第五話 乙女座生まれは細かい作業が得意なのです。(後篇)
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その一週間後――。
今日は、近くの村で、月に一度の自由市が立つ日だ。
リュディは、先月、自分で編んだ鍋敷きやドアマット、鍋洗い用たわしなどの生活小物をいくつか持って、初めて市に行った。
隣で干しきのこを売っていたシヴィユという老女が、不慣れで恥ずかしがり屋なリュディに代わって、値札を付け客の呼び込みまでしてくれた。
そのおかげで、リュディは、持っていったものを売り切ることができた。
今回は、一ヶ月かけて、前回の倍ぐらいの数の手編みの小物を用意した。
市で手に入れた柔らかな麻布を切り、草や花の刺繍を施した手巾も作った。
シヴィユへの礼に、レース飾りのストールも作った。
早起きをして、手早く身支度を済ませたリュディは、前髪を整えて、髪を一つに束ねた。
村へ行くので、黒ではなく朽葉色のワンピースの上に、ジャスミンイエロー地に藍色や白の小花が描かれた前掛けを重ねた。同じ柄のリボンを束ねた髪に結ぶ。ここへ弟子入りするときに、老魔女ボルグヒルドが持たせてくれたものだ。
足取り軽く書斎に向かうと、大きな作業机の上には、すでに朝食用の茶の用意がされていた。
ブレックファーストティーの缶を棚に戻していた魔術師が、リュディの足音を聞きつけ、勢いよく振り向くと言った。
「リュディ! ……いいじゃないか、その前掛け! おまえって本当に何を身につけても……、お……おい! や、やめろ! こら! この、チビ犬めが!」
魔術師に最後まで語らせまいと、デュピィが彼の膝の辺りまで飛びついて、元気に吠え立てていた。
リュディは、デュピィに感謝しつつその隙に台所へ駆け込み、チーズ入りの固いパンを軽くあぶり、チーズを溶かしてから皿に載せた。この前釣ってきた小魚を香草オイル漬けにしたものは、小さな深皿に盛りつけた。
大きく深呼吸をしてから、それらをトレイに載せて書斎の作業机に運んだ。
「それでは、ジ・アイ神様、お師匠様、いただきます!」
リュディは、魔術師が語る小魚を釣ったときの自慢話やチーズについての蘊蓄などをことごとく無視し、うつむいたまま大急ぎで朝食を済ませた。そして、挨拶をして自分の食器を片づけると、駆け足で自室に戻った。
いつもの帽子ではなく、麦わら帽子をかぶり、小ぶりな頭陀袋を肩から提げた。
椅子代わりにする荷箱には商品をきっちりと詰め込み、丸めた敷物と一緒に背負った。
マントの代わりに、麻のストールを襟元に巻いた。
玄関まで行くと、デュピィを抱いて魔術師が待っていた。
麦わら帽子のブリムを下げながら、リュディは魔術師に声をかけた。
「お、お師匠様……、行って参ります……」
「ああ、気をつけて行ってこい! ……楽しんで、ついでに稼いでこいよ!」
家の外へ出たリュディは、トンとかかとで地面を蹴ると、ふわりと宙に浮かんだ。バルバストーレの魔の森の出口までは空を飛んでいくが、その先は荷物を背負って村まで歩いて行く。
リュディが魔女だと気づいている村人は、まだいないはずだ。
村の人々が、魔術師や魔女をどう思っているかわからないので、村では魔女であることを悟られないように行動している。
魔術師や魔女が受け入れられた世界ではあるが、人の心は様々だ。
例え「良きこと」であっても、気をつけて行わねばならないと、老魔女からは教えられていた。
小半時以上歩いて、リュディは、ようやく自由市の立つ村の広場に着いた。
シヴィユを探すと、女たちがたくさん集まった中から、手を振っているのが見えた。周りの女たちが、待ちかねたようにリュディを迎え入れた。
「ねぇ! この間あんたから買ったたわし! 焦げ付きが綺麗に落ちて、びっくりしたわ! 今日も買わせてもらうわよ」
「あら、ドアマットもすごくいいのよ! 靴の泥が良く落ちるし、ほこりもたたないの。隣村にいる妹に、『買ってきて』って頼まれちゃった!」
「何言っているのよ! 鍋敷きが良くできているの。あの鍋敷きの上に置くと、鍋の汁が冷めないのよ! 亭主も息子たちも、みんな驚いていたわ!」
女たちの話を聞いて、通りすがりの人々も、リュディの店をのぞこうと集まってきた。人垣がさらに大きくなった。
シヴィユに手伝ってもらいながら、急いで荷ほどきし、敷物の上に商品を並べるや、次々と手にとる客が現れて大賑わいになった。
値札を用意してきたが、それを置く間もなく、リュディの言い値で商品はどんどん売れていった。
シヴィユが、自分の商売そっちのけで客あしらいをしてくれた。
初めて用意してきた刺繍付きの手巾も、最初に買った客が、
「まあ! これで汗を拭いたら、すーっと涼しくなって汗が引いたわ! ねぇ、もう一枚もらえるかしら?」
などと言うものだから、「どれだ、どれだ」と客が群がってきた。
気がつけば、敷物の上には、鍋敷きとたわしが一つずつ残るだけとなっていた。
