1話 わんと鳴く役目
この学園では俺の語彙は「わん」しか許されない。
「わん……わんわん!」
「おー、よしよし♡ ポチは今日も可愛いですねぇ。私と一緒にむこうの教室いきましょうねぇ」
なぜなら俺こと、神谷悠斗はポチだからだ。
「わん! わん!」
冷たい廊下に手をつき四つん這いで、俺は1人の女子生徒のケツを追っかける。
長いスカートに、黒のおさげ髪、フチの黒いメガネをかけたいかにもな地味女。
クラスでいじめられぎみな彼女が、俺の唯一の癒しであり仲間だ。
渡り廊下から少し歩いたところにある空き教室のドアを開け入室すると、彼女は周囲を見渡しため息を漏らす。
「……もういいぜ、わりいな。イヌ扱いして」
「いいって。俺をイヌ扱いしねぇと余計目を付けられるだろ黒瀬」
彼女――黒瀬凜はメガネを外し、髪をほどいてかき上げる。
さっきまでの地味な雰囲気からは一変、ヤサグレた女に早変わりを遂げる。
「で、そろそろ計画を実行段階に進めるのか?」
「ああ、クラスの一軍女子様は俺を相当ナメてるからな。このパワーバランスは一気に覆せるぞ」
俺がそう言うと、黒瀬は口元を吊り上げた。
「いいねぇ、その目。絶対に折れない意思を感じる、私の惚れ込んだ目だ」
黒瀬凛。
黒縁メガネにおさげ、長いスカート。
いかにも地味な陰キャ女子。
――というのは、表の顔だ。
黒瀬は机に腰を預け、けだるそうに耳についたピアスを触っている。
普段は隠れているとはいえ、校則違反のピアスをじゃらじゃらとつけるメンタルは元ヤン時代の名残だろう。
「この学校の連中はお前を完全にナメてる」
「だろうな」
だって俺はこの学校の犬、いやもはや奴隷か?
特別入学枠だからか、扱いが雑い。まぁそれがこの学校の方針なんだろう。
そもそも男の俺がここ、私立白鷺女学院に入学出来てるのがおかしいからな。
特別入学枠という名の、きっと女子生徒のストレス発散のためのサンドバッグ枠だ。真偽は定かではないが、俺はそう推察してる。
突然理事長を名乗る女に声をかけられ、破格の待遇で入学を許可された。
よく考えれば怪しさが有り余ってる。
「だからこそ、全部ひっくり返せたときが超たのしいんだよな」
黒瀬は楽しそうにニヤリと笑う。
黒瀬の意見に同意しながら、俺は窓の外を見て入学初日のことを噛みしめるように思い出す。
入学初日から俺は突如犬扱いされ始めた。
「ポチー!」
「お手!」
「伏せ!」
人としてではなく、犬扱いだった。
意味が分からなかったし、最初は冗談だと思った。
「ポチ、ちゃんとお膝の上に座ってじっとしてなさーい?」
さらさらもちもちの肌に密着できた時は、なんならちょっと役得か……? とも思った。
でも違った。
半年が経っても女子たちは俺を人間として見ない。
ただひたすらペット。
ストレス発散用の犬、そんな感じだ。
生徒によっては純然たる暴力をふるうやつもいて、最初は腹が立った。
殴り返してやろうかとも思った。
だが――。
「俺、気づいたんだよ。この立場、めちゃくちゃ便利だってな」
「……やっぱお前イカれてるしおもしれぇな」
「さんざん犬扱いしてる男の手の上で踊らされるあいつら、絶対いい絶望を味わえるだろ」
俺の最終目標は今まで俺をバカにしてきた女たち全員に謝罪させることだ。
そして全員に正しいスキンシップってやつを教えてやる。
俺は黒瀬が座る机に並ぶように座り、しっかりと目を見つめる。
「女子ってのはさ、男がいると警戒するだろ?」
「まぁそうだろうな、私は別にしねぇけど」
「街でナンパしてきたチンピラと喧嘩して圧勝したやつは女とは言わない」
俺の頭に鈍痛が走る。
だが気にせず話を続けた。
「でも犬の俺になら警戒しない」
黒瀬がすべてを悟ったように相槌を打った。
「なるほどな」
この学校の女子は、俺を人間だと思っていない。
だから、日常会話も恋愛の相談も、家の事情も全部。
俺がその場にいようと気にせず話す。
だから俺はそれを聞いているし、記憶している。
「つまりお前はこの学校で一番情報を持ってる男ってわけか」
「そういうこと」
情報を制する奴が戦いを制する。これはこの復讐劇にも当てはまることだ。
黒瀬はしっとりと企むように笑う。
「いいねぇ、やっぱり神谷を見込んだ私の目に狂いはなかったぜ。最高に役立つ」
「だろ? まぁお互いの目的がたまたま一緒だっただけなんだけどな」
俺の復讐と、黒瀬の復讐。
理由は違えど、それはどちらも学校という組織に反旗を翻すものだ。
「この学校は腐ってやがる」
そう吐き捨てる黒瀬の言葉には、確かな重みがあった。
「お嬢様だの品格だの言ってっけど、中身はただの女子社会だ。マウント、派閥、陰湿ないじめ」
黒瀬はバカバカしいといわんばかりに鼻で笑う。
