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2.熱々も冷々も

台所で夕飯準備を手伝いながら、千夜は大興奮で祖母に合唱会の報告中。

「それでねっ!一夜ちゃんと千花ちゃんとも同じグループになったの。3曲も歌うんだよ。

小学部は最後の曲でダンスもするの!千花ちゃんが衣装デザインするし。楽しみなのー!」

「エエなあステキやなあ。それ私らあも観に行けんやろか?」

千夜はテーブルに食器を並べ終わると。もう気持ちは合唱会。

勝手な振り付けでクルクル回って、祖父の腕の中に飛び込んで行く。

「そおかそおか。千夜ちゃんはダンサーかあ。かっこええなあ」

祖父の振り付けは盆踊りだけど。2人はケラケラ笑って踊ってる。


一夜はマジメに手伝っていて。

サラダを綺麗に盛り付けたり。千夜の皿のおかずは小さく切り分けて食べ易くしたり。

手は動かしながら、祖母へちゃんと補足説明。

「合唱会ってね、メインは聖歌部のミサ曲なの。

そのミサの前に。全校生を3つのグループに分けて、自由に3曲歌うんだって。

生徒は家族ひとり招待出来るから。千夜と私は、おじいちゃんとおばあちゃんを招待するね。

お兄ちゃんは、どうするのかなあ?陽気さんはお仕事かも」

「まあ陽気がアカンかったら、史子さんが行けるかもな。

子供の歌うトコとか、ミサ曲とか。さすが鈴ケ丘はオシャレやなあ。めっちゃ楽しみやワ。

最後に聞いた子供の歌て。優気の卒業式の校歌やしな。

こおドス低ーいし。みんな真っ黒な制服で。何んや葬式みたいやったなあ」

その場面を思い出すように宙を見上げる祖母に、一夜はクスクス笑う。

「合唱会は毎年お揃いのTシャツを作るんだって。

今回はね、千花ちゃんが衣装係のリーダーなの。私もお花のモチーフ編んでお手伝いするの」

「あらあら、それは忙しいなあ」

「うん。だから私は歌の練習があるし。

お兄ちゃんは運営のお手伝い係で、色々準備があるし。帰るのが遅くなるかも」

「全然問題無いで。一夜ちゃんとエっちゃんの時間に合わせるんでな。

歌うて一瞬のモンや。形として残すコト出来ひんからな。一生懸命やり。

練習も発表も、全部の時間を楽しんでなあ」

「うん」

優しい励ましの言葉に、一夜の顔もほころぶ。

その表情を見る祖母もまた嬉しくなってしまう。

いつかは母親が引き取りに来るだろうし、フランスへ戻ってしまえば二度と会えないかもと。

いつも頭の隅で思ってるから。今この時間全てが愛おしい。

(このまま来年も有るて判らんもんな。

そおや。久しぶりに薄紫の袷でも着よかな。しっかり記念写真とか撮っときたいしな)

そんなことを考えながら、一夜の真っ黒で艶々の髪を優しく撫でた。




鈴ケ丘学園の教室では、高等部数人が睨み合いをしている。

と言ってもお上品な生徒達なので。火花が散ってるのは実質2名の間だけ。

衣装係の千花と。ピアノ伴奏役のレイ。

レイは台湾人でプロピアニストを目指していて。

日本の音大から海外留学を狙うために、中学生の頃から留学している本格派。

一応グループ内で合唱曲は決めたものの。編成があーだ歌い方がこーだとレイの文句ばかりで。

ただいまグループの雰囲気悪化中。

仕方なく上級生だけが集まって、解決に向けての話し合いをしているトコロだった。

「どうせ聖歌部のミサ曲に期待してる父兄ばっかりなんだから。

ヘンに奇をてらって滑る方がみっともないだろ。フツーに歌えば良いんだよフツーに」

「せやから、フツーが無理やて言うとるんやんか。

ウチらのグループは日本語苦手なコ多いし。

男子の方が多いんやから、女声合唱な歌い方やとバランス悪いやろ。工夫が要るやろ」

「キミは衣装係だ。歌のコトまで口出ししないでくれるかなっ」

「何ンやとおお。

アンタがむっちゃイケ好かん奴で、誰もがスルーしとンのを。私だけが相手したっとるんやで!」

「っつ!」

真顔で遠慮配慮ゼロな言葉をぶつけられ、レイは口をひん曲げて手を握りしめる。

確かに自分が煙たがられる存在だと自覚はある。

でも自分は悪くない。自分の一生を掛けた夢の為にいつも真剣なだけ。

恵まれた条件でのほほんと過ごしてる同級生達と、いっそ並べないで欲しい。

そんなキモチが滲み出ているから、どうしても敬遠されるし。レイの方からも歩み寄れない。


「あの…」

そおっと千花と同じ衣装係の女子が声を挟む。

「この間ね衣装係が集まって。仕立て屋さんの場所を借りて、Tシャツのデザイン相談したの。

その時に一緒にいた中等部の子が、3曲目をハミングしてたんだけど。

すごく綺麗な声で、高音で透き通ってて。

オリジナルは低い歌なのに、こんな風に変えられるんだって。私感激しちゃって。

レイくんの才能なら、そんなアレンジも出来るんじゃないかと思うんだけど。どうかな?」

要は言い方なワケで。

千花みたいに正面切って言い合いになると、レイだって後には引けなくなるけれど。

こんな感じに、その才能を褒めつつお願いすれば。

悪い気はしないし、素直にもなれる。だからつい真顔で反応してしまった。

「あの曲を高音階で?」

「うん。千花ちゃんも聴いてたよね?ステキだったよね」

「えー?まあそおやったかなあ。でも合唱でああいうンは無理やろ」

「無理って何んだよ?

