第五話 乙女座生まれは細かい作業が得意なのです。(前篇)
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第五話は、あまりに長くなったため、二回に分けて投稿します。
「海の盗掘者ども! おまえたちに、沈没船のお宝を引き上げる権利はないんだよ! 余計なことをして、静かな海に波風を立てるんじゃない! お宝を元の場所に沈めて、とっとと陸地へお帰り!」
違法サルベージ船に向かって大きな声で呼びかけたのは、小さな女だった。
女は、波を踏みしめ立っていた。
魔女独特の深いクラウンと大きなブリムを持つ黒い帽子を目元まで引き下げ、緋色の宝玉が輝く杖を小脇に抱え、海風にマントを翻し立っていた。
いや、水面に立っていたわけではなかった。
女の足下には鈍色のなめらかな岩があった。女はそれに乗っていた。
「おう! おまえかぁ? 蛇蝎の魔女ってのは? 噂どおり、唐突に姿を現すんだな? 俺たちになんか用かぁ?」
「お日様がこんなにキラッキラッしてんのに、葬式帰りみたいな黒ずくめの格好で、ご苦労さんなことだな! おめぇも俺たちみたいに裸になっちまったらどうだい? さっぱりして気持ちがいいぜ! げははははっ!」
海の盗掘者たちは、甲板で潜水着を脱ぎ捨て、赤銅色のたくましい体をまぶしい日差しに晒しながら、馬鹿にしたように笑って女に言った。
かたわらには、海底の沈没船から引き上げたばかりの財宝が、大きな籠に山盛りになっていた。ほとんどが古い金貨だったが、宝石がはめ込まれた、豪華な黄金の装身具もいくつか含まれていた。
いつもなら、無法者どもと言い合いをするところだが、冷酷無比な蛇蝎の魔女ことリュディは、今日はそんな気分ではなかった。
さっさと仕事を片づけて、早くバルバストーレの森へ帰りたかった。
リュディは屈むと、岩に向かって囁いた。
「イクチィ! あの連中を海の中へたたき落としておしまい! ついでに、お宝は元の場所に戻してね!」
リュディは岩を蹴り、空中へ飛び上がった。
マントが風をはらみ、彼女を空高く押し上げた。
岩はいつの間にか消え、それがあった場所に巨大な水のうねりが生まれた。
甲板にいた海の盗掘者たちは、船の周囲をぐるぐると回る巨大な魚影に気づいた。
急いで碇を上げ、船を動かそうとしたが、船体はすでにその場で旋回し始めていた。
盗掘者たちは慌てふためき怯えながらも、財宝を取り囲むように甲板の一カ所に集まり、息を潜めて様子をうかがっていた。
上空からその様子を見ていたリュディは、首からぶら下げた銀色の笛を力いっぱい吹いた。
リュディの耳に笛の音は聞こえなかったが、確かに笛は鳴っていた。
魚影が水中深く沈み、一瞬水面が静かになった後、船を真っ二つに切り裂き、巨大な生き物が空中へ飛び出した。
それは、長く伸びた口に鋭い歯が並ぶ、船の三倍はあろうかという、途方もない大きさの魚竜だった。
魚竜が再び海に飛び込んだときの大波で、船は完全に破壊され沈められてしまった。裸の男たちがつかまる小さな板きれだけが、悲しげに波間を漂っていた。
リュディは、再び笛を吹き、魚竜を浮上させると、空から舞い降り背びれの横に立った。
そして、波にもまれながら悪態をつきまくる哀れな男たちに、彼らを待ち受ける残酷な運命を知らせた。
「しばらくすれば、海上警備隊の船が到着するはずだ。しかし、イクチィが去れば、凶暴なサメどもがここに戻って来るからね。船が来るまで生きていられるか……。どちらにしても、おまえたちの命運は尽きたんだ! いい最期が迎えられるように、ジ・アイ神様に祈るんだね!」
先ほどまでの罵詈雑言に変わって、助けを求める悲痛な叫びがリュディを追いかけてきたが、彼女が振り返ることはない。
魚竜は、彼方に見える小さな島を目指して、水面を切り裂くように進んで行った。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
麦わら帽子を被った魔術師が、口笛を吹きながら岩場で釣り糸を垂れていた。
釣果はたいしたことはなかったが、初夏の日差しと海風がたいそう心地よく、魔術師はすこぶるご機嫌だった。
少し離れた場所にある草むらでは、デュピィが気持ちよさそうに全身を伸ばし、風に吹かれて寝転がっていた。
「お、師匠様ぁ、今……、戻りましたぁ……」
スカートやマントの裾から水滴を垂らしながら、リュディが岩場を歩いてきた。ゆっくりと縮んでいくイクチィから離れるのが少し遅れたばかりに、服の裾を濡らしてしまったのだ。
小型化したイクチィは、首から下げた広口瓶におさめられ、瓶の海水の中でたゆたっていた。
「ずるいですよぉ、お師匠様……。わたしに、『古今無双の魔術師の力というものを見せてやる!』って、大見得きったくせに……、こ、こんなところで、釣りなんかしちゃって……。全然、手伝ってくれないじゃないですかぁ……」
前髪を引っ張りながら、口をとがらせて文句を言うリュディに、魔術師は、悪びれた様子もなく、晴れやかに笑いながら答えた。
「あははは……、すまん、すまん! そのつもりで出かけてきたんだがな、何しろこの天気だろ? おまえとイクチィで何とかなりそうな仕事だったし、俺は久しぶりの海を楽しませてもらった。まあ、これからぼちぼち働くようにするから、長い目で見てくれよ」
「お師匠様ぁ……」
「そうだ! 大物はかからなかったが、小魚はいっぱい釣れたぞ! 見ろ!」
海に下ろした籠の中には、言葉どおり確かにたくさんの小魚が入っていた。
しかし、「そのつもりで出かけてきた」は嘘だ――とリュディは思った。
仕事をするつもりなら、麦わら帽子や籠や釣り竿は持って来ないだろう。
釣り竿をまとめ、籠を持って立ち上がった魔術師に、デュピィが駆け寄った。
空いた手でデュピィを抱えた魔術師が言う。
「リュディ、おまえもこっちへ来て俺につかまれ! 早く家に帰って、編み物の続きをやりたいんだろう? 空間転移で、一瞬で連れて帰ってやるから!」
リュディは、これ以上愚痴るのはやめて、素直に魔術師の申し出に従った。
早く家に帰って、編み物をやりたい一心で、今日の仕事を大急ぎで片づけてきたのだ。
(もう、お師匠様ったら、どうして、わたしが考えていることがわかるの?!)
