第7話 立場の気配
聞いたことのない声は、突然背後から飛び込んできた。
────「へいか!」
東シャトン・ファルダという街の外。わたしたち以外誰もいないところに響いた声に、わたしは目を丸くして顔を上げ、
「……へーか?」
「────ヘンリー…………」
キョトンとするわたし。うんざりと呟くおにーさん。そんなわたしたちに見守られながら、ヘンリーと呼ばれた人はぎょっと顔を引きつらせると、
「へ、へーい、カーレシ! ご、ごきげん、ようっ?」
「…………細心の注意を払え。ヘンドリック」
「…………」
引きつり気味のヘンリーさん。怪訝を交え注意する彼。そして困るわたし。
…………これは、えーと。どうするべきなのか。
口調からしてどう考えても主従関係っぽい彼ら。一気にお邪魔虫の気配が漂う。さっきの『へーか』は『陛下』? だとしたら……えっ?
────と。『どうしたらいいかわからない』状態に陥ったわたしの前で、おにーさんとヘンリーさんは「まったくおまえは」「すみませんどうしてもお耳に入れておきたいことが」などと話している。
え────っと……、これは────、一旦席外すべき? それとも、『陛下』について突っ込むべき? どうするのが最適解────
「……ミリアさんですよね? ヘンリーと言います、こんにちは!」
「……!」
渦巻く謎を蹴散らすように声をかけられ、わたしは一気に我に返った。驚きのまま顔を向ければ、そこにはヘンリーと名乗った男性がいた。
淡いヒスイオレンジのような色の髪に紫水晶の瞳。髪の毛はもちろん長め。
遭遇したことはないが、《夜な夜な女の子のいる酒場に入り浸っては盛り上がっている若いにーちゃん》な人が居たらこんな感じなのではないだろうか。
そんな彼は、怪訝顔のエリックさんを背景に、わたしに手を差し伸べている。
「……こんにちは……、あ、えーっと、ミリアです」
「あぁ、書簡で把握してますよ♡ セント・ジュエルの姫君でしょう?」
「元です、元。かこけいです。今はなんでもないんです」
言われて、さくっと否定する。っていうかそれより文言が気になる。
……『書簡』……『書簡』ですか、手紙じゃなくて、そっちの言葉使うんだ……??
なんか……やっぱり……引っかかるんだけど……
そう息をひそめるわたしの前で、彼らはさらりと会話を始めた。
「ヘンリー。あの小屋はどうなった?」
「もぬけの殻にしておきましたよ。まったく、人使い荒いんですから~」
「……すまない。ありがとう。礼を言う」
「いえいえ。──あ、そうだ、これ! ……はい、ミリアさんの荷物です」
「……わたしのバッグ!」
「中、見ないで来たんで確認してもらえますか?」
突然出てきた懐かしくも見覚えのあるバッグに、わたしはすべて忘れて声を上げていた。
慌てて受け取ったバッグは、確かに『わたしのバッグ』だ。
前におにーさんが『回収させる』って言ってたけど、ちゃんと帰ってきた……!
……財布・髪飾り・ペーパーナイフ・それとブローチに宝石の小さいの。全部ある……!
────良かった!
「ありがとうございますヘンリーさん! 全部ありました!」
「ああ、そりゃあ良かった。って、なんですかその『むらさきの』」
「あ、これ紫水晶です。アメジストっていうの」
言われてコロンと手に出すわたし。
これは、実家でアメジスト兄さまがこぼしたやつ。純度の高い石を宿す王族は、たまにそうやって石を吐き出すことがあるのだ。非常に綺麗な宝石だが、『分泌物』。
そんな『これは兄から出た石で』と微妙な情報は伏せるわたしに──ヘンリーさんは興味津々にのぞき込むと、
「へえー? アメジスト……?」
「そう、実家に居るとき、その辺に転がってるの集めるのが趣味で。こうやって撫でるとツルっときらっとするんですよ~!」
「へえ! 綺麗だ凄いですね~!」
「でっしょう~??」
「────ヘンリー。寄るな。迷惑だろ」
横から棘を飛ばしてくるおにーさんをさくっと無視して、はしゃぐわたし。
そうそう、この反応ですよおにーさん。この反応が欲しかったのです。
おにーさんには冷たい目で『艶ですね』って言われたけど、これ! この反応が欲しかったの!
「ヘンリーさん、わたしわたし、家にこういうのいっぱいあるんです! 宝石未満の子たちだけど、綺麗でしょ? 可愛いでしょ~っ!」
「へえ~! こりゃ高値で売れそうだな! いくらですっ?」
「ヘンリー、下がれ」
「売値……? いや、売ってないですね……」
「いくらで売ってくれます!?」
「────ヘンリー。寄るな。三度目だ」
「…………はいっ」
「………………」
エリックさんのびしっとした声に、楽しい空気は一気に緊張と剣幕で包まれてしまった。
目の前で汗をかきまくるヘンリーさん。殺気を放つエリックさん。
引きつり姿勢を正すヘンリーさん。腕組みのエリックさん。
…………やっぱり、主従関係……?
