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ランビエの絞輪  作者: 久遠 三輪
序章 薄絹が翻る
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04 覆面パトカー内の事情聴取

時刻は七時になろうとしていた。舞は着替えを済ませ、覆面パトカーの中にいた。


舞の通勤時間を利用して、さらに事情聴取が続く。喜多川も、舞と一緒に後部座席に座っていた。


「容疑者に精神異常の可能性がある、と思われるのですね?」


「注目すべき点は、殺害後すぐに、自分が何をしたのかもわからずに、寝入ったことです。精神科病棟では、患者さんトラブルが日常茶飯事で、理由も些細なことなのです」


「例えば、どんなことですか?」


「鼾がうるさいとか、本やお菓子を盗られたとか。相手に『復讐してやる!』と言って、飛び掛かるのですが、次の瞬間、部屋に戻って高鼾で寝る光景を、よく見ます。その状況に似ていますね」


「被害者の鼾がうるさいのが動機だと?」と喜多川は、顔色一つ変えず、聞き返す。


「かなりキツイ薬を飲んでいでる場合は、現実と夢の境がわからない人も多いので。病院では刃物や割れ物は凶器になるので、患者さんから取り上げています。だけど、自宅だと、家の人が二十四時間ずっと見張っていられませんからね」


「他に、気になる点は?」


「殺し方ですね。仮に薬の副作用で、夢現だとしても、急所を無意識に一突きです。何らかの医学知識がある人の行動だと思うのです」


「薬の副作用だと考える根拠は、何でか?」


舞は背筋を伸ばして一呼吸おき、やや前のめりの体勢になる。


「人間や動物の神経には『ランビエの絞輪こうりん』という神経の切れ目があります」


初めて聴く言葉なのか? 喜多川が一瞬、顔を顰める。


運転席の緒方もバックミラー越しに、舞の顔をチラリと見た。


「人間がある行為を実行に移すとき、交感神経を昂らせるため『ランビエの絞輪』を伝って、興奮のスピードを加速させるのです」


と言いながら、舞はリュックサックからノートを取り出した。開いたページを縦に細長く、爪で紙をしごいてから切り離した。幅一㎝ほどの細長い紙切れができる。


「この紙切れが神経だと仮定します。真っすぐ進んでいったら、興奮が最高潮に達する時、時間が掛かります」


舞は紙切れに、所々、手で切り込みを入れた。


「この切れ目が『ランビエの絞輪』です。この切れ目を伝っていったら、速く興奮するようになるのです」


前方を向いたまま、緒方が何度か首を大きく縦に動かす。


「どんな人間にも『ランビエの絞輪』があるのですねぇ」


舞は緒方に頷き返すと、さらに続ける。


「蘊蓄は、これぐらいにします。だけど、薬の副作用で突発的に自殺したり、人を殺したりするケースは多いはずなのです。アメリカでは多くの研究報告が上がっていますが、日本では、あまり認められてないようですね」


舞は、喜多川の目を真剣に見詰めた。


「あの女性に精神科の通院歴があるようなら、西宮か芦屋市内の心療内科だと思います。街のクリニックで手に負えなくなったら、大学病院を紹介されるケースも、ありますけど」


「通院歴は、捜査が進むうちにわかってくるでしょう」と、喜多川が合いの手を入れる。


「精神鑑定は、すぐ行われるのですか?」と舞は、間髪を入れずに聞き返した。


「今のお話で精神異常の可能性がありそうなので、早い段階で行われるでしょう。その際、ご協力をお願いするかもしれません」


舞は、喜多川と緒方の顔を順番に見ながら付け加える。


「女性が犯行前、何を食べていたかも聞き出せますか?」


喜多川の表情が一瞬、曇った。


「食生活が犯行と結びつく、とお考えなのですか?」


「その通りです! アメリカの統計データでは、犯罪者の多くがジャンク・フードで食事を済ませていました。他にも凶悪少年犯罪を起こした者ほど、親の手料理を食べる機会が少ない、というデータも出ています。日本の警察は、そういうデータはないのでしょうか?」


ベテラン刑事が見かねたのだろう、緒方が口を挟む。


「とても研究熱心な方ですね。職業病、というのでしょうかね?」


「さすが刑事さん、お察しが良いですね。実は、管理栄養士として勤務する傍ら、食生活と神経回路の関係を研究する大学院生でもあるのです」


「研究者の卵なのですね」と言いながら、喜多川が笑顔で舞に向き直る。


舞は、哀願するように質問し続ける。


「どうして日本は、犯罪者の食生活研究に、着手しないのでしょうか? 欧米では管理栄養士が、こういった研究を行っているのですよ! 日本での管理栄養士の立場は、病院食の管理や栄養計算が、主な仕事です」


「研究内容に、科学的根拠があれば、捜査に取り入れられるようになるかもしれませんね」


舞は、喜多川の顔を食い入るように見詰めながら続ける。


「芦屋医大は、兵庫県内で起きた犯罪者の精神鑑定に協力していますよね?」


「必要な時にはお願いしていますね」


舞は胸の前で、人差し指を何度か縦に振りながら続ける。


「新卒で就職してから、六年になります。その間、鑑定を担当した精神科医から、犯罪者が犯行前に何を食べていたかを聞き出して、密かに記録しているのです。もちろん、全員が答えてくれるわけではありません。記録できたんは、たった三十件ほどです」


「何か分析できたのですか?」と喜多川が、訊ねて来る。


舞は大きく首を縦に動かす。


「犯罪者の心が乏しいのは、食環境のせいだと考察できます。根本を正さないと、犯罪も精神を病む人も減らない、と思うのです」


舞は言い切ると、窓の外を見た。


――それを解明するのが、私の使命だ。


心の中で呟くと、芦屋医科大学の病棟が視界に入って来た。


喜多川が、また笑顔で舞に向き直る。


「明日にでも捜査本部に出頭いただけますか?」


舞は不謹慎ながら、今朝の事件への強い興味が沸き上がっていた。


「夕方、六時頃なら、伺えます」


明日には容疑者の女性や浮浪者の身許が、わかっているかもしれない。舞は、通用門から少し離れた場所で覆面パトカーから降りた。

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