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鶴亀ヘルズプレリュード(中)

※前回のあらすじ!

親友の深雪に誘われてカラオケに来ちゃった小雪ちゃん。

しかし一曲歌う間もなく、フロアに響くは銃声賛歌!

とりあえず体勢を整えて立ち向かおうとする深雪、一方小雪のSAN値はゼロ寸前!

どうなる、2人!

どうなる、強盗団!

どうなる、ドリンク無料券!

 ──くそっ、兄貴がしっかりしてりゃ、今頃札束片手に釜山へひとっ飛び中だったってのによ!

 強盗団の一員、梶岡篤は自分の不運を嘆いていた。

 ──なんでこの俺が、こんな安っぽいカラオケ屋に立て籠んなくちゃいけねえんだ? サツと肩組んでJポップでも歌えって言うのか!?

 自嘲的な文句を思い浮かべながら、AKと呼ばれるアサルトライフル(彼自身は銃にはあまり詳しくないので、「俺と同じイニシャルなんだな」程度の思い入れしかない)を携えて、廊下を突き進む。

 仲間の1人が、こちらに逃げた客の姿を見たというのだ。なら見た奴が追いかけろよと言いたいところだが、一番の下っ端であるために文句など言えるはずもない。──まったく、ツイてねえぜ!

 悪態を突きながら、一応は客の反撃を恐れて慎重に進む。廊下の角を曲がると、そこは「Staff_Only」と書かれた扉を除けば何もない袋小路であった。となると、その客とやらは扉の中にいるに違いない。

「おい、中にいることは分かってんだ! 観念しやがれ!」

 小銃を構えて啖呵を切る。威嚇というよりは憂さ晴らしと言ったところだ。

「嫌っ、やめて! 来ないで!」

 だが扉の向こうから帰ってきた声に、梶岡の顔色が変わる。女だ! それも若い。高校生か大学生くらいだろう。思わず顔がにやつきだす。

 半ば祈るような気持ちでドアノブを捻る。──これでブスだったらマジぶっ殺すぜ!

「手を上げろッ」

 蝶つがいがもげるのではないかという勢いでドアノブを引いた瞬間、梶岡の思考が一時停止を迎えた。

 中にいたのは女が1人。服装を見れば高校生のようだが、容姿の美しさはひと際目を見張る物がある。切れ長の目、色っぽい唇、すとんと落ちる長髪、肉付きの良い体、しなやかな肢体、どこを見ても一級品そのものだ。こんないい女、風俗にだってそうはいない!

「撃たないで……、お願い……」

 少女が目に涙を浮かべ、懇願する。彼女を知っている者なら「あの鶴丸深雪が媚びている!」と驚いたことだろう。

 ところで、兄貴分たちの命令では「抵抗する奴は射殺し、大人しそうな奴は人質として連れてこい」との事だが、今の梶岡にはそのどちらも採用するつもりはなかった。

 ──散々な一日だったが、とうとう俺にも運が回ってきたぞ!

 ぎらついた目で唾液を呑み込む。

 ──どうせ兄貴たちに渡せば二度と俺の物にはならねえんだ。そんな勿体ねえ事できるか! 思う存分味わってやるぜ!

「大人しく言う事聞けば殺さねえでやるよ。まずはその服、全部脱ぎな」

 本当は自分の手で有無を言わさず全部ひん剥きたかった。だが、こんな状況で小銃を手放すわけにはいかない。それに、“前座”で多少興が殺がれても、“本番”で十分満足できれば何の問題も無い!