音楽ほど自由に、制約無しにアレンジ出来る芸術は存在しないんだ」

レイのスカした言い方。じろりと鬱陶しそおに千花は睨んだけれど、とりあえず反論は控える。

合唱会まで時間は無いし、状況解決が最優先。

「よかった!

明日ね、また衣装係のみんなで集まるの。レイくんも来てくれない?

私じゃ上手く説明出来ないから、実際に聴いて貰うのが一番よね」

そうだね、それがいいと。ナントカ話し合いはまとまって。

明日この場の全員がもう一度集まることになった。

一応上級生としては、レイひとりだけに丸投げする訳にも行かないし。

何よりもその中等部の子と言うのが、あの一夜だから。みんな歌を聴いてみたかった。





ノーメイクで雑に髪を束ねた女性が、小夜の店に入って来た。

欠伸を噛み殺して眠そうな顔つきなのに。

きりっと目尻が上がった瞳に添えられた泣きボクロは色っぽいし。

口角が上がった形良い口元は、日本人離れした強い美しさがあって。

ちょっとラインを引くだけで華やかな顔になるのは間違いない。

おまけに。くっきりとボディラインが出るパープルのカットソーと同色のハイヒール。

そんな外見は、この店の雰囲気にそぐわないけれど。

口を開くとベタベタな関西弁が出て来た。

「小夜ちゃーん、ごめんなあ。起きれんかって遅刻してもたワー。

って。あれえカワイイお客さんがいっぱいやあ。託児所でも始めたん?」

「彩子さん、いらっしゃい。仮縫い出来とおから試着してや。

この子らあは学校の用事で場所使うとおだけや。気にせんとって」

「ふうん?」

そう言われても。

学生達が囲むテーブルの上に、楽譜の束があるのに目ざとく気付いて。

ハイヒールの音高く、彩子は学生達に近寄って行く。

「あらまあ。歌の発表会でもあるん?ピアノ伴奏用の楽譜やんな」

いきなり楽譜に手を伸ばされたので。

レイは慌てて楽譜をかばって、きっと睨みつけてしまう。

「さわらないでくださいっ。人の物を、勝手に。大事な楽譜です!」


前日の約束通り、合唱グループの上級生達は駅前の仕立て屋に集まったけれど。

肝心の千花と一夜がまだ来なくて。

何ンの為にここまで来たのかと、みんなムッツリと黙り込んでたトコだった。


ヒールの高さもあって。彩子とレイの目線はほぼ同じ位置。

思わず睨みつけたものの。レイの視線を受け止める彩子の目力は、それを上回っていて。

ふっと軽く彩子の口元が笑みを作ると。

レイは凍るような冷気を感じて固まってしまう。

「お兄ちゃん、エエ指しとおなあ。練習熱心なピアノ弾きやろ。

せやけどな。歌が主役ン時に、歌手のキモチをアゲられんのなら、伴奏は止めとき。

楽譜に描いてある以上のコト出来るんが、伴奏者やで」

「ぼ、ぼくはピアニストです。ほんとなら歌なんて要りません」

自分のこれまでの努力とプライドを引っ張り出して。レイは必死の形相で言い返したけれど。

「あーははははっ!」

軽ーく彩子に笑われてしまう。

「ええなええな。カラ度胸でも無いよりマシや。失くさんと持っときやソレ。

ピアノに人生掛けとるんなら、この先の競争世界で必要になるからなあ」

ちょっと彩子の目が優しくなる。

「せやけど。忘れたらあかんで。

鍵盤叩くだけで、音が生まれんや無い。響いた先で聴いてくれる耳があって音になれるんや。

お客さんが居らんなら。音はひとりぼっちなんやで」

そんな言葉に、思わずみんな顔を見合わせる。

もしかして音楽関係のヒト?確かにスポットライトが似合いそうな雰囲気かも。


そこに千花の声が響く。

「どない~?この衣装」

奥の部屋から出て来た千花の後ろには、お揃いの服の一夜と千夜。

黒Tシャツに七分丈パンツ。Tシャツにはカラフルなスプレーが散っていて花火のよう。

そして白いレース糸で編んだ花モチーフのヘアバンドが、黒い髪をくるりと縁取っている。

「うわーカワイイ!」

「いいね。学年がバラバラでも、男子も女子も、誰にでも似合いそう」

「そのTシャツって自分で色付け出来るの?」

照れてる一夜と、自慢そうな千夜。2人を囲んでわあわあ盛り上がる。

彩子まで、めっちゃ可愛ええっ持って帰るう!なんて。お人形を愛でるみたいに騒いでる。


合唱の相談をするはずなのに。

レイはひとり、にぎやかな輪からぽつんと取り残されてしまった。

その隣のイスにどすんと座って、千花はニヤリとレイを見上げる。

「私らみたいに小学部からずーっと鈴ケ丘やと。

毎年の合唱会で同ンなじよーなプリントTシャツばっか溜まるんや。

今年はせっかく個性的なグループになったんやから。ちょおっと遊びも入れような」

「遊びじゃないだろ、合唱会は」

「どーせ聖歌部が主役やて言うとったやんか」

ああ言えばこう言うなレイに。千花の声にも段々イラつきが混じって来る。

「舞台に立つのに、黒色とか短いズボンで脚出すなんて。相応しくないよ」

「はああ?」

顔を真っ赤にして汗を浮かべながら。レイは大真面目に言う。