デュピィを抱えた腕に、リュディがそっと手を載せると、魔術師は満足げな顔で、麦わら帽子のブリムに向かって、フッと息を吹き掛けた。
魔術師が、小さな声で呪文をつぶやくと、二人と一匹を白い光が包み、一瞬のうちにそこから運び去った。
―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ――
ここは人里離れた、バルバストーレの黒き魔の森。
木立に隠れひっそりと建つ三階建ての石造りの家こそ、希代の魔術師デュプレソワールの館だ。
玄関扉の前に、もわっと湧き上がった光の塊が、二人と一匹を吐き出した。
「さぁ、着いた! もう目を開けてもいいぞ、リュディ!」
魔術師が声をかけても、リュディはしばらく目を開けなかった。
森に飛び交う小鳥の声、前庭の植え込みのラベンダーの香り――、目を閉じていても、自分の居場所に帰ってきたという実感があった。
しっとりと濡れた温かなものが頬に触れ、驚いて目を開けると、デュピィが嬉しそうに頬をなめていた。リュディも思わず微笑み返した。
リュディは、家に入る前に身綺麗にしようと、自分の服に目をやった。
海の盗掘者たちからかけられた、「葬式帰り」という言葉が思い出された。それは確かに言い得て妙だった。
嵐の中や洞窟内では、全く気にならなかったが、こうして明るい日差しの中で見る黒ずくめの服装は、どこか仮装めいていて珍妙ですらあった。
「どうした? 早く入れ!」
扉を開けて中に入ろうとしていた魔術師とその足下に絡みついているデュピィが、心配そうにリュディを見ていた。
「ああ、そうか!」と言いながら魔術師が指を弾いて、リュディの服の汚れや臭いをきれいに浄化したが、リュディの心は晴れなかった。
(魔女を名乗るときは、いつも黒ずくめでいなきゃいけないのかしら?)
リュディは、小さなため息をつくと、魔術師への礼を言い忘れていたことに気づいて、彼を追いかけるように慌てて家に入った。
イクチィを地下の魔獣部屋の水槽に移し、ようやく自分の部屋に戻ったリュディが、帽子やマントを片づけていると、魔術師が大きな声で彼女を呼んだ。
前髪を整えて髪を束ね直し、リュディは急いで書斎へ向かった。
「リュディ! シャミナードからおまえ宛に何か来ているぞ。開けて見ろ!」
魔術師から手渡されたのは、魔力・魔術師管理庁との連絡に使われている銀色の筒だった。
どこがどうでリュディ宛てなのかは、さっぱりわからなかったが、リュディは黙って受け取り筒を開けてみた。
中から出てきたのは、ビロード貼りの小さな箱と二つ折りの手紙だった。
先に手紙を広げ、シャミナードからの伝言に目を通した。
―― 黒い服に良く映える、いい物を見つけたのでプレゼントします
贈り物だとわかり、リュディは、少しわくわくしながら箱の蓋を開けた。
「うわあぁっ!!」
リュディは喜びのあまり、思わず大きな声を上げてしまった。
箱の中に入っていたのは、一組のラリマーの耳飾りだった。
リュディの歓声に興味をそそられた魔術師が隣にやって来て、箱の中を覗き込んだ。中身を見て、魔術師も大きく目を見開いた。
(ああ……、あのときのと、同じデザインの耳飾りだわ……。シャミナード様ったら、よく見ていてくれたのね……)
魔術師が、シャミナードに見せるのだと言って、魔術を用いてリュディを貴婦人に変身させたことがあったのだが、そのときにつけていたのが、これと同じデザインのラリマーの耳飾りだったのだ。
リュディは、魔術師の視線を気にしながら、早速耳につけてみた。
ひんやりとした金属の感触が、心持ち火照った耳に心地よかった。
暖炉の上の鏡を見れば、ラリマーの耳飾りは、黒いワンピースに確かによく映えていた。葬式帰りと言われた黒い服に、品の良さや爽やかさを加えてくれた。
鏡越しに見える魔術師は、そんなリュディを見つめながら、意外にも額に右手を当てて、「参ったな」という顔をしていた。
冷やかしたり茶化したりする様子がないので、リュディはちょっと意外に思った。
(こういうときに、何にも意地悪を言ってこないなんて、お師匠様らしくないわね……変なの……)
ラリマーの耳飾りが、魔術師の心にどんな影響をもたらしたのか気にはなったが、とにかく、シャミナードからの贈り物が嬉しくてたまらなかったリュディは、耳飾りを揺らしながら、いそいそと自室に戻ったのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
(後篇)も、この後投稿します。続けてお読みいただければ幸いです。