「シヴィユさん、今日もありがとうございました。あの……、これ……、お礼に作ってきたんですけど、受け取ってもらえますか?」
リュディは、荷箱の奥から、古布にくるんだレース飾りのショールを取り出した。柔らかく細い麻糸でできた、夏用のショールだ。
「いいのかい?」
シヴィユが、目を輝かせながら言った。
リュディは、コクンとうなずくと、ショールを広げてシヴィユの肩にかけてやった。生成り色のショールは、見るからに涼しげだった。
「何だか、これを掛けるとひんやりして心地いいね。頭からかぶれば、いい日よけになりそうだよ。ありがとうよ、娘さん!」
そう呼ばれて、リュディは、自分がきちんと名前すら教えていなかったことに気づいた。リュディが無礼を詫びて慌てて名乗ると、シヴィユが、声を潜めて意外なことを言い出しだ。
「リュディさん……っていうのか……。あのさ……、あんた本当は……、魔の森に住んでいる魔術師様のメイドかなんかなんだろう?」
「えっ?!」
「みんなが言っていただろう? あんたが売っている物には、不思議な力があるって……。魔術師様はさ、魔道具とかいう便利なものを作れるんだよね? もしかして、あんたが売っている物も、魔術師様の魔力が加わった魔道具の一種なのじゃないかと思ってさ」
「魔の森の……魔術師のことを……、知っているんですか?」
「知っているも何も――、この辺りの者は、みんな魔術師様の世話になっているからね。流行病に効く薬を分けてもらったり、畑地に水を回してもらったり――。村ではね、昔から困りごとがあったら、森の入り口の古木のうろに叫ぶことになっているんだよ。そうすると、その声が森の魔術師様に届くと言われている。村の者はみんな魔術師様に感謝しているよ」
(なんてこと……。それって……、あの偏屈で不器用なお師匠様が、村の人々のために、こっそり『良きこと』を続けていたってことよね……?)
驚きで言葉を失い、固まってしまったリュディに、小さな箱を持った老人が声をかけてきた。
「おお! まだ残っていたか! 良かった、良かった。娘さん、その鍋敷きとたわしは、わしが買うよ。いくらだい?」
「あ、ああ、はい……これは……」
リュディが値段を言うと、老人は値切ることもなく代金を払い、鍋敷きとたわしを大事そうに頭陀袋にしまった。
そして、リュディの耳元に口を寄せ、小さな声で言った。
「娘さん。みんなが噂しているのを聞いたんだが、あんた、森の魔術師様のところの下働きなんだって? もし、そうなら頼まれて欲しいことがあるんだが……」
「下働き……、まあ、身のまわりのお世話のようなことをさせていただいていますけれど……。な、何をすればいいのでしょうか?」
「そうか……、やっぱりな。……実は、これを魔術師様に届けて欲しいんだよ」
老人はそう言うと、頭陀袋から細長い包みを取り出した。
「ふた月ほど前に、魔術師様から依頼があって作った物なのだが、森の入り口の木のうろまで歩くのが骨でね。あんたが持って帰って、渡してくれないかい? 代金は先にもらっているから、届けてくれるだけでいいんだよ」
「わ、わかりました……。では、お預かりしていきます。あの……、必ずお渡ししますので……」
「ありがとう! 助かるよ!」
リュディは包みを受け取り、自分の頭陀袋にしまった。
売る物がなくなったので、今日はもう店じまいだ。
あらためてシヴィユに礼を言い、荷物をまとめると、帰る前に自分も買い物を楽しむことにした。
空になった荷箱には、今日の稼ぎで布地や糸などを仕入れて詰め込んだ。
「ちょっと、えっと……、下働きさん!」
リュディが、チーズ職人の店をのぞいてチーズの味見をしていると、先ほどドアマットを買ってくれた女が、声をかけてきた。
リュディが魔術師のところの下働きであるという噂をみんなに流したのは、たぶん彼女であろう。
「ねぇ、この次に来るときはさ、手袋とか靴下とか、冬用の小物を試しに作ってきてくれない? あんたが編んだ物なら、きっと、ものすごくあったかいと思うのよ。どうかしら?」
リュディが作る小物は、魔道具とまでは呼べないが、使い勝手や必要な効能を考えて、多少の魔力を注ぎ、心を込めて仕上げている。
冬に使う手袋や靴下などは、保温だけでなく、発熱の効果がある物を作ることができるであろう。
季節は夏だが、今から少しずつ作りだめしておけば、寒くなるまでにたくさん準備できるに違いない。
「わかりました。手持ちの毛糸で、いくつか作ってみます」
「まあ、うれしい! 待ってるわよ!」
チーズを買って女と別れると、リュディは、来たとき以上にわくわくした気持ちで、森への道を戻っていった。
自分の作る物が村の人々に喜ばれ、期待されているということが、たいそう嬉しかったからだが、それ以上に、魔術師が彼らから頼りにされているということが、リュディの心を明るくした。
(うふふふ……、お師匠様をからかう種を手に入れちゃった!)
