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3.餡子は甘い

小夜の洋裁店のドアから、笑顔の一夜が入って来る。

「こんにちは。小夜さん千花さん」

「あれ?ひとりなん?」

「ううん。お兄ちゃんと優気さんは本屋さん。後から来るって」

「ほんなら、先に洋服見る?」

「うん!」

テーブルの上には何着も洋服が広げてあって。どれもフェミニンな感じ。

パステルカラーのやわらかな生地でふわふわひらひら。

「うわあ。かわいい」

一夜は目をキラキラさせて。広げてデザインを見たり、身体に当ててサイズを確認する。

小夜は服を見ながら呆れ顔。

「ほとんど新品やんか。コレなんか一時期流行ったブランドもんやで。

千花ちゃん、全然着てへんの?」

「アタリマエやん。

ブランドもんやから、着るんちゃうやろ。着たいもんを着るんや。

そお何回言うても。お母さんいっつも少女趣味なん勝手に買うて来てなあ。

私が自分でリメイクした服着るよーになって。やっと諦めてくれたけどな」

確かにどの服も品の良いお嬢さん風。

でも逆に、落ち着き過ぎた雰囲気の一夜なら。少女ぽいやわらかさが活きてくる。

「どれも本当にステキ。こんなお洋服初めてです。

すごく嬉しい!大切に着ます。ありがとう千花さん!」

大はしゃぎで一夜は千花に抱き着く。

「そないに喜んで貰えると。この服も救われるワ。

小さいサイズも持って来たんや。ちょっおっと直したら、千夜ちゃんが着れるかなあ思うて」

別の紙袋に入っていた服を千花が広げると。

小夜も一夜も笑ってしまう。余りにも千花のイメージとかけ離れていて。

「こらまたリボンにレースて。お姫様やな」

「うん!千夜なら大喜び!」

「ええ機会や。一夜ちゃん、お直しの基本教えたげるワ。自分でやってみ」

「はい!是非教えてください」


小夜も千花も気付いていた。

合唱会の後、一夜はすごく変わった。

いつも遠慮がちで控え目で。想いや言葉を我慢しているみたいに黙ってしまうことが多くて。

千花なんか、もっとハッキリ言いや!と一夜の背中を叩きたくなることがあったけど。

今は顔を上げて、笑顔を向けて。感情を表していて。

うつむいて咲くスミレも可愛らしいけれど。

スイレンのように空を見上げて花開く美しさには、誰もが惹かれる。

めっちゃエエ顔するようなったなあ、と千花も小夜も嬉しくなってしまう。



「そおや。

千花ちゃんから預かった合唱会の黒Tな。彩子さんに渡したら、着てくれたんやで」

「えっマジ?」

「ほら」

小夜がタブレットを操作すると。

そこは日本ではない雰囲気のジャズバー。

あのペイントが散らばった黒Tシャツの袖を落としてタンクトップにして。

黒のタイトなロングスカートに黒レースを重ねた大人ぽいリメイク。

化粧も濃い朱色リップが妖しくて色っぽい。

そして一夜が編んだ、花モチーフリボンをチョーカーに。

動画ではバラードを1曲歌った後に、あのWhat a wonderfulwarldを披露して大きな拍手を受けていた。

「わーすご。あの人プロやってんな」

「そおやで。少し前は日本でも有名なユニットのボーカルで。

そん時のお仲間さんが、この近くに住んどるから。時々ココに帰って来るんや。

彩子さんがウチでステージ衣装注文してくれるんで。

もお夢みたいにキラキラなドレスとか作らせて貰えてなあ。めっちゃ楽しいんや」

小夜の話を聞いて、一夜はうっとりとした笑顔になる。

「そんな特別なヒトと出会えたなんて。

ほんとに素敵な出来事だったね…わたし絶対忘れない」




そんな乙女タイムに。店のドアが開いてガサツな声が割り込んで来る。

「こんちわー。小夜さーん、ちょお助けたってー」

「うわ。うるさいンが来たワ」

「いや、今日は洋裁の頼み事やねん」

優気は大きな紙袋をずいっと小夜に差し出す。

「このスーツな、何ンとか着れるよおに出来ひんかな」

「あんたがスーツ?」

裁縫のプロとして一瞬真面目な顔になった小夜だけれど。紙袋から取り出したスーツを見てゲンナリ顔。

「これ何年前のヤツ?しかもカバー無しでタンスに掛けっぱやったやろ?