「褐色の肌の乙女と言ったら、ララァに決まってるだろ!あの子の衣装はワンピースでないと!」

ガッターン!と大きな音をたてて。千花はイスごと後ろにひっくり返った。



千花がデザインした衣装は、今までの合唱会では無いハデさだし。

メンドクサイ奴と思ってたレイは、年季の入ったアニメオタクだとバレたし。

ぎこちなかった雰囲気が一気に和んで。お喋りと笑い声がつながっていく。

その様子を面白そうに眺めている彩子の前に、小夜がコーヒーを置いた。

「なあ彩子さん。あの子らあ、どんな歌うたうん?せっかくやから聴かせてえな」

「ん-そおやなあ。楽しそうやもんな。私も仲間に入れて貰おかな」

ふふっと艶やかな笑みを浮かべ、彩子はすっと立ち上がって髪をほどく。

それだけで舞台女優の演技みたいに、自然とみんなの視線が惹き寄せられて。

次の瞬間。

みんな魂まるごと持って行かれたような顔になる。

彩子が、店の空気全てを震わせた。

信じられない声量で、テーブルにあった楽譜を歌い出す。

ルイ・アームストロングのWhat a wonderful world。

誰だって一度は耳にしたことがあるメロディだけど。オリジナルの重く響く低音ではなくて。

ふうわりと風に乗って舞い上がるような滑らかで優しい高音。

さっきまでのガサツな雰囲気は消えって。マリア像みたいな慈愛に満ちた表情になって。

歌詞と共に、あたりまえにしたい平和や幸せが彩子からキラキラと溢れ出てくる。

生徒達は感動でふるっと震えたり。涙ぐんでしまう子まで居る。

一夜はTシャツをぎゅっと握り締めると、歌い出した。彩子の歌を一生懸命真似て付いて行く。

彩子は優しい目で一夜を見て。歌い易い音域までキーを下げてくれたから。

聴いてる生徒達の胸に、そのデュエットは深く深く沁み通って来た。



そしてゆっくりと。陽が沈んで夜になるように、そおっと歌が終わると。


みんな思い切り拍手して。

千夜は嬉しさのあまり一夜に飛びついて来て。

彩子も満足そうな笑顔で、一夜の頬をちょちょいっと突いたりして。

レイはぶるぶる震え。千花がシャツの首元を掴まなかったら、一夜に迫って行く勢い。

「アレンジしよう!合唱の!イメージ出来たっ!!絶対ぜったい美しい合唱にしてみせる!」

頭から湯気が立つほどレイは興奮しているけれど。

千花は鬱陶しそうにレイを睨む。

「何ンであんたが仕切るんや。キブンだけでテキトーなこと言いなや」

他の生徒達も、気持ちは盛り上がってるけれど。現実的な問題に気付いて顔を見合わせる。

「せっかくだから、このイメージ忘れないうちに練習したいけど」

「明日は土曜日だから」

「うん、音楽室使えないよねえ」

合唱グループは小中高校生合わせて50名ほど。

エリオみたいに運営手伝いも必要なので、実際に舞台に上がるのは30名くらいだけど。

そんな人数が明日すぐ集まれる場所なんて思いつかない。

千花が、一夜と千夜をじっと見る。

「しゃあない。奥の手使うか。一夜ちゃんと千夜ちゃんも手伝うてな?」

「え?」




基本的に毎週土曜日11時までは剣道体験会。

老若男女問わず竹刀振ってみたい、剣道着着てみたいとか。剣道場の写真撮るだけの参加もOK。

でも申込が無ければ自主練し放題なので。

練習熱心と言うか、暇を持て余してる道場生達が集まってしまう日。


田村元気はママチャリを停めながら、首を傾げる。

さっきから子供を送って来た感じの車が何台も、正風舘の前を行き来しているから。

(今日の体験会申込ゼロて言うとったのになあ?)

更衣室や荷物置場がある別棟に行くと、剣道部の金井が鏡とにらめっこしながら髪を引っ張っている。

「何しとん?そんな芝生頭どおにもならんで」

「一夜さんが居るねん!」

「へ?体験会に?」

「ちゃうワっ。入口の貼紙見てへんのか?歌の練習しに鈴ケ丘ん奴らが来とるんや」

「うたあ?ココでえ?」

いつも汗と熱気と気合で充満している剣道場に。歌声が響く?

元気の想像力を飛び越えたハナシで。ぽかんとしてしまう。

「そおや。

まあこの際細かいコトはどおでもエエねん。もお絶対二度とこんな機会無いで。

なんとか、なんっとか、なんっとしてでも!オレんこと知って貰わんと!

田村っ頼むでっ。お隣さんやろっ」

元気の肩を力いっぱい掴む金井はマジモード。

でも元気には、そのお願いに応える自信が無い。

エリオ達が祖父母宅で暮らし始めてから、何度か一緒に食事とかはしたけれど。

庭先で七輪持ち出して干物焼いたり、落葉で焼芋作ったりとか。まあ遊びの範疇。

小学生の千夜は何んにでも興味を持ってくれて、楽しんでくれるけれど。

ひとつ年下のエリオともう中学生の一夜は反応が曖昧で、ちょっと取っつきにくい。

物静かで大人ぽくて。いつも遠慮がちで。

比べるなんて出来ないのは判っていても。のほほんと暮らしてる自分とは違うと思ってしまう。

だから庭先でひとり佇むエリオの背中に、どんな言葉を掛けていいのか判らなかったりする。

(あの2人が歌うとか。あんま想像出来ひんなあ)

