第十五話 選ばれし者
六月が近付いて来るにしたがって、肌を刺す太陽の光が強くなってきている。そんな光が降り注ぐ中を私としぃちゃんとはるちゃんは、大学の地下一階にある食堂へと向かっている。
「東都大学の文化祭楽しかったね」
私が真ん中を歩くしぃちゃんに声をかけると、しぃちゃんは可愛く微笑んだ。
「そうだね、私たちもあんなすごい文化祭が作れるといいねー」
「私もあんな舞台でもう一度踊れたらなー」
しぃちゃんの向こう側ではるちゃんが呟く。背の高いはるちゃんの顔に視界を合わせると、間を歩く背の小さいしぃちゃんの姿は見えなくなる。
「うーん、でもこの大学は外の敷地が狭いからなー」
確かにうちの大学は建物ばっかりだ。
「逆に建物が多いことを活かす企画を考えないとね」
螺旋階段を下りると、食堂の入り口が見えてきた。食堂は地下一階にあるけど隣が吹き抜けのテラスになっているのでまぶしい光が中まで入り自然光でも充分明るい。
「またとんかつ定食売り切れてるー!」
食堂が朝の十時からやっているという点を割り引いても売切れすぎだろう。初めから無いのならメニューに載せなければいいのに。
「こら、落ち着きなさいかっちゃん。とんかつ定食が無ければカツカレーを食べればいいじゃない」
「はるちゃん、あんたはどこぞの国の女王様か。革命起こすぞ」
と、はるちゃんに文句を言いながらも、私はしょうがなくカツカレーを買った。はるちゃんはエビピラフを買う。
「ねえかっちゃん、私思うんだけど、カツカレーもとんかつ定食も同じとんかつを使っているんでしょ? とんかつ定食が食べられなくてもカツカレーで充分だと思うんだけど……」
「ああん、もうはるちゃんは分かっていないなー」
サクサクしたとんかつの衣と水気のあるキャベツの千切りを同時に口の中に入れ、衣と豚肉、ソース、キャベツで送る味の四重奏を楽しむのがとんかつ定食の醍醐味ではないか。カレーでは衣がカレールーになじんでしまい、どうしてもカレーの味が勝ってしまう。
「と、言うわけよ」
「私にはどれもそれぞれの味があっていいと思うんだけどな……」
トレイにカツカレーを載せてしぃちゃんの待つ席へ向かうと、席にはしぃちゃんの他にもう一人、その人が食べているものは……。
「と、とんかつ定食」
私の目の前には「幻のメニュー」もしくは「存在しないメニュー」なはずのとんかつ定食が置かれていた。いつも売り切れなこの定食を食べる選ばれし者は誰であろう自治会の会長さんではないか。緑色のワイシャツを第二ボタンから開けている。
学生から選ばれし(といっても私はその選挙のことを知らなかったのだが)者が「幻のメニュー」を食べる。その一方で一般学生の私はカツカレー……。格差というものはこうしてできるのであろうか。深刻な社会問題だ。革命を起こすべきだ。
「どうした、このとんかつに何か問題でもあるのか?」
会長は私とはるちゃんを見て不思議そうに尋ねる。
「じつは会長さんが食べているとんかつ定食、いつも私たちが来るときは売り切れていて、本当にメニューとして存在するかどうか疑問に思っていたところなんです」
「そうだったのか、このとんかつ定食はいつも在庫が少ないからな。今日は俺が最後の一品だったようだ」
とんかつがそんなに減っていないところを見ると、私と会長がこの食堂に来たのはほんの僅かな差だったようだ。くそう、とんかつ定食……。
「会長さんはいつもとんかつ定食を食べているのですか?」
しぃちゃんが自分で作ったタコさんウィンナーをフォークに刺しながら会長さんに尋ねる。
「いつもではないが、とんかつ定食が食べたいときは必ずとんかつ定食を注文しているな」
必ず、と言うことはとんかつ定食勝率百パーセントということか……。選ばれし人間は違うな。
「会長さん、ここのとんかつ定食は美味しいですか?」
いつもとんかつ定食を食べられるくせに、まずいと言ったら承知しないぞ。
会長は箸を置くと、ふっと口元に優しい笑みを浮かべた。
「まあ美味い部類に入るな。豚殿念の味には適わないが……」
「ああ、豚殿念のとんかつは美味しいですね、会長」
はるちゃんが唾を飲み込み笑顔で応える。きっと頭の中に豚殿念のとんかつが浮かんでいるのだろう。
豚殿念とはこの大学の近くにあるとんかつ屋さんで、ここの学生の間では評判のお店である。はるちゃんも先輩とよく通っているらしい。
私としぃちゃんは、先日浅野先輩のおごりで初めてそのお店のとんかつを食べた。 肉が普通のとんかつより分厚くて、そのくせ口の中に入れると柔らかい肉の感触とともに肉汁がじわりと口の中に染み出てくる。衣も口の中でサクサクと音を立てるのが楽しい。今まで食べたとんかつの中で一番美味しいとんかつだったと言っても過言ではない。
