第9話 かりそめのひと時
「わたし、最低だ……」
ヘンリーさんの背中を見送って、しばし。すっかり日も落ちたファルダの郊外で、わたしはそこに座り込んだ。
母国が攻め込まれていると聞いて、狼狽するわたしを見かねたエリックさんが援軍を出すと決断してくれた。
そんな中、私がやったことと言えば、ヘンリーさんに鍾乳石のペンダントを渡したことぐらい。それで何になるって言うんだろう。
魔防壁が壊れたのはわたしのせいかもしれないのに、原因のわたしはここにいる。
情けない。でも怖い。でも……情けない。
そんな気持ちは、不安定でぐちゃぐちゃのわたしから、たまらず零れ落ちる。
「くに、大変なのに、怖いとか言ってる場合じゃないのに。行かなきゃいけないのに、『行く』って言葉、出なかった。……自分のことしか、考えられなかった」
「──最低なのは、俺のほうだ」
わたしの泣き言に釣られたのか、心の底から重いものを吐き出すような声は、エリックさんから放たれた。
隣に座る彼に、背中を丸めたまま視線を向けた時。彼は、木の枝をつまみ上げると、焚き火の奥を突きながら言う。
「……君が戻れば、セント・ジュエルはまた安寧を手に入れるだろう」
ぱちぱち、ぷすんと音がする。
「それがわかっていながら、君を快く送り出すことも、帰れと説得することもしなかった。自分の欲を優先した。本来、民の命を守るべき立場にいるものとしては……最低の判断だ」
「………………」
……何も言えないわたしの隣、吐露する彼の黒く青い瞳には、深刻な反省の色。
「……それに、彼らが君を無事に受け入れる保証もないのに、君に帰国の判断をせまった。……なに、やってるんだろうな、俺は……」
じっとりと重い呟きに、わたしは、さらに視線を落としていた。
────あ。……そうだね、そうだよね。
言われて初めて気が付いた。
帰るかとか、心配とか言ったけど、わたしはあそこで悪者だった。《国に悪さした大罪人》。戻ったところで──…………
「………………」
だるい……重い。
重い頭で膝を打つ。
どろりとした疲弊感、意識も投げ出したくなる重だるさの中、それでも言葉は零れだす。
「…………そっか。そっか、そうだよね……言われるまで気づかなかったなあ……それ……」
「ん?」
「……セント・ジュエルの中枢が、まだ《ミリアのせいで魔防壁が壊れたって》思ってるなら、入った瞬間殺されてるよね。……そこ、忘れてた」
なんか……情けなくて仕方ない。もうぐちゃぐちゃ。わけわかんない。なんにもしてないのにこんなことになって、母国がやられそうなのに、それを助けに行く勇気もなくて、でも捨てきれなくて…………
────苦しい。
「…………ミリア。大丈夫か?」
「……ん、まあ……へいき。」
タイミングよくかけてくれた声に、重い頭を上げて首を振った。
目の下のあたりが突っ張る。嫌な気持ちが暴れまわる。でも、大丈夫。平気だから。こんなの、気の持ちようでなんとかなる。世界は広い、わたしは強い、わたしはつよ
「────無理をしなくていい。酷い顔してる」
「……!」
葛藤を遮るようにぐっと引き寄せられて──息を呑んだ。
頬に当たる彼の体温。
背中で感じる腕の力強さ。
包まれている──安心感。
…………あったかい。
……あったかい。
やさしい。ほっとする。
……どうしよう、我慢が緩んじゃう。
痛みが目の周りに集まって、胸の奥の苦しさが、別にものに変わっていく。
ぐるぐると渦巻く不安が、とくんとくんと、『こそばゆく、息苦しい方へ』変わっていく。
────こんなの、無理だよ。こんなの、無理。
特別な意味なんてないのはわかってるのに、心が煩い。
いつもは口数多いのに、こんな時だけ何も言わない。
ただ、黙って落ち着くの待ってくれてる。
『好きとか嫌いとかじゃなく、心配して気をかけてくれている』。
────無理だ、こんなの、どうしたって、
「────っていうか。おにーさんも人がいいよね、変わってる」
今まさに滑落しそうな自分をせき止めるために、わたしはわざと声を張った。
声に含ませるのは『生意気』だ。平気な声を作って笑ってみせるわたし。
彼の胸を借りながら、強がりしてるのは解ってる。
でも、そこに落ちたらいけないから。
口だけでも軽く、そう見せなきゃ。
そんなわたしの心情に、気づいているのかいないのか。いつもの声は、いつもより優しさを纏って返ってくる。
「うん? ……どうして?」
「……『今のところ役に立ってない連れ』の母国に、兵を出すとか~。ふつうしないよ、そんなこと~」
「…………君は何もわかってないよな」
……?
