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第四話 乙女座生まれは、ペットのしつけが上手なのです。

 閲覧ありがとうございます。

 少し長めです。

 前話に続いて、ポペが登場する話です。

 「盗掘者ども! おまえたちが封印を解いた、いにしえの火竜が遂に目覚めたぞ! 黒焦げにされる前に、一刻も早くここから立ち去れ!」


 暗く冷たい声が、洞窟内に反響した。松明に照らされ洞窟奥の石の扉に映った影は、鎌を手にした死神にしか見えず、盗掘者たちは震え上がった。


 しかし、目をこらしてよく見れば、影の正体は黒ずくめの小さな女で、魔女独特の深いクラウンと大きなブリムを持つ黒い帽子エナンを目元まで下げて被っていた。女が手にした杖の緋色の宝玉が、彼女が何者であるかを示していた。


「けっ! 出やがったな、蛇蝎の魔女! 何だぁ、やけにちんまりした女じゃねぇか! おまえの口車なんぞに乗るもんか! とっとと、どきやがれ!」

「愚か者めが! 洞窟内の温度が上がっているのがわからないのか! この石の扉の奥で火竜が暴れているのだぞ!」

「うるせぇ!! わかってんだよ! その石の扉の向こうに伝説の黄金の棺があるんだろ? 火竜ってのは、それを守ってんだよな? 俺たちが狙っているのは、その棺なんだよ! 火竜なんぞ恐れてちゃ、お宝は手に入んねぇや! とっととどきやがれ!」  

「うぬら、そんなに火竜に焼かれたいのか?!」

「やかましいやい! みんな、このうるせぇ女を始末して、先へ進むぜ!」

「おおーっ!!」


 スコップや鶴嘴を振り上げ、盗掘者たちは、一斉に女に駆け寄った。

 洞窟内に溢れる熱気が、彼らを異常に興奮させていた。

 しかし、女が、杖で地面を一突きすると、大きな揺れが起こり、盗掘者たちは全員その場でひっくり返った。


 女は、小さなため息をつくと、首から下げた布袋から小瓶を取り出し、蓋を取った。小瓶の口に這い上ってきた、小さな甲虫むしに女は優しく囁いた。


「カメリータや、ふわっふわのもっこもこで、全員くるんであげちゃいなさい!」


 その言葉が甲虫に伝わったのかはわからないが、甲虫はあっという間に巨大化し、粘着質の細かい泡を勢いよく吐き出した。

 倒れていた盗掘者たちは、虹色の不気味な泡から逃げようともがいたが、次々と泡に飲み込まれ、たちまち大きな泡の塊が三つほどできあがった。

 甲虫は、二本足で立ち上がると、その泡の塊を一つ一つ押して転がしながら、洞窟の入り口へと運んでいった。


 それを見た、女――冷酷無比な蛇蝎の魔女こと、リュディは、ますます熱さを増してきた石の扉の奥に向かって叫んだ。


「ポペさーん! 火竜の方をお願いしまーす! 盗掘者たちは、カメリータに焦げない場所まで運ばせて、転がしておきますからぁ!」

「わかったよーっ、リュディちゃーん! こっちは、オレに任せてくれー!」


 扉の奥から聞こえてきた返事に満足すると、リュディは、甲虫を追いかけて洞窟の入り口に向かった。

 泡の塊は、入り口近くの広々とした空間に集められていた。甲虫は、ぷくぷくと泡を吐き出し続けながら、塊の表面を四本の足で愛おしそうに撫でて、丁寧に固めていた。


 盗掘者たちを包んだ泡には、微弱ながら痺れ薬のような働きがあり、泡に触れた人間の体を麻痺させる。この甲虫は、こうして自分の出す泡を使って、生き物を捕食する。放っておけば盗掘者たちが、甲虫の餌食になりかねないので、リュディは、甲虫の背中を杖でつつき元の大きさに戻した。