襟元とか袖口とか色落ちしとるやんか。うわボタンもヒビ入っとおし。直すだけ無駄やワ。

しかも今となってはサイズも合わへんやろ。背中とか肩回りとかムキムキやもんな」

「せやけど。数回しか着てへんのに」

「勿体ない思うんやったら、普段からもおちょい服装に気ぃ配りっ」

「はあああ。どないしよ…」

肩を落として情けないしょんぼり顔になる優気は。実は、外見はまあ悪くない。

剣道で鍛えている身体は逞しいし。人の良さが滲む明るい顔はコドモぽい笑顔がよく似合う。

ただ全然気を遣わ無さ過ぎる。

髪型はいつまで経っても高校生みたいな芝生のままだし。

眉の手入れもしてなければ。手抜きの不精髭がまばらに残ってるコトもあるし。

着ている物だっていつもテキトー。とりあえずソコに在る物に袖を通すだけ。

そうやってコーディネートと言う単語を知らずに育ってしまったので。

チェックの短パンに柄シャツ羽織ってスーパーに買い物行ったりしてしまうから。

とりあえず無難にと。クローゼットには黒やグレーの無地ばかり。

それもすっかり着古して毛玉だらけ。それをまた全然気にしないから、もおどうしようも無い。



頭を抱える優気の後ろにはエリオも居て。

助けを求めるように、ちょっと首を傾げて小夜を見る。

「あの、タイヤキ買って来ました。ぼくコーヒー淹れます。

小夜さん、優気の相談に乗ってくれませんか?」

そういって微笑むと。

千花はうわあと眉間にシワを寄せ、目を細めてエリオを見る。

「タイヤキ王子、お顔も振る舞いも眩し過ぎるワ。

比較範囲に居るンがまたダサオトコやから。なおさら輝いてまうなー」

「そんなコト無いよ」

千花のツッコミに、エリオは真面目な顔で応えながら。

まだ温かいタイヤキが入った袋を一夜に渡して、奥のキッチンへ向かう。

「優気はすごくカッコイイよ」

「へ?」

予想してなかった言葉と。そう言う時のエリオの甘い表情に。千花と小夜は目をぱちくり。

「すまんなエリオ。助かるワ。

小夜さん、どおしても急ぎでスーツ必要なんや。どないしたらエエ?」

エリオの言葉を聞いていたのかいないのか。とにかく優気は困ってるらしく、自分の用事優先。

紙袋から更に皺くちゃのワイシャツとか、似合いそうもないネクタイとかをテーブルに並べてる。


千花は一夜をちょいちょいと呼んで。こそっと訊いてみる。

「王子サマ、どないしたん?えらい優気に懐いとるやん?」

ふふっと一夜もカワイイ笑顔。

「うん。お兄ちゃんはもう、無理してお兄ちゃん役しなくてもよくなったの。

今までずっと頑張って、私と千夜を守ることばっかりだったけど。

もう何も心配要らなくなったし。自分のことだけ考えてもよくなったし。

特に優気さんの隣だとほっとするみたいなの。

まるでお兄ちゃんのお兄ちゃんが出来たみたいだよね」

「えええー?あのボサっとして気ぃ利かん奴なンに?」

視界の端では。

ビシバシと小夜の厳しい指摘を受けて、大きな身体を縮こませている優気の姿。

千花が胡乱な視線を送ってしまうのも仕方ないほど。

だからやっぱり納得出来ない感じで文句をブツブツ。

「せやからてなあ。そんな手近な奴で済まさんでもなあ」



淹れたてのコーヒーが運ばれて来ると。

改めて優気は小夜に頭を下げた。

「明後日、神戸で連盟の会合があるんや。

国内外で剣道の指導員しとるベテラン剣士の話も聴ける、貴重な機会でな。

フツーなら地域役員しとるエライヒトしか参加出来ひんのやけど。

まともな服装したら同行させたるて、狭山さんが言うてくれとるんで。

明後日までにナントカしたいんや!小夜さん、この通りや。お願いしますっ」

「まともなふくそお…」

例え頭を下げられても。ムリなもんはムリ、と言いたげな表情で。

小夜は優気の服を摘まみ上げてタメ息をつく。

「明日朝イチでミナミまで行けるか?」

「え?」

「スーツの仕立専門の知り合いがミナミに居るんや。ソコなら色んなパターン揃えとる。

そおやなあ、今ココで採寸して生地指定までしといたら。在庫品から用意して貰えるワ。

そんで明日店行って調整して貰うたら、夜には持って帰れるやろ。

値段は張るけどな。優気みたいな体格やとツルシは合わへんし。ソレしか無いで」

「ぜひソレでっ!」

仏様に手を合わすように、優気は小夜を拝んで感謝感謝。


「どおせシャツもタイも一揃い必要やんな。それだけでも1日仕事や」

「そうだね。でも優気さん、ちゃんと買い物出来るかなあ」

千花と一夜はそれぞれコーヒーとカフェオレとタイ焼きを手に。心配そうにつぶやく。

小夜も大急ぎでタイ焼きを頬張ってカロリーチャージすると。メジャーを取り出した。

「そおとなったら、採寸すんで!」

「え、ちょお。オレもタイ焼き」

「あ、はい。コレ」

自分のタイ焼きを齧っていたエリオが、慌てて1つ優気に差し出そうとするけれど。

「そっち黒ゴマ餡やんな。ひとくちチョーダイ」

ばくんと大きなひとくちで、優気はエリオが齧っていたタイ焼きを食べてしまって。

エリオの手に残ったのはシッポだけ。エリオの目はまん丸。

「よっしゃ!ヤル気出て来たワ。小夜さん、よろしくお願いしまっす」


手の中に残った小さなシッポをじっと見つめ。

キスするように口元を寄せて、食べ切るエリオの姿は。千花だけが気付いていた。





「良かったなあ。小夜さんによおよおお礼言わんと」

スーツの準備がナントカなりそうなので、祖母は安心した顔。

クローゼットの奥から、うっすらホコリが積もった成人式のスーツが出て来た時は。

ほんとにもう。どうしよかと思っていたから。

「そもそも成人男性がスーツのひとつも持ってへんて。どおなん?

冠婚葬祭いつ有るか判らへんやろ」

母親の史子は呆れ顔。

「そーゆーンはレンタルあるし」

「あほ。小夜さんにも言われたやろ。あんたの体格やとレンタル品なんて着れへんワ」

救いようの無い会話に、可愛らしいはしゃぎ声が飛び込んで来た。

「見て見てー!お姫様っ」

「あらまあ。なああんて可愛らしいんやろ」

千花からたくさん譲って貰ったお下がりの洋服は。

田村家で暮らし始めて身体も成長してきた一夜と千夜には丁度ぴったり。

そろそろ手持ちの服もサイズが合わなくなっていたし。季節も変って来たから。

本当に嬉しいプレゼントだった。

それに。

色んな心配事もやっと落ち着いたのだから。オシャレもたっぷり楽しみたい。

わくわくが溢れる笑顔の一夜と千夜が可愛くて可愛くて。

史子も祖母もぎゅうっと抱きしめる。


「そおや。明日色々買い物ンせなアカンのなら、エリオも行ったら?

冬物も用意せんとな。たまには自分で選んでスキな服買うてき」

「そおやそおや。ソレに何よりな。優気がヘンな服買わんよおに、見張って貰わんと」

そう言われると。

遠慮していたエリオも真顔になってしまう。

せっかく、ちゃんとしたスーツが間に合っても。安っぽいシャツやTPO無視したネクタイとか。

祖母や史子はもちろん。その場に居た全員がホンキで不安顔。

「お兄ちゃん、付き添ってあげて」

「うん…」

ここまでディスられて優気は怒ってないかな?とエリオがそろりと視線を向けると。

優気と目が合って。はははっと明るく笑われる。

「エリオとデートかあ。楽しみやなあ」

こんな時どう応えたらイイのか。エリオは判らなくて、唇をきゅっと噛むしかなかった。





エリオの部屋の本棚は、今では随分埋まっている。


風呂上りのエリオはタオルで髪を拭きながら、棚に並ぶ大切な本の背表紙を眺めた。

教えて貰ったシェア本屋は本当に居心地が良くて、学校帰り毎日通っている。

最近は祖父のお迎えではなくバス通学をしていて。

本数が少ないバスを待つ間は、一夜は小夜の店へ行くしエリオはシェア本屋で過ごす。

そうしてじっくりと本と向き合って。自分の心に響く一冊と出会えると胸が温かくなる。


実の母親なのに、レイラが理解出来なくてずっと怖かった。


その意味が。たくさんの言葉や考え方と出会うことで、少しずつ正体が見えた気がする。

(大袈裟かも知れないけど。

きっと誰かのどんな理想も願いも祈りも、何処かで全部つながってるんだ。

それなのに切り分けて。正義か不義か、重要か不要かなんて比べるから…。

ぼく達は見捨てられた気分になってたし。

レイラは母親役を拒否して、理想の自分を追うしか無かったんだ。

ほんの少しでもいいから愛情を示して。一言でも大切な家族だよって伝え合えてたら。

つながりは切れずに済んで。違ってたかも知れないのに。

あの息苦しい毎日の中では、レイラも理さんもぼくも誰も。出来なかった)