そこにたどり着いたわたしの口から、疑問は、様子を伺いながら滑り出していく。
「で、エリックさん。……このお方は……おにーさんの、部下? ですか?」
「──あ~、ぼかぁその~、ねえ? ボス?」
「……《ぼす》?」
気まずそうに頬を掻くヘンリーさんから、わたしの視線は彼のほうへ。流れるように見つめた彼は、少々困った顔だ。
「…………はあ……、ヘンリーは、いわば、俺の側近でな。いわゆる……」
「右腕ッス☆ よろしくどうぞ!」
「はい! よろしくです!」
焦りを一瞬で切り替えて、パチンとウインクなんぞ飛ばしてくるヘンリーさんに、にこやかスマイルを送り──── 一歩。彼らと距離をとり──考える。
……エリック・マーティンさんの素性について。
……この人……実際、何者なんだろう……?
今ある情報を整理すると、やっぱり立場のある人なのだと思う。
『側近』っていってたし、『側近』が付けられるぐらいの実力者・あるいはお金のある人だ。『へーか』が『陛下』なら王族の……しかもキングということになる。でも。しかし、だけど。
わたしの中の『今まで見てきた彼のイメージ』がそれを邪魔するのだ。
……だってこの人、この前わたしに『間違って頼んだスパイス料理』押し付けてきたよ? 卵の焼き加減で喧嘩したし、言った・言ってないで口論になったこともあったし。
確かに威風堂々ってところもあって頼りになる時もあるし、小さな獣を狩るのもうまい。さばき方は彼から習った。───けど、そもそも『小さなころに会った女の子のこと探してここまで来ちゃう』人なのよ? メルヘンキュートだよ? 王様そんなことやってていいの? 国は?
「……く、くには……??」
思わずひとり、空に問いかけるわたしのその後ろから、男性二人の至極真面目な会話は、風に流れて聞こえてくるのだ。
「……ファルダが化生に食われたのは……前回でしたね」
「……ああ。あれから十年以上経ってもこの在り様だ。民はよく凌いでいるな……」
──う、それっぽい会話ッ……!
「ここはリュファス領でしたっけ?」
「いや、小領区合併の時に変わっている。今の領主はレジッド侯爵のはずだ」
う……! 政治っぽい会話ッ……!
「レジッド侯爵って……ああ……あの偏屈な爺ですか……」
「現領主レジッド公と、リュファス伯爵は仲が悪いことで有名だ。このファルダは、熱心なリュファスの民が多くてな。それがレジッド公を刺激し、復興を遅らせているのだろう」
「…………は~、仲良くしてほしいもんです。まあ他国ですけど?」
「…………あの……すみませぇん…………」
ナチュラルに流れてくる『それらしい会話』に、わたしはたまらず、おずおずと手を上げた。限界である。
「おにーさん、あ、もとい、エリックさんって……えらいひと? なの? デスカ?」
『…………』
問いかけに、彼らは顔を見合わせ、そして沈黙。
目で会話しているのかと思わせる間を破ったのは、ヘンリーさんのじっとりとした声だった。
「…………言ってないんスか」
「………………まあ」
「もう~~~、そういうとこ! そういうとこじゃないですかあ!」
「……いいだろ、俺にだって事情があるんだ」
「…………」
心底気まずそうに、頬杖で口を塞いで顔を反らすエリックさん。それに、まるで衝動を堪えるかのように憤るヘンリーさん。
二人の様子に──わたしは理解した。
────きっとこの人、本当に王様なのだろうと。
そうじゃなくても、きっと……『その権力を煩わしく思ってる人』。『立場なしで生きて居たい人』。『自分のままで有りたい人』。
…………そこは、わたしと一緒ね、おにーさん。
胸の奥に沸き立ち始めた親近感。
こっそりとほおを緩め、彼らと一歩距離を取る。
……どこの国の王さまか知らないけど、まだ、聞かないでおくね。『”らしくない”で有りたい気持ち』、わたしもわかるから。
ほんのりふんわり。胸の奥に芽生えた、ちょっとしたわくわくを噛みしめ、小さくご機嫌になるわたしの前で、彼は”一拍”。切り替えるように息を吐くと、真剣なまなざしをヘンリーさんに向け、厳格を纏いて口を開いた。
「──で、どうしたヘンリー。耳に入れておきたいことがあるのだろう」
「……いや……、ちょっと、ミリアさまの前じゃあ、言いにくいっつーか……」
……?
「……わたしに関係することですか? それとも人払いが必要な案件?」
気まずそうな声色が引っかかり、切り込むわたしに、困惑を宿したヘンリーさんは瞳を迷わせ、────告げた。
「……関係すること、ですね」
「──聞かせてください」
「……セント・ジュエルが攻め込まれました」
『……!?』
────戦慄は、切れた縁でも容赦がない。