そんなコトを思いながら。とりあえず金井と剣道場の方へ向かってみた。



「お!元気来たんか。よかった。ちょお手伝うてくれや」

ヨレヨレのスウェットで相変わらずダサダサな優気が、元気を呼ぶ。

「優気なにしとん?」

「練習しとおトコ録画したいんや。今日来れへんかった子ぉに配信するんやて。

けど戸ぉ締め切ると、音がこもり過ぎるんで。この辺でマイク持っとかなアカンのや」

「えー?戸ぉ開けるん?近所迷惑ちゃう?」

「ははは。いっつも稽古ン音でにぎやかやし。今更誰も気にせえへんワ」

そう。だから正風舘は少々不便だけれど、住宅街から少し離れた場所に在る。

「あのっ」

金井が割り込んで来る。

「それっオレやります!」

マイクスタンドなんて無いから。柱の影でマイクを持って立つなんて、ダルい役だけれど。

それなら怪しまれること無く一夜を眺めることが出来るし。

手伝いがきっかけで、お喋りとか出来るかも知れない。

既に集音マイクを握りしめて金井はやる気満々な顔。

「騒音で文句言われんよおに、場所貸したんか」

「まあソレもあるやろけど。

千花さんからの頼みやからなあ。協力したかったんやろ」

「チカさん?」

剣道場には鈴ケ丘の生徒達が集まっていて。珍しそうに設備や備品を眺めている。

本来なら自主練が出来るのに。その為に早起きして来たのに。金井と違って、田村は不満そう。

「そお、あの女の子。元気は知らん?百錬の妹さんや」

「ええええー!!」

元気と金井は目を丸くして叫んでしまった。

優気が指差す、千花さんとやらは。

スプレーで毛先を染め分け。穴開きGパンには派手柄のリペア。そしてアクセサリーがジャラジャラ。

休日の私服姿とは言え鈴ケ丘の生徒ぽくないし。何より。

この剣道場の同学年内では最強で。元気達の部活先輩でもあった縣百錬の妹なんて、とても信じられない。

後輩の元気達にとって、縣百錬は。

暫く低迷していた誠心学院剣道部を復活させた立役者だし。

剣道強豪大学に進学してからも成績を出していて。出身道場である正風舘の評判にもつながる現役注目剣士。

その妹があのギャルだなんて。もし何処かですれ違ったら、道を譲ってしまいそうな外見なんだけれど。

「オレ、そン話聞かんかったことにするワ…」

「ん。そおやな…」

思わず元気と金井は顔を見合わせて頷く。



レイは電子ピアノを準備しながらワクワクしていた。

彩子と一夜の歌を聴いて生まれたイメージを伝えて。全体のつながりを確認出来れば今日は十分。

自分にはソコから編曲や、全体の流れを構築する自信があるし。

明日から歌だけ集中して練習すれば、本番に間に合うはず。

土曜日なのにココに集合してくれたメンバーは20名程だけど、誰もがヤル気な表情だし。

レイ自身も音大講師のレッスンをキャンセルしてココへ来た。

たまにはこういうのもイイ。いや、彩子が言っていたように。聴いて貰える音楽を造ることに挑戦したい。

その想いで胸が高ぶっている。

「1時間しかないから!集中していくよ!」

ぽーんと鍵盤を叩くと。誰かが応えた「Let's have fun!」





祖父母宅に集まってにぎやかな夕食が終わると。

エリオの部屋に、優気と元気と3人集まって録画確認。

「この辺からめっちゃ画像がブレとるんや。修正出来るやろか」

「しゃあないやろ。金井が号泣やったもんな。鼻水ン音が入らんかっただけマシやろ」

「金井さん、泣いてたんですか?」

合唱グループの裏方係は小夜の店でTシャツ染めをしていたから。エリオは練習風景を見ていない。

「そお。滝涙」

「え?」

「大泣きした、言うコトや」

「でもまあ。判らんでもナイけどな」

編集ソフトで画像データをいじりながら、優気も穏やかに笑う。

「めっちゃエエ合唱やった。選曲も歌い方も、伝えたい言う想いが感じられてなあ。

ウチのじいちゃん達が聴いて、英語ンとこ判らんでも。きっと胸が温かぁになるやろ」

「うん判る。

一夜ちゃんのソロんとこに、合唱が重なって行くトコな。めっちゃ良かった。

オレもキモチぶわってなって。翔び上がりそーになったワ。

発表会て父兄しか行けんのやろ?練習風景見れて、オレらめちゃラッキーやんな」

合唱練習のせいで自主練が出来なかったコトは、元気もすっかり忘れてる。

「あの歌は」

下を向いたままエリオがぼそっと呟く。

「一夜と千夜の父親の、理さんがよく口ずさんでました。

一夜が小さかった頃はほとんど子守歌で。だからきっと思い入れがあるんだと思います」

「そおなんや…」

「合唱会当日は撮影禁止らしーから。このデータ、コピーさせて貰えんか訊いてみよ。

今すぐは無理でもな。いつか父親に見せたいとか思うかも知れんからなあ。

一夜ちゃんが自分のために、自分で決められるよおにな。

でもオレが持っとくんで。エリオはあれこれ考え過ぎんでエエんやで」

まだ下を向いたままなエリオの髪を優気がくしゃっと混ぜると。

やっとエリオは顔を上げて、ほっとした顔で小さく微笑んだ。



こーゆートコが元気にはイマイチ難しい。

一夜も千夜も。両親の話題になると、それなりに寂しがったり会いたいって顔をするのに。

エリオは絶対何も言わないし。益々表情も気持ちにもフタをするような感じがして。

(もしかして。コイツだけは親ンこと嫌うとおのかな。

でも妹達に気ぃ遣うて、言いたいコトも言えへんのやろか)なんて思ってしまう。

エリオは自分とは全然違ってて。子供では居られない複雑な立場で。

(アカン。仲良うなれる自信無いワー)

