幕前その二 目覚め
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幕前話です。おばば様の家が舞台です。
最初から最後までシリアスです。
「もう、大丈夫です……。とりあえずリュディの魔力を一時的に封じました……。ご老人も助かったようだから、これで落ち着いてくれると思いますが……」
寝室から出てきたシャミナードが、台所のテーブルで、頭を抱えて座り込んでいるボルグヒルドに静かに告げた。
そのままの姿勢でボルグヒルドは何度かうなずいたが、すっかり憔悴しきっていた。シャミナードの顔にも疲労の色が滲んでいた。
寝室には二つのベッドがあり、一つではリュディが、もう一つでは村の老人オラースが静かに眠っている。
オラースは、頭に傷を負っていたが、リュディの施した強力な癒やしが効いて、ちょっと見ただけではわからないほどに傷は治癒していた。
「峠道の木が、何本か倒れて燻っていました。リュディが、雷でも落としたのでしょうか? いったい、何があったのです?」
シャミナードの問いかけに、ボルグヒルドはすぐには答えず、机に手をつきよろよろと立ち上がった。
そして、足を引きずるようにして、ゆっくりと竈へ向かうと、鎮静効果のある薬草茶を二人分、カップに入れて運んで来た。
カップの一つをシャミナードに差し出し、辛そうにため息をついて再び椅子に腰かけると、ようやく彼女は語り始めた。
「今日は、ブロンデルの町に大きな市が立つ日だったんだよ。オラースは、子牛を売りに市へ行ったのさ。朝、うちの前を通りかかったんで、庭の薬草に水やりをしていたリュディが挨拶したら、『高く売れたら、土産を買ってきてやるよ』とか言って笑っていたよ」
「子牛を売った帰り道で、強盗に襲われたってことですか?」
「犯人は、市でオラースに目を付けて、後を追ってきたんだろうさ。やせた爺さん一人、脅かせば有り金全部差し出すだろうと思ったのだろうが、予想外の抵抗にあって、その辺に転がっていた石でオラースの頭を――、ってことだろうよ……」
「リュディは、オラースが襲われるところを見たのですか?」
「いや、オラースの帰りが遅いので、心配して峠道まで一人で迎えに行ったんだ。そこで、倒れている爺さんを見つけたんだろうね。自分で背負うことはできなくて、魔術でここまで運んで来た――」
直感的にオラースの身に起きたことを悟ったリュディは、オラースに救命措置を施し命を取り留めたことを確かめると、すぐにも犯人の後を追いかけて空を飛んでいこうとした。
危険を感じたボルグヒルドが、リュディの暴走を止めるため、必死になって諭し魔力を閉じ込めようとした。
しかし、怒りに燃えるリュディが発する力は強烈だった。
この家にいながら、犯人を逃すまいと、峠道の木々に雷を落として倒し、ブロンデルの町近くの川を増水させてしまったほどだ。
異常な魔力の発動を察知し、シャミナードがこの家に駆けつけたときには、リュディは瞳に暗い光を湛え、わき上がる怒りによって増幅された魔力を、すでに自分では制御したくてもできない状況に陥っていた。
頭では、ボルグヒルドの説得を理解し、魔力を押さえようとしていたのだが、体は勝手に動き、膨れあがった魔力を放出しようとしていた。
放っておけば、この家はもちろん、犯人が舞い戻ったと思われるブロンデルの町を吹き飛ばしかねない勢いだった。
「封術師」でもあるシャミナードが、リュディの魔力を中和し、彼女を宥め、怒りを静めて、やっと落ち着かせたのだった。
シャミナードは、残っていた薬草茶を一気に飲み干すと、座り直して姿勢をあらためた。そして、魔力・魔術師管理官である自分が、どうしても確かめておかねばならないことを口にした。
「その……、リュディは……、オラースに対して、いわゆる『招魂の術』を行使してしまったのでしょうか?」
「馬鹿をお言いでないよ! オラースは、息をしてはいなかったが、死んではいなかった……、まだ、魂が抜けたわけじゃなかったよ! あれは、癒やしだよ! 『蘇生の術』の範疇だ。断じて、違法じゃないよ!」
魔力や魔術が認められたこの世界でも、肉体を離れた魂を呼び戻し、死者を蘇らせることは禁忌とされている。管理法においても厳しく禁じられており、「招魂の術」を行使した魔女や魔術師は厳罰に処せられる。
だからこそボルグヒルドは、必死でリュディの行為を擁護した。
「わかりました。リュディはまだ十二歳ですから、管理庁に呼ばれて審問を受けることはないと思います。ですが、この機会に違法な魔術について、管理庁から直接指導を受けるように言われる可能性はあります。承知しておいてください」
「わたしの教育が甘いってことかい? 見くびられたものだね」
