クズ夫が、王太子殿下の婚約者と不倫しやがりました。腹が立ったので、一切、口を利かないでいたら、不倫相手は婚約破棄され、クズ夫は死刑になって、義実家までお取り潰しになっちゃいました。
◆1
私、メイアー・ソード伯爵夫人は、ここ一週間、夫と口を利いていない。
夫、オウム・ソード伯爵を、無視し続けていた。
私の目の前で、夫は金髪を振り乱し、碧色の瞳に涙まで溜めて、あれこれ話しかける。
が、相手にしない。
私は鏡台の前に座り、黒髪を櫛で梳かしながら、青い瞳を閉じるばかり。
他人がこの様子を見たら、私はさぞ冷たい、鬼嫁に思われるだろう。
だが、私、メイアー伯爵夫人が、夫オウム伯爵と没交渉にまで至ったのには、当然、理由があった。
クズ夫が、(入婿のくせに)手を出してはいけない、王太子殿下の婚約者と不倫しやがったのである。
◇◇◇
一週間前ーー。
夫オウム・ソード伯爵が乗る馬車が、他の馬車と接触事故を起こした。
事故自体はたいしたことはない。
互いの馬車がぶつかって車輪が外れ、動けなくなっただけだ。
実際、急ぎ業者を呼びつけて修理した結果、すぐに元通りになった。
接触した相手の馬車が、様々な事業を展開しているテレム商会の馬車だったことが幸いし、すぐに業者を手配できたのだ。
だが、どちらの馬車に事故原因があるのかと言い争いになり、修理代を払いたくなかった夫オウム伯爵が馬車から降りて口論した。
その際、同じ馬車に乗っていた女性が顔を出してしまい、それを相手方の商人に見られたことによって、大問題に発展してしまった。
事故当日、我が家に帰ってきた夫は、ソファーに腰掛けながら、吐き捨てた。
「あの、眼鏡をかけた小太りの商人ーーテレムとか言ったか。
俺様は貴族だというのに、舐めやがって!
文句を言ってやろうと、俺は外に出た。
でも、それがマズかった。
同乗していたお嬢様も、開いたドアから、ひょっこり顔を出してしまったんだ」
私、メイアーは、夫のグラスにワインを注ごうとするのを停止し、全身を硬直させた。
夫はドゥンク公爵邸に乗りつけた馬車で事故を起こしたはず。
ということは、まさかーー。
「お嬢様ってーーまさか、パール・ドゥンク公爵令嬢!?
貴方、婚前のパール嬢を、同じ馬車にお乗せになったのですか!?」
夫は金髪を掻き上げ、バツの悪そうな顔をする。
それも当然だ。
既婚の貴族男性が、婚前のご令嬢と馬車に同乗するだなんて。
我が王国の慣習では、不倫を疑われても仕方がない事態だ。
私は、パール嬢の若やいだ肌と、甘い香りを放つ桃色の髪を思い出した。
「まさか、お嬢様に手を出したりはーー?」
すると、夫は自らの手でワインをグラスに注ぎつつ、居直った。
「そりゃあ、手を出したさ。
俺も男なんだから。
悪いかよ!?
迫られたら、断れないだろう?
お得意様でもあるんだぜ」
私は呆気に取られた。
手を出したら悪いに決まっている。
相手はパール・ドゥンク公爵令嬢ーー私よりもずっと年若い、桃色の髪、桃色の瞳を持つ、派手な女性だ。
そして、なにより問題なのは、彼女、パール嬢は、我がバルサ王国の王太子アーク・バルサの婚約者ーー将来の王妃殿下と目されている女性なのだ。
そんな女性に、夫は手を出した、というのだ。
その事実が世間に知れたら、我がソード伯爵家もタダでは済むまい。
しかも、そんな畏れ多い浮気を、妻である私に対して、平然とした様子で話すーーその夫の神経を、私は疑わざるを得ない。
そして、夫、オウムは、様々な思念が渦巻く私の心中をまるで察せず、話を続ける。
「パールお嬢様と懇ろになったことは、この際、どうでも良いんだ。
バレなきゃ問題ない。
でも、あのテレムって商人のヤツ、事故った責任を取りたくないからって、俺の馬車を指さして叫びやがった。
『あ、あの方はーードゥンク公爵家のご令嬢だ!』って。
運の悪いことに、テレムはドゥンク公爵家に出入りしている御用商人で、パールお嬢様と見知った顔だったんだ。
そして、突き出た腹を叩きながら、俺を脅しやがった。
『事故の責任を取らせようとするなら、真実を世に訴えますぞ』って。
ちくしょう!」
夫の話を聞き、私は推測する。
おそらく、夫オウムは嵌められたのだろう、と。
もちろん、事故自体を起こしたのは、どちら側なのかはわからない。
でも、言いがかりをつける機会を、御用商人のテレムは虎視眈々と窺っていたはずだ。
パールお嬢様の装飾コーディネートをする役目を、私たちソード伯爵夫妻が、彼らから奪ったので、テレム商会の者が根に持っていて当然だった。
それに、おそらく御用商人テレムは、夫オウム伯爵がパール公爵令嬢と浮気しているのに勘づいていたのだろう。
まんまと脅す口実をくれてやったようなものだ。
私は、不機嫌にワインを飲む夫の、ちょっとばかりイケメンな顔を眺め、嘆息した。
(やっぱり、このヒトは、自分が置かれている状況を理解できていない。
ドゥンク公爵家での仕事は、受けるべきではなかった……)
親代わりの叔父マックス・シード伯爵が紹介したので結婚したこの男、オウムは、(結婚してからわかったのだが)頭が単純で、警戒心が足りない。
そのくせ、自分は頭が良いと思うぐらい〈痛いヤツ〉だった。
しかも、女は生まれつき、頭が弱いと信じている節がある。
今も、私に上から目線で、諭すように喋る。
「俺がパールお嬢様と不倫してたのがバレたら、ヤバいってこと、さすがに女のおまえだってわかるよな?
