TSした天敵が最高の彼女で困る
堀之内辰美は俺の天敵である。
物心ついてから、この幼馴染には敵わないと何度も思わされてきた。
より端的に言うなら俺はコイツの事が苦手なのだ。
天の悪戯か、幼稚園から小中高ずっと同じ教室で日々を過ごし続け、家も真隣かつ両親の仲は良かったせいでお互いに家を行き来する機会も多く、ずっと近くでこのハイスペック野郎を眺め続けてきたせいで、俺のちっぽけな自尊心は大崩壊である。
具体的に聞くとチビである俺の心がまた折れるので詳しくは知らないが、200cm近い……らしいスラリとした、しかし痩せぎすではなくしっかりと筋肉のついた長身と精悍な顔付きは一目で真面目な印象を相手に受けさせ、事実その通りの生真面目かつ誰に対しても実直かつ丁寧で勤勉な性格、しかし少し……幼馴染目線で言わせてもらうならかなり抜けた所もあり、そこを含めて嫌味の無いウィークポイントとして一つの完成された人間的魅力となっており、嫌う人間は俺のようなひねくれ者を除きまず見た事がない。
勉学においても、試験のたびに学年順位一桁は当然だし一位も普通に取りやがる、俺だってそれなりに勉強はしている方だと自負しているが成績勝負で勝てた記憶は殆ど無く、高校2年になって選択諸々までまったく同じだと教室で顔を合わせて知った時は本気で泣こうかと思った、頑張って泣かなかったけど。
運動の類も得意だ。恵まれた体格による基礎体力はもちろんの事、昔から何かと走り回っていたのは知っていたが、昨今は体育や運動系の部活の助っ人として大活躍している様子だ。なんで勧誘の類を悉く断って運動部に入ってないのか疑問でしかない、俺ん家に入り浸る前にやる事あるだろ。この分野では張り合う気すら起きない、どーしろっていうんだよあんなの。
そして趣味も多彩だ、昔から俺が何かしているとすぐやってきて隣で同じ事をやりだしすぐ追いついてくるせいもあってか、外見や性格の割に俺のような陰の者が好む……と言ったら同族各位に失礼だが、つまりはオタク趣味の類にも腹が立つほど理解があり、人並みに嗜むし、語らせれば地頭の良さもあって認めざるおえないほどの理解力を発揮する。さらに当然というように所謂陽キャ共の遊びも心得ている様子で、よく遊びに誘われている様子を教室では目にする、詳細は……陽があまりに眩しすぎて直視できないので知らないが、危うく俺まで引きずり込もうとしてくるので油断も隙もない。
そんなわけもあってクラスではスクールカーストを上から下まで無いもののようにステップを踏む人気者だ。当然上下問わずモテる。選り取り見取りだろうに、何故か適当な理由をつけて毎度断っているようだが、さっさと彼女でも何でも作って高校二年生にもなって幼馴染に構うのを止めてほしい。
中学時代、初恋のあの子に辰美へのラブレターの受け渡し役を頼まれた一件は未だにトラウマなんだぞ、祝日込みで三日寝込んだ。
長くなったが、まあつまり堀之内辰美は俺の不俱戴天の天敵である。という事だ。
そんな辰美が、女になった。
突発的性転換症候群、というらしい。某ネット大百科事典によると近年発見された奇病であるようで、発症者は数週間から数か月かけて肉体が女性へと変異するらしい。
「シュータロー? 大丈夫?」
信じがたい話だが、ただ今実物が隣で肩を揺すっている。
「汐入修太朗くん?」
「聞こえてる、聞いてるから、ベタベタするな暑い」
思わず視線を下げると豊かな胸も揺れている。寄るなのハンドサインに、怪訝な目つきで顔まで近づけてきていた女子……今の辰美は、大丈夫なら良いけど、と元通りに俺の隣にペタリと座る。
夏の暑さと状況の度し難さに遠い目をしていたのに、どうもそう浸る時間も無さそうだ。
目の前にいる……信じがたい事にいる、女になった辰美は、身長は男の時より一回り小さくなったが依然女子にしては高く、黒いストレートの長髪は腰ほどの長さまで伸びている。やや小さいサイズのTシャツにジーパンという服装は、おそらく本人は動きやすさでチョイスしたのだろうが、雑誌で見るモデル……ほどほっそりとしていないが、その分胸やら尻に肉の付いた、控えめに言って目に毒なスタイルを強調する結果となっている。 顔? 元が良いんだから美少女になるよなそりゃ、凛とした雰囲気の残った美貌は、うっかり目を合わせるのが怖くて正面から見れない。
はじまりは、夏休みに入る1週間ほど前だったか、一緒に……当然家の方向が同じなので時間が被ったら一緒になるのだ。長短二人で並んで帰っていたところ、突然辰美が苦しみだし、その様が尋常ではなかったためすぐに119、とりあえず救急の人たちに分かる事を伝えてその場を任せ、一応の義理として馴染みである辰美の両親にも連絡を済ませた。 その後、どうやら珍しい病気らしいという事を聞いた時は流石に心臓が跳ねたが、女になると聞いた時は素っ頓狂な声を上げた記憶がある。 それでも冗談のようでも、身体が変わるというのは症例の少なさもあって、諸々で数週間が経過。
ようやくまともに二人で顔を合わせたのは、夏休み終了を明後日に控えた今日だった。
そして、顔を合わせるなり、その容貌に目を白黒させていた俺を見て辰美が言ってきたのが____
「”夏休みの宿題をやろう”、だもんなぁ」
まったく可愛げのない幼馴染である、泣いて抱きついてこられたら今までの全部を許してやってもよかったのに、まぁそんなことされた日には間違いなくパラダイムシフトを起こしていたが。
「僕の提案に何か、問題あった?」
見慣れた面影のある少女が、ムっとした表情になる。
「いや別に、お前ひとりでもどうにかなっただろ」
「一応、一週間分のブランクがあるし」
「それもなんとかなるだろって……」
「修太郎もやってなかったんだろ? なら丁度良かったよ……ちょっと変だけど」
「何がだよ」
「いや、いつも夏休みの宿題は真っ先にやってたよね、何かあった?」
「……いや別に、気分じゃなかっただけだよ」
顔を背ける。昔からそうだが、コイツはどうにも直截に人の気持ちを言い当てる。そういう所もまったく気に食わないヤツであるが、とりあえず今日の所は病み上がりだし嚙みつかないでおいてやろう。
「そっか。兎に角助かったよ、ありがとう」
「ん。まぁ、なんだ……喋ってみるとやっぱり、お前辰美だな」
良く通る高い声はまったく別人のようで、時々低い音を出そうとして掠れる事はあっても女子そのものだが、こっちが一を言えば十を理解してくる所も、完璧に出来すぎてムカつく所も、概ね間違いなく辰美だ。
よし、そう思ったら正面から顔を見るくらいならできるようになってきた、あと顔以外も大体目に毒すぎる。 無自覚にコレなのだとしたら、とんだ凶器だ。
「そ、そう? そっかぁ……」
頬を緩ませる辰美。おい、その反応はなんか卑怯だろ、読み取り辛すぎる。
「いや、もしかしたら何かのドッキリとかかもしれないよ?」
「お前、そういうの一番嫌いじゃん。 それに、どこの世界に苦手な教科問題まで真似する偽物がいるんだよ」
「たしかに、しかしあっさり順応しすぎじゃない?」
「言っておくが、かなり混乱してんだぞこれでも……色々と急展開すぎるし」
「面会おっけーになってからも来ないのが悪い」
「お袋は行ったって言ってたし、それに見舞いに来る相手には不自由しなかっただろ」
「修太郎の反応が一番気になってたんだよ、突然距離置かれるかもしれないし」
そう言って、慣れた手つきで俺の部屋のTVとゲーム機の電源を入れ、振り返ってコントローラーを投げて寄越す見慣れない姿に思わず受け取りそこねそうになるが、キャッチ成功。 俺は極めて冷静だ。
「絶対逃げても追っかけてくるじゃん」
「そうだけど」
「じゃあ意味がなくないか?」
「それもそうか」
そう言って俺が座りなおそうとした所で……所で
あのさ
おい
「よいしょっと」
「おいコラ」
座りなおそうとした俺の後ろに辰美が滑り込んできて座っている、コントローラーを持った手は俺の前に来ており、さながら……いやコレバックハグそのものだよな?