「そういうことではありません。あの子を導けるのは、あなたをおいていないと誰もが思っていますよ。ただ、そろそろあの子も社会を知るべきでしょう。この世界には法があり、法を守れぬ者は法によって罰せられるということを――ね」
シャミナードは、ボルグヒルドの気持ちをわかっているつもりだった。
その昔、魔女や魔術師は、魔力を持たぬ人々から恐れられ忌み嫌われていた。
だから、彼等は、人里離れた場所での孤独な暮らしを選び、その存在を人々に知られぬようにひっそりと生きていた。
人間社会ばかりか、お互いも距離をとり、個々に隠遁生活を送っていたわけだが、そのぶん自由でもあった。
あの戦争の後、社会の仕組みが変わり、魔女や魔術師も国の一員として認められ立場は保証されたが、同時に国から管理されることになった。
自由に暮らしていた時代を知っているボルグヒルドは、今の生活を受け入れつつも不満を感じているのだ。
シャミナードを疑っているわけではないが、魔力・魔術師管理庁をどこか胡散臭く思ってもいる。
「好きにするがいいさ。他の連中はさておき、あんたのことだけは信じている。決して、リュディに悪いようにはしないだろうってね。何と言っても、あんたはあの子の父親代わりなんだから」
「あなたからそう言っていただけて嬉しいです。どのような判断が下されたとしても、わたしは、リュディを傷つけたり悲しませたりするような行為には断固抵抗します。あなたの信頼を裏切ることはありません。心配はいりませんよ」
シャミナードは、オラースの家族を呼んでくると言って家を出た。
村の自警団にも立ち寄って、犯人捜索のための手も打つつもりだ。
ボルグヒルドは一人になると、寝室に入りリュディの枕元に近づいた。
寝顔は安らかだったが、汗ばんだ額に前髪が貼り付いていた。
そっと前髪を浮かし、手巾で額の汗を抑えてやった。
こうして見ると、まだまだ子どもだと思っていたリュディの小さな体が、全体的に少し丸みを帯びて、唇や頬の辺りもふっくらと艶めいてきていることがわかった。
「気づかなくてごめんよ。いつのまにか、おまえも大人になりかけていたんだね……」
リュディは、底知れない魔力の持ち主だ。
もしかすると、その容量は、あの伝説の魔術師に匹敵するかもしれない。
幼い頃から、その片鱗をのぞかせることはあった。
だからこそ、ボルグヒルドは、魔力の使い方や魔女のあり方を丁寧に教えてきた。何があろうと、この世界を魔力で破壊するような暴挙に出ることがないように――。
「もう、わたしの力だけじゃ、おまえを押さえることは難しいようだ。シャミナードが言うように、世の中のことを知って、おまえ自身が、考え判断して魔力を使いこなせるようになるべき時なのだろうね」
これからしばらくは、体の成長に心の成長が追いつかず、リュディはいろいろと悩みを抱えることだろう。
ボルグヒルドとしては、彼女を手放すのは淋しいが、管理庁の習練所で同じような若い魔女や魔術師と一緒に学ぶのもいいかもしれないと考えていた。
昔のように魔女や魔術師が、孤独な暮らしをする必要はないのだ。習練所で競い合い助け合って、他の魔女や魔術師と交流を深めていくことも大切だ。
「今夜はゆっくりお休み。この先のことは、シャミナードの報告を待って、きちんと考えてやるからね……」
ボルグヒルドは、マジックライトの明るさを調節し寝室を出た。
台所で膏薬作りをしながら待っていると、しばらくして、荷車を引いたオラースの家族を連れてシャミナードが戻って来た。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
三日後、すっかり回復したオラースが、ボルグヒルドを訪ねてきた。
シャミナードは、オラースの家族に、ボルグヒルドとリュディの二人が、森で倒れていたオラースを助けて家に運んだと伝えていた。
ボルグヒルドが魔女であることは、村の人々に知られているが、子どもであるリュディは、見習いか下働きの娘ぐらいに思われている。
幼いリュディの身の安全のためにも、そう思わせておこうと、ボルグヒルドとシャミナードは考えていた。
「ありがとうよ、ボルグヒルドさん。金は戻って来ないかもしれないが、犯人も捕まったそうだし、俺も元気になったからね、このぐらいで済んで良かったと思っているよ。みんな、あんたのおかげだよ」
オラースは、ボルグヒルドが渡した体力回復に効果のある薬草茶を、一口飲むとしみじみ言った。
オラースは、強盗に石で殴られたところまでは覚えていたが、その後起きたことは、家で意識を取り戻したのち、家族から教えられて知ったのだった。
彼を助けたのが、本当はリュディであるということは、家族にも伏せてあるので、オラースはもちろん知らない。
ボルグヒルドは、苦笑いを浮かべながら、黙ってオラースの話を聞いていた。
