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ランビエの絞輪  作者: 久遠 三輪
終章 オートファジー
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20 桐の花

 愛用のノートを閉じると、舞は、遠目に見える桜吹雪を眺めた。美しい光景であると同時に、物悲しく感じる。


 北島楓の憂いを秘めた美しい瞳を、思い返した。彼女の人生も、壮絶だと感じた。


 舞が頬杖を突いて、考えを巡らせていると、背後から「待たせたなぁ」と、低い声が聴こえた。荒垣が、舞の隣の席に座ると、菫が水を載せた盆を運んで来た。


 舞は、すかさず立ち上がり、荒垣の向かいの席に移動した。


 菫が一瞬、ニヤリとした笑みで舞の顔を見る。すぐに表情を戻し、荒垣にお辞儀をした。


「研究者の先生だと伺っていたので、年輩の方だと思ってました。今時の研究者の方は、シュッとされているのですねぇ。申し遅れましたが、宇田川舞の伯母でございます」


 荒垣が照れ笑いを浮かべ、菫に会釈した。


「優秀な姪御さんで、こちらも教え甲斐があります」


 菫が、瞬時に荒垣を観察し、満足げな笑みを浮かべて、その場を去った。しばらくすると、ローストビーフ丼とサラダが運ばれて来た。二人は、食事中、研究課題や、サナトリウム病院の今の様子などを話していた。食事を終えると、荒垣が声を落とした。


「食後に悪いけど。君が昨年の秋に見た、夙川の被害者だけどなぁ。身元が判明したそうだ。家族はいない。捜索願いも出てなかったよ」


「その場合、被疑者は、どうなるのでしょうか?」


「事件から半年だなぁ。副作用を実証できる証拠も揃ったし、本人に責任能力はないし。早ければ、もう被疑者とは呼べないかもね」


 小躍りしたい気分になり、舞は胸の前で、両掌を組み合わせた。


 舞の席から、レストランの店内が見える。菫が夫とともに、舞の様子を見て、囁き合っている。後日、詮索してくるのが、目に見えるようだ。


 舞は、視線を荒垣の顔に移し、「帰りに、寄りたい場所があるのです」と言った。


 舞が言い終わらないうちに、荒垣が口を開く。


「芦屋の奥池公園だね?」と言うと、荒垣は素早く立ち上がった。


 舞と荒垣は、一旦、レストランの店内に入り、出入り口の会計に向かう。菫が、にこやかに、後から付いて来た。


「お代は、結構です。姪がお世話になっている御礼ですので」


 丁寧に断る荒垣と菫が、押し問答する。荒垣が折れて、笑顔で食事の礼を述べた。荒垣の人間味のある表情を見て、舞は、微笑ましく思った。舞が荒垣の車に乗り込むと、菫が夫と共に、見送ってくれた。車を運転しながら、荒垣が、しんみりとした表情で、呟く。


「キレイな人だったね。君の伯母さん。母が生きていたら、あんな感じだったのかなぁ」


 またもや、荒垣の意外な一面が、垣間見えた。優子の言葉が、舞の脳裏に浮かぶ。


――落ち着いたら、自分の心に訊いてみなさい。


 舞は、そっと荒垣の横顔を見詰めた。


 正面に視線を戻すと、《奥池》と表記された案内標識が目に入った。車は、左方向の緩やかな坂を進んだ。しばらく走ると、《奥池》の池畔が見えて来た。鬱蒼とした木々に囲まれた、静かな水面が美しい。所々、遅咲きの桜が残っており、華を添えていた。


 奥池公園の専用駐車場に駐車すると、舞と荒垣は、公園内に歩を進めた。見事な桐の木が、視界に入る。まだ満開ではないが、薄紫の花が、咲き始めている。


 舞が桐の木に近付こうとすると、「先客が、いるようだね」と、荒垣が制した。


 木の幹の裏側に、人影が見えた。桐の花を見上げているようだ。微かな話し声が聴こえる。女性の声だ。緩やかな池風で、一人の女性の長い髪が舞った。もう一人の女性は、羽織った上着を押さえている。髪型は、ショートカットだ。二人の女性は、母娘だろう。遠目から、二人の楽しそうな様子が伺えた。


 舞の眼に、涙が滲んだ。荒垣の手が、舞の背中に触れた。方向転換を促している。


 舞がそっと振り向くと、ショートカットの女性と、目が合ったように思えた。舞は、お辞儀に見えるよう、首を大きく垂れながら、前を向いた。


 堪えていた涙が、舞の頬を伝った。


「巧妙に隠し立てをした物事も、いずれ露見して、自然に戻るのですね」


 と舞が呟くと、荒垣が、舞の顔を覗き込む。


「人間も細胞の塊だからね。アポトーシスして、あるべき姿に落ち着くんだな」

休日の舞と荒垣の会話も、研究に関するものだった。だが、荒垣の手は、舞の背中に添えられたままだった。


(了)



【参考文献】


『シンプル生理学』貴邑冨久子・根来英雄(南江堂)

『生化学』五十嵐脩・志村二三夫(光生館)

『Nブックス応用栄養学』江澤郁子・津田 博子ほか編(建帛社)

『シンプル衛生公衆衛生学』小山洋・辻一郎ほか編(南江堂)

『エッセンシャル臨床栄養学』佐藤和人・本間健ほか編(医歯薬出版)

『管理栄養士の一日』ウィルこども知育研究所(保育社)

『世界毒草百科図鑑』エリザベス・A・ダウンシーほか(原書房)

『邪悪な植物』エイミー・スチュワート(朝日出版社)

『アガサ・クリスティーと14の毒草』キャサリン・ハーカップ(岩波書店)

『統合失調症を治す』A・ホッファー(第三文明社)

『食事崩壊と心の病』大沢博(第三文明社)

『心の病と低血糖症』大沢博(第三文明社)

『医学部の大罪』和田秀樹(ディスカヴァー携書)

『レベッカ』(上・下)ダフネ・デュ・モーリア(新潮文庫)

『蝶のいた庭』ドット・ハチソン(創元推理文庫)

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