腹立たしい事に女になっても頭一つ分の身長差がありやがるせいで、丁度俺の頭の上に辰美の頭がくる形になって……
「何か問題が?」
「問題しかねぇんだよ!」
コイツもしかしてわかってないのか?
画面では”Fight!”のゴング音と共に向き合った二人のキャラが技の応酬を開始する。
「暑いんだよ、ベタベタすんなうっとおしい!」
「エアコンきいてるし、ほら、せっかくだし?」
もがく俺、なぜか腕をホールドする辰美。
画面上では小技を連打する辰美の重量級キャラの攻撃を、俺の操作する女キャラのガードが的確に捌き、反撃のダメージを蓄積させている。
「何がせっかくだよ、気色悪い」
男の時からグイグイ来るヤツではあったが、断じてこんな距離感では無かったはずだ。残暑の熱で頭がおかしくなったか、盆休みで悪霊に憑りつかれたか、女になったから_____
「……なんか怒ってるのか? まさか、見舞いの事そんなに?」
「べつに、ただ、さ」
「黒髪ロングで」
サラリと俺の肩に女になった辰美の黒髪が落ちる。
大振りな攻撃がヒット。
「背が高くて」
頭の上に顎が乗る。
そのまま掴みに移行、勢いよく空中に射出される俺のキャラ。
「スタイルの良い」
前かがみになる辰美、背中に柔らかな二つの感触。
起き上がりにコンボを重ねられ、抵抗の隙も無く殴られ続ける画面の中の俺のキャラ。
「女の人がタイプだったよなシュータローは、って、思っただけ」
「こいつ……!」
視線を丁度真横にある姿見に動かすと、鏡に映るのは悪戯っぽい笑みを浮かべた辰美。人の性癖で遊ぶんじゃねぇ、玩具じゃないんだぞ、一生残る傷になるんだぞ。
画面に映るのは、目をバッテンにしてダウンした俺のキャラと、ガッツポーズを取る辰美のキャラ。
「あー! お前! そういう所だぞ辰美ィ!!」
「そうかな? やったね僕」
「やったね、じゃねえよ張り倒すぞ!」
「で、タイプじゃなかった?」
「……」
黙秘権を行使する。
女だろうが辰美相手ならもう加減する必要とか無い気がしてきたが、なんか今手を出すと致命的な事になりそうなのでなんとか堪える……くっそ、コイツが物心ついた時からの俺の性癖を完璧に把握しているという事実をもっと深刻に受け止めておくべきだった。
「僕も折角女の子になったわけだし、色々考えないといけないと思ってさ」
「かんがえる?」
「そう、さしあたっては服なんだけどさ。セーラー服と学ラン、どっちが良いかな」
「そんなのお前の勝手……」
「シュータローの意見が聞きたいなぁって! 学校的にはどっちでも良いらしいんだけどさ! シュータローの好きそうな恰好をね、せっかくだから!」
コントローラーが操作され、勝手に押されるラウンド2開始の選択肢
「あとこないだ読んでたラノベで、朝起こしにくるヒロインの子が好きだって言ってたよね、たしかあの子も長い黒髪で身長高かったし……ふふっ」
まったく似合ってない含み笑いをしながら、幼馴染として歩んできた15年と少しの間に蓄積された俺の好みについて語りはじめる辰美。
あまりの状況に、戦慄の稲妻が体の中を走りまくる。
たすけてくれ、俺は何をされるんだ。
◇ ◇ ◇
2日があっという間に経過し、夏休みが明けのいつもの教室にて。
「えー、それでね、そういう事で、堀之内くんが女性になりましたが、皆さん合わせる所は合わせて、それ以外は今まで通り、仲良くするように……」
教師生活30年、酸いも甘いも噛み分けた我がクラスの担任が一通りの事情を説明したのちに丸い感じの事を述べ、隣の女生徒に場を預ける。
「どうも! こうなりましたが堀之内辰美です、変わらずよろしくお願いします!」
そう言って、セーラー服姿の辰美が明朗快活に挨拶し、頭を下げる。
瞬間、教室の各所から色彩豊かな声が沸く。色々な意味でわかっていた事だろうとしか言いようがない。ここまで予想通りだと逆につまらんと頬杖つきながら思うのであった。
私事だが、なんとか今朝は一人で起きる事に成功した。家のドア開いた瞬間ウッキウキの辰美と鉢合わせたが俺のプライドとか色々は無事だ。前日一敗してるが気にしない事とする。あえて言えることがあるとすれば寝起きにセーラー服美少女はヤバい。
「堀之内くんが、女の子になっちゃうなんて」
「でも結構イケてない?」
「ワンチャンあるかも、ワンチャン……!」
「あはは、どーもどーも」
にこやかに笑いながら手を振りいつも通り、俺の隣の席、窓側の一番後ろの席に腰掛けて……おいこっちを見るな、ウィンクをするな、俺挟んで反対の席のヤツがなんか撃ち抜かれた表情しちゃってるぞ、勘違いさせてたらお前どうするつもりなんだよ。
そんなこっちの気を知ってか知らずか、口元に手を添えて耳打ちをするような雰囲気で話しかけてくる。
「思ったより……盛り上がっちゃったね?」
当たり前だろ、鏡で自分を見返してから出直してこい。
そんなクラス一同諸君にとっては驚きの、俺にとっては少し前に通り過ぎたカミングアウトからはじまった新学期初日は、なんとも賑やかで五月蠅く騒がしいものとなった。
しかし、授業に関しては怖いくらいにいつも通り夏休み前と一緒だ、制服と性別が変わっただけで成績優秀な優等生堀之内辰美は据え置きそのままだ(体育は大事を取ってしばらくは休むらしいが)、まったく腹立たしい事この上ない。
