第十二話 突撃!隣の文化祭(二)
「ダンスしていたから小腹が空いたよー。せっかくの文化祭だから何か食べようよー」
はるちゃんが、鉄板の上で跳ねる油の音に足を止める。
「えーっ、お昼にはまだ早いよ、はるちゃん」
まだ十一時になるかならないかではないか。
「一つのものを三人で分け合えばお腹は一杯にならないでしょ。多くの種類を食べれば文化祭の参考になるんじゃない?」
「なるほど、一人前を三人で食べればいいのか」
「そうだね、それならいろんなものが食べられるね」
「よーし、それじゃあ焼きそばを買うわよ。すいませーん、焼きそば一つ下さい」
はるちゃんは焼きそばの屋台を見つけると人をするりと交わしながら屋台の方へと歩く。あの身のこなしはダンスをやっているからかな。
「ほらー、しぃちゃんかっちゃんも来なよ。ここの焼きそばすごく美味しそうだよ」
私たちが追いついたとき、すでにはるちゃんはパックに入った焼きたての焼きそばを手にしていた。
「ああ、割り箸は三本でお願いします」
と笑顔で答えるはるちゃんだったが、
「……って私たちは決して貧乏ではないからね、勘違いしないでよ!」
といきなり右手に腰を当てて店員に叫びだした。
「ちょっと、はるちゃん何店員さんを威嚇しているのよ! すいません、ただのボケですから」
私ははるちゃんの前に出て店員さんに謝る。
「だってー、あの店員『何で三本なんだ』って顔をしていたのよ。失礼しちゃう」
「そうだね、せっかく美味しい焼きそばなのに、それじゃあ残念だね」
しぃちゃんは早くも焼きそばをすすっている。
「ほんとよ、焼きそばはおいしいのに」
はるちゃんは勢いよく音を立てて焼きそばをすする。まるで店員への不満を焼きそばにぶつけているようだ。
私たちは他の屋台のメニューも分け合って食べた。オムレツと焼きそばが合わさったオムソバ、焼き飯と焼きそばを合わせたそばめし。かけそば、もりそば、そばまんじゅう……ってそばばっかり。
食べ終わった皿や割り箸は数十メートルごとに設置されているゴミ袋へ捨てる。ゴミ袋の種類はただ「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の二種類に分かれているのではなく、「割り箸、串」、「再利用パック、紙皿」、「カン」、「ビン」、「ペットボトル」と細かく分類されている。
「このゴミの処理の仕方は参考になるね」
ゴミをまとめていく実行委員の姿を、しぃちゃんが携帯電話につけられたカメラで写真に撮っていく。
屋台を歩いているうちに、目の前に大きな真白い壁が現れた。レンガを積み重ねたものに画用紙を一面に貼り付けたもので、高さはしぃちゃん(身長一四七センチメートル)の倍はありそうだ。幅は……はるちゃん(身長一七一センチメートル)二人分かな。その壁の前には脚立やら小さな台やらが並べられている。
「これは一体何……? カンヴァス?」
私が見上げている隣でしぃちゃんがパンフレットに目を通す。
「美術部主催のお絵かきコーナーだって。みんながそれぞれ好きな絵をこの壁に描いて、それらをまとめて一つの作品にするらしいよ」
よく見ると、壁の隣には会議室でよく見られる長いテーブルが二つ。その上には様々な色の絵の具と筆が置かれている。
大きな紙にみんなで絵を描く――、今日は幸い晴れているけど、雨が降っていたらきっと紙が濡れてしまって絵を描くどころではなくなってしまうだろうな。
「文化祭がスタートしてまだ時間が経っていないから、誰も絵を描いていないんだね」
唯一壁の右端の下のほうに、自由を謳歌する二羽の七面鳥の絵が描かれている。
「それじゃあ、あの七面鳥の隣に何か絵を描こうか。どうせなら三人で協力して一つの絵を描こう!」
はるちゃんが張り切って絵筆を手に取る。しぃちゃんもゆっくりと絵筆を取った。私は気乗りしないまま絵筆を取った。
「それじゃあかっちゃんからスタート!」
「えっ! 私から!?」
「かっちゃん、頑張ってー」
しぃちゃんが微笑ましい顔で声援を送る。
二人がなんだかノリノリなので、しょうがないから絵を描こうと私は壁に絵筆を近づける。といっても何を描いたらいいのか……と、私は身近にあるものを頭の中へ総動員する。
すると頭の中に一頭の茶色い犬が……。そうだペルだ、ペルを描こう。私は絵筆を茶色の絵の具の缶に入れ、白の壁に力強く茶色の線を引いた。
そして五分後……。
「なに……それ?」
「その絵は動物かな」
私たちの目に表れたのは、茶色のとげとげした物体だった。ペル――犬のつもりで描いたのだが、描いた本人が見ても犬の形をしていない。足らしいものが五本ある。あ、よく見たらそのうちの一本は鼻だ。
実は私は絵を描くことが大の苦手なのだ。通信簿の美術の成績は技術ではなく、関心態度で点を稼いで三を取ったのがやっとだ。
「いや、これは動物ではないんだ……」
私は顔を赤くしながら、謎の物体を茶色で塗りつぶす。すると大きな茶色の円ができた。これは一体なんだろう、もう思ったことを言うしかない。
