第二十九話 さらわれたかわちゃん
「かわちゃんたちおそーい!」
首相撲を延々と繰り広げるしぃちゃんたちを前に私は「お船」を一杯飲んで叫んだ。買い物に出かけてからもう一時間半経っている。
「確かに遅すぎるな。一体何があったんだろう」
タカビーが退屈そうに目覚まし時計のベルを鳴らしては止める。
「タカビー、しぃちゃんと亜由美はこのままにして二人でかわちゃんたちを探しに行こう」
「ちょっと待って、私も一緒に連れて行ってくださーい」
頭を左右に振られながら亜由美が私へと手を伸ばす。
「今のしぃちゃんを外に出すわけには行かないわ。だからといって、この家に一人きりにするわけにもいかないし……。災難だと思って亜由美はここに残って」
「そんなぁ……」
「私が災難ってどういうことよー、かっちゃーん」
しぃちゃんのとろんとした瞳が私に向けられる。さっさとこの部屋を出ないと私が次のターゲットにされてしまう。
「はいはい、しぃちゃんは亜由美と遊んでいて。私とタカビーはかわちゃんとけーまを探しに行くから」
「というわけで、仲良くやってくれ」
タカビーはゆっくりと立ち上がると、玄関へと向かった。
「ち、ちょっとー、二人きりにしないでくださいー」
「首相撲ー」
亜由美の悲鳴としぃちゃんの声を背に私とタカビーはかわちゃんの部屋を出た。
「探すと言ってもどこを探すんだ?」
道路に出たタカビーが私に尋ねる。
「たぶん巣鴨駅の辺りにいると思うんだ。あそこスーパーが二軒あるでしょ」
「確かにあるな」
タカビーは毎日の通学に巣鴨駅を利用しているので周囲の地理詳しい。私は捜索の方向性は決めて、後は彼に任せることにした。
巣鴨駅はかわちゃんの家から北へ歩いて十分ほどのところにある山手線と都営三田線の駅だ。
巣鴨駅から文京大学へはここから南へ二十分歩くか、三田線に乗って二駅目で降りることで行ける。タカビーの話では節約と運動を兼ねて歩いている学生が多いようだ。そういえばはるちゃんも歩いて通う学生の一人である。
かわちゃんとけーまを探しながら巣鴨駅の南口広場に到着すると、けーまを発見。少しイライラしているのか頭をかいている。
「ちょっと、けーまいつまで買い物しているのよ」
私が声をかけるとけーまは頭をかくのをやめ、
「あー、悪い。正直みんながいること忘れて喫茶店でデートしていた」
と、悪びれも無く言った。
「それでー、今もデートの真っ最中ですかー?」
私が呆れながら尋ねる。
「いや……、みんながいることに気づいて買い物をして帰ろうと思ったんだ。そしたら……」
と、けーまは駅前のパチンコ店を指差した。正確に言えば店の前ある赤いカーテンを背景にした特設の小さなステージを指差した。
ステージの上には「お楽しみヒーローショー」と書かれた白い看板が掲げられている。
そのステージに立っている三人を見て私は頭を抱えた。
「あ、あいつら……」
一人はかわちゃん。これは別に何の問題も無い。もう一人は頭に気の風呂桶をつけ、ピンクの全身タイツに身を包んでいる――そう、バスレンジャーだ。ピンクだから正確にはバスレンジャーレディーか。
バスレンジャーがいるということは、当然敵役のクラドスポリウム・トリコイデス(おそらくレディーの方だろう)もステージの上にいる。この二人を見るのは東都大学の五月祭から数えて三度目だ。ちなみにクラドスポリウム・トリコイデスとはお風呂場によく見られる黒かびのことである。
「それで……なぜかわちゃんがステージの上にいるわけ?」
「……それは俺が聞きたい」
ヒーローショーと言えば、悪役が観客の中から小さな子どもをステージの上へとさらい、そこを正義のヒーローに成敗されのが普通だろう。
ところがこのクラドスポリウム・トリコイデス。前のほうに小さな子ども達がいるのにそれを無視して後ろのほうにいるかわちゃんを抱きかかえてステージの上へと行ってしまったのだ。クラドスポリウム・トリコイデスの中の人は小さな子どもが嫌いなのだろうか、それとも女子大生が好きなのだろうか?
