大丈夫だろうけど……。油断しちゃダメだからね」
しぃちゃんが結衣ちゃんのわき腹をつつく。結衣ちゃんだから大丈夫であって、他の人ならちょっと痛いと思う強さだ。
「わかってるって、来年の春には絶対お姉ちゃんの後輩になるから」
「私と一緒に授業受けようねー」
真耶が結衣ちゃんの左手を握り上下に振る。二人は同い年ということもあり、この数日間ですっかり仲良しになった。
「そうだねー、希望する学部は一緒だから、授業は一緒だね」
結衣ちゃんは真耶の右腕がちぎれるんじゃないかと思うほど激しく上下に振った。しぃちゃん曰く、彼女はあまり力の加減ができないらしい。
「ダンスに興味をもったらいつでもうちのサークルに来てね。結衣ちゃんの足さばきならきっと上手く踊れると思うから」
はるちゃんは早くも自分のサークルへと勧誘している。うちの大学には女子のキックボクシング部はないから、結衣ちゃんはきっと体を持て余す。と計算してのことだろう。
「ありがとうございます。考えておきます」
結衣ちゃんはちょっと社交辞令っぽく応えた。脈はあまり無いようたぞ、はるちゃん。
「そろそろ新幹線の時間だよ、結衣」
「あっ、ほんとだ。それじゃあみなさん、短い間でしたがお世話になりました」
結衣ちゃんは元気よく頭を下げると、新幹線の乗り場へ向かおうと私たちに背を向けたが……。
「あれ……」
私たちの視線の先には
「山形新幹線は米沢―福島間の大雨の影響で一時運転を見合わせています」
という文字が電光掲示板に赤々と表示されている。
「運転見合わせって帰れないってことー!?」
結衣ちゃんが赤いスポーツバックと土産の紙袋を思わず落とした。
「まあまあ、お昼ご飯でも食べていればきっと新幹線も動き出すって」
私たちは東京駅の中にあるイタリア料理のお店でお昼ご飯を食べることにした。
「こうなるんだったら、夜行バスで帰ればよかったかな……」
結衣ちゃんが不満げにカルボナーラをフォークで何度も巻きつける。フォークに巻かれた麺の玉がどんどん大きくなっていく。
「もーう、夜行バスは渋滞で遅れる可能性があるから嫌だ、と言ったのは結衣じゃない」
ペペロンチーノを小さく巻きながらしぃちゃんがたしなめる。
「それはそうだけど……、まさか大雨でストップするなんて……」
そう言いながら結衣ちゃんはカルボナーラを口に入れようとしたが、麺の玉があまりにも多すぎたので、フォークを逆に巻いて玉を小さくしていく。
「天気予報では東北地方は今朝から大雨って言っていたわよ」
はるちゃんがナポリタンを丁寧に巻いて食べる。残る私と真耶が食べているのはパスタではなく、二人ともエビドリアだ。
「それじゃあこのままずっとストップする可能性もあるってことですか」
結衣ちゃんがカルボナーラを再び何度も巻きながら悲鳴を上げる。
「まあ、乗車券をまだ買っていないことが不幸中の幸いね。今日も東京にいたら? 受験生だから一日が無駄に消費されるのは嫌だというのは分かるけど、天候による影響はしょうがないわよ。今日一日ぐらいゆっくりしなさいという気象予報士さんのお告げだわ」
そこは「気象予報士」じゃなくて、「神様」とか「お天道様」とか言い方があるでしょ、はるちゃん。
「とりあえずこれを食べ終わったら駅員の人に聞いてみます……」
そう呟いた結衣ちゃんだったが、お昼ご飯を食べ終えた私たちを待っていたのは、
「東北新幹線、山形新幹線、秋田新幹線、大雨により運転見合わせ」
と、電光掲示板に表示された文字だった。
「これじゃあ今日は帰れないね。結衣、うちへ帰ろう」
「うん、そうする……」
結衣ちゃんは今日帰れないことにショックを受けている。
だからスポーツバックと私からのお土産が床に置きっぱなしになっていたことも、それを狙っている者がいることに気がつかなかったのだろう。
私たちも結衣ちゃんを慰めることを考えていたので、それに気がつかなかった。
それは一瞬だった。黒い影が結衣ちゃんとその隣にいた真耶を突き飛ばして京葉線の乗り場へと走り去っていった。
「いたた……、何!? 慌てん坊さん?」
真耶がのんきに立ち上がって辺りを見回す。
「京葉線の乗り場に行くには結構歩くからねー。急いでいたんじゃない」
事実京葉線乗り場は新幹線の乗り場から歩いて五分から十分ぐらいかかる。だから電車に乗り遅れないように急いでいたのだろうと、私も思った。結衣ちゃんの悲鳴を聞くまでは。
「な……ない! 私のバッグが……御徒先輩からもらったお土産も無い!」
「結衣、落ち着いて。結衣が最後にバッグとお土産を見たのはいつ?」