だからつい苦手意識が出てしまうけれど。

優気が居ると、エリオの様子がちょっと違うのも気付いていた。

他のどんな大人にも頼ったりしない、整って大人びた顔が。ほどけて、感情が零れて見える。

(いつも下っ端立場で。へらへらダサダサな優気やからな。

そのゆるーいンが、却ってコイツには気楽なんかもな)とりあえずそう納得している。





合唱会当日。

「迎え来る時はデジカメ持って来てや。スマホのカメラとかあかんで。

ちゃんとした写真撮るんやからな」

そう優気に言い付けて。鈴ケ丘の講堂へ向かう祖父母は、スキップしそうに浮足立ってる。

今時スマホのんが高画質やで、と言い返しそーになるのを我慢して。優気は祖父母の背中を見送った。

今日はきっと特別な日になると想像出来るから。

何か・ちゃんと・記念に。そんな祖父母の気持ちが、優気にも十分理解出来ていた。



「次が一夜ちゃんと千夜ちゃんのグループやんな。緊張するワ~」

「さっきのグループの歌も良かったしなあ。楽しみや。

こんなん今年限りかも知れんし。しっかり聴かんとな」

「やっぱり千夜ちゃん達の父親さんは…」

父兄用の観覧席で、田村家の祖父母が小声で話していると。アナウンスが響いた。

「それではCグループによる合唱です。

曲目は『ツバメ』『MyWay』『What a wonderful world』です」

温かい拍手の中、生徒達が舞台に並ぶと。おおっと少し空気が揺れる。

前の2グループは白Tシャツだったのに。このグループは黒Tシャツ。

本来は聖歌部のミサ曲がメインなのに、悪目立ちを狙ってるように見えなくもない。

実際ヒソヒソ声が聞こえて来る。

「どうして、こんな奇抜な衣装を許可したのかしら?」

「教会を通して難民の受け入れもしてるらしいから。このクラスには色んな子が居るのよ」

「肌も髪も色々だし。校風にそぐわない部分もたくさんあるのに。

何か言うとすぐ差別って指摘されるから難しいわよね」

田村家の祖父母はぐうっと背筋を伸ばし。ぎゅうっと手を握り締めた。

そんな言葉は背中で撥ね返して、舞台まで届かせたくなかったから。



1曲目は合唱用に編曲されたとても綺麗な歌。小学部の生徒達も一生懸命歌ったから。

歌い終わると、観客からは労いの温かな拍手が湧く。


そして2曲目になると。

男子生徒達が前へ出て来て。大きく腕を振って英語と日本語が交差するレゲエもどき。

父兄達は目も口もぱっくり開けて固まっている。

曲名は同じでも。フランク・シナトラのMyWayではなくて、DefTechのMyWay。

「あらまあ。こーゆーんも合唱て言うんや」

祖母はびっくり顔で、隣の祖父を見るけれど。

祖父はふうむふうむと顎を揺らして聴き入って。にかっと笑う。

「いやいや。よお聴いてみ。エエコト言うとおで。

そおやコレくらい、はっちゃけとお方がカッコエエわ」


♪地に足付け 頭雲抜け 進む前に前に前に

手をつなげば怖くないから そこまでお前は弱くないから

でもいつまでも そばにいないから

Believe myway myway myway♪


確かに。父兄達はザワついても。

席に戻った前グループの生徒達は一緒にリズムに乗っているし。リピート部分を歌ってる。

ミサ曲みたいに神様に捧げる歌ではないかも知れないけれど。

揃って青臭い青春時間を過ごしている生徒達にはしっかり届いたみたいだから。

舞台のCグループはガッツポーズで締めて満足な顔。


父兄達の戸惑った雰囲気が、非難色になる前に。ピアノ伴奏が素早く切り替わり。


すうっと一夜の澄んだ高音が響く。

誰もが知ってるメロディーなのに。知らない歌い方。

しかも声が細いので、観客は耳を澄ませるように静まり返った。

ゆっくりと丁寧な英語歌詞は判り易くて。

聴いてるだけで、薔薇の花や青い空が心の中に浮かび上がってくる。

それに薄暗く落とした舞台照明の中で、黒Tシャツのペイントはキラキラ色彩豊かに輝くから。

星空に吸い込まれるみたいに、観客達は聴き入ってしまう。

そこに突如ぱあっと照明が明るくなって。

小学部の生徒達が舞台に走り出て来ると、アップテンポになって。

スイングしながら大きく手拍子して大合唱。



♪I see trees of green, red roses too

I see them bloom for me and you

And I think to myself

What a wonderful world

I see skies of blue and clouds of white

The bright blessed day

The dark sacred night

And I think to myself

What a wonderful world


樹々の緑が 赤い薔薇の花々が見える

君と僕のために咲いている

そしてふと思うんだ

『なんて素晴らしい世界なんだろう』って

青い空 白い雲が見える

明るく祝福された日 深く神聖な夜

そしてふと思う

『ああ、なんて素晴らしい世界なんだろう』って♪



勢い余ってコケた小学生を高校生が助け起こし。手を繋いで一緒に歌ったりするから。

みんなもう満面の笑み。


歌い終わって、舞台の生徒達が挨拶すると。わああっと歓声と拍手が広い講堂中に響き渡った。

田村家の祖父母も手が赤くなるほど拍手してるし。

bravo!とかピューピュー口笛なんかも交じり合った騒ぎになってしまい。

「静粛にお願いします。皆さまどうぞお席にお座りください」

なんて。オオトリである聖歌部の前に、落ち着けるためのアナウンスがされたほど。


もちろん。

舞台を降りて、いったん渡り廊下へ誘導されたCグループも興奮が冷めなくて。

もう抱き合って肩たたき合って。あのレイですら他の子達と肩を組んでVサイン。

みんな最高の笑顔で締めくくった。




この日は合唱会が終わると、そのまま帰宅。

たくさんの父兄達が校門や校庭で、子供達が出て来るのを待っていた。

田村家の祖父母もソワソワ落ち着かない。

一夜と千夜を抱き締めたい。思い切り褒めてあげたい。素敵な歌をありがとうって伝えたい。