「バスレンジャーとか言うやつがステージに現れて、やっと解放されるかと思ったんだけど、そこからがまた長くて長くて……」
けーまがそうため息をつくそばからバスレンジャーが叫ぶ。
「クラドスポリウム・トリコイデスよ、この技を食らえ! バスレンジャー・ソラミミアワーハイワレテミレバタシカニキコエルヨ・クイスギタヒトニハゴチニナリマス!」
なんて長い技名なのだろう。そんなに長い名前を持つ技なのに、その実態はただのストレートパンチだ。しぃちゃんのそれに比べたらかわいいものだ。
「く、バスレンジャーめ、バスレンジャー・ソラミミアワーハイワレテミレバ……」
クラドスポリウム・トリコイデスがそんなかわいいパンチにも痛がり、さらにその技名を正確に言うため、さらに時間がかかる。
「もうこんなやりとりが四回も繰り返されているんだ。あの黒かびが出す技もムダに長い。さらに変なところに芸が細かくて、出す技の名前一つ一つがみんな違う名前なんだ」
あまりにも技の名前が長すぎるため、二人とも最初の技で受けたダメージはすっかり回復しているというナレーションがご丁寧に私たちの耳に入る。これじゃあいつまでたっても勝負がつかない。
「ええい、これでは勝負がつかない、会場のみんな! 私に力を分けてくれ」
バスレンジャーがヒーローショーにお決まりのセリフを吐いて両手を観客席に差し出す。
「おおお、来てる、来ているぞ。みんなのパワーが私に来ているぞ。これでアナウンサーの試験に合格できそうだ」
いやいや、バスレンジャーレディーさん。あなたの目的は目の前の敵を倒すことであり、アナウンサーになることじゃないでしょう。
「よーし、クラドスポリウム・トリコイデスよ。みんなのパワーが集まったこの技を食らえ、バスレンジャー寿限無、寿限無 五劫の擦り切れ 海砂利水魚の……」
出たー、長すぎる名前として一番有名なこの名前が。バスレンジャーレディーはその名前の全てを噛むことなく言い切ると、ドロップキックをクラドスポリウム・トリコイデスの頭部に食らわせた。
「く、効いた、効いたぞ。お前のバスレンジャー、寿限無……」
クラドスポリウム・トリコイデスも噛むことなくその名前を言い切ると、「覚えていろよー」と捨て台詞を吐いて退場した。バスレンジャーレディーといい、クラドスポリウム・トリコイデスといい、中の人は相当練習したんだろうな。
「巣鴨のみんな、ありがとう! 巣鴨の街のお風呂場はこれで安泰です! バスレンジャー!!」
バスレンジャーは大きく手を振りながらステージを後にした。ステージには戸惑いの顔を浮かべたかわちゃん一人が残された。
「これは……ヒーローショーとして成立しているのか?」
戸惑うかわちゃんを見ながらタカビーが呆れた声を上げる。
「さらわれた良い子のお友達。ありがとうございました。そばの階段から降りてください」
ナレーションの方が淡々とかわちゃんに退場を促すと、かわちゃんはステージから飛び降りて、私たちのところへ一直線に駆け寄ってきた。大きすぎる良い子のお友達の退場である。
「ダーリーン、恥ずかしかったよー!」
かわちゃんはけーまに抱きつくとその胸に顔をうずめた。私は今の状態を見られるほうがよっぽど恥ずかしいのでは……、と心の中で突っ込んだ。というか、見ているこっちがなんだか恥ずかしい。
「はいはい、人前で抱きつくのはその辺にしておいて、家に帰るよー」
私は、両手を激しく合わせて二人を離した。ほうっておいたらずっと抱きついていると思えたからだ。
「そうだね、買い物もすんだことだし帰ろうか」
かわちゃんがけーまの手をとって、家路へと着く。
買い物の帰りに「クラドスポリウム・トリコイデスにさらわれる」と言う災難にあったかわちゃん。家に帰ってさらなる災難に遭遇しようとはかわちゃんは思ってもいなかっただろう。
私はすでに想像していたことなんだけどね。