もう元には戻せない失敗や行き違いを思うと、胸は苦しく寂しくなるけれど。

同時に、今新しくつながって出来た居場所も実感出来る。

何かを失っても。新しく創られるコトだってある。

田村家での日々。学校の友達や、この街で増えた知り合い。

それが全て。あの日迎えに来てくれた優気の登場から始まったんだと思うと。

懐かしくて笑みが浮かぶ。

しかも今思い返しても、ものすごくヘンな恰好。くくくっと笑い声まで漏れてしまう。

優気でよかった、と思う。

優気がいいな、と思ってしまう。

優気とずっと一緒に居たいな、と言う想いが自分の中に在って。

ぽろっとエリオの灰青色の瞳から涙が落ちる。

この想いをどうしたらイイのか、もう随分長く判らないまま持て余している。





翌早朝、欠伸を噛み殺しながらエリオが助手席に座ると。優気から毛布を渡される。

「ごめんな、早起きさせてもて。月末やし路混雑するんで早めに出た方がエエんでな。

着いたら起こすし、寝とってな」

「うん」

確かに睡魔には勝てそうになくて。

素直にエリオは毛布にくるまって目を閉じるとKatie MeluaのWhat A WonderfulWorldが流れる。

あの合唱会以来、田村家のお気に入りになってる歌。

車の揺れも狭さも気にならなくなって、エリオはすぐに眠った。



小夜のお陰でスーツの仕立ては順調で。19時には完成品を受け取れそう。

「ほんまにありがとうございます。助かります」

深々と優気が頭を下げると。初老の仕立屋は苦笑い。

「いやー小夜さんの頼みや無かったら。よお引き受けへんけどな。

お客さん、剣道しとるんやっけ?この背中から肩回りのラインめっちゃクセあって。

小夜さんから事前情報貰うとかんかったら、よお対処出来んかったワ。

シャツ買う時も気ぃつけや。既製品で合わんかったら、後で調整したるワ」

「何から何まですんません」

ほっとした笑顔でもう一度頭を下げると。2人は『臨時休業』の札がぶら下がる店を後にした。


優気は、んーーっと大きく伸びをする。

朝8時に仕立屋に到着してから2時間細かい調整があって。やっと解放。

くしゃくしゃっと隣に居るエリオの黒髪を混ぜる。

「エリオも長い時間ありがとおな。後は待つだけや。

さーあ、今度はエリオが楽しむ番やで。

母さんが言うとった通り、好きなモン買いに行こか。いや先に何ンか軽く喰おか」


この辺りは、まだ古い雰囲気の商店街だけど。1本通りを出ると再整備されたショッピングエリア。

店の開店時間を迎えて、行き交う人もどんどん増えてきた。

自分の肌の色は興味の視線を集めてしまうから、こういう場所はすごく苦手。

でも優気は返事を待つことなく、エリオの手をふわりと包むと人混みの中を進んで行く。

竹刀を握り続けてきた優気の手はゴツゴツして硬いけれど。

どんな視線も撥ね返してくれそうな強さを感じて、エリオはほっとする。

それに人混みではぐれないように優気にくっつくと。もっと安心出来て。

(こうしてるだけで、楽しい)