 命じられた深雪が、嗚咽を漏らしながら靴を脱ぎ、靴下を脱ぐ。まずはどうでも良い所から脱ぐと言うのは、梶岡から見ても妥当な所であった。

「あまりもたもたするなよ。俺は気が短ぇんだ」

 梶岡が銃口をチラつかせて急かす度に深雪は「ひっ」と声をもらし、その手を早める。ブレザーがぱさりと床に落ちた。

 一方、梶岡は気が気でなかった。すぐにでも“御馳走”にありつきたいという念もあったが、それ以上に今この場面を兄貴分たちに見つけられては面倒だ。

「早くしろ!」

 ブレザーを脱ぎ終わった深雪に、声をひそめて叫ぶ。

「死にてえのか!」

 その脅しに、深雪は速やかにシャツとスカートを脱いだ。その白い肌が梶岡の情をかきたてる。

「嫌、もう止めて……」

 だがここに来て、顔を真っ赤に染めた深雪が下着姿でしゃがみ込む。

 ──なるほど、流石に下着を脱ぐ度胸はねえってか。見た目に反してウブな奴だ、が、ますます気にいったぜ。

 ついに梶岡が動いた。ここまで来たら、いっそ自分の手で脱がせてしまおう。その方が時間も短縮できるし、何より楽しめる。

「いいか、楯突いたら容赦しねえからな?」

 脅し文句を吐きながら梶岡がすぐ傍の開いた段ボール箱にアサルトライフルを放り出した、その時である。

 ……不意に携帯電話の着信音が鳴った。梶岡からでもなく、深雪が脱いだ服からでもない。シンクの下から聞こえてくるのである!

 瞬間、シンク下に隠れていた小雪の心臓が一気に縮みあがった。襲いかかる発作、止まらない痙攣、つま先から徐々に生の感覚が消えていき、手に握った深雪の銃がいやに質量を増していく。

 その着信音は、母親からの電話を意味していた。近隣で強盗事件が発生した事を臨時ニュースで知り、娘の安否を確かめようとしたのだろう。何と言う皮肉だろう! 娘を心配する親の心が、今、その娘を冥府の底へ突き落とそうとしているのだ!

 すぐにでも音を止めなくちゃ、そう分かっていても小雪の手は拳銃を離れない。今この手を銃から離せばその瞬間にでも落命するだろうという自己暗示にかかっているのだ。小雪の事を思った深雪の気遣いが、更に事態を悪化させる。

 無論、これを梶岡が不審がらないはずがない。この女だけじゃない、この部屋にはまだ誰かが隠れていやがる!

 色欲に駆られて緩みきっていた梶岡の警戒心が急に引き締まった。──誰か知らないが、出てこいと言って出てこなかったんだ、ぶっ殺しても文句は言えまい! 死人に口なしって言うしよ!

 即座に小銃めがけて梶岡の手が伸びた、が、不意に伸びた別の手が過たず梶岡の毒手を捕えた。

「──あたしじゃ不満なわけ?」

 その手が目前の女、今の今まで自分に怯えて服を脱いでいた女の手だと、梶岡はすぐには呑み込めなかった。錯覚。そう、錯覚だ。否、まるで目前の女そのものが外見だけを残して別人にすり替わったような錯覚に、彼は飲みこまれた。

 豹変の「豹」は女豹の「豹」。怯えた子猫ごっこはもうおしまい。爪を研ぎ、牙を剥き、被った猫をかなぐり捨て、深雪の心が「豹」へと「変」わる。

「こんないい女ひん剥いておいて、何が不満なわけ!?」

 咆哮と同時に放たれた膝蹴りが梶岡の股に牙をむく。

「がぁっ!?」

 その痛みに耐えかねた梶岡の膝が床に着いても、女豹の反撃は止まらない。目前にうずくまる下衆野郎を蔑むと、その頭頂部の髪を掴み、

「だから見る目のない男って嫌なのよ!」

 床に打ちつけんとばかりに振り下ろす、と、同時に振りあげた右膝が梶岡の額を捕えた。──下衆野郎プレスサンド、いくらバンズが良くても間の肉が腐ってちゃ、客には出せそうもないわね。

 そのまま半ば意識の飛びかけた下賤で解せない下衆野郎を、壁に打ち付け、とどめとばかりにその後頭部にもう一発ニーキック。壁と熱愛ディープキス。──あんたが脱がせたんでしょ? これがケジメのつけ方よ。アンダースタン?

