近所の女子高生に勉強を教える代わりに、彼女に恋愛を教えて貰うことになった
俺・永沢幸人が家に帰ると、リビングで女子高生が眠っていた。
ソファーで横になり、スヤスヤと気持ち良さそうに寝息を立てる女子高生。俺はそんな彼女の鼻を摘むと、ギューッと引っ張った。
「おい、起きろ。人の家で何寝てんだよ?」
「痛い痛い! 鼻を引っ張らないでよ」
痛さのあまり軽く涙目になりながら、女子高生は起き上がる。
彼女の名前は鵜川真帆。近所に住む、年下の女の子だ。
俺が現在大学二年生であるのに対して、真帆は高校三年生。
家だけでなく年も近いことから、小さい頃はよく一緒に遊んでいて。幼馴染という関係性は依然継続中であり、その為今もこうして時折我が家にやって来ては、ソファーで昼寝をぶっこいたり冷蔵庫の中をあさったりしているのだ。
微かに赤くなった自身の鼻を手で隠しながら、真帆は俺を睨み付ける。
「女の子の鼻を引っ張るなんて、いけないことだって習わなかったの?」
「人の家に勝手に入って、居眠りするのがいけないことだって習わなかったのか?」
「勝手に入ったわけじゃないですー。ちゃんとおばさんに許可取りましたー。はい論破」
この野郎……っ。
バカにしたような真帆の言い方に、俺は思わずカチンときた。
因みに一向に姿を現さない母さんはというと、買い物に出掛けているらしい。つまり現在、家の中では俺と真帆の二人きりだった。
「それに、用事もなく来たわけじゃないよ。ちょっと幸人に頼みたいことがあって」
「頼み? 金なら貸さんぞ」
「バイトをしてるし、これでもそこそこ貯金あるんで。……頼みたいのはお金じゃなくて、勉強についてなんだよね」
勉強……そう聞いて、俺は思い出す。そういや真帆の奴、受験生だったな。
「幸人って、バイトで塾講師してたじゃん? だったらさ、私に勉強教えてよ」
確かに俺は塾講師のアルバイトをしていて、生徒たちからの評判も結構良かったりする。元来人に何かを教えるという性格が、活きているのだろう。
「伝説の塾講師」と呼ばれるような大層なものじゃないが、それでも「期待の新人講師」という二つ名くらい付いて良いと自負している。
そんな俺に、真帆は勉強を教えて欲しいと懇願してきたのだ。
「でも、タダっていうのはなぁ。俺も一応、仕事で勉強教えているわけだし」
幼馴染割くらいなら、適用させてやっても良いけどな。
「対価が必要ってことだね。だったら……体で払うよ!」
「はあ!?」
この女、とんでもないことを言い始めた。
真帆にもその自覚があったのか、慌てて言い直す。
「違っ、体で払うっていうのは、そういう意味じゃなくて! 金銭じゃなくて肉体を差し出すっていうか。私、何言ってんだろ!?」
それはこっちが聞きたい。
「落ち着け。一回頭の中を整理しろ」
「そうだね」
頷いた真帆は、大きく深呼吸をした。
「落ち着いたか?」
「うん。……で、さっきの続きなんだけど、勉強を教えて貰う対価として、私も幸人に何かしてあげようかと思うんだ」
「成る程。それで「体で払う」なんて表現をしたのか」
「そういうこと。日本語って難しいね」
それに関しては、激しく同意だ。
俺のバイト先の生徒でも、「次の1〜4の内から、適当なものを選べ」という選択問題で、マジでテキトーにマークシートを塗り潰したアホがいた。
「だけど、どうして対価が俺に何かすることになるんだ?」
「だって幸人って、童貞でしょ?」
なぜそこで俺が未経験者だという話が出てくる? 文脈がおかしいと思うのは、俺だけだろうか?