婚前の令嬢だから、明るみに出させるわけにはいかない。
というわけで、お金で解決するから、金を出してくれ。
あの商人のヤツ、
『馬車の修理代と、それなりの口止め料をいただけるなら、訴えは取り下げましょう』
と抜かしやがったんだ。
ったく、ガメツイったらないよな」
悪態を吐く夫と違って、私はテレムとかいう商人の態度に感心した。
(なるほど、さすがは公爵家の御用商人。
分をわきまえた対応をしているわね……)
事を公にして、パール嬢と王太子の婚姻を破談させたくはないらしい。
テレムは御用商人だから、ドゥンク公爵家に怨まれたくはないのだろう。
私の夫オウムに釘を刺せれば十分だ、という判断らしい。
ひょっとしたら、お嬢様の火遊びを知ってしまった手前、御用商人としてできる精一杯の、不義密通の邪魔立て行為であり、引いては、ドゥンク公爵家に対して忠義を示そうとしたのかもしれない。
実際、その効果は覿面だったようだ。
夫オウムは普段持ち合わせていない警戒心をようやく手に入れて、猜疑心にまで発展させていた。
そして、足りない頭で、いかにもな考えを思いついたようだ。
「そうだ。考えてみれば、このままじゃ、安心できない。
商人の馬車の御者や、往来の人々といった何人かの者たちにも、俺の馬車に女性が同乗していたってことはバレているかも。
パール公爵令嬢のためには、念には念を入れて隠さなきゃならない。
そうだよ。もっと手を打たなきゃ、枕を高くして寝られない。
ーーでさ、思いついたんだ、メイアー。
お願いなんだけど、おまえ、身代わりになってくれ」
「身代わり?」
いきなり話を振られて、私は面喰らう。
夫は、さも名案が思いついたかの如く捲し立てた。
「そうだよ。
馬車に乗ってた女性は、おまえ、メイアー・ソード伯爵夫人だった、ってことにするんだよ。
幸い、夕暮れどきだったし、パールお嬢様は鍔の広い帽子をかぶってたから、見知った人以外には、顔はよくわからないはず。
女性だということがわかられてるだけだから、一緒に馬車に乗っていたのは、おまえだった、ということにしておいてくれ。
そういえば、パールお嬢様には、
『妻に協力させますので、どうかご安心を』
とすでに言ってある。
ほんと、若いお嬢様のお守りも大変で、困るんだよなぁ」
私は口をあんぐりと開けてしまった。
(ちょっと、何を言ってんの、このヒト?)
若い女性ーーそれも王太子殿下の婚約者を相手に不倫しておいて、妻である私に、一緒に不倫を隠蔽するのを手伝ってくれ、というの?
ほんとうに?
マジで、どういう神経してんだ。
ほんとに腹が立つ……。
そもそも、身代わりなんかできるはずがない。
私は黒髪、パール嬢は桃色の髪だ。
普段の身なりからして、違いすぎる。
そうした間抜けな思いつきで得意がってるところが、そもそも気に入らない。
が、それよりも、パール令嬢とご実家のドゥンク公爵家に迷惑がかかることばかりを恐れて、妻の私、メイアー・ソードの存在を無視してるってのが、もっと気に入らない。
正直言って、我慢ならない。
しかも、口止め料として、かなり高額のお金を用立てろ、と?
商人が提示した口止め料の金額を耳にしたので、即座に、
「すぐには用立てられない金額ですよ。わかってます?」
と、私は低い声で反問する。
それでも、私の怒りに気づかない夫オウムは、ダメ押しの台詞を吐いた。
「そうでもないだろーーあ、そうだ。良いこと思いついた。
お金を用意するときに、俺の両親とか周りのヒトに、
『なんでそんなお金が必要なの?』
って訊かれると面倒臭いから、結婚のとき、プレゼントしたネックレスと指輪、あるだろ?
あれを売れよ。今すぐ。
そうしたら、かなりのお金を工面できるだろ?」
(本気で言ってるの?)
さすがに、私はこの男に冷めた気がした。
もとより、さして愛情を感じてはいなかったが、これからの人生、共に生活していく覚悟ぐらいはあった。
が、それも、今、霧散した。
あまりに酷い提案だった。
しかも、その酷さに、目の前の男は、気づく様子もない。
さすがに愛想が尽きた。
なので、今後、一切、この男相手には口を利かない、と決心した。
無視を決め込むことにしたのだ。
◆2
そして、一週間が経過して、現在ーー。
夫オウムは相変わらず騒々しい。
碧色の瞳に焦りの色を宿しながら、バン! と荒々しくテーブルを叩いた。
「金だ。金が必要なんだ!」
けれど、すべて無視。
私、メイアーは、黒髪をいじりながら、ソファーに座って壁紙を見続ける。
あるいは、窓の外の景色をぼんやりと眺める。
自分がデザインした、お気に入りの装飾品は、すでに部屋から片付けて、自分用のバックの中に入れている。
いつでも持ち出せるように。
◇◇◇
無視をし始めてから、さらに二週間が経過した。
相変わらず夫のオウムは、
「金が……」
と語りかけてくる。
が、私、メイアーは、まったく反応しない。
腹を立てた夫オウムが、腕を振り上げ、殴りかかってきた。
が、それでも無視。
不思議なもので、無視すると決めていると、殴られても、さほど痛く感じないということに気がついた。
◇◇◇
夫に対して無視を決め込み、私、メイアー・ソード伯爵夫人がー口を利かなくなってから、さらに一ヶ月が経過ーー。
とうとう夫のご両親が、私の様子を窺いに来た。
コックス・ビルド男爵、そしてラメ・ビルド男爵夫人だ。
二人とも金髪だが、義父は痩せぎす、義母はぽっちゃりとして、好対照な体型をしている。
夫オウムが、そんな義両親に、妻に対する不満をぶつけ、我が家に招き入れたのだ。
義父母のコックスとラメは、私、メイアーの様子が普通でないのに気がついた。
彼らは自分の息子オウムに、何があったのかと尋ねた。
彼は待ってましたとばかりに、両親に訴えた。
「メイアーが俺の言ってることを無視してさ、金を出してくれないんだよ。
金が要るんだよ。
だから、とりあえず結婚指輪とかを売り払えって言ってんのにさぁーー」
と答え、逆に義父母に怒鳴りつけられた。
「この、大馬鹿者が!