 壁よりずり落ちた下衆野郎、壁に残った鮮血模様、床に転がった誰かさんの前歯を深雪の悪意がシンクに流す。

「ま、今日はこれくらいで許してやるわ。あー、あたしってば優しい」

 戯言を唱えながら髪をかきわけた。久々の泣き真似だったので通じるかどうか少々不安だったが、相手が見る目のない男だったのは不幸中の幸いと言った所だろうか。

 兎も角、何とか危機はひとまず乗り切ったと一安心。急いで服を着こみ、清楚な女を演出するために外しておいたピアスやチョーカーを身につける。

 身だしなみを一通り整え、いつもの「鶴丸深雪」に戻ると、シンクの方へ

「小雪、もういいわよ」

 と声をかける。しかし不思議な事に、返事も来なければ扉も開かない。

「小雪? 小雪ってば。もういいって。ねえ、聞こえてる? おーい」

 ノックをしても無反応。だがあまりぼやぼやしていて、この下衆野郎の仲間が来られてもつまらない。

「一体どうしたのよ? 開けるわよ?」

 そう言って、深雪はそっと扉を引いた。その瞬間、顔を出したのは無二の相棒である小雪、ではなく、つい数分前まで自分が振りかざしていたはずの銃口、そして──


 携帯電話の着信音が鳴ってからというもの、小雪の感覚は最早ほとんど失われていた。何がどうなったのか分からない。もしかしたらもう自分は、居場所を悟られて射殺されたのかもしれない。

 何も見えないのはここがシンク下だからなのか網膜がもうないからなのか、何も聞こえないのは自分の心臓が煩いからなのか鼓膜がもう失われてしまったからなのか、どんなに頭をまわしても少しも分からなかった。ただ、手に握った実銃の感覚だけが、やたらと生々しく感じられた。

 外で何があったのかは分からない。深雪が生きているのか死んでいるのか、救助が来たのか来ていないのか、自分はまだ生きているのかもう死んでいるのか、何一つとして分からない。

 脚の感覚が分からない。何をして良いのかも分からない。今がいつで此処がどこかも分からない。分からない、分からない、何が分かっていて何が分からないのかも、気がつけばもう分からない。

 瞬間、光が差し込んだ。破られた、最後の防衛。

『でも、もしあたしも駄目になったら、最後はこれで自分の身を守って』

 脳裏に反芻された深雪の言葉。

『引き金を引けば弾が出る、それだけ覚えておけば十分よ』

 昨日まで人殺しの道具と忌み嫌っていたはずのそれを強く握りしめる。

『大丈夫よ、あたしを信じて』

 恐怖に震える手、瞼がギュッと視界を遮る。

『小雪、あんただけでも生き残るのよ』

 最後に引き金を引かせたのは、その禁じられた一線を越えさせたのは、親友深雪の後押しであった。叩かれた肩の感覚が蘇る。それはまるで撃鉄の如く、小雪の中にあった生存本能に火を灯し──

「来ないで!」

 気がつくと指が引金を引いていた。

 気がつくと銃が硝煙を吹いていた。

 気がつくと瞳が視界を映していた。

 気がつくと──


 ──目前に、深雪がいた。




 文字に起こせば「反射」の味気ない二文字で説明できてしまうのは、少しばかり癪という物だ。

 実際、「あたし以外の者ではこうはいくまい」と言い切れるだけの事をした、という自信が深雪にはあった。

 銃口がこちらに向いていると分かった瞬間、小雪が目をつぶっていると分かった瞬間、反射的に深雪は体を捻って銃口の直線上から身を退けていた。もしコンマ数秒でも遅れていたらどうなっていたか、それは想像したくない。

 何よりショックだったのは、自分を撃ったのが小雪だったという事。それも、もし回避に失敗していたら死んでいたであろうというきわどいコースでの射撃だった事。

 ──死にかけた。

 遅れてやってきた恐怖。いくら気丈な深雪だって怖いという感情はある。先の下衆野郎は恐れるに足らない存在であったが、今は違う。何せ撃ってきたのは小雪なのだ、あの小雪なのだ!