それを聞いて、反射的に顔を上げようと力を入れる。が、彼の手で抑えられてしまった。彼の顔が見えないまま、次の言葉が降りかかる。
「……俺が『帰れ』って言えなかった理由、気づいてない?」
「…………? なんだろ」
軽く呟く。
軽くしようとしてるのに、胸が煩い。
やめてよ、そういうの。意味があると思うでしょ?
無意識に期待する。ダメだと理性が言う。
駄目。この人、好きな人がいるんだから。
「……最初は、『ツテが欲しい』だけだった。けれど、君がいるのと居ないのでは、時間の流れ方が違う。世界の見え方が違うんだ」
…………声優しいの、やめて。
「俺は、もともと一人で動くのは嫌いじゃなかったんだ。監視もない場所で、のびのびと彼女を探せると思っていた。けれど、ひとりで彷徨って、歩いて、探して……想像以上にキツくてさ。つらかった」
……駄目だって。
「何を言っても誰も返してこない。孤独で、寂しい。分かち合える仲間もいない。ふとした時、虚しさに潰されそうになる。けれど、君に出会って、時間の色が変わったんだ」
……だめだってば。
「……《一滴の水が、やがて全ての色を変えるように》。君は俺の時間に彩りを与えてくれた。感謝しているんだ。本当に」
「──…………」
まっすぐとわたしを見つめた彼の瞳が、とても綺麗で。
──とくん、とひとつ。音がした。
☆☆
──別に、恋仲じゃない。
彼の優しさに甘えてるだけ。
わたしは特別じゃない。ただ、可哀そうで同情してくれているだけ。
それでも、今はただ、彼の肩に寄りかかっていたかった。ちょっとだけ力を借りたかった。
焚火が静かに音を立てる中、肩を寄せ、目を閉じたまま彼に聞く。
「……ね、聞いていい?」
「どうぞ? 想像はついてるけど」
返ってくる穏やかな声の柔らかさに”とく”っと反応する内側。
それを悟られぬよう、ゆるい悪戯を含ませた声を出す。
「……おにーさんって、なにもの……?」
「────そのうち話すよ。気づいてるかもしれないけど」
……ふふっ。
『らしい返し』に笑ってた。
多分彼も気づいてる。わたしが気付いたことに気づいてる。穏やかな笑いを含んだその声が、全部を語ってる。
それを証明するように、彼は続きを紡ぐのだ。
「……『立場を気にせず話ができる相手が貴重』なのは、君も……わかってくれるだろ?」
…………うん、わかる。とってもよく、分かる。
「……今はまだ、騙されてくれる?」
「…………騙されといてあげる」
おねだりのような囁きに、心地よく笑い、こたえた。
わたし、この人が好き。
幸せにしたい。笑顔が見たい。
かなえたい。あなたの願い。
────『だから、』
よわよわタイムはもうおしまい。
さっと身を起こして彼から距離を取り、片膝を立てて座る彼に、わたしは胸を張りつつ腕を組む。
──いつまでも、甘えてなんかいられない。
「……さーて。ジュエル、無事だといいけどね……事態が大きくなるのは困るよね。おにーさんの探してる人だって見つけなきゃならないわけだし……」
「──なに、心配ないさ」
『ちょっと他人事。だけど、関係のある事』。そんなニュアンスで頬を包むわたしの前で、彼は堂々と頬杖を突きながら述べた。
「──君の母国に攻め込んでいるのは、東シャトンでも最弱の”マルケッタ”。……我が国の隊を五つでも送り込めば──尻尾を巻いて逃げ帰るだろうよ」
……余裕の顔に心が震える。
……この頼りがいが、癖になる。