それに何よりの問題は、間休み時間のたびに、他のクラスから見に来きては好奇の視線を向ける野次馬共に、いちいち呼ばれもしないのに辰美の席を取り囲むクラスの奴らだ、辰美も無視しとけば良いのに、いちいち構うものだから一向に人が減る気配がしない、隣の席があまりに騒がしすぎて数度退避しようかと思わされるほどだ。まあ実際はどんな話をしているのか気になるのも人情ってもので、聞き耳を立てたり時々様子を伺ったりするくらいは許されるだろう。
「ほ、堀之内……さん、えっと、こんな事になっちゃって……」
「びっくりだよね、それと別に”さん”は良いよ? あと、こうなっちゃったから助っ人はもう無理そうなんだ、ゴメンね」
「いやそれは仕方ない、女になるなんてな」
「代わりにじゃないけど、応援は行くからね」
「応援……!」
あざとく首を傾げるな、向けられた男子も頬を染めるな。その美少女の中身は40日くらい前まで普通にお前らと好きな女の子の話とかしてた男友達だぞ。
「タツミーくん肌きれーだね、ケアとかどうしてるの?」
「今は薬が出てるのと、あとは男の時の化粧水そのままかな。だから肌荒れが心配でさ」
「じゃあさ、良さげなの紹介したげよっか」
「ほんと? ありがたいな……女の子としてはまだまだだからさ、僕」
「髪の毛とかメイクとか色々大変だもんね、その辺ウチに任せてよ」
「頼りにさせてもらうかも、良いかな?」
「おっけー! あ、女子グループの招待も送っとくね」
「助かる! ありがと!」
ガールズトークにも対応してる……だと……
お前は一体、何ができないんだ。
◇ ◇ ◇
かくしかして女になっても変わらぬ辰美無双のち放課後がやってくる。
目立ったトラブルは無かったが、騒がしい1日だったのは間違いない。
そして俺と辰美は、久々にいつも通りの放課後の暇潰し場所たる部室棟3階端の文芸部室で放課後を過ごしているのであった。
なんで俺がよりにもよって辰美と同じ部活なのかというと、勝手に飛び込んできたからである。 1年の時、なんとなく気になっていた文芸部が部員数0により廃部の危機……という話を辰美にしたら、あっという間にどこからか幽霊部員を3人捕まえてきて存続条件を満たし、文芸部を存続させた上に俺らの放課後のスペースにしたのだ。何故そこまで、他にそのポテンシャルを活かしてやる事やれる事色々あるだろと当時問い詰めたら「幼馴染と馬鹿してる方が楽しい」と返された。本当にコイツは俺の天敵だと思う。 ありがとうは一応言っておいた。
閑話休題。
まあそんなわけで、二人(今年の新入部員はいなかった)と先輩方の置き土産である壁一面の本の空間で、俺は入口近くのいつもの席でいつも通り適当な文庫本を開き、辰美は窓辺で何やら雑誌を広げて眼鏡の……ん? 眼鏡?
「お前、目悪かったっけ? 女になった影響とかそういうの?」
「え? いや、コレはほぼ伊達だよ」
「は?……おい、お前まさか」
「……やっと気が付いてくれた」
そう言って辰美立ち上がり、艶やかな黒髪をなびかせ、ファッションショーのモデルのようにその場で回ってセーラー服を強調し、赤いフレームのブロー型眼鏡の位置を直す仕草をして見せる。
「好きだもんね、黒髪ロング眼鏡セーラー服な身長高い子」
「お・ま・え・なー!!」
ふふん、と何故か誇らしげな辰美。こいつ……
「もし俺が気が付かなかったらどうするつもりだったんだよ!?」
「んー? 夜に自撮りを送り付けてた?」
「挑発的行為がすぎる!」
この幼馴染、もしかして馬鹿かもしれない。
「……お前、俺以外にもコレやってないよな」
「え? なんで?」
なんでって……破廉恥すぎるだろ、多方向に。
「してないよ、する理由が無いし」
「俺にも無いだろ」
「シュータローだからね」
「理不尽だ……」
「で、それでだよ」
「なんだ?」
「好みじゃなかった?」
「……」
黙秘権の行使を再び行う。どうせ言わなくてもそれで嫌でも伝わるだろう事は付き合いの長さでよくわかっている。
「そっか、よかったぁ。 じゃあ、しばらく部活じゃつけてよう、文学少女っぽいし」
息を吐いて安堵の色を見せる辰美、この距離感は……危なすぎる。
そう思いながら、視線と思考を逸らす意味も兼ねてふと辰美が読んでいる雑誌に目を向ける、表紙にデカデカと
“秋を先取りゆるかわコーデ”
そう書かれた、女性向けファッション誌だった。
「……するのか?」
「え、何が?」
「“秋を先取りゆるかわコーデ”」
「あー、いや、コレ借り物……けどもしかして気になる?」
「気になるって言ったらどうなるんだよ」
「次の休みに“秋を先取りゆるかわコーデ”の女子がシュータローの前に1人、現れるね」
「……やっぱお前なんかキャラ変わってないか?」
「どうかなー」
のほほんとした様子で、しかし嬉しそうにそう返す辰美。
無自覚にこっちの神経逆撫でしてくる事は沢山あっても、ここまで自分から来るタイプでは無かったはずなのだが……まあともかく、“秋を先取りゆるかわコーデ”がどんなのか知らないが、どうせ似合うんだろうな。
「あ、そうだ、その話がしたかったんだ」
「“秋を先取りゆるかわコーデ”の?」
「そうなんだけど、そうじゃなくて、ここ」
そう言って表紙の”秋”の字を指す辰美。
「気が付けばもう、秋が来ちゃうんだよ」
「そうだな、9月だし、あっという間に10月だ」
最近は気象事情のせいで9月の屋内でもエアコン無しでは熱中症になれる気温であり、とても秋のすごしやすさとは無縁ではあるが、それでも暦上はきっともうすぐ秋だ。