「み、味噌……」
「味噌!?」
はるちゃんが疑いの目を私に向ける。
「えー、味噌はないよ、かっちゃん」
しぃちゃんが小さく文句を言う。そうだよね。いくらなんでも味噌はないよね。私は茶色の丸い物体を黒の丸で囲み、その円の両端から線を一本ずつ下に引いた。
「み、味噌汁の鍋!」
これが精一杯だ。私は鍋の部分を緑色に塗って、力強く絵の完成を叫ぶと、はるちゃんの右肩を叩いた。
「はるちゃん、パス!」
「よっしゃ、まかせて。私はこう見えても美術の成績は五だったんだから」
そういうと、はるちゃんはしぃちゃんの顔を見て。
「しぃちゃんにモデルになってほしいな」
「えー、私がモデルになるの? 恥ずかしいよ」
しぃちゃんの頬がほんのり赤く染まる。
「いいからいいから、七面鳥の絵の前に立って」
はるちゃんに誘われてしぃちゃんは手をもじもじさせながら七面鳥の前に立つ。
はるちゃんは絵筆を手に取ると、しぃちゃんを見ながら小さな茶色い円を描いた。そして右手を腰に当てて
「味噌!」
と叫んだ。
「ちょっと、はるちゃん! しぃちゃんを立たせた意味が無いじゃない!」
「かっちゃんの言うとおりだよ。それともこの味噌が私だと言いたいの?」
しぃちゃんが味噌か、なんかすごくパンチが効いていそうだ。
「嘘よ、これからが本番よ」
はるちゃんはそう言うと、黒の絵筆を手に取り、様々な線を描き始めた。やがてその線がしぃちゃんの顔になる。
「味噌汁を作っているしぃちゃん」
さすが美術が五を取ったはるちゃんだ。彼女は見事にしぃちゃんの頭部と、手、味噌がのった「おたま」と味噌を溶かそうとする箸を完成させた。
「さあ、残った体の部分と、味噌汁の具はしぃちゃんが描いて」
「すごいよ、私にそっくり……。ありがとうはるちゃん」
しぃちゃんははるちゃんから絵筆を受け取ると、まだ描かれていない自分の体を描き始めた。
そして十分後……。「台所で味噌汁を作るしぃちゃん」の絵が完成した。しぃちゃんも絵を描くのが得意だったようで、はるちゃんのそれと匹敵している。私の無様な味噌汁から、よくぞここまで描いてくれた。と、私は二人に感謝した。
「お味噌汁の具は定番のわかめと豆腐にしたんだ」
しぃちゃんが私の描いたお味噌汁の絵を指差した。
「そうね、まさに定番の味噌汁ね。だけど何かが足りないな……、もう一つ具を付け足そう」
そう言って、はるちゃんは絵筆を白い絵の具の缶に入れると、味噌汁の絵に白い物体を付け足していった。
「はるちゃん、その白い物体は何?」
「鳥肉よ、と・り・に・く」
ああ、鶏肉か。味噌汁の中に入れるなんてあまり聞いたこと無いけど。
「鳥と言っても鶏じゃないわよ。他の鳥の肉よ」
はるちゃんの目がなんだか楽しそうだ。
「他の鳥?」
はるちゃんは絵筆を私たちの描いた絵の隣にある七面鳥の絵に向けた。
「し、七面鳥の肉?」
私としぃちゃんが驚きの声を上げる。いつものことながら私がアルトで、しぃちゃんがソプラノだ。
「そうよ、七面鳥よ。哀れこの二羽の七面鳥は、せっかく檻から逃げて自由になれたのに、しぃちゃんに捕まって味噌汁の具になったのよ」
「もーう、はるちゃん。せっかくいい絵が描けたのに、そんな変な話を作らないでよ」
しぃちゃんが七面鳥の肉を味噌汁で潰していった。
「だってこのコーナーのコンセプトって、いろんな人が描いた絵を合わせて一つのアートにするんでしょ? 七面鳥の絵とこの絵に関連性を持たせるのなら、彼らを味噌汁の中へ入れてあげないと……」
「そんなかわいそうな関連付けはいらないの!」
「やっぱり、しぃちゃんだから銃や投げ縄は使わず素手で捕まえるんだよね」
私の頭の中には自由を謳歌していた二羽の七面鳥がしぃちゃんの放つパンチに倒れていく姿が流れている。続けて倒れた七面鳥の足を掴み自宅へと引きずる、たくましいしぃちゃんの姿が映し出された。
そして七面鳥の毛をむしってぶつ切りにして……。って残酷だな、私は自分自身の想像に背筋を寒くさせた。
「もーう、かっちゃんまで!」
しぃちゃんは七面鳥の絵に何かを書こうとしたが、手を止めて私とはるちゃんの方を見る。
「この二羽の七面鳥は、私の作ったお味噌汁が食べられることを喜んでいるの、そういうことなの!」
「分かったよ、しぃちゃん。しぃちゃんの言うとおりだよ」
これ以上しぃちゃんに逆らったら、しぃちゃんのパンチに倒れるのは七面鳥ではなくて私たちになってしまう。
そして足を掴まれ、自宅へと引きずられ……。……ものすごく怖いことが起こりそうなので、想像はこのへんでやめておこう。
「そんなことより味噌汁の絵を描いていたら、お腹が空いてきちゃったよ」
はるちゃん、さっきまでいっぱいそばを食べていたじゃない……。と思っていた私だったが、不思議なことにお腹が空いてきた。味噌汁は別腹なのだろうか、そんなのは聞いたこと無いけど。
十二時を告げる鐘の音が、私の空腹感をさらに増していくのであった。