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第二十六話 頑張ってと頑張ろう(三)

 人が二百人くらい入れる七月の教室に入り、しぃちゃんとはるちゃんと一緒に空いている席を探していると、黒板からだいぶ離れた席に私たちに向かって手を振っている人がいる。誰かと思ったらタカビーだった。

「うっ……タカビー……」

 豚殿念の前で怒られて以来、彼とは会ってはいなかった。決して避けていたわけではなく偶然である。というか自分を怒った相手を避けるという行為はあまり好きじゃない。

「タカビーの隣ちょうど三人分空いているじゃん。座ろう、座ろう」

 はるちゃんが私の悩みを無視してさっさとタカビーのところへ行ってしまった。

「ほら、かっちゃんも行くよ」

 仕方が無いので私はしぃちゃんに促されてはるちゃんの後を追った。はるちゃんはなぜかタカビーから席を二人分開けて通路側に座っている。

「私の隣はしぃちゃん、そしてその隣はかっちゃんね」

 はるちゃんが勝手に席順を指示した。つまり、私はしぃちゃんとタカビーの間に座ることになるのだ。

「はるちゃん……、私がタカビーの隣に座るの?」

 タカビーに気づかれないように、私は小声ではるちゃんに席の交換を求める。

「何を言っているのよ。逃げるのは嫌だから避けたくない、って言っていたのはかっちゃんじゃない。仲の悪さは話し合いで解決って、昔の偉い人が言っていたでしょ」

 確かに言ったけど、いきなり隣に座るのはな……。しかも後半の昔の偉い人の言葉。誰もが言いそうな微妙な言葉だなぁー。

 だからと言って逃げるわけには行かないので、私はお尻で椅子を叩きつける勢いでタカビーの隣に座った。

「『ミス文京大学』の話、聞いたぞ。夜まで立候補者の呼びかけをしていたそうじゃないか」

 この前高尾君と一緒に「ミス文京大学」の候補者を探していたことを言っているのだろう。しかし誰から聞いたのか。

「うん……、『一緒に頑張ろう』って高尾君に言ったよ。私が思っていたより彼、真剣で一生懸命だったから」

 私は素直にその時思った自分の気持ちをタカビーに伝えた。一年生はまだ大学生活が安定しておらず、後々のことを考えたら単位を多くとらなければいけない時期だ。かわちゃんが以前自治会入りを希望して断られたのもそれが理由である。

 その一年生のうちから文化祭を作ろうと思っている高尾君の意思に私は思わず感心してしまったのだ。

「……他のイベント企画のみんなにも同じように『一緒に頑張ろう』って言えるか?」

「うん……たぶん……」

 高尾君には感心したが、他のみんなにも言える自身はまだ無い。でもタカビーが怒ったのは私が悪かったというのは今までのしぃちゃんや明石先輩との会話で感じていることだ。

「たぶんじゃなくて、必ず言えよ。仲間なんだから」

 この前の怒ったときとは違う、優しい口調でタカビーは私に諭した。

「そうだね……仲間だもんね」

 次のミーティングでは開始早々「一緒に頑張ろう」と宣言しよう、と私は思った。きっと私の中で何かが変わるかもしれない。

「ところで話は変わるのだが……」

 タカビーが私だけじゃなくしぃちゃん、はるちゃんのほうにも視線を向ける。

「うん、どうしたの?タカビー」

 しぃちゃんが、机に顔をくっつけそうになるまで、頭を下げてタカビーを見る。

「その……申し訳ないのだが、この授業のノートを全部写させてくれないか? この時間中に全部済ませるから……」

 この授業のノートって十回分もあるじゃない!

「タカビー、ひょっとしてこの授業一度も受けていないとか……」

 はるちゃんが背筋を伸ばしてタカビーのほうを見る。タカビーはとんでもない、と手を振って。

「いや、さすがにそれはないが、六月に入ってから一度も受けていないな。今日は来週行われるテストについて何か聞けるかと思って来たのだ」

「六月からってことは六回分ね。いくら出席取らない授業だからと言って、一ヶ月も来ないのはどうかと思うよ」

 去年ははるちゃんが私としぃちゃんのノートを一生懸命写していた。そのころのはるちゃんは、この大学の教授であるお父さんと将来の進路のことでもめて、サボタージュを決め込んでいた。

