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第二十八話 お船登場

 八月の最初の週に入り、私としぃちゃんと実行委員会のメンバーは東京都文京区の千石せんごくにある、かわちゃんの家にお邪魔している。

 以前しぃちゃんの家でやったように、実行委員会のこれまでの進捗状況やこれからの課題について話し合おうというのだ。しかもお酒付きで。

 昨年の今頃、人生初めての合コンに参加したしぃちゃんがかなり危険な人になったことを覚えている人はいるだろうか? あの時の私しぃちゃん(とはるちゃん)が心配でとても合コンどころではなかった。さらにはしぃちゃんにもう少しで唇を奪われる(幸いにしてファーストキスではなかったが)ところであった。

 あの時の悪夢が蘇るというのか……。

「もー、かわちゃんとけーまは一体何をしているのかしら? 買い物に出かけて一時間も経っているじゃない」

 私はイライラしながらベランダへと出る。かわちゃんの家のベランダは無駄に広い。畳にして六畳分はあるんじゃないかと思う。かわちゃんの部屋は四階建てビルの四階に当るので、ベランダと言うよりビルの屋上と言うべきか。

 ベランダに出るとひんやりとした風が私の耳元の髪を揺らした。視線の先には遠く黄色や赤の光が聳え立っている。かわちゃんが言うには新宿のビル街だそうだ。

「きっと二人でいちゃいちゃしながら買い物しているんだよ。ひょっとしたら俺たちがいることを忘れているのかもしれない」

 タカビーが退屈そうに体を伸ばす。かわちゃんの家はワンルームだが、斜めに広いので背の高いタカビーが十分寝転べる。

「しかし……、これでは一向に飲み会が始まりませんね……」

 いやいや、亜由美。飲み会の前にミーティングでしょ。

「お酒を飲んで和やかな雰囲気になればミーティングも軽やかに進むというもんですよ、かっちゃん」

 亜由美が私の心の突っ込みを聞いていたかのように反応する。

「しょうがない、先にやっちゃおうか」

 しぃちゃんがバックの中からビンを一本取り出した。それはしぃちゃんの地元米沢よねざわの銘酒「おせん」だった。昨年しぃちゃんがこれを飲んで酔っ払ってしまったことはまだ私の記憶に残っている。

「し、しぃちゃん。そのお酒一体どこで手に入れたの?」

 しぃちゃんは普段お酒を自ら買って飲むということはしない。酒癖が悪い彼女にとってはいろんな意味で幸いなことである。だけど今日はお酒を持参している。一体どういうことだろうか?

「結衣が実家から持ってきたんだよー。私このお酒が好きなのを知っていてお土産にって」

 しぃちゃんはとろけるような笑顔で「お船」のビンに頬ずりする。

「よっしゃ、つまみも何も無いけど、やりますか」

 タカビーが紙コップの袋を開けて一つずつ私たちに回す。食べるものは何も無いけど、紙コップだけは用意されていたんだな。

「それじゃあ注ぎますよー。日本酒が嫌いな人は今のうちに言ってくださいねー」

 亜由美が「お船」の栓を開いて紙コップの四分の一の高さまで注いでいく。私は時折お父さんやお祖父ちゃんが飲んでいる日本酒を盗み飲んでいたので、日本酒は平気だ。

 ……って私の心配をしている場合ではない。

「ダメ! しぃちゃんはお酒を飲んじゃダメ!」

 私はしぃちゃんの前にある紙コップを取り上げた。

「ちょっとー、かっちゃん何するのよー。私の好きなお酒なのにー」

 しぃちゃんが背筋を一生懸命伸ばして、紙コップを取り戻そうとする。だけど、背が小さいので、その手は私のひじの辺りまでしか届かない。

「しぃちゃんは酔っ払ったら人に迷惑をかけるんだから」

「私は迷惑はかけないもん! 今まで物を壊したことはないし、人を殴ったことないもん」

 あれだけ暴れておいてしぃちゃんの言うとおりなのは正直奇跡である。しぃちゃんの運動神経の良さがそうさせているのだろう。

「しぃちゃん、そんなにムキになるなって。俺の飲ませてやるから。

 タカビーが自分の手にした紙コップをしぃちゃんの口元へと持ってきた。しぃちゃんはそれを両手で受け取ると一気に飲み干して

「ぷはーっ!」

 と、大きな息を吐いた。

「おー、なかなかやるな。さすが自分が好きな酒だけあるな」

 タカビーが感心した顔で「お船」を注ぎ、再びしぃちゃんへ渡す。

「ダメー! しぃちゃんペース早過ぎー!」

 私はしぃちゃんが手にしている紙コップを奪おうとしたけど

「まあまあいいじゃないですか。お酒を飲んで楽しくなるのもチームの団結力が高まるということで」

 と、亜由美にその腕を取られてしまった。

「違うんだって、亜由美。しぃちゃんはお酒を飲むと危険なの!」

「危険じゃないもん! さっきと同じこと言わせないでよ!」

 そう言いながらしぃちゃんは二杯目を飲み干した。もう顔が真っ赤だ。

 あーあー、もう知らなーい、と

「そうだね、私が間違っていたよ。しぃちゃん」

 責任はタカビーと亜由美に取ってもらおうと、私はしぃちゃんから離れて座ると、しぃちゃんから取り上げた「お船」を一気に飲み込んだ。

「お酒を飲んで危険なのはかっちゃんのほうだよー」

 しぃちゃんが「とろん」とした目で私を指差す。昨年合コンで酔いつぶれたしぃちゃんとはるちゃんはその時の記憶が無いため、自分の都合の良い記憶で補完している。

「あー、じゃあかっちゃんのお酒のペースをきちんと監視しておかないと……」

 亜由美がしぃちゃんの作り上げた記憶をすっかり信じてしまったようだ。ええい、もうこうなったらどうにでもなれだ。

「それにしても亜由美はかわいいよねー」

 しぃちゃんが亜由美の肩に手をかける。三杯目を終了した彼女は首まで真っ赤になっている。このペースは去年のそれより明らかに早い。これが駅伝だったら区間新記録ものだ。十五人抜きだ。