誰のおかげで、我がビルド男爵家が保ってると思ってるんだ!」
「今までずっと、メイアーさんの出資で、ビルド貴金属産業は、経営を維持できたのよ」
義両親は激怒した。
特に義父コックスは、息子オウムの胸倉を掴んで、問いただす。
痩せぎすの身体ながら、比較的体格の良いオウムを、片手で宙に浮かばせるほどの力があるとは、正直、驚いた。
「まさか、このところの莫大な注文のついても、メイアーさんの許可も得ずして、おまえが勝手に注文してきたんじゃあるまいな?」
「いや……それは、お嬢様がいろいろ見てみたい、取り寄せてくれ、と言うからーー」
「お嬢様とは誰のことだ?
いったい、何があったんだ!?」
と義父が問い詰めたことで、ようやくここで夫は義両親に事情を話した。
アーク王太子の婚約者パール・ドゥンク公爵令嬢に手を出した、と。
◇◇◇
今からおよそ六年前ーー。
ソード伯爵家の一人娘である私、メイアーは、伯爵家存続の必要もあって婿を迎えた。
我が国の法律では、たいがいの相続権は男女平等に認められているが、爵位とそれに付随する領地だけは女性には相続できず、代理相続が十年期限で認められるのみだからだ。
よって、叔父のマックス・シード伯爵の紹介で、金属加工の職人を多く抱えるビルド男爵家から、二歳年上のオウムを婿にしたのである。
オウムの実家では長年に渡って貴金属や宝石を散りばめた装飾品を製造し続けていた。
その息子を婿にしてビルド男爵家と縁付けば、自分の望む装飾品が作りやすくなるに違いない。
そう判断した私は、喜んでオウムを婿に迎えた。
それぐらい、私は、趣味の工芸デザインを活かしたかったのだ。
(そうなのよね。
マックス叔父さんの紹介もあったけど、彼、オウムを夫に選んだのは、私がデザインする装飾品を世に送り出したかったためだったわ……)
ビルド男爵家の方も、一人息子を婿に出すのには躊躇したようだ。
我が国では、他所の家に婿入りしたら、実家の爵位や領地の相続権は失われる。
しかも、嫡男に婿として出て行かれた家は、しかるべき者に家督を相続させる手続きをしないと、その家の爵位も領地も喪失してしまい、お家取り潰しとなってしまう。
けれど、幸い、オウムの父コックス・ビルド男爵の歳の離れた弟が、ビルド男爵家の跡継ぎとなって装飾品製造業を続けることに決まった。
そして、野心旺盛なオウムは男爵家から離れ、伯爵となれることを喜び、私との縁組みを了承した。
実際、オウムを婿に迎えて、良いコンビが組めたと私は思った。
黒髪で地味な容姿の私、メイアーと違って、オウムは金髪で朗らかな性格をしており、外交的で、営業にも積極的だった。
私が頼みもしない、様々なパーティーに出席して、顧客を増やしていった。
幸い、我がソード伯爵家が行う装飾品販売は、貴族の間で、評判が良かった。
そしてついに、我がバルサ王国の筆頭貴族家であるドゥンク公爵家から依頼が来た。
三ヶ月ほど前のことだ。
アーク王太子との結婚に向けて、パール・ドゥンク公爵令嬢を、数々の装飾品で飾り付け、ドレスアップする仕事が舞い込んできたのだ。
そのための装飾品のデザインをしたのが私、メイアー・ソードだ。
でも、パール公爵令嬢にお会いしたら、がっかりした。
たしかに、彼女の持つ桃色の髪と桃色の瞳は、じつに珍しいうえに刺激的だ。
肌も白いので、黄金系やサファイア、エメラルドといった宝石が良く似合う。
顔も綺麗、スタイルも抜群だ。
ただ、性格に難があった。
ワガママに育ったようで、軽薄で、騒がしい。
何か気に入らないことがあると、すぐに乱暴に振る舞う。
なのに、ドゥンク公爵夫妻は、猫可愛がりするばかり。
叱るべきところで、叱らないのだ。
おかげで野生児のような性分になってしまっていた。
実際、私が首に巻こうとしたネックレスは、彼女によって引きちぎられて捨てられた。
「アンタの顔、気に入らないわ。
なによ。澄ましちゃってさ!」
と悪態をつかれたが、そう言われても、何が気に入らなかったのか、よくわからない。
私は彼女の近くから、身を退けるしかなかった。
でも、私は、爵位を夫にくれてやったものの、歴とした伯爵夫人だ。
さすがに雑に扱われ過ぎでは?