「ここまで持って来たよ。ここで運行状況を見るために床に置いたのが最後」
「と、言うことは誰かが持ち去ったってことね……」
はるちゃんが京葉線乗り場へつづく通路を見ながら呟く。なんかちょっと面白そうな顔をしているぞ。
「誰かが持ち去って……、まさか!?」
「そのまさかよかっちゃん、結衣ちゃんと真耶ちゃんにぶつかった学生服の男。彼が二つとも持って行ったに間違いないわ。追うわよ」
黒い影と思ったのは学生服を着ていたからなのか……、と私は思いながらはるちゃんの後を追った。そんな私の隣を二つの影が素早く通り過ぎていく。それは……、
「し、しぃちゃんに結衣ちゃん? 早い、早いよ」
私の声に止まることなく、しぃちゃんと結衣ちゃんは階段を駆け下りていった。
「いた、あの男だ」
階段を駆け下りる私の耳に、結衣ちゃんの叫び声が聞こえる。どうやら犯人は、私たちから離れたことを確認すると安心して走るのをやめたようだ。
階段を降りきって地下通路に入ると、もうしぃちゃんが犯人と思える男に追いつこうとしていた。結衣ちゃんはまだ犯人から数メートル離れている。このしぃちゃんと結衣ちゃんとの差は身長差から来るものなのか、日々の鍛錬の差から来ているものか分からない。
「そこの引ったくり、待ちなさーい」
しかし、「待て」と言われて待つ愚かな泥棒なんて存在しない。しぃちゃんの言葉を無視して走るスピードを上げていく。
しぃちゃんも負けじとスピードを上げる。京葉線への地下通路は直線なので、かなり離れている私からもその様子は見える。私は「動く歩道」を走る。機械の力を借りなければとてもしぃちゃん(どころか結衣ちゃんも)追えないと思ったからだ。
一方はるちゃんは日ごろダンスで鍛えているので、普通の通路を走っている。
そのうちしぃちゃんが犯人に追いついた。捕まえるかと思ったらなんとしぃちゃんは犯人を追い抜いた。
驚いた犯人が、スピードを緩める。次の瞬間、犯人の体がビクンと大きく縦に揺れ、通路に仰向けに倒れた。倒れた犯人の向うにはしぃちゃんが右拳を高々と突き上げている。どうやらしぃちゃんは犯人を追い越して、走ってくる犯人に対して右アッパーというカウンターパンチを食らわしたらしい。
あのしぃちゃんのパンチをカウンターで食らったのにも関わらず、犯人は体を震わせながら上体を起こした。それが彼の更なる不幸を呼んだ。
やっと犯人に追いついた結衣ちゃんが、彼の背中に強烈な右のキックをお見舞いしたのだ。走るスピードをそのまま載せたキック。破壊力は相当なものだろう。
「げふっ!」
と声を上げた犯人は再び仰向けに倒れた。
「私たちの荷物をひったくろうなんて、まったくいい度胸しているわ」
やっと私はしぃちゃんたちに追いついた。結衣ちゃんが犯人を見下ろして言い捨てる。犯人ははるちゃんの言うとおり学生服を着た男だった。まだ顔にあどけなさを感じる。高校生だろうか。
「この人、大丈夫なの……?」
しぃちゃんの右アッパーをカウンターで受け、さらに背中に結衣ちゃんのキックを受けたのである。ひょっとしたら生死に関わるかもしれない。
「大丈夫だよ、かっちゃん。息はしているから。でも一応上体を起こして骨が折れているかいないか確認してみよう」
と、しぃちゃんは軽々と犯人の上体を引っ張り上げた。彼はまだ気絶している。その背中を結衣ちゃんがなんども軽く叩いていく。しぃちゃんは胸の辺りを軽くタッチする。
「うーん、どうやら骨は折れていないようだよ」
「そうだね。こっちも異常は感じなかったよ」
何を根拠に折れていないと判断したのか分からないけど、普段体を鍛えている二人の言うことだから、大丈夫なのだろう。
「あ、はるちゃん真耶ちゃん、ちょうどいいところに来た。追いついたところで悪いんだけど警察の人呼んできてくれるかな」
「えー、また走るのー」
はるちゃんが不満げに口を尖らせる。
「ごめんね、はるちゃん。私たちは犯人がまた起き上がって逃げないように見張る役目があるから」
そう言って両手を合わせて可愛く「お願い」をするしぃちゃん。
いやー、当分起き上がれないんじゃないのかなー、と私は犯人を見て思った。
そして私の思うとおり犯人は警察の人が来ても目を覚ますことは無く、救急車で病院へ運ばれることになった。検査の結果骨折したところはひとつもなく、ただの打撲ですんだようだ。
しぃちゃんと結衣ちゃんは、警察の人に「ちょっとやりすぎたんじゃないの」と少し注意された。
ペコペコと警察の人に頭を下げる二人を見ながら、私はこの姉妹と友達で良かった、と胸を撫で下ろした。敵に回したらものすごく恐ろしいじゃない。