幕前その三 初仕事(前篇)
久しぶりの更新です。
本編でもないのに、一万字越え!
二つに分けました。よろしくお願いいたします。
「『蛇蝎の魔女』――、ですか?」
「そうだ。いかにも、おどろおどろしい感じだろう?」
「し、しかし、十四、五の娘につける二つ名として、少し怖すぎるような……」
「十四、五の娘だからだよ。相手は、強欲でしたたかな連中ばかりだ。なめられてはいかん。リュディヴィーヌは、極悪非道な奴らを懲らしめる冷酷非情な魔女であると世に知らしめたいのだ。その方が、彼女もこの先仕事をしやすいはずだ」
ここは、魔力・魔術師管理庁の主席管理官デシャルムの執務室――。
デシャルムの言葉に、主幹管理官のシャミナードは大きなため息をついた。
彼が訪ねていくと、いつもにこにこしながら迎えに出てくるリュディの愛らしい姿が目に浮かんだ。それだけで、シャミナードは幸せな気持ちになれるのだが――。
(デシャルム様は、魔女や魔術師を魔力の使い手としてしか見ていないからな……!)
育ての親である老魔女ボルグヒルドの言葉を素直に受け止め、ひたすら「良きこと」の実戦に励む、あの純朴で心優しい娘を、「蛇蝎の魔女」と呼ばせるなど、とても自分にはできない――とシャミナードは思う。
戦争が終わり、ジ・アイ神がこの世界に降臨して百年以上が過ぎていた。
この世界が、ジ・アイ神への信仰を基盤とする、神霊共和国として統一されたことで、戦後の処理は速やかに進んだ。
戦争の元凶のように言われたこともあった魔女や魔術師たちは、魔力・魔術師管理庁が創設されると、全員がその管理下に置かれ、この世界における役割や立場を与えられた。
多くの魔女や魔術師たちは、各地の村や町に溶け込み、生活魔術を用いて人々の暮らしを助けていた。
しかし、強大な魔力を持つ一部の者には、特別な任務が与えられた。
管理庁直属の魔術師として、魔女や魔術師の情報を収集し、魔術師が絡んだ犯罪や違法な魔術を行使した魔術師の取り締まりに携わるのだ。
リュディの立場は独特だ。
彼女はまだ、魔女ボルグヒルドのもとで修業を積む見習い魔女だが、その底知れぬ魔力は、いずれ希代の魔術師デュプレソワールを陵駕するのではないかと管理庁は考えていた。
のちのちは、管理庁の切り札として、この世界における魔術師・魔女の頂点に立ち、すべてを統率する存在となるかもしれない逸材だ。
管理庁は、リュディの正式な魔女デビューに向けて、慎重に準備を進めていた。
リュディの将来を考えて、今はまだ若く未熟ではあるが、恐ろしい力を秘めた魔女であることを世に広め、悪事を企む連中に脅威を感じさせる必要があったからだ。
「衣装も、いにしえの魔女を想起させる黒ずくめで発注してある」
デシャルムが、引き出しから取り出した絵を見て、シャミナードは頭を抱えた。
黒い帽子に黒いブーツ、黒いワンピースを着て黒いマントをはおり、肩に黒い鳥をとまらせた女が描かれていた。長く鋭い爪を生やした手に持っているのは、古ぼけた箒だ。
「いまどき、こんな格好をした魔女がいるものでしょうか?」
「イメージだよ、シャミナード。物語や伝説を通して人々の心に刻まれた、邪悪で残忍な魔女のイメージを大切にしたいんだ」
確かにこの姿は、彼女の魔力の洗礼を受けた者に強烈な印象を残すだろう。
一方で、普段の田舎娘然としたリュディが、「蛇蝎の魔女」と結びつけられることはまずあるまい。彼女の平穏な私生活は、この姿によって守られる。
そう考えれば、これは、リュディにとって悪い計画ではないのかもしれない。
気を取り直したシャミナードは、デシャルムに尋ねた。
「それで、わたくしは、この件にどのように関わればよろしいのでしょうか?」
「うむ。おまえの役割は重要だ。まず、『蛇蝎の魔女』にふさわしい、立ち居振る舞いや物言いをしっかりリュディに仕込め。そして、初仕事の現場に付き添い、我々が求める結果が残せるように彼女を陰から支援するのだ。リュディから全幅の信頼を置かれるおまえにしかできない役目だぞ」
やっかいな役割だが、自分以外の者に任せられる内容ではないな、とシャミナードは思った。
「承知いたしました、デシャルム様。わたくしは、リュディを『蛇蝎の魔女』として世に知らしめるべく、あらゆる手を尽くして、この計画の遂行に努めます」
「頼んだぞ、シャミナード」
デシャルムは、引き出しの中へ絵を戻すと、ポンポンとシャミナードの肩を叩いた。
シャミナードは、主席管理官の執務室を退出し、自分のデスクへと戻った。
早速、ボルグヒルドに計画の詳細を伝える書簡を準備する。