そう思って、奥様のポスト・ドゥンク公爵夫人に苦言を呈した。
だが、逆効果だった。
奥様は、娘と同じ桃色の髪を振り乱しながら、甲高い声を張り上げた。
「貴女は、我が娘パールの身を飾るための装飾品を手配するだけで良いのです。
ご覧なさい。
貴女の夫、オウム伯爵の方が、良く心得ていらっしゃる」
夫オウムは長身を折り畳んで、年若い娘相手にヘコヘコしていた。
十歳以上年下のパール公爵令嬢の方が、扇子を広げてふんぞりかえっている。
こんなのが将来、我がバルサ王国の王妃様になるのかと思うと、少し頭が痛くなる。
だから、パール嬢の接待役は、夫に任せることにした。
その判断が、やがて、大きな事件を起こすことになるのだが、このときは仕方ない、と思っていたのだ。
奥様から怒られて、席を外す。
そして壁に寄りかかり、ひとり、溜息をつく。
すると、「どうぞ」と一杯のカクテルを差し出す紳士がいた。
赤い髪に、赤い瞳ーー眼鏡をかけた、見るからに誠実そうな男性だ。
リック・ドゥンク公爵令息ーーパール公爵令嬢のお兄様だった。
ドゥンク公爵家の嫡男で、亡くなった先妻セリア公爵夫人の子だ。
後妻であるポスト公爵夫人とは、血の繋がりはない。
ちなみに、お兄様のリック公爵令息は、筆頭貴族家の跡取りらしく、立派な方だ。
学園時代、同じ工芸部の先輩でもあった。
リック先輩は、キラキラと赤い瞳を輝かせながら、語りかけてきた。
「久しぶりだね、メイアー。
貴女は学生の頃からデザインが優れていたからね。
学園祭での発表を覚えているよ。
じつに繊細で、品のあるデザインだった」
「お恥ずかしい」
「謙遜しないでくれ。
今の貴女は、立派な装飾デザイナーなんだ。
それなりの責任を担ってるんだから、堂々としてくれないと。
貴女のデザインした装飾品は、単に私の妹の身を飾るだけのモノじゃない。
将来の王妃殿下、なによりアーク王太子殿下との披露宴の際に着用する装飾品なんだ。
煌びやかでありつつも、品位を保たなければならない。
正式な結婚式には伝統に則ったものが決められているけど、披露宴での装飾は自由だから、かえって難しい。
でも、メイアー、貴女がデザインしたものなら安心だ。
学園卒業後、ご主人と装飾品を扱っていると聞いて、是非に、と私が指名したんだ。
妹に選ばせると、とんでもないのになってしまうからね」
「ありがとうございます。
でも、筆頭貴族家であるドゥンク公爵家ともなると、お抱えの御用職人もおられたでしょうに」
「たしかに、装飾職人を多数抱えた商人が出入りしているよ。
テレム商会といって、王都では名のある商会だ。
でも、良いんだ。
彼らにも刺激があったほうが。
ちょっと、最近、彼らが作る装飾デザインがマンネリ気味でね。
貴女に喝を入れてもらうつもりなんだ。
その後、彼らには、私の結婚式で腕を振るってもらうさ」
「あら。良いお相手がお決まりで?」
「いや、まだいないんだ。絶賛募集中」
「ご冗談を。学園時代も、おモテでしたのに」
髪の色並みに、彼は顔を赤くする。
「貴女ほどじゃありませんよ」
「リック様にも、春が来ると良いですね」
「自分が結婚してるからって、油断は禁物ですよ。
春に咲いた花も、いずれは散るのですから」
「おお、怖い。
でも、心配ご無用。
私は家庭を何よりも大切に思っておりますから」
「旦那様は幸せ者だ」
学園時代に戻ったかのように、二人で軽やかに笑い合う。
これが三ヶ月前の出来事だった。
それからは、夫オウム・ソードが、ドゥンク公爵邸に通い詰める日々となった。
「こちらの宝石の方が、お嬢様にはお似合いですよ。ほら!」
などとお世辞を言って、夫はパール嬢につきっきりになっていた。
私は夫から出される注文に従って、自宅で装飾デザインに明け暮れる日々を送っていた。
その結果、最悪なものとなってしまった。
通い詰めること二ヶ月ほどで、夫オウムは三十代なのに、十代後半のパール公爵令嬢と深い仲になってしまったーー。
◇◇◇
こうした経緯を踏まえて、改めて夫オウムと義父母ビルド夫妻は、私、メイアー・ソード伯爵夫人に懇願してきた。
夫オウムは両手を合わせる。
「頼む、メイアー!
口止め料が払えないと、馬車の事故が、明るみとなってしまう。
俺のせいの事故にされてしまう!」
私は思わず苦笑した。
(あら、おかしいわね。
言ってることが変わってる……)
どうやらミスったのは、テレム商会ではなく、夫の馬車の方らしい。
やはり、最近、馬車を操る御者を替えたのがいけなかったようだ。
夫は一ヶ月ほど前、ドゥンク公爵家から帰宅してきた際、意気揚々と酔っ払いながら言っていた。
「ドゥンク公爵家は、我が国の筆頭貴族家だ。
その公爵邸に出入りするのだから、見映えが良い御者にしないと」
などと言って、長年、勤めていた御者を更迭して、若者に替えた。
だから、テレム商会の馬車と行き違うとき、駆け引きに負けて、こちらからぶつかったようにされたのだろう。
やはり、御者は顔ではなく、腕で選ばないと。
おまけに、パール・ドゥンク公爵令嬢を馬車に乗せての事故だ。
たとえ相手が平民でも、大商会のテレム相手では、事故の揉み消しは容易ではない。
「お金を出してくれ!」
と叫ぶ息子のオウムに続いて、義父母のビルド男爵夫妻も、私に土下座して懇願する。
「こちらも、お願いします。
息子オウムの求めに応じて、色々と出費が嵩んでおります」
「今、貴女に援助を打ち切られては、我がビルド家は破産してしまいます。
どうか、どうかーー!」
ティアラなど、今回、パール嬢のために用意する金銀、宝石を散りばめた装飾品は、それなりに豪華だ。
金に糸目をつけず、希少な素材を集めて製造した。
夫のオウムが発注したのに合わせて、義父コックスと、その弟が、ビルド家の誇りを賭けて腕を振るった。
だから、もしアーク王太子との結婚が破談となって、パール公爵令嬢が披露宴に出られないとなると、これら装飾品はすべて無駄となる。
しかも、オウムがパール嬢に手を出したことによって破談となったら、怒り狂ったドゥンク公爵家が装飾品など、すべてを突っ返して、代金を支払ってはくれないだろう。
そればかりか、ソード伯爵家に対して莫大な賠償金を請求するかもしれない。
ソード伯爵家が大赤字となるだけではなく、在庫余りになるビルド男爵家も装飾品加工事業が破綻しかねない。
もっとも、それ以前に、今現在まで、ずっと私、メイアーが都合をつけた資金で、義実家の事業は運営されていた。
なので、夫オウムの浮気に腹を立てて、私、メイアーが口を利かず、融資もしなくなった現状だけで、高価な宝石や貴金属を材料として買い漁っていたために、ビルド男爵家とその事業は、今にも破産しそうな勢いだった。
だから、夫オウムの実家ビルド男爵家も、メイアーから色良い返事を貰おうと必死になっていた。
とはいえ、だからといって、義父母の問いかけに、私はまったく応えるつもりはない。
無表情なままで通すつもりだ。
私、メイアーは、目の前で土下座する彼ら全員を無視して、自分だけの家事をする。
侍女たちに指示を出し、自分用の衣服だけを洗濯し、自分用の食事だけを手配する。
侍女たちもよく心得ていて、私の言うことのみを聞いてくれる。
まるで一人で屋敷で住んでいるかのように。
ソード伯爵家は、本来、私が生まれ育った家である。
そして、両親が事故で亡くなってから何年かの間は、幼い頃から馴染んでいる執事や侍女に囲まれながら、実際に一人で生活していた。
その頃の生活に戻ってしまったかのようだった。
だけど、そのときも平穏無事に過ごせたわけだし、今の私は自室にこもって、装飾のデザイン画を描いていれば幸せなのだから、快適な生活をそのまま送れている。
ただ夫オウムと義両親という要らない存在がここにいるだけだ。
だから、私は、まるで彼らが存在しないかのように振る舞い続けることにした。
それぐらい、夫のオウムがやったこと、そして今も私に、図々しくも、やってもらおうとしていることが許せなかったのだ。
が、そうした私の態度に、ついに夫がキレて罵声を浴びせかけてきた。
「こうなったら、俺たちの結婚を仲介した仲人さんを呼んでくる。
恥を掻くのは、メイアー、おまえだぞ!」
はい?
