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第三十話 雪子さん

 私たちを忘れてデートにかまけていたかわちゃんとけーまを連れて、かわちゃんの家に入ると、すっかり酔っ払ってしまったしぃちゃんと亜由美が私たちを迎えてくれた。

「長かったですねー。待っていたんですよー」

 亜由美が私の左ひざをしっかりと掴む。彼女は酔っ払っても敬語だ。

「ずーっと、待っていたんですよ」

 本当に待っていたんだろう。しぃちゃんと二人きりだったからな。ずっと首相撲とかよく知らないボクシングの話とかされていたんだろう。ちょっと同情。

「かわちゃーん、待っていたよー。焦がれるほどにー」

 しぃちゃんがよろめきながらかわちゃんに両手を伸ばす。

「しぃちゃーん、こんなに酔っ払っちゃってー、ごめんねー」

 かわちゃんがしっかりとしぃちゃんを受け止めた。当然のことながらしぃちゃんの両腕はかわちゃんの首の後ろに回っている。あーあ……。

「首相撲ー」

「うわああぁっ、ちょっと、しぃちゃん、しぃちゃん!」

 かわちゃんの首がしぃちゃんの腕にこねくり回されている様を目にしながら私たちは折りたたみ式のテーブルを立てて、かわちゃんとけーまがかったおつまみを紙皿へと載せていく。

「かわちゃんはしぃちゃんの相手をしているから……。料理は俺が作るか」

 タカビーがスーパーの袋の中から豚肉のパックと大根を取り出す。そして冷蔵庫を開けて中を見る。

「嘘、タカビー料理できるの?」

「一人暮らししているんだ。できてもおかしくないだろう」

 タカビーはそう言って冷蔵庫の中から調味料をいくつか取り出すと、キッチンへと出た。

 本来であれば料理を作るのは料理好きのしぃちゃんの役割なのだが、彼女はそれどころじゃなくなっている。というか、今の彼女に刃物なぞ持たせたら……と思うと私は背筋に寒気が走った。きっと誰かの頭上の壁に包丁が突き刺さっていたり、誰かの指と指の間を素早く包丁で刺していくといった光景が見られるのだろう。

「見ていないで私を助けてよ、みんなー」

 首を回されながらかわちゃんが悲鳴を上げる。すかさずしぃちゃんの腕を掴んだのは彼氏であるけーまだ。

「おい、しぃちゃんそのへんにしないか」

 瞬間、しいちゃんはけーまの両腕を掴むとけーまの右足を素早く払った。床に倒れるけーま。そのおなかの上にしぃちゃんが乗っかる。

「マウントポジションー」

 よく見ると、しぃちゃんの両膝がけーまの両腕を抑えている。

「うふふ、これで上から殴りかかったらけーまボッコボコだよ」

 しぃちゃんはゆっくりとけーまの顔に向かって拳を振り下ろす。その拳はけーまの顔に触れる直前で正確に止まる。

「かっちゃん。しぃちゃんを何とかしてよ。一番長い付き合いでしょ」

 かわちゃんが私の肩を掴んで揺らす。長い付き合いと言われてもなー。

「こういう時は……。無駄な抵抗をせずに大人しくしているのが一番だよ」

 なぜならしぃちゃんは今まで何かを壊したことも誰かを怪我させたことも無いのだから。

「けーまにはかわいそうだけど、私たちは夕食の準備をしよう」

「買い物に時間をかけすぎた罰ですよー」

 首相撲で酔いが回っているためか、ぐったりと床に横たわっている亜由美が声を上げる。

「うう……ダーリンごめんなさい……」

 かわちゃんが少々涙声でキッチンに向かう。

「おい、お前らひどすぎるぞ」

 けーまの助けを求める声が聞こえる。

「大丈夫だよ、けーま。そのままの姿勢でいれば怪我はすることないから」

 私はけーまに生き延びるためのアドバイスを与えてキッチンへの扉を開けた。

「うふふ、けーまボッコボコ」

 そんなことを言っている間にもしぃちゃんの拳は寸分の狂いも無く正確に動き続ける。微笑みながらパンチを繰り出すしぃちゃん。きっと彼女の頭の中ではけーまの顔は無残な形に変わっているのだろう。