 もしかしたら自分たちは、今、何か大切な物を失うかもしれないという極地に立たされている、そんな恐怖が深雪の中を駆け抜けた。モップやバケツの嘲笑が聞こえた気がした。

 一方、小雪はまだ自分が何をしでかしたのか、理解できずにいた。何が起きたのかも、何でこんな事になったのかも理解しきっていないのだ、無理もない。ただ、1つだけはっきりしている事がある。

 ──撃ってしまった。深雪ちゃんを、撃ってしまったのだ。

「あ、ああ……」

 震えた声が喉より漏れる。何か言わなくちゃと声帯は震えているのに、肝心の舌が紡ぐ言葉を決めかねている。

「小雪──」

 深雪の手が、そっと銃口を下げさせた。その途端、呪いから解放された小雪の指が銃より崩れ落ちた。

 だが、それが意味するのは安堵より来る弛緩ではなく、新たな恐怖に対する痙攣。自分は深雪を撃ってしまった、その罪の重さが小雪の心臓を強く掴む。今にも握り潰されてしまいそうな力に、上手く呼吸できない。

「あ、あ……、ああ……」

 怯える小雪の顔に、深雪の手が伸びていく。それはスローモーションの如く、今まで何度も身慣れてきた光景のはずなのに、強盗よりも、凶弾よりも、ずっとずっと小雪の恐怖心をかきたてた。

 殺そうとしてしまったのだ。自分は深雪を、身を呈して守ってくれた深雪を殺そうとしてしまったのだ!

『あたしを信じて』

 ゾッとするほど蘇った深雪の言葉がまたたく間に小雪の思念を侵食する。「どうして信じてくれなかったの?」と響く架空の怨念、「どうして信じてあげなかったの?」と渦巻く良心の呵責。

 深雪の指が小雪の顔、頬に触れる。ぴくんと筋肉が痙攣をおこし、体が震えあがる。すぐにでも謝りたい、ごめんなさいと言いたい、なのに言葉が上手く紡げない。分かってる、自分のした行為がそんな軽々しく許される物ではないことくらい──

「──、安心して、もう大丈夫よ」

 深雪の顔に浮かんだ柔和な笑みが、小雪の畏怖を撃ち抜いた。

 蛇のように体中を這いまわり、体を、喉を、心を雁字搦めにしていた恐怖心が、その笑顔に溶かされ消えていく。

「深雪ちゃん、私、私──、深雪ちゃんを──」

 撃ってしまった、信じてあげられなかった、謝るべき事はたくさんある。しかし、どの言葉が出るより先に、

「大丈夫。あたしは大丈夫だから」

 深雪が小雪をそっと抱きしめた。その抱擁が暖かくて、その優しさが嬉しくて、弱い自分が情けなくて、小雪はそっとその腕に身を投げた。

「ごめん、ごめんね、深雪ちゃん、ごめん、ごめんなさい、ごめんなさい……」

 抱かれた衝撃で壊れた涙腺からぼろぼろとこぼれ落ちた涙が、深雪のシャツを静かに濡らす。

「大丈夫、大丈夫よ。怖い思いさせちゃったわね。もう大丈夫、もう離れないから」

 泣きつく小雪を受け止めて、人知れず深雪は安堵していた。

 「悪夢は終わったのね」と胸をなでおろし、「いつもの小雪に戻ってくれたのね」と息をついた。

 思えば、今日だけで何度彼女を振りまわしてしまったか分からない。カラオケ屋に誘った事、銃撃戦に巻き込んでしまった事、銃を押し付けた事、隠れていろと突き放してしまった事。

 その末に小雪はあんなにも無残に壊れてしまったのだ。人を傷つける事が大嫌いな小雪が、人を撃ってしまうくらい歪んでしまったのだ。その原因を作ったのは言わずもがな自分自身である。

 むしろ、銃口を向けてくれたのが自分で良かった。今なら撃たれても良かったとすら思える。それだけの傷を小雪の心に負わせてしまったのだ、ケジメの付け方としては上等だろう。

 兎に角、元の優しい小雪に戻ってくれた、それが嬉しかった。彼女をあんなに歪んだ状態まで追い詰めてしまった自分が憎かった。情けなかった。蹴りたかった。──そこの下衆野郎にも劣る馬鹿野郎だよ、まったく!