「私もこの前初めて食べたんですけど、あそこはほんとに美味しいですよね」
しぃちゃんも豚殿念のとんかつを思い出したのだろう。左手を頬に当てて、嬉しそうな表情を見せる。
「三人とも、静かに」
不意にはるちゃんがテーブルを二回小さく叩いた。直後に食堂のおばさんがモップを片手に私たちの横を通り過ぎる。危うくデリカシーの無い行為をするところであった、と私たちはほっと胸を撫で下ろした。とんかつの話題はこれで終わりとなった。
「そういえば、私たち会長さんの名前聞いて無かったですね」
しぃちゃんが尋ねると、とんかつを噛んでいる会長の口が一瞬だが止まった。私はそれを見逃さなかった。きっと名前に何かあるに違いない。こういうときは彼と同じくおかしな名前を持つ(と私がそう思っている)自分から先に名乗ったほうが相手を安心させるものだ。
「ええと、私の名前はですね、御徒……」
「知っている」
と、会長は箸を置くと私、しぃちゃん、はるちゃんの順に手を差し出し
「御徒真知さん、椎名真智さん、伊井国遙さん、だろう」
自己紹介はしていなかったものの、何度か会っているので名前を覚えてしまったのだろう。(というかはるちゃんとは一回しか会っていないはずである)さすがは会長だ。選ばれし者はやっぱり違うな。(私は選んでいないけどね)
「そ、そうです。その通りです。略してかっちゃん、しぃちゃん、はるちゃんです」
「そしていよいよ俺の出番と言うわけか……」
会長が両手をテーブルについて座りなおす。そして私たちをしっかりと見てついに自分の名前を告げた。
「俺の名前は姉小路頼綱と言う」
「姉小路」
私としぃちゃんが同時に声を上げる。いつもの事ながら私がアルト、しぃちゃんがソプラノでお送りいたします。
姉小路と聞けば、なにやらお金持ちのイメージが頭の中に浮かぶ。ほら、家の敷地が東京ドームの何倍分もあって、(当然この大学よりも広くて)その庭には薔薇や百合の花が敷き詰められていて、愛犬のシェパードやラブラドール・レトリバーが楽しそうに走り回っていて……。家の中は何でもスィッチ一つで動いてご飯は有名レストランのシェフが出張して作る……。ああ、なんてリッチな生活なんだろう。
「……何を想像しているかは大体予想はつくが、残念なことに俺の家庭は普通のサラリーマンだぞ」
「そうですか、残念です」
会長の言葉に私は一瞬にしてその想像を消し去った。これで本当にお金持ちだったら革命ものだ。私はあやうくトランプの「三」を四枚用意して革命を起こすところであった。
「姉小路頼綱……」
はるちゃんは会長のフルネームを何度も呟いている。
「おや、君はちょっと違うことを考えているようだな」
「そうなの、はるちゃん?」
しぃちゃんが声をかけるとはるちゃんは、はっと我に帰った。そして私としぃちゃんを見るなり、私たちを咎めるように口を開いた。
「姉小路頼綱と言えば飛騨の戦国大名に決まっているじゃないの!」
「そう飛騨、今の岐阜県。姉小路と聞いて大方二人のような考えをするんだけど、君のように戦国大名を思い浮かべる人はなかなかいないんだ」
会長は笑みを浮かべる。はるちゃんの想像がよほど嬉しいのだろう。
「まあマイナーな戦国大名だからね。知っている人はそんなにいないと思うんだ」
それを知っていたはるちゃんはさすが日本史教授の娘である。
「テレビゲームにもよく登場するのに、そんなに有名ではないんですよね。弱小大名扱いだからかな?」
「そうそう、大体ゲーム開始からすぐに武田か上杉に滅ぼされるんだよな。たまに山国のせいか誰にも気づかれずに終盤まで生き残っていることもあるけど」
上杉……、確かしぃちゃんの実家のある米沢は上杉で有名だな。
「それでもいざ攻めてみたら弱小大名だけにあっけなく負けちゃうんですよね」
はるちゃんと姉小路会長の間で話が弾んでいるが、私にはついていけない。
「かっちゃん、歴史ゲームってやったことある?」
はるちゃんと姉小路会長を見ながらしぃちゃんが私に小声で呟く。そう言えば去年もこんなシーンがあったな。その時は話に夢中になっていたのはしぃちゃんだったが。
「ちょっとはやったことあるけど、誰が出ていたかなんて覚えていないよ」
話が弾む会長の前で、残されたとんかつの衣がしっとりとし始めている。もったいないけど会長の変わりに私が食べるというお行儀の悪いことはできない。
とんかつ定食に選ばれし人間はこういう贅沢なこともできるのか、と私は冷めかけたカツカレーを口にした。