 キッチンに入った私はかわちゃんに声をかける。

「ところでかわちゃん、かわちゃんのベランダって無駄に広いよね。夏だし外は涼しいからあそこにテーブルを出してみんなで飲むというのはどうだろう」

 ちょっとしたビアホールになる、と私は想像して楽しくなった。

「私もそれを考えたんだけど、前の住人が一度それをやって、近所から苦情が来たんだって。だからベランダでお酒を飲むのは禁止されているのよ」

 ううむ、すでに誰かがやっていたか……。と、私は扉のほうを向いた。しぃちゃんの笑い声が聞こえる。あの様子しぃちゃんならベランダで飲もうものなら充分苦情の対象になりそうだ。


 タカビーが調理した「豚肉のしょうが焼き」を持って部屋に戻ってきたときは、しぃちゃんはけーまを殴ることに飽きたのか、部屋の真ん中でまた一人で「お船」をちびちびと飲んでいた。

 亜由美はまだぐったりと横たわっている。それでもお酒は飲みたいらしく、しぃちゃんの隣でつまみを食べながらかわちゃんとけーまが買ってきたカクテルを飲んでいる。

 そしてしぃちゃんに殴られ(寸止めだけど)続けていたけーまはしぃちゃんから離れた部屋の隅で小さくなってビールを飲んでいた。その視線はしぃちゃんの挙動を捕らえて離さない。彼女に動きがあればいつでも対応できるように少しお尻を浮かせているのが見えた。三人ともテーブルがあることを忘れているのか、それぞれのコップや缶は床に直置きだった。

「はーい、みんなー。ご飯と豚肉のしょうが焼きだよー」

 私が声をかけるとしぃちゃんと亜由美は行儀よく正座をした。

「かっちゃーん待ってたよー」

 しぃちゃんがその姿勢のまま私に両腕を伸ばす。私は立っているので、彼女の腕は私の首に届かない。首相撲なんて誰がさせるものか。

 しぃちゃんは無視してかわちゃんとともにテーブルの上に料理(ご飯、大根のお味噌汁、豚肉のしょうが焼き)と各人の取り皿を並べていく。先ほどまで置いてあったつまみはテーブルの隅に追いやる。

「よーし、これで全部だな」

 タカビーが大根のサラダを持ってキッチンから出てきた。テーブルの真ん中にどん、と勢いよくサラダの入った木のボールを置く。

「もう酔っ払っている人もいるけど、改めて乾杯!」


「それで、石川先輩は『ミス文京大学』に参加することになったの?」

 大根サラダを頬張りながら、かわちゃんが尋ねる。 

「うん、ダンスと時間が被らないように調整つけたから」

 企画者の中で唯一正常な私が答える。

 明石先輩らダンスサークルの人と話し合った結果、ダンスは最終日の午後一時から。そして

「ミス文京大学」の発表は最終日の午後六時、文化祭の大トリを飾ることとなった。

「最終日は午前に町田イラケンの公開スパーリングで昼にダンス、最後にミスコンか。盛り沢山だな」

 タカビー……、実行委員長のあなたがそんなこと言っちゃダメでしょ。これからさらに各サークルからの企画が入って来るんだから……。

「そういえば昔、と言っても二年前だけど、ミスコンで事件があったって聞いたな」

 タカビーが豚肉を箸で挟みながら思い出したように呟く。

 二年前と言えば、私が高校三年生、つまり文京大学に入る前だ。その時文京大学にいたのは、この中ではタカビーしかいない。

「なにそれ、かなりヤバイ事?」

 企画者としては聞き捨てならない呟きである。

「ああ、ヤバイと言えばヤバイかな」

 タカビーは箸につまんでいた豚肉を口に入れてよく噛み、飲み込んでから事件について話し始めた。彼が豚肉を食べている時間は私には非常に長く感じた。

「まあ俺はその時は実行委員やっていたわけじゃないから姉小路からのまた聞きになるんだけど……」

 大学のミスコンテストと言えば当然その大学に在籍している女子学生から選ばれる。そしてその候補者ならばある程度自身の容姿について噂になっているはずだ。候補者が他薦または実行委員会からの依頼で立候補するパターンが多いのはこのためだと思う。

