9 ちょっとした作戦
落書きの被害を最初に受けたのは、喫茶RISEだと思われる。
その女主人のヒアリングは、勝春が担当している。
カズと大志が連続落書き事件の目撃情報を整理していると、ヘロヘロになった勝春が戻ってきた。
その様子を見て大志が、さっそく尋ねる。
「で、何か手掛かりはあったのか?」
「イヤ……あんまり無かったヨ」
「フン。あれだけ長居して収穫ゼロか。まったく、何をやっていたことやら」
勝春が目を剥く。
「チョッ! 無茶言うなヨ! だって、あの人、喋り出したら止まらないンだヨ! こっちは関係ない話ばっかり聞かされて苦労したんだって!」
コミュニケーションお化けの勝春が、ぐったりするぐらいだから、相当なものだったのだろう。
それに女主人は勝春を気に入っていたので、熱烈なアプローチもあったのかもしれない。
カズがタブレット端末を操作しながら報告する。
「勝春の情報網を洗ってみたけど、有力な手掛かりは無かったね。ただ、気になる書き込みがひとつあったよ」
大志が尋ねる。
「なんだ? 言ってみろ」
カズはタブレットの画面を見せながら言う。
「これ。『ダンス教室のレッスンがきつい』って愚痴を書いてる子が居るんだ」
大志が眉を顰める。
「それは、あのダンス教室のことか?」
カズが頷く。
「だろうね。この町に何件もダンス・スクールは無いと思う。で、練習が厳しくて辞めていく子も少なくないらしい」
大志は納得したように頷く。
「うむ。あの女主人は気が強そうだからな。スパルタなんだろう」
勝春が腕組みして唸る。
「ウーン、やめてしまったダンス・スクールに落書きするほど恨みを持つカナ?」
カズはメガネを触りながら推理する。
「あそこが犯行の第一現場である可能性は高い。でも、どうしてあの場所だったのかな? なにか理由があるはずなんだ」
勝春も同意する。
「こういうのってサ。案外、最初の被害者への恨みが犯人の動機だったりするんダヨ」
大志が理解する。
「つまり、そのあとで連続した落書きは偽装工作ということか?」
カズは断言する。
「間違いない。ダンス・スクールに嫌がらせするのが犯人の動機なんだよ。それにここだけはひとりで描いたと思われるんだ」
勝春が大志の方を見ながら尋ねる。
「ホントに源氏の人が混じってる可能性は無いんだよネ?」
「ああ。源氏の連中が頻繁に橋を渡ってくるとは考えにくい。見張りみたいな連中が常時、居るからな」
二つの町を繋ぐ唯一の橋は、双方にコンビニと老人の憩いの場が存在し、橋を渡る人間を監視している。
カズが大志の説明を受けて力強く頷く。
「うん。『源氏参上!』みたいな落書きはカムフラージュだよ」
総合的に判断して、これは源氏の工作や痛がらせではなく、平家内部の犯行と3人は当たりをつけた。
しかし、勝春が少し不満そうだ。
「ン~ 何かもう少し、決め手が欲しいンだよネ」
それを聞いてカズがニッと笑う。
「だよね。ボクもそう思ってた。だから今晩、検証してみようよ」
* * *
深夜0時を待って三人は現場検証を行うことにした。
11月の中旬ということもあって、この時間だとかなり寒い。
それに海風が強く吹いている。
喫茶RISEのシャッターの前でカズがスプレー缶を取り出す。
勝春が、それを見て首を傾げる。
「オヤ? 実際に描いてみるのかい?」
カズは首を振る。
「まさか。これは殺虫スプレーだよ。ちょっと試したいことがあってね」
そういってカズはジャンパーの袖で鼻を擦った。
大志は薄着でも平気な様子。
「試すだと? 何をする気だ?」
カズは「まあ、見ててよ」と、右手に持っていたスプレーを噴射する。
自分の顔の高さで噴射したそれは、海風に流されて右方向に散っていく。
それを見てカズが、見たままを口にする。
「結構、風の影響が強いね」
しばらく試し書きしていたカズが何かに気付く。
「ひょっとして……これを書いたのは左利きの人かも?」
大志がカズの手元を覗き込む。
「どういうことだ?」
「ほら、ここをよく見てよ。この『GO TO HELL!』の部分」
大志は顔を顰める。
「読めなくもないが下手糞だな」
カズが、『GO』の文字をなぞるように右手に持った殺虫スプレーを吹き付ける。
「ほら。海風のせいで噴射が右に流れて散るはずなんだよね」
大志が腰をかがめて問題の箇所に見入る。
「この文字は……割とまとまっているな」
カズは「分かる?」と、前置きして説明する。
「左手が風よけになってるんだと思う」
大志が海の方向をチラ見して納得する。
「なるほど。深夜のこの時間帯は定期的に海風が吹く。ということは犯行の時も状況は同じと考えられる」
カズが頷く。
「そう。左利きの人が横文字を書く場合、真正面からでは書いた字が見えにくいから、少し手首をひねって書くことが多いんだ」
確かに左利きの人が横文字を書く場合、自分が書く文字を自らの左手が隠してしまうような形になるので、手元が見えるように手首で調整することがある。
勝春が左手を横に動かしながら宙に文字を書く真似をする。
「なるほどネ。英語は左から右に書くから、左手が風よけになるンだ。だから、この文字はそんなに崩れていないんだネ」
大志が感心する。
「確かに、風のせいで文字や記号は右に向かって崩れている、というか輪郭が散っているように見えるな」
カズが断言する。
「四人組のうち一人は左利きだよ。そして、このダンス教室に恨みをもっている平家の生徒。それで絞り込めるんじゃない?」
勝春は既にスマホにその条件で情報提供を呼び掛けていた。
「任せてヨ。明日の午前中には特定できると思うヨ!」
そこでカズが追加でリクエストする。
「ねえ勝春。別口で、明日の朝イチで噂を流して欲しいんだけど。いいかな?」
勝春が「ン? どういう噂?」と、目をクリクリさせる。
カズは、いたずらっ子のような顔で言う。
「ダンス教室の落書き。英語の綴りが間違っているって」
勝春は不思議そうに眼を瞬かせる。
「エ? 別に間違ってないと思うケド?」
カズは続ける。
「いいんだよ。で、ついでに綴りが違ってたから喫茶RISEのマスターが爆笑してたって、煽って欲しいんだ」
勝春は、ますます訳が分からない。
「そうカナ? あの人、そんなこと言ってなかったヨ?」
そこでカズが意図を明かす。
「たぶん、この犯人は小心者で、相当、勇気を振り絞ってこれを書いたはずなんだ。なのに、その結果が不発で、恨みを晴らしたかった相手がノーダメージだと悔しくなるでしょ?」
大志が手を打つ。
「なるほど。そこを逆手にとるわけだな。きっと犯人は確かめに来る!」
カズは満足そうに頷く。
「そう。本当にスペルミスをしてしまったのかを確かめに来るはずだよ」
大志は理解したようだ。
「だから噂を流すのは朝イチなのか。昼間はシャッターをしまってあるから、確認に来るとすれば、夜にこっそり、というわけだな。そこをとっ捕まえる!」
勝春が親指を立てる。
「OKだヨ! それまでに犯人を特定すればいいンだネ!」
ちょっとした罠。
果たしてうまくいくのだろうか?