 小雪の感情の波が収まるまでの数分、2人はずっとその部屋にいた。梶岡が起きなかったのは本当に幸いだった。

「小雪、そろそろ行くわよ。準備は良い?」

「うん」

 小雪の目には、深雪が好きな自信の色が戻ってきつつあった。

 確かに現状はまだまだ安心できる物ではない。例の強盗団も何人いるかも分からない。しかし、最も大切な物を取り戻した今の2人に、少なくとも迷いや諦めはなかった。

 生きて帰るのだ、この地獄から、2人で。その方向性が見えただけでも、二度と見失うまいと決意できただけでも、十分な前進である。

 銃は深雪が持つことにした。当たり前だ、扱いに慣れた者が持つ方が良いに決まっている。先のあれは明らかに深雪の判断ミスであった。

 ただし、梶岡が持っていたアサルトライフルは置いていく。2人とも扱いを知らない以上、持っていても重いだけで邪魔なだけである。

「あたしが先に行くわ。小雪は一応周りを見渡して、何か見つけたらすぐに教えて」

「分かった。……ねえ、深雪ちゃん」

「何?」

「一緒に、その、一緒にここを出ようね」

 その言葉に、一瞬深雪は変な顔をしたが、すぐに笑った。

「何を今更。大丈夫、あんたを置いて行ったりなんか出来ないわよ」

 廊下を突き進み、角で止まる。入口付近には3人の男がいるのが見えた。小銃を担いでいる事から、侵入者の一団と見て間違いなさそうだ。

「おい、古井と梶岡は行たか?」

 リーダー格と見えるオールバックの男が残りの2人の顔を見渡す。

「さあ。上の階の方から銃声がしますから、きっと上でぶっ放してるんじゃないんすか?」

 と答えたのは、どう見ても一番格下そうに見えるチンピラ。たぶんアレはここ数年歯磨きサボってるわね、と深雪は勝手に結論付けた。

「あまり戦力が分散してるといざって時に困るだろ。警察と戦争する可能性だってあるんだぞ。俺はここを見張ってる、お前ら、ちょっと上の階を見てこい」

「へ、へい」

 こうして下っ端2人がエレベータで上へと上がって行く。これは言うまでもなく、小雪と深雪にとっては好都合だった。

 先ほど深雪がのした相手が古井と言うのか梶岡と言うのか、そんな事は小雪たちの察する所ではないが、たぶんどちらかなのだろう。深雪に散々蹴られ、前歯まで折られ、仲間からも現在位置を把握されていないとなると、下衆ながら不憫な物である。

 いずれにせよ、その不憫な下衆(まあ、梶岡なのだが)が、復活するのは時間の問題である。そうなれば挟撃を受ける事になり、いくら深雪でも受けきれない。──て言うか、どっちかって言うとあたし、攻める方が得意だから!

 何のことを考えているのかはさておき、

「あいつが後ろを向いたらカウンターに潜り込むわよ、小雪。いい?」

「うん、大丈夫」

「よし。たぶんカウンターの後ろにスタッフ部屋があるはずよ、そこに入ればしばらく時間を稼げるし、もしかしたらスタッフ用裏口があるかもしれないわ」

 その言葉に小雪の目の色が変わる。出口、それは今この状況において2人が、いや、人質とされた人間全てが何より望んでいる物であろう。その糸口にとうとう手が伸びようとしているのだ。興奮と緊張が高まって行くのを、小雪は人知れず感じていた。