 しかし私としぃちゃんが受けていた授業とはるちゃんが受けていた授業がほとんど同じだったおかけで、はるちゃんは単位を落としたのは一つだけである。

「六回分のノートを写すことくらいどうってことないだろう。それよりも姉小路のほうがもっとすごかったぞ」

「えっ、会長さんも授業をサボったことがあったの?」

 はるちゃんが目を輝かせながら声をあげる。

「ああ、あいつは一年生のとき一年で三回しかでなかった授業があったんだ。一回目は最初の授業。あとの二回は前期と後期のテスト。それだけで単位を取った」

「三回だけ出席して単位が取れるなんて、会長にはノートを全部写してくれる優しい友達がいたのね」

 私が去年のはるちゃんと私たちの関係を思い出しながら言うと、タカビーは首を横に振った。

「いや、その授業には彼にノートを移してくれる友達は一人もいなかった。彼はテストの三十分前に教室に来て、近くの生徒にテストの問題を聞いた。それだけだ」

「それだけで単位が取れるほど簡単な授業だったの?」

 しぃちゃんが小さく驚きの声を上げる。テスト前の三十分だけで単位を取れるなんていったいどういう授業なんだ。

「あいつが言うにテストの問題は前期後期両方とも『最近の日本社会の問題について思うところを述べよ』だったそうだ。それなら授業に出なくても、毎日新聞読んだりニュースを見ていたら分かることだろう」

「しぃちゃん、かっちゃん。私たちも来年その授業を受けようよ。タカビー、その教授と授業名を教えて」

 はるちゃんが授業中であることも気にせずに、腰を上げてちょっと大きな声でタカビーに尋ねる。しかしタカビーは哀れむような目ではるちゃんを見た。

「残念ながらその教授は、もう定年で大学を去った。だから今その授業はもう無い」

「なーんだ、せっかく楽が出来ると思ったのに……」

 はるちゃんがつまらなさそうに口を尖らせながら腰を降ろす。ダンスサークルをやっているはるちゃんは楽に単位が取れる授業を一つでも多く受けたいと必死である。

「それよりもうすぐ授業が始まるぞ、今までのノート俺に貸してくれ」

 そう言って左手を出す。文化祭実行委員長の威厳がまるで感じられない。まあもとからあまり威厳と言うものは感じられなかったけど……。

「授業中なんだから、先生にばれないように写しなさいよ」

 私ははるちゃんとしぃちゃんからノートを集め、自分の分とあわせてタカビーに渡す。

「大丈夫だって、先生から見たら真面目にノートを取っている先生にしか見えないから」

 タカビーはシャーペンを取り出すと、一斉に自分のノートに私たちのノートの内容を写す。凄いスピードだ。もしかしたらこういうの慣れているのかもしれない。

「タカビー……今までもこうして友達からノートを写して単位を取っていたでしょ?」

「よく分かったな」

 タカビーは私を見ずにノートに鉛筆を走らせながら答える。

「そりゃあね、その手馴れた手付きを見れば」

「ほらほら、かっちゃん先生が来たよ」

 しぃちゃんの注意を聞いて前を向くと、少しおでこの広い教授が教壇に上がるところだった。


「ほい、ありがとさん」

 授業が終るチャイムが鳴ると同時に、タカビーが私たちのノートを返す。タカビーの左ひじの下に、彼が書いたノートの束が敷かれている。

「えっ、ほんとにこの九十分で全部写したの?」

 私は驚きながらノートを受け取る。授業六回分のノート三人分合計十八枚はあったであろうノートをである。

「全て写したわけではない。大切そうなところだけを書き写した。全部なんか書いていられないからな」

「そうだよねー、いくらなんでも全部は写せないよねー、要領がいいよタカビーは」

 はるちゃんは納得の表情で自分のノートをカバンにしまった。

「もーう、タカビー。後期はちゃんと授業受けなさいよ。私たちをあてにして欠席しちゃダメだよ」

「文化祭が終るまでは当分欠席が続きそうだなー」

 タカビーは書いたノートをカバンにしまって立ち上がる。

「もーう、文化祭を言い訳にしない! 忙しいの覚悟の上で文化祭実行委員やっているんでしょう!」

「分かっているよ。これからテスト期間、それが終れば夏休みだけど、その夏休みが終ったら、俺たちはますます忙しくて授業に出る暇なんか無くなるってことだよ」

 すでにタカビーは私たちに背を向け教室の出口へと向かっている。

「授業が出られなくなるか……。はるちゃん、そのときはノートや代返よろしくね」

「うーん、文化祭が近付くと私もダンスで忙しくなるからな……」

 そんなしぃちゃんとはるちゃんのやりとりを聞きながら私は立ち上がるとタカビーに向かって叫んだ。

「タカビー!」

「なんだーかっちゃんよー」

 タカビーはゆるやかな動きで振り返る。

「これから忙しくなるけどお互い頑張ろう!」

「おう、頑張ろう!」

 タカビーは右手を高く上げると、教室を出て行った。

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