森の入り口が近づいてきて、リュディが、そろそろ飛んでみようかと足を速めたところ、古木のそばに、魔術師が立っているのが見えた。
魔術師は、首を傾げながら、木のうろを何度も覗き込んでいる。
「お、お師匠様!」
「うぉっ……! おっ……! リュ、リュディ?!」
「何をしているんですか、こんな……ところで?」
「な、何をって、お、おまえを迎えに来たんだよ! お、……遅いから!」
確かに、今日は、面白い店や気になる店が多くて、すこしゆっくりし過ぎたかもしれなかった。
しかし、心配をかけるほど遅くなってはいないはずで、魔術師の言葉には不自然さがあった。
(もしかして、お師匠様ったら、さっきの預かり物を探しに来たのかしら?)
リュディは、頭陀袋を開けると、村の老人から預かった細長い包みを取り出した。そして、古木の根方の下生えをかき分けながら、きょろきょろと覗き込んでいる魔術師に言った。
「お師匠様……。村のご老人から……、これを預かってきたのですが――」
魔術師は、リュディが差しだした包みを目にすると、途端に嬉しそうな顔になり、「これだ、これだ」と言いながら、ひったくるようにしてリュディの手から奪い取った。
そして、少し険しい目つきをして、リュディに問いかけた。
「お、おい……、リュディ、おまえ……、中身を見たりしていないよな?」
「み、見てませんよ! お師匠様への大切な預かり物ですよ。勝手にそんなことを……す、するわけないじゃないですか!」
魔術師は、まだ少し疑わしげな顔でリュディを見ていたが、包みを大事そうに上着の懐に収めると、大きく伸びをしてからリュディに言った。
「さて、では、おまえも戻ってきたことだし、空間転移で家までかえるか?」
「……だめですよ!」
「えっ?!」
「森の真ん中辺りに、大きなジューンベリーの木が一本ありますよね? 今、たくさん実がなっているんです。今日は、実を摘んでから家に帰ろうと思っていたんです。……だから、わたしは、空を飛んでジューンベリーの木に寄ってから帰ります。お師匠様、一人で空間転移で戻ってください」
リュディは、魔術師の返事も待たずに、ひょいっと空へ飛び上がった。
呆れた顔でそれを見ていた魔術師も、トンと地面を蹴ると後を追って空へ飛び立った。
「しょうがない……、俺も行くから、案内しろ! 二人で摘んだ方が、早くどっさり収穫できるからな! いや、木を揺らして実を落としてから、まとめて転移させれば……」
リュディは、クスクス笑いながら、魔術師を手招きした。
眼下に広がる深緑色のバルバストーレの森は、初夏の日差しに瑞々しく輝いていた。そこはリュディにとって、もはや「魔の森」ではなく、様々な発見と豊かな実りに満ちた「夢の森」であった。
(忙しくなるわね! たくさん、ジャムを煮ることになりそうだから――)
お気に入りの紅茶を淹れて、ジューンベリーのジャムを載せたパンを頬張る魔術師の顔を思い浮かべただけで、リュディはなんだか甘酸っぱい気持ちになった。それはまだ、何とも名付けようのない不思議な感情だった。
近づいてきたジューンベリーの木に向かって降下しながら、リュディは、ふと魔術師が必死で探していた箱のことを思い出した。そして、見たのではないかと疑われた箱の中身がとても気になった。
(何が入っていたのかしら? お師匠様にとって、なんだか大切な物のようだったけれど……。あの様子では、どうせきいても、教えてくれないわよね……)
結局、リュディが、自分から箱の中身を尋ねることはなかった。
彼女が、それについて魔術師から知らされるのは、まだ少し先の話である。
―― FIN ――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次話は、来週の投稿になると思います。ゆっくり進みます。