「そう、そうなんだ……このままでは秋になって……」
「僕の夏は、終わってしまう!」
「うん……うん? なんだって?」
「だから、夏だよ夏、厳密に言うと夏休みなんだけど」
「夏休みは昨日で終わっただろ」
「そう、なのでそこは妥協するとしても……」
拳を握って目を輝かせながらにじり寄ってくる辰美、怖い。
「僕の高校2年の夏が、病院で痛い思いしてましたで終わりじゃ、嫌なんだ!」
「お、おう」
「だからね、今週末から夏休みロスタイムをやろうと思うんだ。」
「夏休みロスタイム」
「うん。お祭りとか、花火大会とか、映画とか、プールとか、海とか、勉強会……はやったけど」
「……そうか、頑張れよ」
「いや……だからさ、なんでこの話を今してるかってその……」
急にしおらしくなり視線が落ち着かない様子になる、感情が忙しすぎるだろコイツ。
さぞ見ていて面白いに違いない……そして、何が言いたいかは大体理解した。
「俺も一緒に、って事か?」
「……! そう、なんだけど……ダメかな?」
「濃厚接触セクハラは躊躇しない癖に、誘うのは変に躊躇うのな」
「こういうのは違うし……いつも僕が誘うと嫌がるじゃないか」
「じゃあいつも通り嫌がるが……誰が来るんだ? そっちの交友関係が広いのは結構だが、毎度俺が仲良くやれるわけじゃないんだから、先にそこから言ってくれ」
「シュータローと仲良くやれそうな相手選んでるんだけどな……じゃなくて」
過去コイツが紹介してきたの毎度男なんだが、もしかして間接的に女と上手くやれないと思われている? たしかに、いざ顔を出してみたら話題の合わない相手だった事は滅多に無いのだが、そういうのも含めて全部把握されてるみたいでムカつくんだよな。
「今回はその、シュータローだけ」
「は? 夏休みって言ったよな? 一人でやるのか?」
「あー……断られたらそうなる?」
「一人で花火大会に行くのか?」
「そうなるか、黙々と花火の写真を送るよ」
「一人で祭りに?」
「そうなる、縁日を一人でエンジョイする」
「一人でプールに?」
「そうなるね、ひたすら流れるプールに流されるか」
「一人で海行くのか?」
「そうなりそう、情景もあってとっても寂しいね」
「馬鹿だろ」
「中間試験は僕のが良かっただろ」
「……」
女になってからの辰美は賢さとは別の方向性で変だ、行動力が以前と違う方向で前のめりで、とても見ていて落ち着かない。
「いやね、一度人生変わる体験するとさ、今を楽しみたくなったんだ」
「そういうもんか……? いや、そうはならないんじゃないか……?」
「こうなっているんだよ、それに、今の状況じゃ男友達も女友達も誘いづらいからね、色々と問題あるし」
「結局そこが本音かよ驚かしやがって……いや、俺はいいのかよ」
「信頼してるからね。 それで、どうかな?」
「……まあ、暇だしな」
何より、この女子初心者の幼馴染を半裸でプールサイドあるいは海辺に放置するのは、公共性に著しく問題がある気がするので、監督役は必要だろう……という事にしておく。
「ありがと! じゃあ早速今週末からだね!」
明るく笑う辰美。
かくして、俺と女になった幼馴染の、夏休みロスタイムがはじまった。
◇ ◇ ◇
まず最初に辰美が行こうと言い出したのは祭りだった。
少し意外でもあったが、よく考えれば他と違って時期を選ぶ上に日が過ぎるほどに減るイベントだから最優先するのも当然か。案の定、近場の大きな祭りはなんだかんだ毎年行っていた近所のものを含めて一通り8月に終わっており、辰美が見つけてきたのは俺たちが普段利用している駅の向こう側の、小さな神社で行われる地元町内会主催の祭りだった。
そういうわけで日曜夕方、昼は用事があるらしい辰美と合流する予定の駅前へやってきたのだったが……
「なーいいっしょ? オレらも暇だしさぁ」
「かわいいし、一緒に遊ぼうぜー」
「いや、だから人を待ってるので……」
初手でナンパされてんじゃねーよ。
ああ、そういや逆ナン経験はおありでしたねしかも俺の眼前で、なんで同一人物が今度は野郎にナンパされているのを見なきゃいけないんだよ。 しかもちょっと押されるな、逆ナンの時はアッサリ笑って言いくるめて追い返してただろお前。
「辰美」
「あっ! 修太郎!」
見ていられないので軽く手を上げ声をかけて存在をアピールすると、すぐに気が付いて嬉しそうに駆け寄ってくる辰美。こんな感じの動物テレビで見た気がする。
「そういうわけで、先約があるのでっ! ごめんなさいねー!」
腕を組むな、笑顔で手を振るな、そして引っ張るな。
殆どされるがままに腕を引かれ、人混みに紛れてナンパ男たちを撒きながら
間抜けな二人三脚みたいに一緒に歩きだす。
「お前な……迂闊すぎるだろ」
「いや面目ない、体よく逃げようとしたら靴がこうなの忘れてて」
そう言って爪先を鳴らす。辰美は下駄履きだった。服も洋服ではなく黄色い帯をあわせた藍の浴衣だ、アップヘアにまとめた黒髪も含めて似合っている……何目線でものを言ってるんだろうか俺は。
「昼に用事があるって言ってたのはその恰好か」
「病院も行ってたけどね、せっかくだからレンタルしてみた」
薄っすらと星の見え始めた薄明の空の下、踏切を渡って普段はあまり足を向けない駅向こうに美少女になった浴衣姿の幼馴染と一緒に歩を進めるのは、少し非日常感がある。
「しかし、こんな丁度いい時期の祭りなんて、よく見つけたもんだな」