そして、「伝送筒」と呼ばれる魔道具に書簡を入れ、管理庁の魔術師にボルグヒルドの家への転送を頼んだ。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
リュディは今、聴講生として管理庁の魔術師習練所で学んでいる。
三年前、魔術がらみのちょっとした騒ぎを引き起こしたリュディは、毎月十日間程ここに通い、魔力のコントロールの方法や魔術師としての心得を身につけるように、管理庁から命じられた。
習練所に通っている学生のほとんどは、管理庁直属の魔術師となるべく選ばれた優秀な若者たちだ。習練所の寮に暮らし、日々、魔術師として独り立ちすることを目指し修業を続けていた。
聴講生であるリュディも、寮内のゲストルームに滞在し、学生たちと一緒に生活している。
習練所に通い始めて三年目。習練所や寮での暮らしにも慣れ、友達もできたリュディは、少しずつここでの生活を楽しめるようになっていた。
「リュディ! 一緒にお昼ご飯食べよう!」
「ああ、フェリシィ――。うん、いいわよ!」
図書館から出てくるリュディを待ち構えていて声をかけたのは、フェリシエンヌ――フェリシィだった。
彼女は十歳の頃この世界へ転移してきて、すぐに管理庁に保護された。
転移前の記憶はかなり失われていたが、身の回りのことは自分でできたので、管理庁の養育院に預けられて、そこでこの世界のことを教えられながら育った。
四年前に、習練所の学生に選ばれたので、養育院を出て寮へ移ってきた。
リュディと同い年だが、養育院で鍛えられて成長したせいか、もう少し大人びて見える。
フェリシィは、入所当初から、戸惑うリュディに頻繁に声をかけ、親身になって世話をしてくれた。今では、恥ずかしがり屋のリュディにとって唯一無二の親友となっていた。
二人は、習練所がある管理庁の中庭で、ベンチに腰掛けパンをかじっていた。
パンには切れ目が入れてあり、チーズや燻製肉や薄切り野菜が挟んである。
寮母であるジャンヌが、朝食の余り物などを使って作ってくれたものだ。
頬張っていたパンを無理矢理飲み込むと、フェリシィが言った。
「午後は、魔獣の飼育法と使役術だから、リュディも一緒ね?」
「うん。今日は、イヌ型の魔獣でしょ? きっと可愛いだろうな」
「ふふふ……。ネコ型だろうが虫型だろうが、何でも可愛がれちゃうくせに」
「そりゃそう。わたし、ここへ来るまでは、魔獣だけが友達だったんだもの……」
リュディの育ての親であるボルグヒルドの家には、騎獣である翼竜のアルジャンのほかに、ネコ型やクモ型の魔獣が飼われている。
魔獣たちの世話は、今ではリュディの仕事となっていて、どの魔獣もリュディによく懐いている。
魔獣を上手く使役するためには、強い魔力で魔獣を服従させるだけでなく、魔獣との間に信頼関係を築くことが大切だ。
リュディは、習練所の講義でそのことを学んだが、それは学ぶまでもなく、リュディが魔獣の世話をする中でいつも心がけていたことだった。
(魔獣のことを下僕扱いしないで、自分に力を貸してくれる仲良しの友達だと思って接してやれって、おばば様もよく言っていたわ)
村の大人たちが、薬を分けてもらったり、困りごとを相談したりするために、ボルグヒルドを訪ねてくることはよくあったが、村の子どもがボルグヒルドの家に来ることはめったになかった。
気さくに見える村人たちも、心のどこかでは魔女を恐れていて、子どもを魔女に近づけることを避けていたのかもしれない。
だから、リュディには、同じ年頃の友達はいなかった。
心に積もった様々な想いを打ち明けられる相手は、魔獣たちだけだった。
魔獣たちが、どこまでリュディの気持ちを理解してくれていたのかはわからない。だが、魔獣が手を優しくなめたり、すり寄ってきたりするだけで、リュディの心は温かなもので満たされた。
「さてと――、講義場所は魔獣の飼育場よね? そろそろ行ってみる?」
フェリシィは立ち上がると、スカートのパンくずを払いながら言った。
リュディも、図書館で借りたばかりの本を抱え、急いで腰を上げた。
魔獣学担当のミシリエは、規律を重んじる厳格な魔女だ。
講義に遅刻して、反省文を書かされてはたまらない。
二人は、早足で飼育場へと向かった。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
「それで、今日の実技は、うまくいったのかい? 確か、イヌ型の魔獣が相手だったね?」