「気に食わなかったら拳でケリをつけれる中学の不良校の方がまだマシだぜ」
「わぁ物騒」
一呼吸ついてから黒瀬はメガネをかけ直し、髪を整える。
「だから壊すんです。理不尽で人が人じゃなくなるこの学校を」
さっきまでのやさぐれた態度から、しっかりと猫を被った地味女の姿に戻った黒瀬。
素を知ってる俺としては違和感がすごくてぞわぞわする。
「さ、クラスに戻りますよポチ」
「わん……」
ストレスをためたクラスメイトたちが、今か今かとサンドバッグな俺を待っているころだ。
空き教室を後にして、俺は黒瀬のケツを見上げながら後ろをあるく。
大きな胸とは違い、お尻は小ぶりだが色気がある。
地味な格好をしていても、スタイルはごまかせないんだなと痛感している。
「あんまりいやらしい目で見たらだめですよポチ」
大人しく清楚で透き通る、よわよわしい声量だったが、芯に潜む恐怖を感じとった俺は、すっと目を逸らした。
後ろに目でもついてるのだろうか、ケツみてることなんでバレたんだよ。
黒瀬のケツを視界に入れすぎないようにして教室まで進み、黒瀬が入室してから俺もゆっくりと息を殺して入室する。
変に目立たずひっそりと教室にいれば、授業が始まるまでやり過ごせるからだ。
そして、教室の隅にひっそりとお座りする。犬の俺には当然、椅子も机もないから床に座るしかなかった。
半年もこんな環境で生活してるからか、慣れすぎてこれが快適まである。
今はただ冷静に情報整理だ。
俺たちはまずこのクラスを落とすことに決めたから。
このクラスの要は天城美玲。
長い茶髪に、整った顔を際立たせるナチュラルメイク。
少し気崩した制服からちらりと見える谷間は正直すごく好み。
周囲にはいつも数人の取り巻き。
まさにクラスの女王。
そんな女王を落とせれば、取り巻きたちも下手に俺を雑には扱えないだろう。
そして発言力のある天城を言いなりにすることができれば、他クラス、上級生にもアプローチができ、一気に復讐へとつなげれるはずだ。
問題はどう落とすかだ。
俺は大した顔でもないし、スタイルが整っているわけでもない。あくまでザ・普通。
なのでハニトラは無理。
交渉術もない。そもそも奴隷の俺と交渉するつもりはあいつらにはないだろうがな。
情報を洗い出してどこかから打開策を。
そう考えていると、甘ったるい声が教室に響く。
「ポチー?」
天城だった。
「こっちおいで」
見つかってしまった。こうなれば俺に拒否権はない。
おもちゃにされる時間だ。
「わん」
ケツを床からあげ、お座りの姿勢から四つん這いになる。
そうするだけで教室が笑いに包まれる。
「ほんと犬みたい!」
「かわいー!」
外野の取り巻きどもは、俺の頭をなでたり、ぺちぺちと頬をたたいたりと好き放題している。
「えー? みじめでしょ」
「ほんとほんと、こんな男まじむりー」
周囲でさまざま飛び交う嘲笑に、天城は満足そうに微笑んでいる。
「ポチはいい子だねぇ♡」
窓際にもたれかかる天城は、目の前まで移動してお座りする俺と目を合わせるようにしゃがみ、頭を撫でる。
サラサラの指が髪をなぞり、優しく何往復も手が行き来する。
人扱いをすることは決してないが、まだ優しい接し方をする方だ。
だが人間性には十分に難がある。
「お手」
「わん」
差し出された手に、俺は瞬時に自分の手を重ねてお手をする。
教室の笑い声、嘲笑が大きく反響している。
こいつらの目には俺が相当哀れで面白いのだろう。
――全部計算通りだ、今は大いに笑っているといい。
近い将来、その表情をゆがませ肥大したプライドを粉砕してやる。
「おかわり」
「わん」
「よくできましたぁ♡ ご褒美をあげないとだね」
天城は近くに置いていた袋から、ジャーキーを取り出して1枚を床に落とす。
「ほら、食べていいよ」
不衛生だし、犬にあげるときでもせめて手渡しだろ、なんて思う。
が、犬用のではなく人間用のジャーキーなのはせめてもの情けなのだろうか。
天狗が書かれたパッケージのおいしいジャーキー。
塩分と噛み応えが絶妙でしっとりとしつつも、満足感もあるこれは、天城に与えられてからすっかりハマっている。
なので食うのはやぶさかではない。
俺はそれを口でくわえ、懸命に咀嚼する。
「わん」
食べ終わり満足げに鳴いてやると、女子たちが爆笑する。
その笑い声の中で俺はちらっと黒瀬を見ると、声を殺して笑っているのがわかる。
自分たちに復讐の刃が向けられていることを知らず愉快に笑っているのがよほどツボにハマったんだろう。あいつはそういうやつだ。
視線を天城に戻し、俺は静かに決意する。
絶対にこの腐った環境を破壊してやる、と。
覚悟しておけよ天城美鈴、第一の被害者にしてやるからな。