正気ですか?
仲人は、私の叔父さんなんですけど?
たかが、何度か一緒に酒場で飲み交わしただけの関係で、叔父さんを味方にできるとでも?
ほんと、陽キャ男の考えることは、わからない……。
◆3
私が夫相手に口を利かなくなって、二ヶ月ーー。
夫オウムは義父母だけじゃなく、今度は、新たに叔父さんを呼びつけてきた。
叔父さんは、白髪混じりで、片眼鏡をかけた紳士である。
この夫を紹介してくれた、私の亡父の弟マックス・シード伯爵だ。
マックス叔父さんは、私の様子を見て愕然とし、灰色の瞳を見開く。
いつもは愛想良く笑顔で出迎えるのに、挨拶もせずにソッポを向いているから、一目で私が酷くご機嫌斜めなのを見て取ったのだ。
叔父さんはビルド男爵夫妻の方に顔を向け、詰問した。
「メイアーは、どうやら酷く傷付いておるようだ。
いったい、何があった?」
夫の両親であるコックス男爵とラメ男爵夫人は、マックス叔父さんに向けてペコペコと頭を下げて謝罪する。
そして、説明した。
息子のオウムが、お客であるパール公爵令嬢を相手に浮気をして、妻のメイアーが憤慨し、口を利いてくれなくなった、と。
さらに、夫オウムについて、
「コイツは実家に連れていって、頭を冷やさせますので、何卒、ご理解を賜りたく……」
と言った。
すると、言葉をかぶせるようにして、マックス叔父さんが大声をあげた。
さすがに、想像だにしていなかった事態に、面喰らったようだ。
「当たり前だ!
いや、パール嬢といえば、ドゥンク公爵家の娘だろう?
であれば、アーク王太子殿下の婚約者ではないか。
なんてことを、してくれたんだ!」
叔父さんは、怒りの炎を灰色の瞳に宿す。
当然ともいえる反応だったが、夫のオウムにとっては予想外の反応だったようだ。
「そんな……マックス伯爵ーーあれほど酒場で意気投合したのに……」
せっかく呼び出した仲人が、自分の味方になってくれない。
夫オウムにとって、意外だったのだろう。
オウムは慌てた。
「い、いや、マックス伯爵。
そんなふうに、メイアーのご機嫌を取ってる場合じゃないんですよ!」
と大声を張り上げ、両手を大きく広げて訴える。
「今必要なのは、お金!
お金なんですよ!
口止め料をすぐ渡さないと、事故が露見してしまう。
悪くすると、俺がパール公爵令嬢に手を出したことまで、世間にバレてしまう。
それで良いんですか、マックス伯爵!
メイアーも、いつまでも拗ねてないで、言うことを聞け!
パール嬢はアーク王太子殿下の婚約者なんだぞ。
我がソード伯爵家が、どうなっても良いのか!?」
(だったら手を出すなよ!)
と、この場にいる誰もが、内心で舌打ちしている。
そのことに気づかないのか。
オウムは、私だけでなく、義両親からも白い目で見られていた。
そのさまを眺めて、マックス叔父さんは、
「こんなヤツを、メイアーの婿に迎えるんじゃなかった……」
と、つぶやく。
そして、ついに決断し、一枚の紙切れを懐から取り出した。
離縁状だった。
「サインしろ!
こんなヤツとは離婚すべきだ」
さすがは、遣り手の財務官僚と噂される、マックス叔父さんだ。
仕事が早い。
夫のオウムによる呼び出しを受けただけで、最悪の場合を想定していたのだろう。
(なんて用意が良いのかしら!)
私、メイアー・ソードは、青い瞳を輝かせて、即座に反応した。
テーブルに身を乗り出し、羽ぺンを手にして、サラサラと署名する。
そうした私の姿を見た夫と義両親は、呆気に取られていた。
義両親のビルド男爵夫妻は、息子のオウムをしきりに叱りつけていた。
だけどそれは、あくまで私、メイアーとの関係修復が果たせることを前提に、オウムを叩き直そうとしていたに過ぎない。
ほんとうに離婚されるとは、思ってもいなかったようだ。
「お、俺は、そんなものに署名しない。
書かないぞ!」
オウムは、ソファーで、ふんぞりかえった。
「フン!
