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ランビエの絞輪  作者: 久遠 三輪
終章 オートファジー
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05 紫陽花の毒性

 昼休みが終わると、舞は、解剖実習室に移動した。奥の実習室のドアをノックすると、インターンが顔を出した。


「荒垣先生からの伝言です。今日は、隣の実習室でお待ちください」


 礼を述べると、舞は隣室に移動した。荒垣は、まだ来ていない。部屋の中を見回す。奥の解剖実習室と同じ造りだが、仄暗かった。室温が低いせいか、背筋に悪寒が走る。


 廊下から、静かだが、急ぎ足の足音が聞こえて来た。ノックの音が聞こえたが、舞が返事をする前に、ドアが開いた。


「待たせたな」と発しながら、クリア・ファイルを手にした荒垣が入って来た。荒垣が、落ち着かない様子で、打ち合わせスペースのテーブルの裏を見る。続いて、テーブルの下や、壁際のコンセントを抜き差しした。


「多分、大丈夫だ。いつもの部屋は、何となく筒抜けの気がしてね」


「盗聴器とかが、ご心配なのですか?」


「念のためにね。さてと、栄養分析の結果を、補足してくれるかな?」


 舞は、頷くと、ノートPCの画面を、荒垣に見せた。データは、事前にメールで送ってあった。小絵と共に分析した内容を、掻い摘んで話した。


 荒垣は、言葉を発せず、最後まで黙って聞いていた。


「錦城先生の糖尿病は、確定だね」


「二か月前の唾液と毛髪の解析結果は、誰が分析したのでしょうね?」


 舞は、荒垣の表情を観察した。疑いたくないが、荒垣自身が、解析している可能性もある。だが、荒垣は、舞の質問の語尾を、気に留める様子はなかった。


「サナトリウム病院のネットワークから、発見したんだ。二ヶ月前だと、学生の夏季休暇中だな。職員も、順番に夏休みを取る時期だ。データの日付は、ちょうどお盆の頃だね」


 荒垣が、笑みを浮かべながら、続ける。


「今年の盆は、出勤してたね。猪名川町の一庫ダムで、身元不明の死体が上がったから」


 猪名川町は兵庫県川辺郡一帯の地名で、宝塚市と川西市に隣接する。阪神間の一部なので、芦屋医大の管轄だ。荒垣には、アリバイがあった。舞は、心の中で、安堵していた。一庫ダムの死体遺棄事件は、舞も記憶していた。


「サナトリウム病院に出入りした職員を、調べていたんだ。セキュリティ・カードを翳すと、記録が残るだろう。データの保管場所を見つけたけど。食中りで入院したから中断だ」


 以前、藤原が、荒垣の食中りを口封じかと、疑っていた。舞は、荒垣の目を凝視する。


「荒垣先生の食中りですが。吐瀉物の分析結果は、藤原先生から聞きましたか?」


「あぁ聞いたよ。毒を盛られた可能性は、あるかもね」


「甜茶を飲んでいますよね? 変な味とか、感じなかったのですか?」


 荒垣が、バツの悪そうな笑みを浮かべる。


「今週の月曜日の昼休みだなぁ。考察に集中していて、無意識にペットボトルに手を伸ばして、機械的に飲んだんだ。それも、一気飲みに近い感じでね。まぁ、俺の不注意だよ」


「罠を仕掛けた人間は、犯罪になりますよね?」


「俺が警察に通報したら、調べてくれるかもね。アルカロイドのデータもあるし」


「犯人に心当たりは? 庇うのですか?」


 と舞が訊ねると、荒垣が首を傾げる。


「俺が毒性物質を飲み込んだ事実は、証明できたとして。誰が仕組んだかの証拠が足りないから、事件性の確証は難しいと思うよ」


「荒垣先生は、紫陽花科の甜茶を飲まれていますよね? 漢方では《甘茶》と分類されるそうです。九号館の裏の紫陽花は、《額紫陽花》と呼ばれる品種で、甘茶の茶葉と同属の植物です。額紫陽花の葉には、アルカロイド系の毒性があります。ただの憶測ですが、摺り替えられたお茶は、裏の紫陽花の葉を煮出したと、考えられないでしょうか?」


「どうして、裏の紫陽花だと思うんだい?」


「紫陽花の葉に触れている女性を、見かけたので。知人と、立ち姿が似ていました」


「記憶に留めておくよ。さてと、君のご依頼案件だけどな」


 荒垣が、舞の眼を見て、声を落とす。


「下の名は、智代ともよだ。ある人にも、伝えてあるから、夕方までに、詳細を調べるだろう。君の憶測で、事件の解決が動くかもしれないね」


「もう一つ、推論があるのですが。指導教員の堕胎説です」


 その時、内線が鳴った。荒垣が、肩を竦めながら、立ち上がる。


「もう、着いたのか? 早かったなぁ。すぐに行く」


 荒垣がぶっきら棒に応答すると、受話器を置いた。舞の顔を見る。


「話の途中で悪いなぁ。ご遺体の到着が、予定よりも早くてね。もう裏に来ているんだ」


 舞は、荒垣に礼を述べると、立ち上がった。


「明朝、またご報告します」


荒垣がドアに手を掛ける。振り返って、舞の顔を見た。


「多分、君は事実が分ったと思うよ。でも、知り過ぎは、危険だ」


 と言うと、荒垣は数秒間、舞の眼を凝視した。


「明朝、絶対にいつもの場所に来るんだ。分ったな?」


 静かだが、強い口調だった。


「お約束します」


 舞は、廊下に出て、荒垣が隣室に消えるまで、後ろ姿を見送った。


 荒垣は、振り返らなかった。だが、隣室に入る前、一瞬、躊躇しているように見えた。

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