 甲虫は、小さな羽を動かして、小瓶の中へ自ら飛んで戻った。


「いい子ね! カメリータは」


 リュディが、しっかり蓋を閉めて小瓶を袋に戻していると、石の扉がメリメリと軋み、勢いよくはじけ飛んだ。

 そして、猛烈な熱気と共にポペと火竜が姿を現した。

 リュディは、ふわっふわのもっこもこと自分自身を火竜の火炎から守るため、念のため見えない障壁を魔力によって作り出した。


 火竜は、すでにポペの放つ香りに酔い、火炎を吐くのをやめ従属の意思を示しているようだ。しかし、魔獣の本能ゆえか、尾を打ち振るって最後の抵抗を試みていた。

 ポペの柔らかな前髪の先が少し焦げていた。今日の火竜は、魔獣ブリーダーをもってしても、手こずる相手だったようだ。ポペは、すすけた顔に、びっしょり汗をかいていた。


 やがて、彼は両手を擦り合わせ、そこに力一杯息を吹きかけた。

 その息が、火竜に届くと、さすがの火竜も抵抗を諦め、見る間に小型化した。

 巨大な魔獣も、とうとうポペの軍門に降ったのだった。


(わあぁぁ……、ポペさんの香り……、熱気のせいで濃厚になってるー!)


 見えない障壁を消した途端、ポペの魅惑的な香りがリュディを直撃した。

 リュディは、両手で杖を握りしめて、ポペに飛びつきたくなる衝動に耐えた。


 ポペは、肩から提げていた小さな金属製の檻に、子犬ぐらいの大きさになった火竜を閉じ込め、胸に抱えた。

 火竜は、炎を吐きたそうに口をパクパクさせていたが、すっかりポペに力を押さえ込まれてしまい、白い煙をパフパフとうっすら吐き出すのが精一杯だった。


 ポペは、泡にまみれた盗掘者たちを見ると、ふんふんとうなずいた。

 そして、リュディの方を向くと、ちょっと口をとがらせて言った。


「それにしても、結構危険な現場なのに、どうしてデュピィじゃなくて、リュディちゃんが来るのさ?」

「わたしの修業のため……だそうです。あと、お師匠様は……、その、こういう古い洞窟のような……汚くてかび臭い場所は無理なので……」

「ああ、わかるよ、それ。デュピィは、オレの香りにも敏感に反応するもんね。魔力が強いせいもあるけれど、ありゃぁ、前世は犬だったんだろうな!」


 同感です――と、リュディは心の中でつぶやき、大きくうなずいた。

 その様子を面白そうに眺めていたポペが、少し真顔になって言った。


「たまにはさ、あいつにきちんとおねだりした方がいいよ」

「お師匠様に、おねだりですか?」

「いくら、衣食住があいつ持ちだからって、遠慮することはないんだよ。きみは、十分に働いて稼いでいるんだからさ! リュディちゃんは、何か欲しいものはないのかい?」

「欲しいもの……ねぇ……」

「例えばさ、自分専用の魔獣とか、どうだい?」

「うぅーん……」


 リュディは、商売上手なポペに、うまいこと魔獣を売りつけられそうになっていると思ったが、「自分専用の魔獣」という言葉は、修業中の身である彼女にとって、なかなか魅力的だった。

 自分の部屋で一緒に寝起きし、声をかけたり触れあったりできる魔獣――。


(できれば、長い体毛を櫛で梳いたり、ふさふさの尾を撫でたりできるようながいいなあ!)


 リュディの気持ちを見抜いたように、ポペが怪しい笑みを浮かべて言った。


「可愛いやつがいるんだよぉ! リュディちゃんにぴったりだと思うな。写し絵を渡しとくね。ちょっと考えてみてよ。きみから返事がもらえるまで、誰にも譲らずに取っておくからね!」


 ポペは、小さな封筒のようなものを、上着のポケットから取り出し、リュディに渡した。

 リュディは、それを首から下げた袋に入れた。

 