俺が認めない限り、離婚はできない。
だから、俺の実家ビルド男爵家が抱えた借金も、俺がしでかした事件も、すべてソード伯爵家がーーつまりはおまえ、メイアー・ソードが、背負うことになるんだ。
アッハハハハ!」
まさに開き直ったオウムの態度を見て、マックス叔父さんは喉を震わせた。
「な、なんて野郎だ。見損なったぞ!」
手を挙げようとするのを、私は叔父さんにしがみついて、押し留める。
そして、黙って首を横に振る。
私の真剣な表情を見て、叔父さんも冷静になった。
「そうか。そうだな。
仲人だった私こそ、落ち着かねばな。
妻のメイアーが我慢しているのに、仲人の私が激発するのは、筋違いか。
それに、こんなヤツ、手を挙げるまでもない。
たしかに、今、無理に離縁したところで、余計に話が拗れるばかりだ。
ヘタをすれば、かえって、メイアーにまで責任が飛び火するかもしれん。
オウムの馬鹿があくまで居直るのなら、静観して、事態の推移に任せるしかない、か……」
仲人の叔父さんは、気を落ち着かせる。
それを見て、義両親は、強引に夫オウムの頭を掴み、頭を下げさせた。
「どうでしょう、ここはしばらく、距離を取ってみれば。
実家でやることも色々とありますし、コイツには、誓って頭を冷やさせます。
それからまた、こちらへ伺う、ということで。
ですから、マックス伯爵、そしてメイアーの奥方様にお願いいたします。
できれば息子のためのお金の工面と、我が家の経済が破綻しないために、当座の資金をいただけるものと期待しております。
待ってます。
ちなみに、息子の言う、口止め料の期日は、これから一週間、私どもの装飾品事業の維持のために必要な納金期日は、今月末です。
心に留めていただけると幸いです」
早口でそう述べて頭を下げ、夫の手を引っ張り、義両親は立ち去っていった。
それでも、私はもちろん、彼らに頭を下げるつもりはない。
無表情なまま、相手にしない。
たしかに夫と義父母の訴えに耳を傾けはした。
が、その指示に従うつもりは毛頭ない。
もうこれ以上、彼らにお金を払うつもりはないのだから。
◆4
それから一週間後ーー。
結局、口止め料を支払わなかったがために、馬車の事故は公表されてしまった。
テレム商会が、街の治安を預かる騎士団に出向いて、夫のオウムが乗ったソード伯爵家の馬車と接触事故を起こしたことを報せたのだ。
もちろん、その馬車にパール・ドゥンク公爵令嬢が同乗していたことも暴露された。
夫のオウム伯爵と一緒に、パール嬢が馬車に乗っていたと報され、貴族社会は大騒ぎとなった。
それも当然だ。
婚前の令嬢が既婚男性と馬車を相乗りするのは、それだけでスキャンダルである。
しかも、令嬢の方は、我がバルサ王国の王太子の婚約者なのだ。
誰が冷静でいられよう。
噂が広まるとすぐに、大きな変化が湧き起こった。
まず、アーク王太子が、パール・ドゥンク公爵令嬢に、婚約破棄を宣言した。
次いで、バルサ国王陛下から、公的に、極めて強い遺憾の意が表明された。
一歩間違えれば、不倫の子が王子になりかねなかったのだから、怒って当然だった。
続いて、王家ともども、政府高官や大貴族が、こぞってドゥンク公爵家を非難した。
その結果、パール嬢は修道院行きが決定する。
さらに当主ドゥンク公爵が引退し、パール嬢の実母ポスト・ドゥンク公爵夫人は短刀で喉を突いて自害するに至った。
猫可愛がりのツケは、想像以上に大きかったのだ。
それゆえ、急遽、嫡男であったリックが、ドゥンク公爵家の跡を継いだ。
だが、跡目を相続してすぐ、リック公爵は難題にぶつかった。
本日付けで修道院に連行されるはずだったパール令嬢が、行方をくらませたのだ。
朝食用のテーブルの上に、書き置きが残されていた。
『ほんとうに愛している殿方の許に嫁ぎます。
探さないでください』と。
◇◇◇
もちろん、逃げ出したパール嬢が向かった先は、オウム伯爵がいる、ソード伯爵家だった。
私、メイアー・ソード伯爵夫人は、礼儀に適った態度で、パール嬢を迎え入れる。
が、いきなりパール令嬢から平手打ちを喰らってしまった。
「貴女が私の身代わりになってくれなかったから、こんなことに!」
若いワガママ娘が、桃色の瞳で睨みつけてくる。
が、私、メイアーは、夫を相手にするのと同様に、平然と彼女を無視した。
ちなみに、このとき、夫のオウムは、私、メイアーの背後で隠れ、縮こまっていた。
私、メイアーからの援助が来ないことに絶望したビルド男爵家では、最後の望みとして、オウムを派遣して、今一度、私の説得に当たらせようとしていたのだ。
かといって、自分の浮気が巷で噂されていることに動揺するオウムは、居心地が相当、悪くなっていた。
それなのに、押しかけてきた若いパール嬢は、威風堂々と胸を張ったままだった。
「私たちが育んだ愛は、真実の愛のはずでしょ!?
まったく恥じることなんか、ないわ。
だったら、こんな腐った家を捨てて、オウム様も私と一緒に外の世界へ出て行きましょう!」
と、パール嬢は、真正面から、人目も憚らず、オウムに駆け落ちを持ちかけたのだ。
「妻の前で、なんてことを!」
と、オウムはうろたえるが、パール嬢は拳を握って、前にツンのめる。
「こんなオバサン、どうでも良いって言ってたじゃない!」
だが、オウムはパール嬢を突き放す。
「俺には家も妻もいるんだ!」
と、金切り声をあげて。
だが、意を決した若い娘は、暴走をやめない。
「嘘つき!」
と叫ぶや、パール令嬢は懐からナイフを持ち出した。
居並ぶ侍女たちが、
キャアアア!