「……早く後ろ向いてくれないかしら」

 化粧用の手鏡で正面ホールの様子を伺いながら、深雪が悪態をつく。

「こんないい女を待たせるなんて、男としては赤点ね」

 後半については冗談交じりかもしれないが少なくとも前半、特に『自分をいい女だと信じて疑わない節』については本物なのである。

 一方、小雪は深雪の指示通り、常に自分たちがいた用具入れの扉を見つめていた。深雪が前方を注視している以上、後方偵察は自分の仕事と認識しているのだ。

 ──もう任せっきりの守られっきりなんてもうたくさん。もし深雪ちゃんが許してくれるなら、私だって深雪ちゃんの力になりたい。

 深雪の手を握る己の左手にも自然と力が入る。

「小雪、今なら行けそうよ。準備オーケイ?」

「──うん、いつでも大丈夫」

 必然的に握っていた2人の手が離れる。お手手つないで戦場ピクニックはマナー違反。第一、手なんかで繋がっていなくても──

 ──信じるんだ。今度こそ、深雪ちゃんを信じなくちゃ。

 ──お願いだから、小雪、最後までついて来て。

「上等、行くわよ!」

 2人の足取りが決意に固まる。5mの廊下がいやに長く感じた。まるで二度と抜けだすことの出来ないような、無限地獄の入口の如く。

 ──入口? 違うわね、もう中よ。

 自己の内にあった恐れの感情に、深雪が釘をさす。

 ──しかも戻っても入口なんてそこにはない。出口を探すより他はないわ。

 上の階から聞こえる銃声が、2人の足音と息使いを飲みこんで虚空へ消える。あの下品な銃の笑い声が、皮肉にも今は2人の味方なのだ。

 フロントにいるオールバックのリーダー格は、携帯電話を片手に誰かを話をしている。もう片方の手には小銃、視線の先にはガラスの向こうの警官隊。正面の扉には防犯シャッターが下り、外からの警官突入を拒んでいる。全然“防犯”の意味をなしていない、これじゃまるで“共犯”シャッターではないか!

 しかし、そのリーダー格の男が外を注視している点については、2人にとってこれ以上ありがたい事もない。よく考えてみれば妥当な判断だ。警官隊に囲まれておきながら、その天敵に背中を見せ続けるなんてナンセンスそのもの。増して「1階は既に制圧完了している」と思いこんでいるなら尚更だ。

 カウンターまでは現在位置から数メートル。何の問題もない、何の問題もない距離だ! 行ける! と深雪、心中でガッツポーズ。

「深雪ちゃん」

「ええ、行くわよ」

 2人は廊下の影からホールに踏み入れた。下手にリーダー格の男を刺激するような真似はしない。君子危うきに発砲せず、である。

 足音を殺し、息を殺し、気配を殺し、2人は栄光の退路を突き進む。リーダー格の男が振り返る気配はない。

 不意に深雪は、表の方を見た。男の向こうに降りたシャッターが見え、さらにその奥には無数の警官隊が取り囲んでいる。

 ──おい、低偏差値女。

 誰かが笑った。

 ──気づいてねえのか? お前、丸見えだぜ。

 いや、誰かではない。自分だ。正面ウィンドウに映った自分の影が、逃避行の真っ最中だった深雪を指差し大笑い。

 その刹那、リーダー格の男が血走った眼で振り返った。窓ガラスに映った2人の影を見て、まだ1階に誰かがいることに気づいてしまったのだ。

 ──こういうの「頭隠して尻隠さず」って言うんだよな。あ、いや、「姿隠して影隠さず」の方が正しいか?

 下品に笑う自分の影をバックに、男が小銃を構える。撃たれる! そう直感した深雪、

「小雪、走って!」

 言い切る前には、小銃が火を吹いていた。リーダー格の男も必死だ、狙いを定める前から既に引き金を引いていた。

 えぐられた壁の傷が2人に迫る。小雪が床を蹴った。いつになく素早い反応、生き残るのに必死だった。深雪もそうだ。このリーダー格も男も同じ。

 3人とも生存本能を露わに生きている、もっと生きたいと必死に戦っている、ただその指針が違うだけ。深雪は逃げ、小雪はその後を追い、男は2人を殺そうと躍起になる。

 深雪は牽制に2発の銃弾を撃ちながら、カウンターの裏側に飛び込んだ。半テンポ遅れて小雪が舞いこみ、男の視界から完全に2人の姿が消える。

『クソッタレ、ぶっ殺してやる!』

 銃が男の手を構えて、銃弾と銃声で品のない啖呵を切り、

「おい、出てこい!」

 男が銃を構えて、威嚇射撃と共に脅しをかける。

「じゃあ聞くけど、素直に出たらどうする? ケーキでも奢ってくれる?」

「その生意気な顔に風穴開けてやるぜ!」

「ドーナツは結構。ここ最近食べてばっかで、ちょっと食傷気味なのよね」

 深雪は軽口を叩きながら携帯電話を取り出し、素早くメールを撃ち始めた。日頃から小雪を始めとする友人間で培った必殺早打ちタイピング、女子高生の標準装備である。これはヤーさんには真似できまい!