エリオはやわらかな笑顔になっていた。


「ここのお揚げさん、めっちゃ分厚うて旨いんやで。

高校ン時に模試受けに大阪来ると。よお食べに寄ったんや」

そう言って安っぽいアルミサッシの引き戸を開けて、優気が入って行く店は。

付近で働く人達が朝食でいっぱいすする為のボロいうどん屋。

奥にはイス席もあるけれど。既に埋まっているので立ち食いのカウンターに並ぶ。

いっらしゃいませ、なんて出迎えの言葉も無く一瞥されて。エリオはちょっと緊張する。

「大玉2つ。お揚げさんも2枚ずつ」

「そんなに食べられないかも…」

「だーいじょーぶ。食べ切れんかったらオレ喰うし。

まあ平気や。ツルツルって腹ン中入って行くて」

そんな二言三言の間に、もう出来上がったきつねうどん2つ。

透き通ったお出汁に、ツヤっと光る大きな油揚げ。鼻をくすぐる香りは、家の台所で知ってる香り。

「おばあちゃんがお味噌汁作る時と似てるね」

「そおそお。かつお節たっぷりのな。エエ匂いやあ」

優気は笑いながらエリオの上着を預かって。自分の大きなワンショルダーに突っ込む。

もし千夜が居たら、お洋服がぐしゃぐしゃになっちゃう!って怒りそうだけど。

さっきの人混みを抜ける時と言い。

優気は雑だけれど、庇うようにエスコートしてくれて。しっかり自分の顔を見て笑ってくれる。

だからエリオは素直に甘えられる。

今までの、相手が求めているコトを読み取って、行動を選択するのとは全然違う。

この安心感が居心地良くて。また(このままずっと…)そう思ってしまう。


「いただきまっす」

「いただきます」

小さく言って手を合わせると。

カウンターの他の客からの視線を感じる。それは、外人なのに流暢な日本語やなと興味の視線。

これまで何度も経験してきたコトで。そんな時は目立たないように行動するしか無かったけれど。

今隣では優気がずるるるるっとうどんを啜って。旨あああっと明るい笑顔。

それが周りの視線を撥ねのけてしまう。

だからエリオも遠慮無しにつるるるるっとうどんを啜って。もぐもぐごくん、ふはっと吐息。

「おいしいね」

「やろー?ははっ!湯気で髪が張り付いとおワ」

ハンカチなんて持ち歩かない優気だから。

そのまま大きな手で、ぐいっとエリオの額を拭ってしまって。エリオの前髪はくしゃくしゃ。

もう周りのコトなんか気にならなくなって、ただただ笑って味わって。気付くと大玉完食。


カウンターを離れる時に、ごちそうさまでしたと厨房に言うと。

不愛想な店員2人は顔を上げて。おーきにと小さい声を返してくれた。


そんなスタートだったから。

その後の買い物もエリオは本当に楽しかった。


仕立屋さんがスーツの端切れを持たせてくれたので。

シャツとネクタイを選ぶ時は、端切れを置いてエリオもどんどん意見を言って。店員と真剣勝負。

優気が買い物に飽きてくると、エリオが代わりに革靴を選んだし。

エリオの買い物をする前には、初たこ焼きで休憩もして。

出来立てのたこ焼きは中身が柔らかくて熱くって。

つま楊枝で持ち上げて口まで運ぶまでに崩れそうになるので、2人は額がくっつくような距離。

あはははと何度も声を出して笑って。

買い物で優気の両手が塞がってしまうと、上着の袖を握って歩いて。

このままずっとずっと2人で歩いて行けたらいいのに。

エリオの胸は、そんな想いでいっぱいになってしまう。



「ほんなら〆はお好み焼きにして。スーツ受け取りに行こか。

さすがに疲れたやろ。ゆっくり座れる店にしよな」

そう言いながらも。やっぱり優気が入って行く店は、油とソースが沁み込んだようなボロい店。

呑んでる客も多くてガヤガヤうるさいけれど。その分エリオの肌の色を気にする視線も無い。

「お好み焼きも初めてやんな?」

「千夜がスキだから。時々おばあちゃんが作ってくれるよ」

「いやあ。店のンはまた別や。

色々頼んでハンブンコしよか。もし苦手なんあったら食べんでエエからな。オレ喰うし」

「うん」

田村家に来る前は、いつも子供3人で総菜を買って食事をしていて。

時間もお金も限られているし、選り好みしてる余裕なんて無かったから。

気遣われて好みを尋ねられても。何が好きか苦手かなんて考えたコトも無かったのに。

(優気と一緒に居ると。

食事の味も匂いもはっきり感じる気がする。

ぼくを見てくれてるから。ぼくの中に、ぼくがハッキリするのかな)

そんなコトをエリオはぼんやり思う。

「エリオ、くちンとこ青のり付いとお」

お好み焼きあるあるや、と笑いながら。

優気は親指でエリオの唇をなぞって。そのままその親指をぺろりと舐めた。

困ったことに。

その後のエリオは、せっかく色んな種類のお好み焼きが並んでも。

何故かまた味の違いが判らなくなってしまった。




仕立屋さんに戻って、試着して。革靴に合わせて裾上げして。

もう小夜だって文句無いほど完璧なオトコマエの出来上がり。エリオも思わず拍手。

「おっちゃんが老体に鞭打って仕上げたんや。

そのボサボサ頭も整えて、スーツの品格落とさんよーにしたってな」

「はい!明日朝イチで散髪行ってきます。

ほんまにありがとうございました。また来ますんで、よろしくお願いします」

「今度はフツーの注文で頼むワ。

それになあ、今度はコッチの子ぉのんも仕立てたいなあ。

手脚長いし。淡い色でも似合いそおやし。仕立てンの楽しいやろなあ」

「そおなんです。自慢の弟なんで!」


その優気の一言で。夢のように楽しかった時間が突然終わった気がして。

エリオは強張った表情になる。

仕立屋を出て。駐車場に戻って。助手席に座ってシートベルトをする。

休日は終わり。また現実に戻るだけ。

そう。現実ではこんな近い距離で一緒に居ることは、もう無いかも知れない。




下りの高速は空いていて。思ったより早く帰宅出来そう。

優気は車を走らせながら話し出す。

「なあエリオ。来年は3年やん。進学とかこの先どおしたいか考えとお?」

「え?あんまり、考えてない」

「そおかあ。まあ色々あってソレどころちゃうかったしな。

あんな。じいちゃんもばあちゃんも元教師やねん。

せやから、学びたい子ぉには協力したい方やしな。

孫のオレが言うのも変やけど。金銭面の心配は要らん。

駅前の大通りから大きい交差点抜けた後て、住宅地広がっとるやろ?

あの辺な、じいちゃんの田んぼやったんや。

子供が少なあなって、学校の統廃合が進んでった時にな。

それでもヒトが住む場所まで廃れたらアカン。インフラキープせんといかん。

そお言うてな。住宅地にしたんや。

リモートワークとか地方移住のブームもあったし。高速のインター出来たから便利やし。

まあ今ンとこ上手くやれとおから、余裕あるねん。頼ったらええ。

エリオがしたい事あったら、じいちゃん達は絶対応援してくれるんでな。

一回ちゃんと相談してみ。もおな、エリオは自由に自分のコト考えてエエんやからな」

自分の未来を考えてくれる有難い話なのに。

エリオには、急に優気が遠い他人になったような気がした。

ついさっきまで手をつないで。身体をくっつけて。想いも重なっているように感じたのに。


今日1日、優気は自分の面倒を見てただけで。

自分は面倒を見て貰うしかない無力な子供で。

しかも結局、祖父母の元に戻されてしまって。

デートしてたんじゃない、と感じてしまう。

「うん。ありがとう…」

震えそうになる声を抑えて、ひとこと言うのが精一杯だった。



「そおや。ちょおっと寄り道しよ。こんな時間にドライブすること滅多に無いもんな」

鈍感な優気は、エリオの落ち込み様に気付くことも無く。相変わらずのマイペース。

「疲れとったら、すぐ帰るけど?」

「へいき。疲れてない」

このまま一緒に居たら、もっと寂しく苦しくなるかも知れないけれど。

最初で最後のデートを自分から終わりにすることは出来なくて。エリオは小さく笑顔を返した。



いつの間にか、車はうねうね蛇行する細い路を登っていた。

所々に街灯があるだけの暗い路。対向車とすれ違えないし。夜行性の動物とか出て来そう。

車の速度を落として、優気も集中して慎重な走り。

エンジン音だけの静寂で。本当に真っ黒で真っ暗で。ヘッドライトだけが浮いている。

(TVで観た深海に降りる潜水艦みたいだ。

そう言えばシェア本屋で、鉄道が宇宙空間を走る物語があったっけ)