「いやあ、もお。こおんな興奮したんナイわあ。今血圧測ったらエライ数字出るやろな」

「帰りにな、ケーキ買いに行こ。

今度の休みはデパート行って、服でも靴でも何ンかご褒美になるモン買に行こ」

そんなデレデレ祖父の肩に、ぽんと手が置かれて。

振り向くと陽気が立っていた。

「陽気おまえ何処ン席に居ったんや?ちゃんと合唱に間に合うたんか?」

「招待券は理に譲ったんや」

「え?」

祖父が、陽気の後ろに視線を送ると。そこには男がひとり立っていた。

日焼けして痩せ気味な身体で。申し訳無さそうな顔つきの、一夜達の父親だった。



そしてそこに丁度、終わりの鐘が鳴って。生徒達がぞろぞろ出て来る。

友達同士で駅へ向かったり、自分を待つ親のところへ駆けて行ったり。

一夜と千夜は手をつないでいて。その後ろにエリオも並んで3人一緒。

祖父母を見つけると、一夜と千夜は笑顔で走って来た。

その途中で驚きの顔に変ると。

一夜はそのまま泣き顔になって、理に抱き着いた。「papa!papa!papa!」

でも千夜は戸惑った顔になってエリオにしがみつくし。

エリオも急に硬い表情になって、立ち止まってしまう。

なんとも微妙な空気が流れていた。





優気が買って来た白いケーキ箱を開けると。

でん!とベイクドチーズケーキのホールサイズ。卵色で美味しそうではあるけれど。地味。

「もおおお。何ンよコレえ。合唱会のご褒美やで?

白いクリームとか真っ赤な苺とか豪華なメロンとか。華やかでカワイイのんを選ぶトコやろ~」

母親の史子はぷんぷん怒るし。

父親の陽気はタメ息をつく。

「いや、そもそも優気に頼んだんがアカンかったワ。

こいつがショーケースん前で、カタカナの長い名前の注文とか出来るワケ無いやんな」

「ヒトに頼み事しといて。エライ言いぐさやな」

とりあえず言い返しはしたものの。

確かに、こののっぺらぼうなケーキで一夜と千夜が喜んでくれる可能性は低い。

「旨いんやけどなあ…」

これでも優気はかなり悩んだのだ。

子供も大人も食べられて。時間が経っても溶けたり崩れたりしなくて。

そういう諸条件に、見た目とか特別感と言う項目が無かっただけ。

そもそも突然過ぎる。

そう。予定通り祖父母達を迎えに行こうとしたら、父親から電話が入って。

「あんな、いま一夜ちゃん達の父親が来とるねん。

こっちはタクに分乗して帰るんで。おまえは迎えに来んでエエ。

その代わり母さんと相談して、何ンか食べるモンをやな。話しながら摘まめるモン用意してくれんか。

多分これからちょお深い話することになるんでな」

どきん、と心臓が跳ねて。優気は危うくスマホを落としそうになる。

レイラと言う母親は仕事優先で育児放棄ぽかったから、全然気にしていなかったけれど。

まさか海外派遣中の父親が3人を引き取りに来るとは思って無くて。

不意打ちの「お別れ」気配に。一瞬時間が凍ってしまった。



「あの、このケーキで良いと思います」

台所にエリオが顔を出した。

「アイスやフルーツ乗せたら。キレイだし色々食べられて千夜も喜ぶと思います」

「そおやな。デコったら良えか」

エリオの提案に史子は明るい顔になって、冷蔵庫と冷凍庫の中をゴソゴソ探り出す。


「コーヒー淹れるの、手伝います」

人数分のカップを並べて、たっぷりな量のお湯を沸かして。千夜にはほうじ茶の用意をして。

優気の隣に立ってエリオは黙々と手を動かす。

その横顔をちらりと見て、優気はなんとか笑い顔を作る。

「はは、なーんや思うてへん展開になってもたなあ。

合唱会の話聞かせて貰うて。

その衣装で写真撮って。

何ンやったら、ココでも歌うて貰うて。そんな楽しいコトばっか考えとったけど。

やっぱホンモンの父親が登場したら、そおいうワケには行かんわな。

手伝いはええから。エリオもお父さんトコ行っといで。大事な話があるやろ」

「いや、です」

豆の計量スプーンがエリオの手から落ちて、バラバラと音と豆が床に飛び散る。

「ぼくはっ、理さんを父親だと思ったこと無い!血縁関係のことだけじゃなくて。

結局レイラの強さに敵わないからって、ぼく達を置いて逃げたし!

もし親子って言うのが、ぼく達を守ってくれて大事にしてくれて。

ぼく達も心から信じられる大人のコトを示すなら。

あの人は親じゃない!レイラだって怖いだけだ!

ぼくにとってはココが、この家で初めて…」

エリオの灰青の瞳からは涙が溢れ出て。彫りの深い輪郭を伝い落ちる涙はシャツの胸元まで濡らしている。

その涙がエリオひとりだけのモノとは思えなくて。

優気はエリオの身体を抱き締める。

エリオの涙で、自分の胸元まで湿ってくる感覚が。まるで自分の涙のように感じる。

「そおや。ほんまにそおや。

エリオも一夜ちゃんも千夜ちゃんも、もおとっくにオレらの家族や。大切な存在や。

大事にしたい、たくさん笑うて欲しい。寂しい思いさせたあ無い。

絶対絶対守るからな。幸せになれるよう考えるからな。大丈夫や、だいじょうぶ」

ぎゅうっとしっかり抱きしめて。

エリオの黒い髪を何度も撫でると。

優気のシャツにしがみついて、エリオはわあわあ感情のままに泣く。

(思い切り泣いたらエエ)優気はそう思いながら、エリオの耳元でだいじょうぶやと繰り返す。

大人ぽい顔立ちに勘違いしていたけれど。腕の中に収まる細い身体。

不安と怒りで、優気のシャツを握りしめる繊細な指。

エリオはまだこんな子供やったんや…と胸が締め付けられて優気は苦しくなる。

そして、もう二度とこんな泣き方させへん。と強く熱い想いでいっぱいになっていた。




エリオ以上に千夜は理をイヤがるので。祖母とぶちとクロが付き添ってお昼寝タイム。

広い居間では、田村家の面々と理が気まずい雰囲気で座って居る。

「あの、今日は本当に突然申し訳ありません。

この子達を置いて逃げ出して…

こんな風に顔を出せる立場で無いのは重々承知しています。でも。あの」

「話ン前にひとつだけ確認させてくれや」

祖父が渋い声で、理の話を遮った。

「千夜ちゃんがあんなにアンタんコト嫌がるて。まさか暴力振るうとったんか?