「おかげさまで遠出せずに済んだよ……それに、憶えてる?」
「何をだよ」
「小学生の時、初めて親抜きの二人で行ったのが、あのお祭りだったよね」
「そんな事もあったな……まさか狙ってたのか?」
「いや、偶然なんだけどさ」
「偶然かよ」
でも悪くないでしょ、と笑う辰美。
辰美絡みの印象的な記憶なんて嫌になるほどあるから、そんなに思い出深くもないのだが、相変わらず異様な記憶力だな、まったく。
などと言葉を交わしていたら、ようやく目の前に鳥居が見えてきた。
簡素な提灯など飾りつけのされた短い参道に並ぶ屋台は、どれも時代がかった……言葉を選ばないで言うとボロい、もしかしたら俺たちが前に来た時そのままなんじゃないかと思わされるが、しかしこれはコレで雰囲気があって目的には丁度良いかもしれなかった。
そう思い、ちらと隣の辰美を見ると、髪型のせいもあってついうなじに目が行ってしまい思わず目を逸らしてしまう。
「わぁ……昔のままだね、いや、ちょっと小さくなった?」
「そりゃ俺たちがデカくなってるしな、規模縮小もしてるのかもしれないが」
「そのうちやらなくなったら寂しいね、記念撮影しておこう」
そう言って辰美は見慣れたXLサイズのスマートフォンを小さくなった手で器用に扱い、祭りの風景を撮影している。
「今の姿になって、色々見え方が変わってさ」
「縮んだもんな」
「そうじゃなくて、感じ方とか、
「そういうもんか」
そういえば特にまったく関係ない話だが、さっきのナンパ男たちは男だった時の辰美よりは小さかったが、今の辰美よりは背が高かったな。特に全然関係ない話だし、その程度で辰美がどうこうなんてありえない話だが。
「ほら、シュータローも1枚撮ろうよ」
「おいちょっと、待てうわっ!?」
強引に引き寄せられ振り向かされる、こいつが女になってなお存在する体格差が恨めしい。インカメラに切り替えたスマートフォンを持って密着されている絵面に周囲からの様々な目線が痛いが、辰美はまるで気にしている様子も無くシャッター音が鳴る。
「よしっ。送くっとくね」
「いらんし、暑いし、離れろ」
こっちの気を知ってか知らずか、楽しそうに笑って辰美は境内の方へと歩き出す、スピーカーから流れるこもった祭囃子が聞こえてくる
◇ ◇ ◇
「ふぅ……一通りって感じかな!」
人混みの雑音と祭囃子の外れ、小さな本殿横で辰美のよく通る声が響く。
その手には射的と型抜きの景品とスーパーボールの詰まったビニール袋を提げ、もう片方の手には綿飴を持ってまさに絵に描いたようなご満悦だ。コイツ何しても絵になるな。
そして夏休み明けて一週間、女になっても変わらぬハイスペックを見せつけられて理解していたが、祭りの屋台勝負でもやはり全敗だった。今回についてはこちらが不利だった、真横に集中できない要素がいるせいで何をやっても常に気が散って仕方がなかった……と、言い訳はすまい、敗北は敗北だ、などと考えていたら、辰美がおもむろに何かを後ろ手に持ちながら話しかけてくる。
「ところでシュータロー、残念な報告があるんだ」
「散々勝ちまくった上で何が残念なんだ言ってみろ」
「花火大会を探した結果……一番近くても、もう旅行になる事が判明してしました」
「ああ、そっちの話か」
「なので、代理でこちら!!」
「”ハッピー花火セット詰め合わせ”(特売品)……」
「丁度良い感じでしょ?」
「……バケツ借りられるらしいから、借りてくる」
それからの時間については、適当かつ漫然としたものだった。高校2年生にもなって手持ちしかない子供向け花火セットではしゃぐほど無邪気じゃない。ただ、高校2年生にもなって手持ちしかない子供向けセットの花火の色が変わるくらいではしゃいで、くるくる回して見せる隣の幼馴染の姿が妙に印象に残っていて、それと少々、確認めいたやり取りがあったくらいだ。
それはたしか、花火を一通りやり切って、やたら数の入っていた線香花火を片付けていた時だったと思う。
「あの、さ」
「ん?」
「身体の話なんだけど」
「からっ……!?」
思わず視線が泳ぎ、手にしていた線香花火の灯がぽとりと落ちた。
「あ、いやらしい話じゃないよ?」
「おちょくってるのか……!?」
きょとんとした顔で首を傾げる辰美を横目に、次の線香花火に灯をつける。
「言い方が悪かったね、ほら今、女の子になったわけじゃないか」
「そうだな、自覚があるようで何よりだ」
「基本さ、コレって戻るモノじゃないらしくて」
「手術とか、治療とかもあるにはあるらしいけど、完全に元通りにはならないし、女の人を男の身体にするくらいには時間もお金もかなりかかったりして、つまり……」
「つまり?」
「これからずっと、僕はこのままって事」
「それはまぁ、大体そうだろうなと思ってたが」
「つまりだよ、えっと、えーっと……僕と同じ症状の人の中には、自分をずっと男だって生きていく人もいるらしいんだけど、僕は多分違くて、元々男だった女になりそうで、でもそれは実は結構頭の中では受け入れられちゃいそうで」
言葉は選んでいる様子で、の手に持った線香花火は爆ぜて火花を上げていて、その光で受けて繊細な美貌が夜闇の中に照らされていた。
「女子の、体育の授業受けたり、女子トイレに……女の子のデリケートな側に立って生きていく事になりそうなんだよ」
「すまん、つまりどういう事だ?」