そんな不思議な感覚に漂って。エリオの凹んだキモチが少し紛れた頃。

「おっと、行き過ぎるトコやった」

大きな樹々が壁のように並ぶ一角に優気は駐車した。エンジンを切ると辺りは闇。

光も音も吸い込まれるような無の空間。エリオはちょっとドキドキする。

「足元、未舗装なんや。

ライト持ってソッチ行くんで、ちょお待ってな」

優気が車を降りると、ジャリジャリと足音が回って。助手席のドアが開けられる。

「結構寒いワ。コレかぶろ」

早朝の移動で使った毛布に包まれながら、エリオも外へ出ると。

そこはカーブの手前に作られた小さな展望スペースで。

丁度樹々の並びが切れて。何も遮るモノが無い場所で。ただ星空だけが在った。

奥行きの感覚が無くなってしまうような夜の黒さの中に、チラチラきらきら散らばる星々。

エリオは見上げたまま動けなくなってしまう。

「わあぁ…」

思わず歓声が漏れる。

「ええやろー。

頂上は街の夜景を見下ろすスポットなっとって。それなりに人も居るんやけど。

こっちの裏道はほとんど知られてへんから。静かで星もよお見えるんや。

やっぱ上の方は寒いなーっ。オレも入れて」

吐く息を白くさせて優気が毛布の中に入ってくると。

エリオの目の前に、ドヤ顔の優気が居て。温もりを感じて。他に何も無いふたりきりで。

なにかが湧き上がってるのを抑えきれずに。

エリオは優気の首元に腕を伸ばして、頬を摺り寄せて。唇を重ねた。


相当驚いたのか、優気の身体はびくっと大きく揺れたけれど。

毛布は地面に落ちそうになるし、エリオはつま先立ちで不安定だし。

とりあえず優気は毛布ごとエリオをぎゅっと抱きしめる。

そうすると何故か。やわらかくてしっとりしたエリオの唇が甘く感じられて。

つい味わうように、優気は自分の方から強く深くキスを返してしまう。


ふと。頬に水分を感じて唇を離すと。

エリオの灰青の瞳からぽろぽろと涙が落ちている。

「ごめんなさい。急にこんなコトして。でも。

ぼくは優気が好きだ。こんなコト言っても、困らせるだけなの判ってるけど。

弟だって言って貰って。家族として良い生活させて貰って。これ以上望める立場じゃないけど。

でも優気が好きで。一緒に居ると何もかもが新しくて楽しくて幸せで。そんなの優気だけで。

これからもずっと一緒に居たいって気持ちがもういっぱいで…」


優気を見つめるエリオの瞳は涙で潤って。それこそ星空の中で唯一の水の星みたいに美しくて。

それに見つめられると。

さっきまでの寒さは吹っ飛び、優気の心臓は全力疾走になって、額には汗が噴き出してしまう。

「ちょ、ちょ、ちょお待ってなっ。

オレもその突然で混乱しとって。せやけど、だからてイヤな訳でも無いし。えーーーーとっ」


子供のように。いやまだ子供なんだけど。涙と気持ちが溢れたまましがみつくエリオと。

挙動不審ながらも、今腕の中にある美しい存在を手放せなくなってしまった優気と。

夜空いっぱいの星々がクスクス笑うように煌めいて、2人を見下ろしていた。





田村家には、母屋から廊下を渡った先に小さな別棟がある。

昔はそこで祖母がお花やお習字の教室を開いたり。祖父が特別なお客を迎えたりしていたけれど。

今では特にメンテナンスもしてないから、古いし寒いし。ほとんど物置部屋。

そこが優気の部屋になっている。

「休学は1年だけや。居心地の良い部屋で暮らしたらズルズル居着いてまうやろ」と言う理由。

それに優気はほとんど剣道場で過ごしてるから。

エリオ達は、家の中で優気と顔を合わすことはあんまり無かった。


日曜日とは言え。

昼前になって、やっとエリオは目が覚めた。それでも頭はぼーっとする。

前の晩、里山の展望台で2人で星空を眺めて。つい奥深くに埋めていた言葉が溢れ出てしまって。

その後のコトはあんまり思い出せない。

ベッドに入っても、胸は苦しいし。後悔のような祈りのような開き直りのような。

とにかく色んな感情が打ち寄せてきて、眠れなくて。

やっと明け方頃からウトウトしただけだから仕方ない。


部屋の外から祖母の声がした。

「エっちゃん?大丈夫なん?

昨日時間遅かったし。ちょお寒かったから体調崩しとるかも、て優気が言うてたけど。

どおなん?風邪薬持ってこよか?」

「ありがとう。おばあちゃん。全然何ともないよ。すぐ起きる」

ゆうき、と言う単語ひとつで。また胸がドキンと跳ねるけれど。

誰にも心配は掛けたくないし。いつもと違うなんて気付かれたくない。

ふううっと深く息を吐いて、エリオはベッドから出て身支度を整えた。


居間では、千夜が祖父母とお昼ご飯。

メニューは千夜のスキなものばかり。オムライスにフライドポテト、フルーツ入りのマカロニサラダ。

千夜も祖父母を独り占めして楽しそう。

2階から降りて来たエリオを見て、ぱあっと笑顔になる。

「おにいちゃん!昨日お店のお好み焼き食べたの?