「決め付けるからには、それなりの証拠があるんだろうな?」
「うん。二年前に買ったゴム、未開封のままだし」
言い逃れの出来ない物証を提示されてしまった。証拠品は、今夜にでも可及的速やかに処分するとしよう。
「そんな幸人に、私が恋愛を教えてあげようかと思ったわけですよ!」
女性との交際経験がまるでない俺に、さぞオモテになる真帆さんが恋愛を教えてくれるということか。
納得出来ないし、ムカつくことこの上ないけど、彼女の言いたいことは理解出来た。
「つまり、俺と付き合うということか?」
「そうなるね」
「日本語は難しいから念の為確認するが、俺と恋人同士になるってことだよな? 買い物に付き合うとか、そういう意味じゃないよな?」
「勿論。ハグとかキスとかする意味での「付き合う」だよ」
互いの認識に齟齬がないよう、俺たちは入念に確認し合う。
交際期間は、真帆の受験が終わるまで。
俺は彼女が志望校に合格するよう全力でサポートをし、彼女からは彼氏としての立ち振る舞いを教えて貰う。
こうして俺たちの期間限定の交際が始まったのだった。
◇
真帆の頭の出来は、正直あまり良いとは言えなかった。
「自分は考えるより先に行動するタイプなんだ!」と豪語して、勉強そっちのけで部活に没頭していたツケが回ってきたのだろう。
どうやら彼女の辞書に、文武両道という単語は載っていないようだ。
受験を2ヶ月後に控えたある日、俺は現在の真帆の実力を測るべく、彼女に手作りのテストを解かせることにした。
「テスト……私がこの世で2番目に嫌いな言葉だよ」
「因みに、1番目は?」
「受験」
真帆は清々しいくらいに、現実逃避をしていた。
「大学に通いたいなら、受験は免れない。そして受験をする為には、定期的なテストで自分の実力を確認しないとならない」
「それはわかってるけどさ、何ていうかこう、あまりモチベーションが上がらないんだよね」
そりゃあまぁ、この世で1番嫌いな受験の為に、2番目に嫌いなテストを受けるわけだしな。
「ねぇ、ダーリン。今回のテストで良い点取ったら、ご褒美頂戴よ」
「ご褒美? 例えば?」
「現金1万円」
そういうのは彼氏じゃなくて父親にねだれ。
「却下だ」
「えー! じゃあさ……今週末、デートしてくれない?」
デートとは、予想外のご褒美を要求してきたな。
(期間限定だが)彼氏とデートしたいだなんて、可愛いところもあるじゃないか。
「駅前におしゃれなイタリアンレストランが出来たんだよね。食べたいんだけど、高校生にはちょっと手の出しにくい値段でさ」
前言撤回。結局は金だった。
「……わかったよ。全教科70点以上取れたら、そのレストランに連れてってやる」
「本当? 真帆ちゃん、頑張っちゃうぞー!」
簡易的なテストとはいえ、難易度はそれなりだ。今の真帆の実力だと、65点が良いところだろう。
数時間後。
真帆は見事に、全教科70点以上取りやがった。日本史に至っては88点だ。
「お前って、「私、勉強出来ないんですぅ」タイプじゃなかったっけ?」
「正しくは勉強出来ないんじゃなくて、してこなかっただけなんだよね。だから本気を出せば、すぐに暗記出来ちゃったり」
だとしても、まさか本当に70点以上を取るとは。
約束は約束。それに想像以上に教え子が成長していたことを、素直に喜ぶとしよう。
取り敢えず、明日はATMに行って、お金を下ろしてくるとしようかな。
◇
8割勉強2割イチャイチャの俺たちの日常は、あっという間に過ぎていき、気付けば真帆の受験前日になっていた。
「明日はとうとう試験か……。緊張するね」
「自信がないのか?」
「そういうわけじゃないよ。今まで一生懸命努力してきたし、合格する自信ならある。でも、世の中絶対なんてことはないから。……幸人はどうだった? 緊張しなかった?」
「しないわけないだろ。だから前の日は、座禅して心を落ち着けていた」
「座禅って」