「ざっくばらんに言うと頭の中が大分もう女子って事、女の子がかわいいーって言ってて男の時はわからなかった服とか下着とか、かっこいいーって言ってたモノの話とか、なんかこう、わかるようになってきてるんだよね」
「マジかよ……」
「病気の症状らしいんだけど、ホルモンが脳波がどうとか、説明されたのは端折るけど……つまり割とアイデンティティが変わってるって自覚があって」
つまり、男であった頃の辰美と今の辰美は、見た目だけじゃなく中身も変わった、という事だろう。見た目だけ変わっても人間はかなり影響を受けるらしいが、実際頭の中身に影響が出てるなら、それは当人にとって計り知れない変化だろう。
俺がどんなことを思ったのか、考えたのか、いまいちまとまらなかったが。
次々と落とした線香花火をバケツに投げ込んでいた事は憶えている。
「だからえーっと、引かないでほしいんだけど……」
「言えよ、どうせ今の時点で大分わけわからなくなってるんだ」
「将来的にはさ、もしかしたら、もしかしたらだよ? 良いなって思った男の子ができて……か、彼氏を作ったりするかもしれないわけなんだよ」
「かれっ……!? とんでもない事ぶち込むな!?」
「重要な将来の問題でしょ! えーっと、だから、その、僕らの関係とか……」
「ま、それも良いかもな」
「えっ」
ポトリ、と、線香花火の灯が落ちて、辰美がこちらを向く。
「俺らの関係、もっと良いって相手がいるならそれでいいし、辰美が距離取りたいとかあるならそうする。 俺は辰美と違って、人間関係が上手いわけじゃないからな」
「そっか……」
辰美は嬉しそうだっただろうか、それとも違ったか。
「ただ、ここの所の絡み方から、別に悪いように思われてないのは俺でもわかる」
「……女の子初心者だからさ、丁度良くて」
「人を練習に使わないでくれ」
「あはは……チュートリアルボスなのに手強い」
「倒す気かよ……とにかく」
「うん」
「お前が関係性を変えたくないなら今のままで良いし、変えたいなら変える、腐れ縁だ、そのくらい都合をつけてやるから、遠慮するな、らしくもない」
「……ありがと、シュータロー」
その後はいつも通り……いつも以上に明るく振る舞う辰美と男の時と変わらない調子で話しながら、祭りの終わりにあわせて二人で帰って、お互い家に入るまで見届けて、夏休みロスタイム1日目は終わった。
腹立つほどハイスペックな男の幼馴染が、腹立つほどハイスペックな女の幼馴染になった。それを再認識して、それだけで、そのはずだった。
そんなわけがなかった事を俺が認識したのは、2週間後の事であった。
◇ ◇ ◇
「アニメが……全部、ズレてる……!」
「入院中に見るとかできなかったんだな」
「できなかった、まとめて見ようと思ったらネットでネタバレ喰らってちょっと凹む……」
「ご愁傷様、映画もか?」
「大体気になってたのは終わってたけど、評判良さそうなのはまだギリやってるかな」
もうそろそろ慣れた、放課後の文芸部で眼鏡をかけた辰美と二人の時間。 今日の話題は文芸まったく関係ない趣味関係の話だった。辰美が分類上は優等生でも、いつでも無駄なく過ごしているわけでもなく、大体このようにして夕方の時間は二人で浪費される。男だった時と変わらない、気怠く気安い時間、まだ継続できている事は、悪い事ではないのかもしれなかった。
先週は運動部の応援をマジでやる事になり、慣れない事をしたので、このいつも通りが正直ありがたい、休ませてほしい。
「じゃあ今週は映画にするか?」
「海とどっちにしようかな、あんまり遅いとクラゲが出て泳げなくなる」
「泳ぐ気かよ……病み上がりによくやるな」
「許可はもらったよ。それに筋肉も取り戻したいんだよね、そろそろ体育も解禁だし」
今でもギリギリなのに、本格的に女になった辰美にすら腕力で負ける可能性が出てきた。することになるか、筋トレ……
「あっ」
「ん?」
何かに気が付いた様子で辰美が顔を上げる。
「どうかしたか?」
「いや、単にご不浄に……あ、もう一緒にはいけないよ?」
「俺がデリカシーを指摘される前に指摘すべき点を作るな、行くわけないだろ」
そそくさと横を抜け退出する辰美を見送り、積んでいたライトノベルを適当に開いたりして暇を潰していたら、俺も気が付いた。
「……トイレ」
誰に言うでもなく気まずく呟き。タイミングが絶妙に悪いが、辰美の帰りが遅いし鉢合わせるくらいで済むだろう。そう思い本を書架に戻して部室を出て、廊下を少し歩き、同階のトイレの男子側に足を向けた
ときだった。
「てめぇ! ふざけんじゃねぇぞ!」
「だから、申し訳ないと言っている」
女子トイレの中から女子の叫び声と、大分聞き慣れてきたよく通る声がする。
辰美と、誰かが言い争っている。 男だった時から誰かと喧嘩している所なんて見た事が無かったし、女になってからも周囲と上手くやっている様子だったが……
「元男のくせに、生意気に他人の彼氏に手ぇだしやがって!」
「お前がカーくんに色目使ったせいで、こっちは別れる寸前なんだよ!」
叫んだ以外にも数人の女子の声が聞こえる。外からでも嫌でも聞こえるボリュームだ。
「だから色目なんて使っていないし、お誘いはその場で断ったと言っているだろう」
「ああそうだ! ヒトの男に恥かかせた挙句に面倒事引き起こしやがって!」
「えっと、つまりそちらは何が言いたいのかな……?」
単純そうな連中だが、おかげさまで状況は大分理解できた、馬鹿じゃないのか?
