第十八話 眠い日
「ね、眠い……」
「眠いねー」
空はどんよりと曇り、溜めている水分の重さに耐え切れなくなった雲が、今にも水を吐き出すんじゃないか、と思ってしまうくらいの空模様である。
空に対してそんな風に思ってしまうのは、私自身が空と同じくどんよりとした気分だからだろう。なぜなら私としぃちゃんは昨日はほとんど寝ていないのだ。
「文化祭の話し合いで眠れなかったの?」
充分な睡眠を取ったであろうはるちゃんが、私たちの顔を見る。
「今までの報告をするだけで、午前三時……それからこれからのことを話し合って朝八時……。今思えば、なぜそんなに長く時間がかかったのか……」
しかも報告ではタカビーに企画グループの進行の遅さを突っ込まれてばかり。
朝ごはんを食べたら八時半、一限目の授業を取っている人は学校へ行く時間だ。
「お菓子食べたりとか、テレビ見たりとかしていて、だらだら続けていたからだと思うよ……」
なるほど、思い出してみればしぃちゃんの言うとおりだな。
「今度からきっちりとメリハリをつけないとね」
人の家で夜通しミーティングなんて初めての経験だったからどうしていいのか、分からない部分もあったけど、今後は気をつけないと。
「みんな今日は体調が悪いのか……」
はるちゃんがつまらなそうに口を尖らせる。
「みんなって……、他に誰か体調悪い人がいるのー」
しぃちゃんが目をしぱしぱさせながら尋ねる。眠いせいか語尾がなんだか投げやりだ。
「さっき明石先輩に会ったんだけど、昨日からお腹の調子が悪いんだって」
「お腹痛いのー? 最近流行の機能性胃腸障害かなー」
しぃちゃん、流行って風邪じゃないんだから、それにちょっと古いし。
「と言うわけで、私としぃちゃんは次の授業寝るので、はるちゃんノートよろしくね」
私はしぃちゃんの左肩に手を載せて力なくはるちゃんに告げる。
「別に寝るのは構わないけど、鼾とかよだれとか目立つようなことは絶対ダメだからね。かっちゃん」
「えっ、私鼾かくの?」
私は大きく目を見開いてはるちゃんを見る。はるちゃんは私を見つめると明るく微笑んで、
「驚いたでしょ? その様子なら目が覚めたみたいね」
「ちょっと、嘘だと言うのー!?」
「私だけ授業聞いているの嫌だもーん」
はるちゃんはそう言って教室へと素早く入る。私もはるちゃんの後を追いかけようと思ったけど……。
「ちょっと、しぃちゃん、私に寄りかかって寝ないでー!」
私の腕にしぃちゃんが頭をくっつけて眠っている。私の腕としぃちゃんの頭との角度は三十度くらい? こんな不安定な姿勢で眠れるなんてどれだけ眠いんだ。
眠いのは私としぃちゃんだけではなかった。
教室では先に入っていたかわちゃんとけーまが互いに頭をくっつけて仲良く寝ていたのだ。
「寝ているときまで仲のいいお二人だこと……」
はるちゃんが隣に座っても二人は気がつかない。反対側の隣には、しぃちゃんが目を瞑ったまま座り、その隣に私が座る。
「おい、馬鹿カップルー。もうすぐ授業が始まるぞー」
はるちゃんが周りに聞こえるか聞こえないかの小さな声で呟くと、けーまははっ、と大きく目を見開きはるちゃんを見ると
「馬鹿カップルじゃないといっているだろう!」
と、はるちゃんに抗議した。かわちゃんはまだ目覚めず、けーまの左肩に頭をくっつけ安らかな寝息を立てている。
「よし、起きたわね。かっちゃん、けーま。授業を受けるわよ。一列に四人も眠っていちゃ嫌でも教授の目に止まるでしょ」
しぃちゃんとかわちゃんは寝てもいいのか……。しぃちゃんは机に突っ伏して安らかな寝息を立てている。
やがてチャイムが教室中に響き、がっしりとした体格のパンチパーマの先生が入ってきた。
こげ茶色の板の上に黒い木目が走っている。どうやら私は寝ていたようだ。口を尖らせれば机にキスできるほど私の顔と机は接近していた。
「かっちゃん寝るなー」
はるちゃんが寝ているしぃちゃんの背中越しに私の後頭部を掴む。私はあやうく机に頭をぶつけそうになった。
「ちょっとー、はるちゃん。危ないじゃないのよー」
私がはるちゃんの手を払い、顔を上げるとはるちゃんは、手を振って見せた。
「ほーら、これでまた目が覚めた」
はるちゃん……、寝ているのは私だけじゃないよ。
「どうして私だけ起こしてしぃちゃんは起こさないのよ」
「しぃちゃんを無理やり起こそうものなら何されるか分からないじゃない」
ああ、納得。反射的にパンチをもらいそうだからな。
「けーまは眠くないのー?」
私ははるちゃんの向こう側にいるけーまに声をかける。彼は思いっきり目を開いて教授の話を聞いている。
「うんー? これを飲んだら目が覚めたよ」
けーまがバックから取り出したのは茶色の小瓶。ラベルには「タウリンマックス!」と青文字で書かれている。
「栄養ドリンク飲むなんてなんだかおじさんな感じがするなー」