「んじゃ、リュディちゃん、またね! デュピィによろしく!」

「ポペさんも、お元気で! また遊びに来てくださいね!」


 洞窟から出ると、ポペは、岩陰に隠しておいた自分の鞄から小箱を取り出し、

 小さなトカゲをつまみ出した。いつものように、それをポイッと空に投げ上げ、黒い飛竜に変えると、それに飛び乗った。

 リュディに手を振りながら、ポペは飛竜の腹を蹴り、空の高みを目指し飛び立った。今日は、このまま自宅へ帰るのだ。


 それを見送ったリュディは、杖で地面に魔法陣を描き、その上に、盗掘者たちが破壊した、洞窟を封印する魔石の欠片を集めた。

 杖の先端で魔法陣を突き、呪文を唱えると、欠片は一つにまとまり、元の姿を取り戻した。


「後は、『魔力・魔術師管理庁』に任せればいいわね。中にいる愚か者さんたちを捕まえるついでに、ここも封印し直してくれることでしょ! まあ、火竜の代わりを見つける必要はありそうね」


 誰に言うでもなく呟くと、リュディは山あいから吹き上げてくる風に乗り、魔術師が待つ我が家に向かって飛び立っていった。


 ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ――

 

 ここは人里離れた、バルバストーレの黒き魔の森。

 木立に隠れひっそりと建つ三階建ての石造りの家こそ、希代の魔術師デュプレソワールの館だ。

 リュディは、扉の前に立つと、小さな声で魔術師に帰還を告げた。


「お、師匠様ぁ、今……、戻りましたぁ……」


 リュディは、前髪をしっかり下げ、帽子を深く被って、深呼吸を一つした。


 音もなく扉が開き、魔術師が顔をのぞかせた。

 そして、手巾で鼻を強く押さえたまま、変な声でリュディに問いかけた。

 

「でゅ、リュディ、……お、おバえ、今日は、ど、どうしシャったんだよ?」

「へっ?」


 遠い昔に火竜を封じた洞窟で動き回ったせいで、さっきまでリュディの顔は粉塵で真っ黒だったし、体は異常にかび臭かった。

 しかし、今日こそは、口やかましい魔術師から文句を言われないように、ここに戻って来る前に、魔術でできる限り浄化してきたのだ。

 もちろん、この後、予定しているおねだりを上手いこと成功させるためだ。


「初めてだよな? 言われる前に身綺麗にして帰ってきたのって?」

「そうでしたっけ?」


 リュディは、魔術師の気が変わらないうちに、そそくさと家に入り、螺旋階段を降りて魔獣部屋へ向かった。

 カメリータを小瓶から取り出すと、大きなガラス瓶に網の蓋を付けた飼育瓶へ移した。魔獣用のジェリーを与え、今日の活躍をねぎらった。


「さてと――」


 他の魔獣たちへの餌やりを済ませ魔獣部屋を出ると、リュディは、ポペから預かったものを袋から取り出した。

 封筒の中身は、二つ折りにした小さな板だった。

 そっと開くと、板の上に愛らしい子犬が浮かび上がった。子犬は、半透明に透けていて、リュディの方を向くと甘えるように「クウン」と鳴いた。


(可愛い! かわいい! カワイイ! 絶対欲しい! 絶対飼いたい!!)


 子犬の動く写し絵に夢中だったリュディは、いつの間にか背後に魔術師が近づいていたことに気づかなかった。


「ほうっ! 3スリーディーじゃないか!」

「ひゅぇっ!」


 リュディの横で魔術師が、興味深そうに動く写し絵を覗き込んでいた。


「な、何ですか?! す、『掏摸すりでいい』って?! どういう意味ですか?」

「あーん? まあ、あっちの方の世界では、そう言うんだが……。ポペから渡されたんだろう? こいつは、こっちで作った物みたいだから、一種の魔道具なんだろうな。それにしても、よくできてるなあ!」


 魔術師が、触れようと手を伸ばすと、子犬は目元にしわを寄せ、歯をむき出して、意外に低い声で「グルルゥ!」と唸った。


「うへっ! 生意気な奴! チビ犬のくせに!」


 魔術師と子犬は、しばらく睨み合っていたが、どんどん険悪な雰囲気になっていきそうだったので、リュディはパタンと板を閉じた。

 何か言いたそうな顔をしている魔術師をそこに残し、リュディは幾分がっかりした気分で自室に戻った。


 ベッドの上にひっくり返り、リュディは今の情景を思い浮かべながら独り言ちた。


「失敗したわ! まだ、ご褒美の交渉もしないうちに、魔獣を見せるんじゃなかった! お師匠様とあの魔獣は完全に相性が悪そうだもの、絶対に許してもらえないわよね……。でも、欲しい……どうしよう……」