「ところでおっさん、煙草とライター持ってない? 丁度切らしちゃってて、苛立ってるのよ」

「死ぬのに煙草なんていらねえよ」

「ここで死ぬのはあんたの方よ。だから貰っておいてあげるって言ってるの」

「なんだと、この餓鬼!」

「あはは、ジョークが分からないの? ほんっとナンセンスな男ね、そんなだから囲っておいた女も他の男に寝取られるのよ!」

 その言葉に男の思考が沸点を迎える。深雪としては単なるあてずっぽうな文句だったのだが、実はこの男、半月前に愛人に逃げられたばかりだったのである。むしろその反動で自暴自棄になり、今回の強盗事件を起こしたと言っても過言ではない。

 一方で完全に置いてきぼりを食った小雪は、ただ目前で楽しそうに挑発を続ける深雪を唖然とした顔で見ていた。まるでマシンガンの如く啖呵を切る深雪は、目を爛々と輝かせており、先ほど自分に見せてくれた笑顔が嘘のようである。鶴丸深雪百面相、様々な顔を持つ女。

 とその時、メールを“撃ち終わった”深雪は急にブレザーを脱ぐと、それを開いた携帯電話と一緒に小雪へ投げ渡した。

 なんだろう、と小雪が携帯電話の画面を見る。

『☆リクエスト to 放送部の亀沢ちゃん☆ 1.そこにあるビニール傘でこの制服を高く掲げる。 2.最寄りのいい女を応援しながら事務室を通じてお外に脱出。 3.月曜の英文法の予習代行よろ』

 その内容に、小雪が慌ててこれは何だと深雪に問いかけようとするも、彼女は既にカウンター奥まで移動していた。2人の間にあいた4mの距離がいやに遠く感じる。もう二度と埋まらない、このままずっと離ればなれになってしまうような、そんな溝が小雪には見えて気がした。

 気づいた深雪がニッと笑い、親指を立てる。その笑顔も、いつもの笑顔のはずなのに、さっきはそれで安心できたはずなのに、今は何だか怖い。二度とその笑顔が見られなくなるのではないかという推測が、小雪を強く締めつけた。

『駄目! 止めて!』

 声にならない叫びを上げる小雪。深雪が何をしようとしているのか分かった途端、急に全身から力が抜けていく気がした。

 確かに、すぐそばにはスタッフ用なのか忘れものなのか、はたまた雨天時に客へ貸し出す物なのか、安物のビニール傘が数本ある。これを用いて深雪の制服を掲げる事自体は、いくら小雪でも造作も無い事だし、リスクも大きくない。

 だが、そんな事をさせてまで深雪は何がしたいのか。決まっている、あの男と対峙しようというのだ。制服を掲げるのはただの陽動、その隙に短期決戦を挑むつもりなのだろう。だが、いくらなんでも危険すぎる!

『お願い、深雪ちゃん! そんなこと止めて! 戻ってきて!』

 うるんだ視線で哀願を投げかけた。──一緒に脱出しようって言ったのに! もう離れないって言ってくれたのに! なのに、どうして!?

『小雪』

 途端、小雪はハッと我に帰った。深雪の目が、深みのある視線が、一直線に小雪を貫く。

『大丈夫よ。あたしを信じて』

 そのアイサインに、それでも小雪は少し躊躇ったが、ワンテンポ置いて頷いた。先ほど銃を押し付けられた時の弱々しい項垂れとは違う、力強い頷きであった。

 ──そうだ、信じるんだ。大丈夫、深雪ちゃんなら、きっと大丈夫。だって…… 

 ビニール傘を片手に取り、その先端に深雪のブレザーを引っかける。

 ──だって、深雪ちゃんが『信じて』って言ってくれたから。だから、今度こそ最後まで信じきるんだ。


読了ありがとうございました。

今パートを担当しました兎です。

前話を読んで「上下編かよ」と思った貴方に「中編」パンチ。

次こそ「下編」が来ます。次で終わりです。もう少しお付き合いください。

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