「はい。しっとりとした黒い毛に覆われていて、鞭のようにしなやかな長い尾がある魔獣でした。わたしとフェリシィは、魔術で魔獣の緊張や不安をほぐしながら、服従させて小型化できたのですが、ナットが失敗してしまって――」
管理庁の食堂で、リュディはシャミナードに、夕食をごちそうになっていた。
このあと、例の計画についてリュディに切り出すつもりのシャミナードは、彼女が喜びそうな料理をいくつもテーブルに用意していた。
肉汁があふれ出すミートパイを切り分けながら、リュディが続けた。
「ナットはテオと組んでいたんですけど、もともとイヌが苦手なので、最初に唸られただけで萎縮してしまったんです。テオが懐柔しようとして魔術を施したんですけど、賢い魔獣だったので、テオを無視してナットに襲いかかろうとして――」
「二人は大丈夫だったのか?」
「ミシリエ先生が、魔術で魔獣を拘束しました。わたしたちは、魔力の壁を作って二人を守ったのですが、魔獣がそこに力一杯尾を打ち付けて、尾がちぎれてしまいました。……可哀想なことをしました。ちぎれた尾が顔をかすめて、ナットは怪我をしましたけど、わたしがおばば様の膏薬を貼っておきました」
「ボルグヒルドの作る膏薬は、切り傷にもよく効くからな」
学生たちは、二人一組となり、一頭ずつイヌ型の魔獣を躾けることになっていたのだが、五組のうち成功したのは三組だけだった。
ナットとテオの組が騒ぎを起こしている間に、もう一組が、魔獣を逃がしてしまったのだ。
魔獣が廊下へ飛び出したところで、たまたま通りかかった魔術師が拘束したが、こちらの魔獣もすっかり気が荒くなっていた。当分は人が近づくだけで、興奮して暴れ出すかもしれなかった。
「ミシリエ先生は、相当腹を立てていただろう? 手塩にかけて育ててきた魔獣が、傷つけられたり逃がされかけたりしたのだから――。ナットは、習練所に残れるだろうか?」
「先生は、学生たちが無事だったので良かった、とおっしゃっていました。ナットのことも、注意はされましたが責めたりはされませんでした。それにあれは、――」
言葉を切ったリュディは、ちょっと眉根を寄せて思案顔になった後、何かを振り切るように笑顔を作り、シャミナードに言った。
「ナットは、植物の栽培では、誰よりも効果的に魔術を使うことができるんですよ。子どもの頃から山に暮らして親しんできたから、薬草学にも通じています。本当に何でも知っていて――。習練所の先生方は、ナットの力をよくご存じのはずです。ナットが、習練所を辞めさせられるようなことはないと思います」
自分の言葉に自分でうんうんとうなずきながら、ミートパイを次々と口へ運ぶリュディを、シャミナードは、ちょっとだけ目を細めて眺めていた。
(いやいや、リュディこそ、ナタナエルのことをよくわかっているじゃないか? 危険を感じて、すぐに魔力の壁を作った判断も立派なものだが、きちんと正当に彼を評価しているとはたいしたものだ。上に立つ者に欠かせぬ資質を備えているといえる。リュディの魔女デビューを支える者として、わたしの責任はますます重くなったようだな――)
シャミナードは、夕食を終えると、リュディに魔女デビューの計画のあらましを伝え、黒ずくめの衣装が入った大きな布袋を渡した。
一緒に入っていた、デシャルム作成の『蛇蝎の魔女の手引き』をめくったリュディは、目を白黒させていた。
その様子を見たシャミナードは、笑いをこらえながら言った。
「とりあえず、一度衣装の試着をしてみてくれないか。リュディは、針仕事が上手だから、もし体に合わないところがあれば、自分で直してくれてかまわないよ」
「わかりました。あの、……最初のお仕事は、いつ頃になるのでしょうか?」
「デシャルム様は、習練所での聴講が終わるまでにと考えていらっしゃるようだが、具体的なことはまだ決まっていない。ただ、いつ声がかかってもいいように、準備をしておいて欲しいんだ」
リュディは小さくうなずき、しっかり荷物を抱えると、シャミナードに食事の礼を言って、寮の部屋へと戻っていった。
黒ずくめの衣装やおかしな手引き書を、とりあえずリュディが持ち帰ってくれたので、シャミナードは、ほっとした気持ちで彼女の後ろ姿を見送った。
このとき、もちろんまだ二人は知らなかった。
思っていたよりも早く、思ってもいなかったかたちで、「蛇蝎の魔女」に初仕事の機会が訪れることを――。
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最後までお読みいただき、ありがとうございました。
後篇も、本日中に投稿します。
おつきあいいただければ嬉しいです。