 

 結局、リュディは、帽子やマントを放り出しただけで、着替えもせずに朝までぐっすり眠ってしまった。

 魔術師が、夜中にそっと様子を見に来たことにも、もちろん気づかなかった。


 翌朝、リュディは、華やかな紅茶の香りで目を覚ました。


 ベッド横の小さなテーブルの上には、リュディが編んだティーコージーを着せられた小さなポットと揃いの柄のカップと皿が、すました雰囲気で寄り添うようにして載っていた。

 そして、とっておきのマーマレードをたっぷり添えたスコーンが二つ、ティーセットと同じ柄の皿の上に置かれて、ポットの後ろに控えていた。


 リュディは、ポットを押し包むようにして手に取った。


(いい香り! オレンジブロッサムティーね!)


 魔術師は、「朝はブレックファーストティーに決まってるだろ!」が口癖だが、今朝は、リュディが一番好きな茶葉を選んで淹れてくれたらしい。

 カップに注いだ茶を口に含むと、オレンジの花の甘い香りが、ゆっくりと鼻へ抜けていった。

 スコーンは、ほんのり温められていて、口の中で優しくほどけた。


 朝食の片付けを終え、リュディが書斎をのぞくと、魔術師が手紙を読んでいた。

 大きな作業机の上にある銀色の筒は魔道具で、シャミナードからの連絡に使われているものだ。

 リュディは、前髪をしっかり下げ、魔術師に朝の挨拶をした。


「お、おはよう、ございます……、お、お師匠様……。」

「おう、リュディ! 元気出たみたいだな?」

「は、はぃ……、あ、あのう、ち、朝食を……、あ、ありがとうございました……」

「ふん! 俺は手伝っただけだよ。俺が、『夕食を食べずに寝たから、リュディは腹をすかしているだろうな』とつぶやいたら、あいつらがガチャガチャ音をたてながらすっ飛んできて、カタカタカタカタうるさく騒ぎ立てたんだ。しかたがないから、ポットに茶葉を淹れてから蓋を弾いて、スコーンの皿の縁を撫でて、マーマレードを載せた。それから、おまえの部屋の扉を開けてやった。俺がやったのは、それだけ――。ああ見えて、あいつらもいちおう魔道具だからな」

 

 本当だろうか――。リュディは怪しんだ。彼女が洗ったり拭いたりしたときは、ポットもカップや皿も、そんな様子はみじんも見せなかった。

 また、魔術師にからかわれているのかもしれなかった。


 魔術師は、リュディの抱いた疑念になど全く気づかぬ様子で、手にしていた手紙をたたむと言った。


「シャミナードの奴、昨日の報酬を届けに、今日、訪ねてくるそうだ。届け物があるとも書いてあったが……、あれ? まさかリュディ、今日っておまえの誕生日とか? じゃないよなあ……」

「わ、わたしは……、9月18日生まれの、お……おとめ座です。た、誕生花はコスモス……です……」

「ふーん。そうだよなぁ……」

 

 それきり魔術師は黙ってしまい、自分用に淹れたブレックファーストティーを静かに味わっていた。


 結局リュディは、魔獣の件を魔術師に切り出しそびれてしまった。

 しかし、シャミナードが来るのなら、そのときが、おねだりのチャンスかもしれない。彼は、リュディの言い分を聞いて、きっと味方してくれることだろう。

 リュディは、そわそわしながら、シャミナードの到着を待った。


 昼過ぎに、ようやくシャミナードがやって来た。

 彼の届け物というのは、リュディにとっても魔術師にとっても、予想外のものだった。受け止め方は、全く真逆だったが――。


「なんだよ?! このワンコロは! こんなものは頼んでないぞ!」

「うわあぁ……! ポペさんの魔獣ですよね? これ、いただけるんですかぁ?」


 二人の反応の違いに苦笑しながら、シャミナードは、ことの経緯を説明した。


「夕べ遅く、ポペヤンパロが管理庁を訪ねてきて、こいつをリュディに届けるようにと言って置いていったんだ。代金は、今回の報酬から回してくれとのことだった。リュディは、気に入ったようだが、デュプレソワールがうんと言わないかもしれないから、後押ししてやってくれと頼まれたよ」