「おばば様―っ! アルジャンの世話は終わりました。裏山に山菜摘みに行ってきますね!」
裏口から、リュディの元気な声が響いてきた。
アルジャンというのは、裏庭にある騎獣小屋で飼っている翼竜の名前だ。
籠を取りに台所に入ってきたリュディは、初めてオラースだ来ていることに気づいた。一瞬、驚いた顔をしたが、すぐにいつもの屈託の無い笑顔になり、オラースに近づいた。
「オラースさん、怪我の具合はどうですか?」
「リュディにも心配をかけたね。ボルグヒルドさんの膏薬が効いて、すっかり良くなったよ。今日から、畑仕事も始めたんだ」
「良かった……」
リュディは、溢れそうになった涙を、さりげなく服の袖で拭いた。
そして、壁に掛けてあった籠を急いで手に取ると、二人に「行ってきます」と言って、裏口から出かけていった。
オラースは、彼女が出ていった裏口を見つめたまま、呟くようにぼそりと言った。
「ボルグヒルドさん……、もしかすると、俺の命を救ってくれたのは、リュディなんじゃないのかい? 殴られて倒れたとき、一瞬目の前が真っ暗になって、何が何だかわからなくなった。だけど、しばらくして、リュディが『行かないで! 戻って来て!』って叫ぶ声が、暗闇から聞こえてきたんだ。気のせいかもしれないが、その声で俺はこの世にとどまれたように思うんだよ……」
ボルグヒルドは、カップに湯をつぎ足しながら、優しくいたわるように言った。
「さあ、どうなんだろうね? 二人であんたを見つけたとき、真っ先に駆けつけたのは確かにリュディだったよ。ここに運び込んでからも、とても心配していたからね。その気持ちが、あんたにも伝わったってところかね……」
「そう、なのかい? まあいい……。余計なことを口にして、大事な我が村の魔女殿のご機嫌を損ねちゃいかんからな。そういうことにしておこう。ふふふふ……」
「わたしのことを持ち上げたって、いつもと同じ膏薬しか渡さないよ! 怪我ってのは、最後は自分の力で直すものなんだからね。無理せず養生おしよ!」
「はいはい、承知いたしましたよ、偉大なる魔女殿、ふふふふ……」
ボルグヒルドは、いつもの膏薬と薬草茶を布袋に入れて、オラースに渡した。
オラースが差しだした硬貨を断り、もし盗まれた金が戻って来ることがあったら、礼金はそのときでいいと言った。
年に似合わぬ早足で、すたすたと村へ向かって歩いて行くオラースの後ろ姿を、ボルグヒルドは庭先で、ずっと見つめていた。
ここに来て、四十年。彼女は、村人とほどよい距離をとりながら、自分にできる手助けをし、細く長く人々と付き合ってきた。頼られすぎないように、しかし、求められれば力になれるように、気をつかいながら村の人々を支えてきた。
住む場所を変えたとしても、これからも、自分はそんな生き方を続けていくつもりでいる。
リュディに、そんな生き方は許されるだろうか?
魔力・魔術師管理庁は、あれほどの魔力持ちを放っておくだろうか?
戦争から時がたち、ジ・アイ神の導きのもとで、この世界は秩序を取り戻した。
しかし、平和の陰で、近頃は勢力拡大の野心を抱く者や過去の権威の復活を目論む者などが現れ、再び世界を混乱させる動きが芽生えつつある。
(いずれは、魔女や魔術師を取り込み、おのれの暗い願望を実現しようとする者も出てくるだろうさ。そのときは、必ずリュディの力が必要になる――。だからこそ、わたしたちは、あの子の育て方を間違えるわけにはいかないんだよ!)
空はくっきりと晴れていた。
ボルグヒルドは、腰を伸ばし大きく伸びをした。
庭の野菜畑で、いい具合に膨らんださやを見つけ、豆を一つかみほど摘み取る。
今日の昼餉のスープに入れてやれば、豆が好きなリュディは喜ぶだろう。
残された時間は、あまりないのかもしれない。
しかし、ボルグヒルドは、リュディの育ての親として、その少ない時間を、できる限り幸せな思い出で満たしてやりたいと心から思うのだった。
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その後まもなくして、ボルグヒルドのもとに、魔力・魔術師管理庁から文書が届いた。
リュディがオラースに施した魔術は、「癒やしの術」として正式に認定され、管理庁で審問を受ける必要はなくなったということが記されていた。
その代わり、リュディを特別聴講生として、定期的に管理庁の魔術師習練所に通わせるようにという指示があった。入所許可証も同封されていた。
神霊共和国の首府にある魔力・魔術師管理庁の魔術師訓練機関である魔術師習練所。そこでのリュディの新たな出会いと成長は、また別の機会に――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次話は、また本編に戻ります。
デュプレソワールが、ようやく動き出します。