詳細はわからないが言い掛かりで絡まれている事は間違いないだろう。なら俺のする事は簡単だ
「つまり全部お前が悪ィ!」
「はぁ……それで、どうすればいいのかな?」
聞かなかったフリをして立ち去り、文芸部室で辰美の帰りを待つ。 疲れた様子だったら愚痴くらい聞いてやってもいいだろう。
トラブル解決だってアイツは一人で上手くやる、嫌になるほどよく知っている事で、ましてや今は女同士の問題だ、下手に手を出すよりは本人に任せておくのが一番な事は分かり切っている。
「頭を下げる、だけでは足りない?」
ただ、夏祭りで自分の事を話す辰美の姿が脳裏に浮かんで
「そうだな、じゃあ……とりあえず、土下座」
なので俺は方向転換し、女子トイレに早足で踏み入った。
中では女子が4人、奥の窓際に辰美を追い込んでいた。
「お前!? 腰巾着のガリ勉チビ!?」
「修太郎……」
なるほど、突然女子トイレに男子が現れるとこう反応するんだな。 見覚えがない4人のガラの悪そうな女子と辰美は目を見開いて一斉にこっちを見ている。
誰も大騒ぎしないのは丁度良い、ドン引きしている間に目的を果たさせてもらうとしよう。
俺はなるだけ素早く辰美を囲む女子たちに近寄ると、その間に両腕を差し込み、扉を開けるように退ける。 相手も突然女子トイレに現れた変質者を相手で反射的に身を避けてしまったのか触れる事は無かったので、そのまま奥にいた辰美の手を取って、強めにこちらへと引く。
「辰美、行くぞ」
「……うん」
啞然としている女子たちを尻目に、珍しい驚きと何か別の読み取り辛い表情の入り混じった顔をした辰美の手を引き女子たちから距離を取り、トイレから出ようとする。
「あっ、おい! 待ちやがれ!!」
ようやく状況を理解したらしい、さっきから話を主導していた女子の一人がこちらに向かって叫ぶ、が
「E組の、小茂尻さん……だよね」
その声に、辰美が言葉を被せる。
「お互い、今回は不幸な事故だった事にして忘れない? これ以上やると面倒でしょ?」
「……」
言外に何かを言っているのだろうが、俺にはまったく理解できなかった。
ただ、名前を呼ばれた女子は押し黙り、他の女子も舌打ちしている。
「もう大丈夫、行こう」
「……おう」
やっぱり俺が何かする必要なんて無かった、辰美は自分で解決できるやつだ。 握った手が震えてる気がするが、きっと気のせいだ。
女子トイレから出て手を放し、部室の方に二人で歩きながら辰美に話しかける。
「面倒な事になってたんだな、今日は荷物取ったらもう帰るか」
「うん、適当にやり過ごすつもりが鉢合わせちゃってね……それと結局、トイレに行けてない」
「俺も……職員室前のトイレでも借りるか」
「そうしよう。 あとさ、帰ったら」
少しだけ逡巡する様子で、こちらを見ていた辰美の視線が外に向く。
「何だ? 今日も、うち来るのか?」
「それも悪くないけど____今日は、こっちに来ない?」
「ん? まあ、来いって言うなら行くが……」
それがどういった意味を持っているのか、俺は深く考えず承諾した。
「今日、お父さんもお母さんも遅くてさ」
◇ ◇ ◇
互いに殆ど言葉を交わさず、珍しく静かな帰り道の後、若干我が家より作りがモダンな勝手知ったる隣の家に上がり、2階の辰美の部屋に案内される。
辰美の部屋は男だった時と大きく様変わりしてはいなかったが、着られなくなったのだろう男時代の服が隅に積まれ、勉強机の上にはいくつかの化粧品とスタンド式の手鏡が増えている……が、基本的にいつも通り、目立った家具は机とベッドにビルトインクローゼットくらいしか無い、男の時から変わらないシンプルな部屋だ。 だから基本的に二人で何かする時は俺の部屋に辰美が来るし、誘われるのは珍しい……何か、あらためて話したい事でもあるのだろうか。
勉強机の椅子をこちらに寄越してきたので、座って向き直り。 辰美はベッドに腰掛ける。
「今日はごめんね、騒がしくしちゃって」
「お前が悪いわけじゃないだろ、女子になって色々大変なんだな」
「いや、ああいう人は男の時からいたけどね」
「えっ?」
「……ホントはね、ずっとシュータローには知られないようにしていたんだけど……ほら、シュータローって僕に夢見がちだから」
「は?」
誰が? 誰に? 夢見がちだって?
「完全無欠でみんなに好かれる幼馴染だって、本気で思ってそうだったから」
「別に、そんな事……」
「その期待に応えたいってずっと思ってやってきたから、悪い事じゃないはずだよ」
辰美は苦笑して、言葉を続ける。
「ただ、実際は八方美人って言葉があるくらいでさ……みんなに好かれる、なんて、そんな綺麗にこなせる事じゃないんだよ、頑張ったって嫉妬されたりするし、特にあまり顔を会わせないような人には、やった事だけ伝わるから」
「それくらいは俺だって分かってる。 間違えも嫌われもしない、トラブルを起こさない人間なんかいるかよ……けど、お前は俺に気が付かせないくらいに上手くやっていたんだろ」
「うん、クラスの事を把握して、みんなの中心になれるようになって、誰にも嫌われないように頭を回して、それでも避けられなさそうな問題は、こっそり解決してきた」
つまりそれは結果として、みんなの人気者になろうと努力してきたという事で、何も悪い事はしていない、むしろ他人にとっては目立ってトラブルを起こさない有益なヤツだって事だろう。
「お前が隠れて立ち回ってきたのは分かった、けどそれが何か問題なのか?」
「_____バレたら、失望されると思ってた」
目線が合う、泣きそうに見えるのは、気のせいではないかもしれない。
「でもそんな事なかった、助けにだって来てくれた、こうして話も聞いてくれている」
「助けの方は結果的に、必要だったか大分怪しいけどな」
「そうじゃないんだよ。必要だったかじゃなくて、嬉しかったんだ……だから決めたんだ、この機会に全部話しておこうって……それで、今までの関係が壊れても」
大袈裟なヤツだ、言った通り無謬の超人だなんてはじめから思ってはいなかった。
ただ、少しだけ幼馴染の努力家具合を甘く見ていたのは、否定できないかもしれない。
「……変わる時ってさ、どんな感じだったと思う?」
「急に話も変わったな、男から女に変わった時って事か?」
「そう、一か月もかからず、人間一人が男から完全に女になるんだよ」
「よく考えると、とんでもない事だな」
背が伸びるんだってもう少し時間をかけるだろうし、前の辰美の面影はあれど今の辰美はほぼ別人だ、骨格とかも違うだろう、つまり……
「突発的性転換症候群はね、死ぬことは無いけど、死ぬほど痛いんだ。」
男の時から一回り以上は小さくなった手を組みながら、言葉を続ける。
「肉体が急激に無理矢理組み替えられて、筋肉や脂肪……内蔵だって滅茶苦茶に引っ掻き回される。この前も言ったけど、頭の中だって変わる対象なんだ、麻酔だって限界がある」
「それは……キツかったんだな」
「苦しい思い出だったけどね、けど、今話したいのはそこじゃなくて、そうやって身体も心も自分が男から女になっていくって時にさ」