「え、そ、そうですか……」

 亜由美が顔を赤くさせてしぃちゃんを見る。亜由美はまだお酒を飲んでいないので、顔の赤さは照れから来ている。

「亜由美、ギューッ、ってしていい?」

「ぎ、ギューッ、ですか?」

 亜由美が目を丸くしてしぃちゃんを見る。

「そう、明石先輩みたいにギューッて抱きつくの。亜由美セクシーだからさぁ。抱きついたら気持ちいいんだろうなって」

「え、ええ。確かに私は抱き心地がいいですよ」

 おいおい亜由美、認めるのかい。

「それじゃあギューッしようよ、ギューッ」

「え……」

 亜由美の返事を聞かずにしぃちゃんは両腕を亜由美の首に絡めた。そして体を密着させる。見ている私の鼓動が早まっているのは決してお酒のせいだけではない。

 この部屋の白一点(紅一点の逆だから白一点?)であるタカビーはこういうのに慣れていないせいか、トイレへと逃げてしまった。

 しぃちゃんと亜由美はそんな私たちを気にせずに抱き合っている。しかし、しぃちゃんはそれだけで済む人間ではなかった。

首相撲くびずもう−」

 と、亜由美の首に絡めた両腕を思いっきり左右に揺らし始めたのだ。

「うわあああっ、目が、目がー」

 亜由美は、青い宝石から放たれた激しい光に目をやられた人のようなセリフを吐いてしぃちゃんから逃れようとするが。しぃちゃんの力に適うわけが無い。

「うふふ、接近しすぎる場合はこうやって、相手のスタミナを奪うのが有効な手段とされているんだよー」

 ああ、またしぃちゃんが格闘技の世界に入っている。

 しぃちゃんが離れると亜由美は右手を床について、両肩を落とした。そして左手をこめかみに当てて

「す、すごい目が……回る……」

 お酒が入っていたらもっとひどいことになっていただろう。

「かっちゃんもやろうよ、首相撲」

 しぃちゃんが満面の真っ赤な笑みを浮かべて私を見つめる。

「い、いや……私は腰が痛いので遠慮するよ……」

「かっちゃん、『腰が痛い』なんて嘘をつかないでください。それ仮病でしょ」

 亜由美が自分以外の犠牲者を求めている。私の嘘を激しく指摘した。

「け、仮病じゃないよ。本当に腰の調子が今日は悪いのよ。そんなに首相撲がしたかったら、タカビーとすればいいじゃない」

「んー、呼んだかー?」

 自分の名前を呼ばれてタカビーがトイレの扉を開けて首を出した。しぃちゃんと亜由美が抱き合っていないのを確認すると、トイレから出て私の右隣に立つ。

「しぃちゃんが、タカビーと首相撲したいって」

「うん、首相撲? いいだろう、かかってこいや!」

 タカビーはなぜか語尾を強めてしぃちゃんを手招きした。しぃちゃんは立ち上がるとふらふらとタカビーのところへとたどり着いた。そして、両腕を彼の首に絡めようとしたが……。

「えーん、届かないよー」

 背の小さいしぃちゃんの両手は、タカビーの首に巻きつくどころではなかった。背を伸ばしてなんとか首筋にタッチできるのが精一杯である。

「しぃちゃん、身長差がある者との接近戦に使える技を見せてくださいよ!」

 亜由美はどうしてもタカビーに酷い目に遭ってもらいたいらしい。気がつけば顔が少々赤い。今注がれているのは二杯目だろうか。

「うーん、こういう場合はね……」

 と、しぃちゃんは右腕を大きく後ろへ引いて激しく前に突き出した。しぃちゃんのボディブローがタカビーのわき腹に突き刺さる!?

 ……と思ったけど、しぃちゃんの拳はタカビーのわき腹にちょっと触れる程度の距離で止まった。酔っていても距離間隔は正確である。このおかげでしぃちゃんは酔っていても誰かも怪我させることは一度も無かった。

 しかし見ているこっちとしては心臓に悪いのは変わりない。

「しぃちゃーん、なんで寸止めするんですかー。ちゃんと当ててくださいよー」

 亜由美もお酒は弱いようだ。しかしですます口調に変わりは無い。

「亜由美……。お前は俺が悶絶する姿が見たいのか」

「私だけ被害を受けるなんて不公平ですー」

 亜由美は首相撲で目を回されるという実害を受けているからな。

「そうだね、亜由美に迷惑かけちゃったね。ごめんね亜由美」

 しぃちゃんはふらふらと歩きながら、亜由美の側まで寄って、ぺたんと座り込む。そして亜由美の頭を優しくなでる。

「亜由美の髪ってさらさらしていて撫でがいがあるね」

「ありがとうございますー」

 礼儀正しく頭を下げる亜由美の首をしぃちゃんの両腕が再び捉えた。

「首相撲ー」

「うわあああっ、目が、目がー」

 今度はお酒が入っているから、物すごく目が回るぞー。

 それにしてもかわちゃんとけーま……、いつになったら帰ってくるのだろう?

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