テーブルが全部フライパンみたいだった?お皿無しで食べたの?火傷しなかったの?」

「うん。そうだよ。面白かったよ」

「いいなあ。わたしも行きたーい!」

「おばあちゃんが作ってくれる方が美味しいよ」

「でも!テーブルで焼いてみたいのー!」

千夜が想像している図に誤解があるような気がするけれど。

祖父母にとっては、それも可愛くて仕方ない。

「そおやなあ。たまにはみんなで外食しよか」

「そおそお。

一夜ちゃんが、小夜さんに教えて貰うてふわふわのケープと帽子編んでくれたもんな。

淡いピンクが千夜ちゃんによお似合うとった。それでオシャレして出掛けよか」

「わああい!オシャレしてお出掛けー!」

まだ食事が途中なのに千夜はイスから浮き上がりそうにご機嫌になるので。

笑いながら祖母が、千夜の頬に付いたケチャップをティッシュで拭く。

「ほらほら。ちゃんと座って。まずはお昼ご飯食べてまお。

一夜ちゃんは、小夜さんトコ行っとるからな。駅前で待ち合わせしよか」

「うん!」


エリオはまた胸がドキドキして、身体が固まる。

祖母の手が千夜の頬を拭いた仕草を見て、思い出してしまったから。

昨日、優気の指が自分の唇をなぞって。それだけでなく。キスも、した。


「あの。ぼくは家に居ます。

昨日出掛けてたから、学校の課題が終わってないんです」

ひとりになって。昨日の余韻を冷まさないコトには。

何かのキッカケで、種火のような心の奥の熱に動揺してしまいそうだった。




とりあえず千夜と一緒に昼食を食べて、祖父母達を見送って。

エリオは部屋で教科書とノートを広げるけれど。でも、何も考える気になれなくて。

本棚の1冊を取り出して開く。それはページの端に折った跡が残っている、古い雑誌。

隣の家に住む、元気のお陰で手に入った数年前の剣道の雑誌。

そのページにはインターハイ団体戦3位になった誠心学院剣道部が写っていて。

ジャージ姿の優気の姿もある。

補欠登録で試合には出ていないけれど。さっぱりした優気らしい笑顔の写真。

じっと見つめていると胸の奥が温かくなる。


シェア本屋で過ごしている時に、ばったり元気と出会って。剣道の本棚を教えて貰った。

「この雑誌、広告とか無うて。ガチ剣道の記事ばっかやねん。

年4回しか発行されんし、値段も高いし。自分ではよお買わんけど。

狭山さんは毎回3冊買うねん。自分用と正風舘用とこの本屋と。

それにな、知り合いの記事がある時は10冊くらい買うて配るんやで」

そう笑いながら、棚から元気が取り出した1冊にはデカデカと知っている顔が載っていた。

「これな去年全国優勝した時のんや。

大将が千花さんの兄ちゃん。オレらの先輩や」

「これ元気?こっち金井さんだ」

「そお。オレも大活躍やってん」

にへへへとドヤ顔の元気に、エリオからは素直な賞賛の声が出る。

「すごい。かっこいいね。こんな記事になるってホントに特別なことだよね」

「まあな~今時ネット配信で試合結果も動画もすぐ観れるけどな。そのまま流れてオワリやん?

せやけど雑誌言う形あるモンの、こお限られた1ページに残るて。やっぱすげー記念で嬉しいワ。

けどオレらの代は準優勝で終わってもたからなー。それはほんまに悔しいんや」

ぷうっと頬を膨らませて、元気は拗ねる。

「せやからな。絶対、大学でこの悔しさ精算したるねん」

「うん。元気なら出来るよ」

エリオが応援の想いを込めて笑顔を向けると、元気の機嫌も少し戻る。

「そおや。これから道場行かへんか?

道具置き場に雑誌のバックナンバーがようけあって。優気が載っとるのもあったはずや」

「え…」


その流れで、エリオは初めて剣道場を訪れた。

それまでも体験会に誘われたことはあるし。一夜と千夜は珍しい剣道具を見に行ってたけれど。

例えスポーツだと判っていても、エリオには「相手を叩く」と言う行為と音が怖かった。

パリで暮らしていた頃は、レイラの周りには少し過激な抗議活動をする関係者も居て。

まだ幼かったエリオには抗議と攻撃の区別も出来無くて、ただただ怖かった。

そんな記憶が思い起こされそうで。せっかく誘われても行くことが出来なかった。


でも雑誌を見るだけなら。そんな思いで、元気に着いて行くと。

剣道場のベテラン剣士さんは、エリオの見学を歓迎してくれて雑誌を譲ってくれると言う。

「ほらな。来て良かったやろ?」

元気は得意顔で、エリオをつつく。

「優気の写真が載っとるんは…コレやったかな?」

たくさんの門下生達がページをめくったんだろうと思えるほど、雑誌はボロボロ。

ページの端には折り目が付いてるし、破れてセロハンテープが貼ってある箇所もある。

それでも。

自分が知らない、数年前の優気と出会えた瞬間。エリオの胸は高鳴った。

こっちを見て笑ってる。はいチーズ!なんて声まで聞こえてきそう。

「エリオ、こっち来。ちょうど優気が打ち込みやっとるワ」

打突の音が怖い、なんて説明する間も無く。エリオは元気に引っ張られてしまう。

胸元に雑誌をぎゅっと抱いて、恐怖を誤魔化す。

そして初めて目の当たりにした一打は。エリオの想像とは全然違っていた。


ぱあん!と短く跳ねるような響き。

相手を叩くと言うより、竹刀が空を舞っていた。

相手に当たると言う結果より、竹刀を操る繊細な技が美しかった。

ビリビリと震える空気の振動は、恐怖よりも真剣さをエリオに伝えて来た。


だから言葉も出なくて、エリオは道場の外廊下で立ち竦んでしまって。

そのままそっと家へ帰るしか無かった。

もし面を外した優気と顔を合わしたりしたら。優気が載ってる雑誌を持ってることに気付かれたら。

何だかもう自分の感情を誤魔化せなくなりそうだった。



だからそのままずっと。

自分の想いは心の奥に埋めておくはずだったのに。自分から優気にキスしてしまった。

「はあ…」

雑誌の写真にそっと触れながらエリオはタメ息をつく。

田村家の人達はいつも優しく笑って自分達を見守ってくれる。

そして、やりたいコトやってみ?気になるンなら手に取ってみ?と言ってくれて。

それまで知らなかった新しくて楽しいコトをたくさん経験して。

本棚もいつの間にかいっぱいになっていた。

法律も哲学も。語学も童話も詩集も。自分の内側を豊かにしてくれたし。

特に、このボロボロの雑誌は「好き」と言う初めての感情を教えてくれて。

それがこうやって自分の手の中にあるのだから。

「それだけで…それ以上のコト望むなんて…我儘だ」

頭では解っているのに。また涙がこぼれそうになる。



濃いコーヒーでも淹れて、気持ちを切り替えよう。

そう考えてエリオは階段を降りて台所へ行く。


そしたら。台所では優気がひとりでタイ焼きを頬張っていた。


「あれえ?エリオ、家に居ったんか?じいちゃんらあと食事行かんかったんか?」

「うん。学校の課題が残ってたから…」

「ほんならエリオの分もタイ焼き買うて来たら良かったなあ。ほい最後のしっぽ」

頭はもう齧ってしまった小さな残りを、エリオのくちに押し込む。

「あ、ありがと」

とりあえずもぐもぐと口元を動かしながら、エリオは灰青の瞳でまじまじと優気を見つめる。

「優気すごくステキだね」

「えっへっへーーーっ!!せやろせやろ!