と叫ぶ中、オウムを殺そうとして、パール嬢は襲いかかる。
が、頭一つ長身で、それなりに屈強な肉体を持つオウムに、ワガママ姫であるパール嬢では歯が立たない。
パール嬢が振り上げた腕を掴むと、オウムは咄嗟にナイフを奪い、逆にパール嬢に突き立てた。
やり返したのだ。
「がっ!」
と呻き声をあげて、パール嬢は倒れ伏す。
すると、白いドレスが真っ赤に染まった。
白い床に、真紅の血溜まりが広がっていく。
「はっ!?」
と我に返ったオウムは、血塗れのパール嬢の胸に耳を当て、喉を震わせる。
「音がーー心臓の鼓動音が聞こえないーー」
桃色の瞳を大きく見開いたまま、パール公爵令嬢は息絶えてしまったのだ。
想定外の事態に、オウムは、血塗れのナイフを手に、よろめく。
パール嬢からの返り血を全身に浴びた姿で立ち上がって、私の方に目を遣って、つぶやいた。
「メイアー、さすがに、ここは黙っててくれるよな?
家を守るためなんだから……」
そして、侍女に持って来させた布を、パール嬢の死体にかけてから、
「シャベル、シャベル……」
と、ブツブツと口走りながら、応接間の大窓から庭に出る。
執事が気を利かして、目がうつろになったオウムに、シャベルを手渡す。
オウムはパール嬢の死体を応接間に転がしたまま、一人で庭に出て、穴を掘り始めた。
ところが、しばらくしたら、再び、外部から侵入者が現れた。
今度は男性だった。
それも、二十名を超える大人数の、銀甲冑をまとった集団が乱入してきたのだ。
貴族街の治安を守る、第一騎士団の連中だった。
「ど、どうして?」
オウムは、シャベルを手にしたまま、呆然とした表情で振り返る。
騎士団を率いる、肩に腕章を付けた隊長が、少し後方を振り向いて応える。
「そちらの執事からの通報です」
一人の若い執事が、息を切らしながら、庭先で立っていた。
貴族街は丘の上にあり、騎士団駐屯地は、平民街に接する丘の麓に位置付く。
この屋敷から、その駐屯地まで駆けつけて連絡を入れ、今、こうして騎士団と共に突撃してきた。
ということは、かなり前ーーそれこそ、パール嬢が来訪した直後に、執事が騎士団駐屯地へと駆け走ったことになる。
機転が利きすぎだ。
オウムは、妻のメイアーを睨みつける。
(おそらく、執事を騎士団へと向かわせたのはーー)
もはや、オウムは、自分の妻を見くびることはできなくなっていた。
自分を立ててくれる可愛い妻ではなく、頭が切れる才女であると、ようやくメイアーについての認識を改めていた。
オウムは歯軋りする。
(夫である俺には、金を寄越さないばかりか、口すら利かないくせに。
執事には騎士団に連絡するよう、言葉をかけるのか……)
オウムは手にしたシャベルを放り出すと、騎士団を率いる隊長に顔を向け、弁明した。
「いや、ははは。
お仕事、ご苦労様です。
いやね、これは何でもないことなんですよ。
穴を掘ろうとしていたのは認めますが、何も死体を隠そうとしてのことじゃない。
いや、隠そうとはしてたんですけど、我がソード伯爵家を守るため、面倒ごとを避けようと思ってのこと。
ーーそうなんですよ。
私は被害者なんです。
パール公爵令嬢が、いきなり押しかけてきたんですよ。
死体は屋敷の応接間にあります。
私が駆け落ちを断ったら、彼女が斬りかかってきましてね。
完全な正当防衛なんですよ。
妻のメイアーが証人です」
このとき、メイアーは、連絡を入れに走った執事の許にいた。
執事の働きをねぎらい、コップに水を汲んで飲ませていた。
「どうなんです?」
と隊長が顔を向けるが、メイアー・ソード伯爵夫人は相変わらず反応しない。
夫の発言ばかりか、隊長の問いかけにも、答えようとせず、無視を決め込み、沈黙を維持した。
すると、それだけで、隊長はわかったように、ウンウンとうなずく。
「そうですね。
貴族夫人としては、迂闊に口を滑らすわけにはいきませんですものね。
わかります。
そりゃあ、旦那様の罪を確定させるわけにはいきませんから」
そこへ、若い騎士が走り込んできて、隊長に耳打ちする。
どうやら、パール嬢とアーク王太子との婚約が流れた原因が、目の前の男ーーシャベルを手にして、パール嬢の死体を埋めようとしていた男であることを、伝えたらしい。
騎士団の隊長は、
「そんなことは、我が国の貴族なら、誰でも知っている」
と、ささやいた後、妻メイアーに対して辞を低くした。
「失礼しました。
あとは私たちだけで処理いたします。
奥様は、どうか自室でお休みなさってください」
その一方で、五、六人の騎士団員が取り囲んで、オウムを拘束する。
「抵抗するな!」
「両手を後ろに回せ!」
騎士たちが口々に命令して、オウムは身体ごと地面に押し付けられる。
その頃には、屋敷からパール嬢の死体が運び出されていた。
オウムは涙目になって、妻の方を向いて叫んだ。
「なんだよ、メイアー!?
見たままをーー真実を証言してくれ!
それだけで良いんだ!」
引きずられながらも、涙も鼻水も流して、夫は訴える。
「このまま、俺が犯罪者となってしまって良いのか!?
家が取り潰しになるんだぞ?
恥を掻くのは、未亡人として残されるおまえだぞ、メイアー!」
だが、妻のメイアーは、夫を一顧だにしない。
そのまま、二階の自室へと、向かって行ったのだった。
◇◇◇
オウム・ソード伯爵が、騎士団に拘束されてから、三日後ーー。
取り調べが終了し、アーク王太子殿下の元婚約者パール・ドゥンク公爵令嬢殺人事件の〈捜査結果〉が、世間に向けて発表された。
駆け落ちを提案したのは、オウム・ソード伯爵。
そして、パール・ドゥンク公爵令嬢が駆け落ちを拒否したので、オウムがパール嬢を思い余って刺し殺した。
ーーそのように公表されたのだ。
オウム伯爵が陳述した内容は、まるで考慮されなかった。
バルサ王家に対する政治的忖度が強く働いた、酷く〈真実〉が捻じ曲げられた〈捜査結果〉となったのである。
公表された結論を聞いて、
「馬鹿な!