ツボに入ったのか、真帆は俺の座禅発言に笑っていた。……釈然としないが、これで少しでも緊張がほぐれてくれたのなら良しとしよう。
「私に座禅は意味なさそうだなぁ。ねぇ、他に何か効果的なものってない?」
「そうだなぁ……手のひらに「人」って字を書いて飲み込むとか?」
「それはテストを受ける直前じゃなきゃ、意味ないでしょ?」
「確かに。だったらアロマを炊くとか、クラッシック音楽を聞くとかは?」
「アロマは普段から炊いてるし、クラッシックは興味ないからなぁ」
ああ言えばこう言う。さっきから、文句ばかりの女である。
「あとは誰かに手を握って貰うっていうのも、聞いたことがあるな」
「……ほう」
それまで否定ばかりだった真帆の反応が一転、食い付いてきた。
「手を握って貰う相手というのは、例えばどういう相手なの?」
「そりゃあ家族とか友人とか、あとは……」
「恋人とか?」
真帆は俺をじっと見ながら言う。
それから徐ろに、俺に手を差し出してきた。
「……」
真帆が何を求めているのか、わからない俺ではない。
俺は彼女の手を握りしめた。
「……どうだ?」
「うーん。あまり効果が出ているとは思えないな。……接触が少ないのかも」
そう言うと、真帆は俺に抱き着いてきた。
「これが一番落ち着く」
教え子と抱き合うなんて、ご法度だ。でも真帆は教え子であると同時に、一応恋人でもある。
それに抱き締めることで彼女の緊張がほぐれ、惜しみなく実力を発揮出来るようになり、その結果受験に合格するのなら、致し方ない。
自分にそう言い聞かせながら、俺は真帆の背中を腕を回すのだった。
◇
真帆の受験が終わると、俺たちの関係から「先生と教え子」が消え去り、ただの恋人同士だけになっていた。
しかしこの関係性は、いつまでも続かない。終わりの時は、目前まで迫っていた。
真帆の合格発表の日。
まるで自分のことのような気持ちで、俺は自宅で吉報を待っていた。
もう少しで正午を回ろうかというところで、真帆が我が家にやって来る。その表情は……えらく沈んでいた。
俺は彼女の顔を見て、全てを悟る。
「真帆……」
「幸人……合格しました!」
「そっか……って、え? 合格?」
「イエイ!」とピースサインをする真帆。ややこしい顔するんじゃねーよ!
叱りたい気持ちはあったけれど、それ以上に「おめでとう」や「よく頑張ったな」という言葉をかけてあげたくて。……仕方ない。今回ばかりは、大目に見るとしよう。
「それで、幸人。大学に合格した私に、どんなご褒美をくれるの?」
「ご褒美? そんな約束していたか?」
「約束してなくても、頑張った教え子を労ってくれても良いでしょうに」
「はいはい、わかったよ。……因みに、真帆は何をして欲しいんだ?」
どうせまた「ご馳走しろ」だの「あれを買ってくれ」だの言われるのだろう。
俺が財布からまた一人諭吉さんがいなくなるのを覚悟していると、
「キスして欲しい」
「……え?」
俺は思わず聞き返す。
真帆のやつ、今「キスして欲しい」って言ったか?
確認する必要はなかった。
確認する前に、俺の唇は彼女に奪われる。
「幸人、好きだよ」
続け様に真帆の口から発せられた「好き」という言葉で、俺の脳は完全にフリーズする。
「日本語は難しいから確認するが、それは「LOVE」って意味だよな? 「LIKE」じゃないよな?」
「そうだよ。もし幸人さえ良かったら、このまま恋人関係を続けさせて欲しい」
真帆は俺に恋愛を教える為、恋人になってくれた。
それじゃあ俺は、そこまでして貰って恋人が欲しいのか? ……違う。俺が欲しいのは恋人じゃなくて、真帆だ。
言い訳ばかりで迷走していたこの難問だが、ようやく答えに辿り着くことが出来た。
「俺も真帆が好きだよ。勿論、「LOVE」的な意味でな」
この春から、真帆は大学生になる。通うのは、奇しくも俺と同じ大学だ。
折角恋人同士になれたんだし、二人仲良く手を繋いで、通学するとしようかな。