オレも鏡見て、誰やコレ?て思うたワ。

朝出掛ける時な。エリオは寝とったけど、一夜ちゃんも千夜ちゃんもめちゃ褒めてくれたんやで。

正風舘行ったらまたみんな目ぇ丸うして詐欺やとか言うし。あははは!エエ気分やったワー」

でれでれに崩れた笑い顔だけど。

きっちりと体格に合わせた明るめのブルースーツ。

織り柄の白シャツは清潔感があって。スーツと同系色のネクタイはさり気なくグリーンのドット入り。

そんな統一感あるコーディネートは大柄な優気をすらりと見せていて。

髪もさっぱり短く刈り上げると、清々しさをまとう好青年の出来上がり。

昨日何時間も掛けて2人で選んだシャツとタイだから、エリオも嬉しくなる。

優気はネクタイを緩め、上着を脱いでイスに掛けて。笑う。

「ほんまになあ、エリオのお陰や。

オレひとりやったら、こんなエエ恰好にはならんかったワ。

オレ、センス無いし。買い物ンとか面倒やし。

エリオと一緒やったから、楽しかったし。ちゃんと準備出来たんや。

エリオと一緒やったら、何ンや気合入って。何ンでも上手く行くよおな気ぃするンや。せやからな」


目を細め、にっと大きく微笑みながら。

優気のごつごつした手が、エリオの頬を撫でて傾けて。唇が重ねられた。

エリオは背筋がびしーっと伸びて硬直したけれど。

味わうように何度も何度も優しくキスが降って来るから。

だんだん力が抜けて、ふわふわした感じになってしまって。

震える指で優気のシャツを握って、温かくて大きな身体にもたれかかる。

優気はエリオをぎゅうううっと抱きしめた。


「せやからな、これからも。何処に行くんでも。

オレと一緒に来てくれへんか?絶対大事にする。

ずっとオレは自分が何出来るンか、何したいんか見つけられんかったけど。

やあっと見つけた。エリオを幸せにしたい。

今度帰国する父親さんとか、ウチのじいちゃんとか。他ン人に任せんのは嫌やて気付いた。

オレが自分で。エリオを守って幸せにしたいんや。

なあ?オレにエリオの人生預けてくれへんか?幸せでいっぱいにするて約束する」


ずっと望んでいた言葉が、繰り返し耳元でささやかれるから。エリオはぼんやりしてしまって。

夢なのかな、なんて思ってしまう。

星空の下をドライブしたまま眠ってしまったのかな。だとしたら、このまま目が醒めなければイイのに。

「ゆうきが、ぼくと一緒に居てくれたら。それだけでいいんだ。優気と一緒にずっと…」

「ん。それオレも同じコト思うとる」

笑いながらまた優気の唇が降って来て。額に頬にキスキスキス。

「エリオ、大事にす」

ピリリリリ!と雰囲気をぶち壊す着信音が響いた。

「うおっ、アレ?どこや?」

慌てて優気はポケットやテーブルの上を探して。やっと脱いだ上着の内ポケットに辿り着く。

「お。千夜ちゃんや。

エリオの分のタコ焼き持って帰ってくれるんやて。ほら」

中途半端な苦笑いをしながら、優気が見せてくれるスマホには。

ゴージャスな鉄板焼きのテーブルで、分厚いステーキやシーフードを楽しんでいる様子が写っていて。

しかも店の雰囲気には不釣り合いなB級グルメのお好み焼きとタコ焼きも並んでいる。

「これ、千夜が無理言って。メニューに無いのまで作って貰ったのかな」

さすがのエリオも心配顔。

「ははは!そおかもな。

可愛い千夜ちゃんにお願いされたら、店のヒトなんとかしてくれるもんな。

天婦羅の店で、タルタルソースのエビフライ作らせたんは千夜姫の武勇伝やで」

そろそろみんなが帰って来る。

どちらからともなく。頬を寄せてゆっくり深くキスをして。名残惜しいけれど身体を離す。

「今のンは甘い餡子味やったけど。後でソース味のキスも出来そおやな」




夜になって一夜と千夜が眠った頃。両親が仕事から帰宅して田村家が勢揃いすると。

優気はもう一度、ネクタイを締め直し上着のボタンを留め。真面目な顔になる。

隣にはちょっと緊張顔のエリオも座っていて。


「今日な、連盟のヒトと話させて貰える機会あって。

ここんとこ海外での普及に力入れとるて聞かせて貰うたんや。

色んなお国柄も有るし。稽古場のレベルもまだまだやし。段位がどうの言うよりも。

現地に受け入れて貰えるかとか、辛抱強さやタフさが必要なんやて。

せやからオレみたいなとりあえず頑丈な奴やったら、指導員の場所紹介して貰えそうなんや。

ほとんどボランティアみたいなモンやけど。

剣道を仕事に出来るんやったら、色んな環境で経験積めるんやったら。やってみたい。

また自分勝手してまうけど、来年イギリス行に希望出すつもりや」

「来年?」

「ん。まずは復学して。教員免許取って卒業しとく。

資格なんて海外で役立たんとは思うけど。目の前のコトやり切るンも区切りになるし。それに」

両肩が上がるほど深く息を吸って吐いて。優気は両手を握りしめた。

「来年エリオが高校卒業するん待って、一緒に連れて行く」


コーヒーを啜っていた両親はごほごほむせるし。

祖母は目を丸くしてるし。祖父に至っては、どん!とテーブルをグウの手で打つ。

「おまえ、まさか。

エっちゃんがよお断らんからて、スケベなことしたんちゃうやろなあっ」

「そ、そんなんするワケないやろっ」

「ほんまかあ?エっちゃんみたいに綺麗な子ぉが懐いてくれて。勘違いしたんちゃうんか」

ドライブに連れ出したし、キスはしたし。確かにスケベ心も否定は出来ない。

そんな後ろめたさたっぷりで馬鹿正直な優気に、祖父が畳み掛けると。狼狽えてしまう。

「か、勘違いちゃう。と思うんやけど…」


「勘違いじゃないです」

静かな声だけど、しっかりと意志がこもった言葉に。みんなはエリオを見つめた。

「ぼくは優気が好きです。これからも一緒に居たいです。

一緒に居られるなら、何処でだって生活出来ます。

今まで色んな場所で生活してる間ずっと不安でした。でも、この家に迎えられて判ったんです。

誰とどんな気持ちで一緒に居るかで、不安は無くなるし幸せになれるって。

ぼくは優気が好きで、たったひとりの特別な存在だから。

一緒に居たら、ぼくは幸せになれるし。

優気のことも幸せに出来るんじゃないかと…思って、ます」

恥ずかしさから語尾は少々濁ったけれど。今のエリオの灰青の瞳はキラキラと輝いていて。

(勘違いじゃないかも、知れない?)そんな疑念がそれぞれの胸に降って来る。


「なあんかエリオの言葉の方が、しっかりしとるなあ。

ホンマにええの?こおんなグラグラしたダサムサ男でも?

自分の息子ながら。エリオに付き合うて貰うなんて、勿体無さ過ぎるんやけど?」

母親は真顔を寄せて来る。

「大丈夫や!