冤罪だ。俺は無実だ!」
と、オウム伯爵は泣き叫んだが、〈捜査結果〉が変更されることはなかった。
バルサ王家とドゥンク公爵家の怒りが、オウム伯爵に降り注いだ結果だった。
その結果、オウム・ソード伯爵は死刑となり、実家のビルド男爵家もお取り潰しとなった。
その結果を納得できないオウムは、死刑直前まで、
「パール嬢を殺したのは正当防衛だ!」
と訴えて、当然、反省する気配はなかった。
コックスとラメのビルド男爵夫妻も、屋敷から追い立てられるときですら、
「自分たちは悪くない!」
と叫んでいたが、彼らとその弟が取り仕切っていた貴金属加工業や装飾品製作事業が経営破綻した事実に変わりはなく、それらの事業の大半がテレム商会によって奪い取られてしまった。
一方、私、メイアーは、一連の顛末を他人事のように眺めつつも、反省することしきりだった。
思えば、オウムを婿に迎えたときから、こうした事態にまで発展する萌芽があった。
私が、夫オウムとその実家であるビルド男爵家を、立て過ぎたのだ。
私はソード伯爵家ーーつまりは、自分の家庭を最重要に考えていた。
だが、肝心の夫オウムは、自分自身、そして自分の実家のみを大切に考えていた。
結果、ソード伯爵家を守ろうとするメイアーは、オウムのどんなワガママにさえも従うものと思わせてしまったらしい。
もっとも、夫のオウムが愚かだっただけで、家庭を大切に思うこと自体が、間違ったことだとは思えないのだがーー。
とにもかくにも、私、メイアー・ソード伯爵夫人にはお咎めなしという結果となった。
婿に王太子の婚約者と不倫された被害者、と看做されたからだ。
特に既婚者の貴族婦人から、お可哀想に、と同情された。
実際、オウム伯爵の証言で、私が浮気相手の身代わりになることを頑なに拒否したことが人々に知れ渡り、気骨ある貴族夫人だと称賛された。
さらに、新聞や瓦版などで、クズ夫オウムの、
『このまま、俺が犯罪者となってしまって良いのか!?
家が取り潰しになるんだぞ?
恥を掻くのは、未亡人として残されるおまえだぞ、メイアー!』
という捨て台詞が掲載された。
そのおかげで、それでも夫の不義密通を看過しなかった淑女として、私、メイアーは、過分に褒めそやされてしまった。
さらに、バルサ王家からは、アーク王太子がパール嬢との婚約を破棄できたことを感謝し、今回の事件絡みで出来たソード伯爵家の負債(テレム商会の馬車の修理代や、ビルド男爵家が貴金属加工・装飾品製作事業で焦げ付かせた借金など)を全部、請け負ってくれた。
だが、「家が取り潰しになるんだぞ?」というクズ夫の台詞は、現実のものとなった。
ソード伯爵家の資産名義は、もとより、すべて私、メイアー・ソードになっている。
が、伯爵の爵位や、役職上の官位を担っていたのは夫オウム・ソード伯爵だ。
だから、夫オウムが死刑となると、当然、ソード伯爵家は取り潰しとなる。
それを悪いと思ったリック・ドゥンク公爵は、
「妹パールの不始末の責任は、私が取る」
と言って、メイアーをドゥンク公爵家に迎え入れた。
「出来れば、嫁として迎え入れたいのだが」
とまで言ってくれた。
だがしかし、それをすんなりと受け入れるわけにはいかない。
王太子の婚約者と不倫をしたのはオウム個人だが、彼は私の夫だった。
私は、夫の蛮行を止めることができなかった妻なのである。
ドゥンク公爵邸に、何人もの執事や侍女を引き連れて来訪した折、私は辞を低くしながらも、笑顔を見せた。
「ご冗談を。
そんなことをしたら、リック公爵に不名誉な噂がたちましょう」
対する新任公爵は、赤髪を掻き分けた後、肩をすくめる。
「今更、気にならない。
すでに、散々な言われようだ」
貴族間では、本来ならドゥンク公爵家もお取り潰しになるべきだ、とする声もあった。
だが、ドゥンク公爵家は筆頭貴族家である。
しかも、新たにアーク王太子の婚約者となったカリーナ嬢の実家ドレス侯爵家は、ドゥンク公爵家の親類でもあった。
だから、これ以上、ドゥンク公爵家を追求することを、バルサ王家が望まなかった。
でも、貴族間で、今回の事件の処分に対する、不満の火種が燻っているのも事実。
私、メイアーは、再び、頭を下げた。
「いえ。
ドゥンク公爵家に、これ以上、迷惑をかけたくないのです。
侍女として、使っていただければ」
私が頑なともいえる態度を取った。
が、そういえば学園時代から彼女はこうだったな、と公爵は思い出したようだった。
新しくドゥンク公爵家の当主となったリックは、白い歯を見せた。
「わかった。
でも、私は本気だから」
こうして、私、メイアーは、馴染みの侍女や執事ともども、ドゥンク公爵邸で、住み込むことになったのである。
◇◇◇
アーク王太子が新たな婚約者と結婚したのは、それから三年後のこと。
そして、リック・ドゥンク公爵が、私、メイアーにプロポーズしたのは、その翌年のことだった。
クズ夫オウムと別れてから、四年が経っていた。
ようやく私、メイアーにも、本格的な春が訪れようとしていた。
でも、油断は禁物。
今度こそ、花を散らさないよう、大切に育んでいきたい、と、リック公爵と朝食を共にしながら、私はニッコリと微笑むのだった。
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。
今後の創作活動の励みになります。
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