はるちゃんがビンを取ってラベルに書かれている成分表を眺める。
「いやそれはおじさんじゃなくても飲むから。若くても徹夜で辛かったら飲むから」
けーまがはるちゃんからビンを素早く奪う。その勢いで、けーまの左肩に寄り添って眠っていたかわちゃんの頭が机の上に落ちる。しかし彼女は目を覚まさない。
「お、おい。真値、大丈夫か?」
「私は大丈夫だよー」
「いや、かっちゃんには言っていないから」
ちぇっ、騙されなかったか。
かわちゃんは口をもぞもぞ動かしながら気持ちよさそうに眠っている。
「ま、かわちゃんは置いておいて。若けりゃ徹夜なんか大丈夫でしょ。若いうちはどんどん無茶すべきだよー」
「そんなはるちゃんは徹夜しても平気なの?」
私が尋ねるとはるちゃんは自信満々の顔で私に顔を向けた。あ、嫌な予感がする。
「そんな体に悪いことするわけないでしょ!」
はるちゃん……。徹夜の経験が無いのはいいことだけど、今の話の流れとして自信満々に言うことじゃないよ……。
「結局おまえは何が言いたいんだ!」
けーまが私の心の突っ込みをそのまま表に出した。
「とにかく、若いんだから栄養ドリンクに頼らず、自分の体に頼りなさいってことよ。若いんだから自分で回復する力はあるでしょ」
なんか聞いているうちにはるちゃんが世話好きのおばさんのように見えてくるな……。
「それでも眠いのは眠いんだよ、時にはこういうものも必要なんだ」
けーまの声を聞いてしぃちゃんが突然目を覚ました。
「そうだね……、化粧水を頬に塗るのは必要だよね……」
しぃちゃんは寝ぼけて全く違う話をしている。しかし私たちの年を考えたらそろそろ無関係な話ではないのだけど……。
「そんなことないよ……。かっちゃんは化粧しなくても充分綺麗だよー」
しぃちゃんが私の心を読んだのか、目を薄く開けながら答える。
「そんなことよりしぃちゃん。いい若者が栄養ドリンクに頼る現状をどう思いますか?」
はるちゃんがしぃちゃんの目を覚まそうと、しぃちゃんに問いかける。
「栄養ドリンク? ファイトが一発からだの中に入るのならいいんじゃないのかな?」
しぃちゃんの上体が徐々に机から離れていく。お、眠気から解放されるのか? かわちゃんは相変わらずすやすやと、机に顔を横向けて眠っている。涎がちょっと垂れているぞ。
「ファイトー! と叫んで得意の右ストレートと放つのね、しぃちゃん」
私は右手を控えめに突き上げる。(授業中だからね)
「そうそう、それで大岩を砕いて……って。もーう、かっちゃん……」
珍しくしぃちゃんがノリツッコミをしたが、眠いせいか「もーう」に勢いが無い。
「分かった分かった。眠いのなら寝なさいしぃちゃん。よしよし」
しぃちゃんの頭を優しく撫でると、しぃちゃんは再び目を閉じて「うーん」と机に顔をくっつけた。
「しぃちゃんとかわちゃんの分も授業聞いておかないとね」
私は気合を入れて前を向く。
「でもずっとしゃべっていたから教授の話あんまり耳に入ってないよ」
う……、はるちゃん。痛いところ付くなぁ……。
「俺はちゃんとノート取っていたから後で写してあげるよ」
「ほんとですか? けーま様」
はるちゃんが目を輝かせながらけーまのほうを向く。
「その代わり二度と馬鹿カップルなんて言うなよ。事実俺たちは馬鹿カップルじゃないんだから」
けーまが目を細めてはるちゃんのほうを見てあまり説得力の無いことを言う。
「分かったわ、馬鹿カップルと言わないように善処して前進するように努力して対処するわ」
はるちゃんはまるで国会議員の答弁のような答えを返す。きっと約束は守らないつもりだろう。
こうして眠気と戦いながら一日の授業は終った。(しぃちゃんとかわちゃんはずっと寝ていたけど)。
「やっと今日の授業が終ったね」
「うん、これで堂々と眠れるねー」
しぃちゃん……。あれだけ眠っていたのにまだ眠いの? 私は逆に目が覚めちゃったけど……」
「あー、いた……」
そんな私たちに声をかけたのは、いつも眠そうな顔の亜由美だ。彼女も昨夜は徹夜していたから、今日はきっと本当に眠いと思う。
「二人とも授業は終わりですか? それじゃあ行きますよ」
「え、行くってどこへ?」
亜由美は小さくあくびをして、右目の涙をこすりながら答える。
「一号館の六階にある教室を借りました。そこで文化祭出展希望サークルとの面談を行います」
徹夜明けでも、眠くても亜由美は自分の役割をそつなくこなす。だから文化祭の理事会に途中参加できたんだけどね。
「ええっ、これから!?」
「そうですよ、一週間前から言っていませんでした?」
そう言うと亜由美は階段のほうへと歩き出した。
「ちょっと、亜由美。私たちはその六階のどこの教室か分からないよ!」
私は亜由美を追いかけようとした。しかし……。
「うわーっ、しぃちゃん寝ないでー!」
爪先立ちになり顎を私の肩に乗せて眠るしぃちゃんに動きを阻まれるのであった。