 ところがその年のミス文京大学は、誰も知らなかった人物が選ばれたと言うのだ。自らコンテストに立候補した彼女についての噂は全く無く、前評判で言えば無印のダークホースが

「ミス文京大学」に選ばれたことになる。

 しかしコンテストの当日に現れた彼女はタカビー曰く、絶世の美女と言っても過言ではないほど綺麗だったと言う。彼女は他の候補者に圧倒的な大差をつけて「ミス文京大学」に選ばれた。彼女の名前は田原雪子たばら ゆきこと言うらしい。

 それが、彼女――雪子さん――が文京大学に現れた最後の日だった。

 雪子さんは賞品であるビール券一年分とともに消えてしまったのだ。

 そんな話をしながら、タカビーは自らが作った豚のしょうが焼きを食べ続ける。

「彼女の消息については様々な説が出た。『別の大学生説』、『女装した男説』果ては『在籍中に悲運の死を遂げた女子学生の亡霊説』まで飛び出した。結局彼女の正体は分からないまま、今に至るってわけだ」

 タカビーはそう言い終えると、何枚目かの豚肉を口にした。

「女子学生の亡霊なんてあり得ません、非常識です!」

 突然、私の左隣でぐったりしていた亜由美が声を上げた。ちゃんと話は聞いていたようだ。

「じゃあー、亜由美は『雪子さん』の正体は誰だと思うのー?」

 しぃちゃんが紙コップを口に加えながら、亜由美の左肩に腕を乗せる。この子も話は聞いていたようだ。

 タカビーが楽しそうに豚肉を食べながら、亜由美としぃちゃんを見る。

 亜由美は大真面目な顔で(でも顔色は真っ赤だけど)叫んだ。

「『雪子さん』は、その日のうちに火星人にさらわれてしまったのです!」

 瞬間、しぃちゃんと亜由美を除く全員の頭に、大きな「はてな」マークが浮かんだ。

「火星人にさらわれた、となったら大事じゃないか、警察とかマスコミとか動くんじゃないか?」

 けーまが最もな意見を言う。しかし、今の亜由美にこの正論は通らなかった。

「そうです、本来ならそうなるはずです。しかし私たちの知らない所で警察も、マスコミも、火星人と裏で話がついちゃっているのです。いわゆる談合社会です。深刻な社会問題です」

 一見、現代社会に潜む闇を鋭く言っているようだが、実はとんでもないことを言っている。これが酔った亜由美か……。

「私も火星人がさらっていったと思うよー」

 しぃちゃんが先ほど肩に乗せていた腕を首に乗せる。

「そうですよね、火星人ですよね」

「そうだよ、気が合うね。亜由美ー」

 そういいながらしぃちゃんと亜由美は抱き合った。そして――

「首相撲ー」

「うわああああっ、目が、目がー」

 お決まりの展開。

 そんな二人の様子をタカビーは豚のしょうが焼きを食べながら楽しんでいる……。って

「ちょっと、タカビーいくら自分が作ったからと言っても、豚のしょうが焼き食べすぎじゃない!?」

 気づけは豚のしょうが焼きは皿に三分の一ほどしか残っていない、ほとんどタカビーが食べてしまった。私なんかまだ一口も食べていない。

「うるさい、この世は弱肉強食なんだよ!」

 タカビーがなんだか訳の分からない言い訳を放った。

「違います、談合社会ですよー」

 頭を回されながら亜由美が反論する。

 結局こんな調子でこの日もまともな話し合いになりませんでしたとさ。

 今回のお話のネタは、昨年の雑草生産者さんとのコラボ企画のお話とリンクしていますが、その作品を見ていなくても問題はありません。

 「どうしても『雪子さん』の正体が知りたい!」

という方は、雑草生産者さんの「御徒町寄生中」をご覧下さい。

 雑草生産者さんご協力ありがとうございました。

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