エリオと一緒やったら、オレ。カッコ良お見せよとか、しっかりせなって思えるんや」

「嘘お。いっつもよれよれジャージでだらしないやんか。今回たまたまスーツ着とるダケやろ」

厳しいツッコミもこの家族ならでは。

エリオは楽しくなって、にっこりと笑顔を返す。

「優気が背中を押してくれたから。

ずっと空っぽだったぼくの中に、たくさん新しいコトが増えました。

そばに居てくれて。安心させてくれて。それで一歩踏み出す勇気をくれるから。

ぼくにとっては一番格好良いひとです」

「あらまあ」

母親と祖母は顔を見合わせて照れるし。父親はもう笑顔になっている。

「ははは。もしかしたらエエ組み合わせなんかもな。

きっちりしたエリオと、ユルユルのダサ息子と。お互い、足りンとこを埋め合えるんかもな」

渋い顔をしているのは祖父だけ。

でも、とうとうジロっと優気を睨むと。深くタメ息を吐き出した。

「エっちゃんは大事な孫や。しかもまだ子供や。

安全で健康な生活させたい思うとるし。ココでならそお出来るつもりや。

それでも出て行く言うんやったら、ひとつ条件がある。

イギリスでも何処でもエエけど、大学行き。学ぶことを止めたらあかん。

せっかく新しいコトを得る楽しみを知ったんやから。知識や関心を自由に広げ続けるんや。

今まで、辛い思いもようけして来たやろ?

狭あて偏った感覚が、正しいフリして簡単に人を傷つける。そんな経験してきたからこそ。

その正体をしっかり学び。

身に付けた学びと思考はな。頑丈な防具になる。

もしまた理不尽な状況になることがあっても、エっちゃんを守ってくれるで」


祖母もにこにこ顔になって。

「それはエエな。ばあちゃんも応援するで」

母親もニヤっと意味深な顔で。

「そおそお。自分勝手ばっかなアホ息子には、もお仕送りする気ぃなれんけど。

勉強続けるエリオには、ちゃんと生活出来るよお援助したいワ。

そんでついでに番犬の一匹でも部屋に置いたら。ちょおっとは安心やんな」

「はははは。どっちがどっちに着いて行くんか、判らんなもお」

すっかりイイ感じに落ち着きそうになったから。

つい優気が調子に乗って。

「めっちゃ優秀な番犬するからな。オレ以外の奴には指一本触らせへんワ!」

「やっぱり未成年に手ぇ出したんかーーーー!」

なんとも騒がしい大団円になってしまった。




そうと決まったら。

早速荷造りして、優気は大学に戻る準備に取り掛かる。

エリオも、着古した服の中から少しでもマシなのを選んで畳んだりして手伝う。

「後は卒論と実習だけやし。

オレ自身に迷いが無うなったから、スムーズに修学出来る思うねん。

なるべく時間作ってこっち帰って来るし。メールも電話も毎日する。つーか、したい。

自分で言い出したコトやけど。いきなり遠距離恋愛は…はは。キツイよなあ」

「うん…」

うつむいて手を止めしまったエリオを。優気はじっと見つめる。

廊下の先に母屋あって、両親に祖父母。しかも可愛い一夜と千夜が居ると思うと。

さすがにスケベ心は引っ込むけれど。

それでも愛おしさは抑えられない。腕を伸ばしてエリオを抱き締める。

「遠いなあ、来年の卒業まで」

「優気の大学まで訪ねて行ってもいい?」

「え?」

「春休みとか夏休みとか。その、2人で暮らす練習も出来るし。

ぼくはひとりで長距離移動したことないから。それもやってみたいなって」

少しでも明るい話になるように、エリオがにこっと微笑むと。

優気はもう我慢出来ずにキスを繰り返す。

確かに、下宿先にエリオが来てくれたら。家族の目も無く2人だけ。

(下宿戻ったら。布団クリーニング出そ)そんなコトが頭を過るのも仕方ない。





それから。

例えば連休とか正月休みとか、優気が帰省する日になると。

夕方エリオは駅前のベンチで電車の到着を待つ。

ほんの1年の間に一夜も千夜もすごく行動的になって。自由にそれぞれの時間を楽しんでいる。

以前は肌の色で目立つことを怖がって、人見知りしてエリオから離れなかったのに。

今では3人一緒に居ることの方が少なくなったかも。


洋裁の専門学校に行きたいと言う一夜は、小夜の店で手伝いを始めたし。

小夜の受注サイトでモデルになってデザインを紹介したりもしていて。

「一夜ちゃんが着てくれるとな、注文数倍違うんや」と小夜もご機嫌。

千花に連れ出されたコスプレイベントでも、楽しくやってるらしい。


千夜は千夜で、歌ったり踊ったりが大好きで。

色んなレッスンも通って一生懸命練習している。

発表会の時は一夜が衣装を作ってくれるし。祖父母達は必ず観に行くし。

学校でもレッスンの教室でも、いつも友達に囲まれて笑っていて。


(楽しいコトなんて何も無いと思ってた頃もあったのに。

今では毎日楽しいコトしかないような気がするな)ふふっとエリオは小さく笑う。

後数分で電車が到着して、改札口から優気が出て来る。

相変わらず髪はボサボサで。電車で眠ってる間にヘンな寝グセが付いてるに違いない。

そんなことを想像して待つ時間でさえ楽しい。


「ごめん!遅おなってもて」

エリオがベンチから立ち上がる前に、改札口から優気が猛ダッシュしてきて。

がばっとエリオを丸ごと抱きしめる。

「はああああ。逢いたかったああ。

電車ン中でよお座っとられんで、ドア開いたら一番に飛び出して来てもたワ」

「ゆ、優気。タイ焼きが…」

一緒に食べようと思っていたタイ焼きは2人の間でぺしゃんこに潰れている。

「ははは。まあ少々潰れても、甘いンも旨いンも変わらんワ。それに」

優気は頬を摺り寄せて、そのままキスをする。

「この世で一番甘いモンがここに在るからな。いくらでも口直し出来るやんな」

にへへへと優気は嬉しそうに笑う。

まあ改札を出た乗客はそのまま駐車場へ行くし。夕暮れ時が2人を隠してくれるし。

人目を気にする必要は無いから。

エリオもそのまま腕を回して優気にぴたりとくっついて目を閉じる。

「うん。優気のキスって甘い…」

その言葉は途中で塞がれてしまったけれど。

What a wonderfulwarldそう歌いながらダンスするみたいに。いつまでも身体を寄せ合っていた。

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