組んだ手を解いて、片手を手を広げたままこちらに向けてくる。
「その時浮かんだのが、シュータローの事だった」
「俺?」
「自分より一回りも二回りもちっちゃい幼馴染が、ずっと勉強とか自分にできる分野で張り合って、一緒にいてくれてた、これってあまりに幸せな事だったんじゃないかって」
一回りも二回りもちっちゃくて悪かったな。
「お前のためにやっていたわけじゃない、単に俺が負けず嫌いなだけだ」
「普通の人はね修太朗、あまりに上手くやってる人間を見ると”アイツは自分たちと違う特別なんだ”って諦めたり、別物扱いして線を引くんだよ」
「俺だって線は引いてた、お前の事は昔から苦手だって言ってるだろ」
「だから嬉しかったんだよ、真正面からそんな感情を……苦手だって事を隠しもせず張り合って、幼馴染やってくれることが……だけど」
「だけど?」
「同時に、すごく怖かったんだ、手放したくなくなった」
こちらに向けられていた手が、閉じられる。
「ちょっとしたきっかけで、この関係が変わってしまってシュータローも”みんな”と同じになってしまったら、それだけじゃない、僕じゃない誰かがシュータローに強い感情を……たとえライバル心でも、苦手だって感情だって、向けられる相手になる事すら、怖くて仕方なくなった」
「お前……」
それは大分、変なのではないだろうか。 いや、変な幼馴染なのだ、ずっと昔から知っていた、ただ思っていた以上にこっちを見ていたという事だろう。
「そう思ったらもう我慢できなくなって、変わった自分の顔をはじめて見た時も……あ、コレならシュータローの好みじゃんってなった」
「お前……!?」
「顔合わせてドキドキしてくれて嬉しかった、好きそうな恰好をしたら反応してくれて嬉しかった、心の事相談したら真面目に向き合ってくれて嬉しかった、怖いって思ったら来てくれて嬉しかった……同じくらい、シュータローが隣からいなくなるのが怖くなった」
幼馴染で、幼稚園からずっと一緒。だけど、これからも一緒かどうかなんてわかりはしない、それは当たり前の事だが、辰美はずっとその事を不安に思っていたのだろう。 いや、それは、いくらなんでも……
「……変だな」
「変、だよね、シュータローの気持ちなんて全然考えてない、自分勝手だ」
仕方ない、といった様子で腕を下す辰美。
俺は立ち、天を仰ぐ。
「そうだ、俺がどう考えるかを考えてなさすぎる」
昔からそうなのだ、この幼馴染は根本的な所で俺の感情を読み違える。
「そうだよね……」
「こっちの事を熟知していて、趣味も合って、それで自分が隣にいれない事が怖くて仕方ない幼馴染だって?」
だから、そろそろハッキリ言ってやる必要が出てきたのだろう。
「_____そんなの、好きになっちゃうだろ」
「……は?」
目をしばたたかせる辰美を見ながら距離を詰め、ベッドの辰美の横に勢いよく座って、話を続ける。
「嫌なのか?」
「え、その、えぇっ……!?」
「お前にその気があろうが無かろうが、今の話を聞いて俺は決めたぞ」
「だって、修太朗、僕の事苦手だって!?」
「ああ苦手だった、だけどその上で俺の事を必死に考えてくれているとわかった、それは好きになるぞ」
「あぅ……そんな軽々しく好き好きって……!!」
「どうせこの流れでじっとり話続けて、そっちから言って俺が好きって返したら”言わせた”だの、”今の自分だから好きなんだ”とか拗らせるだろお前。 だから言うんだよ、好きだって」
「ん……! ぐ……!」
どうやら返す言葉に詰まったらしく、パクパクと口を鳴らすだけだ。 ざまぁみろ、俺が何年この面倒臭い元男の幼馴染をやっていたと思っているのだ
「それとも何か? お前好きでもない男の好きな格好して、思わせ振りな事してたのか?」
「それは……! 嫌われないために必要かなって思ったというか……友情の、その、ほら、元男だし友情のこう!」
「今は女だろ、友情の距離感で思わせ振りは好きになるんだよ」
「んぐー……!」
顔を真っ赤にして毛布を強く掴む辰美。 俺はコイツみたいに相手の好みに合わせるなんて器用な事は到底できそうにないので、相手がこっちを好いているという前提を最大限活用させてもらう。 が、一応念のため聞いておこうか
「堀之内辰美さん」
「は、はい!」
「あらためて好きです、付き合ってください」
「は……はい……! 僕も好きです、汐入修太朗くん!」
うん、どうやらここで日和られるほど俺は信頼されてないわけではなかったようだ。
蕩けた目をした辰美は、絞り出すように返し、そして
「結婚しましょう!」
「滅茶苦茶気が早い」
「そっ、そうだよねアハハ冗談だってつい舞い上がっちゃって変な事言っちゃったこういうお茶目な女の子好きだもんねーシュータロー」
うわ、急にめっちゃ早口になった。 いや、幼馴染が一生の相手というのは悪くないかもしれないが、今言ったらどんな化学反応起こすか分からないし、あとにしよう。
「フフ、えへへ……シュータローが彼氏? ぼんやりと目指してたかもしれない関係だし、そんな事があったら良いなって、ずっと考えていたけど……良いんだよね?」
「良いも悪いもあるか、俺はこうする、それだけだ……まぁ、周りのヤツらはびっくりするかもしれないが」
「あ、それは大丈夫、クラス女子部屋ではずっといつ告白するんだってノリだったから」
「おい」
「それにお母さんもシュータローみたいな彼氏が欲しいって言ったら、応援するって言ってくれたし」
「おい……」
「大体、今思い返すと男だった頃から大概不健全な関係だったんだ、僕が女になって彼女になるくらいしたって別に丁度いいくらいなんじゃないかな?」
「自覚あったのかよ……まぁ、結果オーライだな」
ようやくいつもの調子が帰ってきたらしく、色々と恐るべき裏話が明らかになっていくが……もしかしなくても俺、滅茶苦茶狙われてたんだな。 今こうしてまともに告白できたのはある意味奇跡かもしれない、色々な事に感謝しておこう。
「ねえ、シュータロー」
「何だ」
「抱きついて良い?」
「前もしてただろ、好きにしろ」
「前とは関係が違うから……」
そう言って恥ずかしそうに腕を広げ、辰美は包み込むようにこちらを抱擁してくる。 体重がこちらにモロにかかり、身体が傾ぐが……不思議と嫌な気はしなかった、ずっと遠回しに預けられていた力が、ようやく正面から来てくれたような感覚がある。いいだろう、この子が俺の彼女だぞ。
「シュータロー、好き」
「俺もだ」
「シュータロー、浮気したら泣くから」
「できるかよ、手一杯だ」
「シュータロー……ずっと一緒だからね」
「ああ……よろしくな、辰美」
柔らかな感触と、両手に余る重さを抱えながら、二人でベッドに倒れ込む。
今週は映画か、海か、プールか、ともあれ辰美の水着は楽しみだ。
そんな夏休みのロスタイムが終わっても、俺たちの時間は続いていく。
窓の外は陽が落ちて、落ちる夕闇は俺たちの姿を隠して、そして________
堀之内辰美は俺の天敵である。
物心ついてから、この幼馴染には敵わないと何度も思わされてきた。
そしてこれからは、ずっと変わらず……俺の最高の彼女だ。