どんな事情が有ってもな、もしそんな事実が1度でも有るんやったら。

コッチも容赦せん。アンタんこと叩き出すで」

ぐっと言葉が詰まる理の代わりに、一夜が真正面から祖父を見る。

「おじいちゃん、心配してくれてありがとう。

あのね。千夜が怖いのはパパとママの大声なの。

ママは、パパが家に居るといつも怒ってたから…何もかもパパのせいだって。

まだ千夜は小さくて、何を言ってるか判らなくて。ただ喧嘩の大声が怖くて。

パパに会って、あの頃を思い出したんだと思うの」

「そおなんか?エっちゃん?」

「はい。あの時はぼくも何も出来なくて。ただ3人で部屋の隅でじっとしてるだけだったから…」

泣き疲れた顔だけど。エリオは優気の隣にぴったりくっついて、自分を支えて。

ちゃんと話し合いに参加しようとしていた。


「ほんとうに情けない親です、私は。

何が一番大切なのかをちゃんと考えてなくて。無責任で、逃げていて」

海外派遣の医者と言うからには。志高く仕事をしているのかと想像するけれど。

どちらかと言うと、理は疲れ切った雰囲気で。声も弱々しい。

「強くて、自分の言葉をはっきり言うレイラに惹かれて。

高い理想を一緒に追ってるつもりになっていました。

本当は。想うコトに、高いも低いも無いのに。願いに、有益とか無益とか無いのに。

レイラに非難されたくなくて。見栄を張って遠くばかり見て。

足元の小さくても大切なコトを、踏みつけて歩いてました」

「パパ…」

うつむく理に一夜が寄り添うと。理はその小さな手をぎゅっと握る。

「一夜の歌を聴いて目が覚めたよ。

私にとっての理想は。一夜と千夜とエリオと家族揃って暮らすことだ。

そこに私自身の幸せもあるんだ。

自分の中に幸せが無ければ。理想だって薄っぺらいだけで寂しくて虚しいだけなんだ。

もう一度やり直したい。大切だと思うことをひとつずつ積み上げて行きたい。

私自身が壊しておいて、勝手な言いぐさだけど。

許してくれないか?もう一度チャンスをくれないか?」

応える代わりに、一夜が理に抱き着つくと。

ずっと緊張していた空気がほろりと和らいだ。


それまで黙って話を聞いていた陽気が、ちらっと祖父を見る。

「ナンやカンや言うても。得も損も無しに、許し合えるんが家族やんなあ」

「まあ。一夜ちゃん達が許す言うんやったらエエけどな」

祖父も渋い表情のままだけど、しゃあないなあと言う感じでコーヒーを啜る。

「ん。このコーヒーめっちゃ上手に淹れとおな。

エっちゃんが淹れたんか?旨いワー。ほら、理さんも。冷めんうちに飲みや」

促されると、理はエリオをじっと見つめた。

「エリオ、いいかな?頂いても?」

「うん…どうぞ」

ぎこちない言い方になってしまったけれど。

優気のシャツをぎゅっと掴むと、エリオは少し笑顔を作ることが出来た。



こほん、と軽く咳払いして。陽気が真面目な顔で話し出す。

「オレからも大事な話があってな、聴いて欲しいんやけど」

「陽気、いいんだ。もうこれ以上お世話になる訳に行かないよ」

理は慌てるけれど。陽気はビシっと遮る。

「いや。子供達の将来に関わるコトなんやから。

ウチらみんな家族やと思うとる。一緒に考えさせてくれや、な。

あんな。理が一時帰国したんは他にも用事があってな。

ソレを決める為にも、子供達と会わせたかってん」

少し重いタメ息を一度吐き出すと。陽気は、エリオと一夜をしっかり見つめる。

「レイラさんはフランスに戻った」

はああ?驚きと怒りが交じり合った顔になったのは、田村家の方で。

びくりと身体を震わせたものの。エリオと一夜はやっぱり、と諦めと寂しさの表情。

「正確には、仕事でパリに出張してから。帰ってないらしーんや。

今も、連絡はつかんし。行方が分からん。

保守的な団体にでも潜り込んでくれとったら、まあ無事にやっとるとは思うんやけど。

でもな、オレもじーちゃんも。始めっから考えとった。

もし実の親と上手く行かんのやったら、正式にエリオ達を引き取りたいて。

ただせめて学校卒業して。自分で選べるよおになるまでは、待ちたかってんけど。

フランス国籍を失うかも知れんことやし。

せやけどまあ一気にドン詰まりに追い込まれてもて」

ぼりぼりと頭を掻きながら、陽気は理を見る。

「そんでな、理の気持ちを確認したかったんや。

これから先どんな状況になっても。家族でやって行くて思おとるかどうかをな」

そんな言葉を投げかけられても。もう理に迷いは無い。

あの弱々しかった顔に、はっきりと笑みを浮かべて頷く。

「うん。それだけは間違いないよ。

私にはこの子達しか居ないんだから」

「わたしも!」

一夜が大きな声をあげる。

「わたしはパパが好きだし。

千夜にも。もうパパは大きな声でケンカすることないから大丈夫って、教えてあげるし。

ちゃんと家族として暮らして行けるように、わたしも頑張るっ。お兄ちゃんもそおだよね?」

みんなの視線がエリオに集まっても。

エリオの口から、うんと言う応えが出て来ない。

「エリオ」

隣に居る優気が、そっと黒い髪をなでる。

「エリオにはエリオの想いとか考えがあるやろ?一番大事なコトや。誤魔化さんでエエ。

ココは、ホンマの言葉を言い合える家族やねんから。

ちゃんとエリオの想いを聞かせてくれ、な?」

そしてやっと震える声が、言葉になる。

「一夜は優しいから。理さんを許すことが出来るけど。

ぼくは、優しくないんだ。あの頃を許して、理さんの言葉を信じることが出来ない。

またぼく達を捨てて行く姿ばっかりが、思い浮かんでしまって…信じ、られないよ…」

「うん。よお言うた。それでエエんや」

他の誰かが口を挟む前に。

優気は庇うように腕を回して、しっかりとエリオを抱き寄せると。

言わずには居られなかったけれど、後悔も自責もたっぷりなエリオは優気のシャツに顔を埋めてしまう。

「信じたいからこそ、出て来る言葉や。

昔の哀しかったコトとか寂しかったコトとかな。ひとつずつ確認して行こな。

もう二度と同ンなじコトにならんよおにな。

それこそ、さっき理さんも言うとった、小さいコトを積み上げてやり直すってコトや。

なあ、父さん。

理さんの覚悟は判るんやけど。現実的ちゃうやろ?

せっかく3人とも生活落ち着いて。学校とか、やりたいコトとか良え時間過ごせとおのに」

「そおそお。ソレやねん」

いつの間にか陽気はチーズケーキをもぐもぐ頬張り、いつもの調子に戻っている。

「親権とか在留資格の審査とか考えると。

理が、日本で就労しとる実績とか税金滞納無しとかな。色々条件整えておく方がエエ思うねん。

せやからオレが働いとお病院紹介して。その病院の従業員が派遣されとる言う体裁にしよ思うんや」

妻の史子もコーヒーを飲みながら、うんうんと相槌。

「そおやな。

青海会さん協力的やもんな。

お父さんがボランティアで海外行っとお時も、在籍扱いにしてくれて。

給料は無いにしても。社会保険とか住民税とか面倒見てくれたもんな。

日本に残っとる家族には負担が無いから、めっちゃ助かるしな」


税金とか社会保険とか。

聞き慣れない言葉に、エリオと一夜はきょとん?としてしまうけど。

そんな2人に向き直って、理はペコっと頭を下げた。

「ごめんね。エリオも一夜も。次々難しい話してしまって。

お父さん今の海外派遣の仕事、勝手には終わりに出来ないんだ。

だから後1年ここで田村さんの家で。待ってて貰えるかな?

陽気さんの話の通り、この先みんなで一緒に暮らせる準備は進めておくし。

1年後お父さんが帰国したら陽気さんと同じ病院で働けるから。この場所で生活を続けられるよ。

今度こそ落ち着いて暮らそう。約束する」



「このお家で、このままみんなでいっしょに暮らせるの?

おじいちゃんもおばあちゃんも。Petitもgrosも。ずっと?」

明るくて大きな声に、みんなが振り向くと。

昼寝から起きた千夜が祖母の手を握って立っていた。

祖父が両腕を広げると。千夜がそこへ飛び込んで来る。

「そおやで。みんな一緒や。何ンやったら2世帯住宅とか考えてもエエやんな。

何ンも変わらん。たくさん笑うて楽しいに暮らしていこな」

「やったあああ」

すっかり安心してキラキラな笑顔を、千夜は理に向ける。

「パパも一緒でいいよ。

あのね、このお家に来て。たくさんステキなコトがあったの。

学校でお友達も出来たし。算数も理科もちゃんとお勉強してるし。

お洋服も絵本もお菓子もいつもいっぱいあるの。

パパは、タイヤキって知ってる?美味しいよ。

お店行くとね。わたしと一夜ちゃんには、いつも特別なの作ってくれるの。

あったかいのも冷たいのもあるよ。

あ!猫もいるの。大きいのにPetitだし。小さいのにgrosって。

おもしろいでしょ。

だからね、パパにもね。わたしがステキなコトをたくさん教えてあげるね!」

「千夜…ありがとう」

とうとう理は両手で顔を覆って、オトナ泣きをしてしまう。

ありがとう、ありがとうございます。繰り返す感謝の言葉は、誰宛か判らないけれど。

やっと再出発のスタート地点に辿り着いて。それまでの全てのコトについて。

その言葉しか出て来ないようだった。



「何ンや、合唱会の歌みたいになりそおやなあ」

のんびりと祖母がつぶやくと。一夜と千夜は顔を見合わせて歌い出す。


♪The colors of the rainbow

So pretty in the sky

Are also on the faces of people going by

I see friends shaking hands

Saying “how do you do?”

They’re really saying “I love you”


I hear babies cry, I watch them grow

They’ll learn much more than I ‘ll ever know

And I think to myself

What a wonderful world

Yes I think to myself

What a wonderful world


虹の色が可愛らしく空に映えている

行き交う人々の顔にも虹が輝いているね

『げんき?』と言いながら握手を交わす友達がいるね

あれは『きみはたいせつなひと』って意味なんだよ


赤ん坊の泣き声が聞こえるね これからの成長が楽しみだ

でもきっと僕が知っているコト以上に この子たちは学んでいくよ


ね、だから思うんだ

『ああ、なんて素晴らしい世界なんだろう』と

そう思わずには居られない

『なんて素晴らしい世界なんだろう』って♪

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