 リュディは、檻から魔獣を取り出して抱え上げ、満面に笑みを浮かべ頬ずりした。魔獣も嬉しそうに、小さな舌でリュディの頬をなめた。

 その様子を面白くなさそうに見ていた魔術師は、大きなため息を一つつくと、シャミナードに言った。


「ポペの奴、動く写し絵の魔道具越しに、こっちの様子を探っていたんだな! まったく……、商売上手な男さ!」

「で、どうする?」 

「どうもこうも、こんなにお互い気に入っているものを、引き離すなんて不人情なことができるかよ! それに、リュディは魔獣の世話が上手だからな。自分でしつけて、意のままに使えるように育ててみるのもいいと思う」

「そういうことだな! それでこそ、お師匠様だ!」


 茶化したような言い方をしたシャミナードを軽く睨んでから、魔術師は紅茶缶が並ぶ棚の前に行った。

 少し考えた後で手にしたのは、スパイスインペリアルティーの缶だった。今日は、この癖のある香りの茶で、シャミナードをもてなしたい気分になったのだった。


 リュディが用意した砂糖漬け杏のチョコレートがけは、今日の紅茶にぴったり合い、魔術師の意に反し、シャミナードは美味しそうに紅茶を飲み干し、おかわりまでした。

 茶の時間が終わると彼は、報酬が入った布袋を魔術師に渡し、「じゃあ、また」と言って席を立った。

 リュディは、あらためて礼を言い、シャミナードがポペに届けてくれるというので、動く写し絵の板を彼に渡した。


 彼を見送るために、リュディは魔獣を抱いて外に出た。

 扉を閉めたところで、先を歩いていたシャミナードが突然足を止め、リュディを手招きした。何か言い残したことがあったようだ。


「何ですか?」

「ふふふ……、その魔獣なんだが、もう名前は考えてあるのか?」

「え? 名前? ああ、そうですよね。呼名よばれなが必要ですよね」

「もし、まだ考えていないのだったら、わたしとポペヤンパロが思いついた名前があるのだが……」

「ど、どんな名前ですか?」


 シャミナードは、愉快そうに口元を緩めると、リュディの耳元でその名前を囁いた。

 名前を聞いて、リュディは一瞬驚いたが、腕に抱えた魔獣を改めて見直してみた。

 軽く波打つ体毛は、つややかな青灰色で、丸く大きな瞳は、澄んだ青藍色をしていた。それらは確かにそっくりで――。


「わ、わかりました! その名前にします!」


 森の途中までシャミナードを送った後、リュディはうきうきしながら家へ戻ってきた。前庭で魔獣を地面に下ろすと、早速その名前を呼んでみることにした。


「デュピィ! おいで!」


 ―― ガタン!


 家の中で、紅茶の最後の一口を楽しんでいた魔術師は、リュディから突然親しげに名前を呼ばれて、思わず椅子から立ち上がった。

 驚いて窓辺に駆け寄れば、リュディと魔獣が、楽しそうに前庭と森を行き来していた。

「デュピィ」「デュピィ」と、リュディが魔獣を呼ぶ声が、なぜか魔術師の耳に心地よく響いてきた。


 魔術師は、久しぶりに思い出していた。

 ずっと昔、彼のことを「デュピィ!」と呼ぶ人がたくさんいたことを――。

 大方の者は、あの戦争と共に時空の彼方へ消え去ってしまったことを――。


 ―― デュピィ! こっちよ! ほら、頑張って!

 ―― いいこね、デュピィ!

 ―― デュピィは、本当にお利口ね!

 ―― デュピィのこと、大好きよ!


 若葉が揺れ、ブルーベルが咲き乱れる、晩春のバルバストーレの黒き魔の森。

 若い魔女と小さな魔獣が、木漏れ日の中で戯れている。

 その様子を窓から眺めながら、魔術師は、老いかけた自分の心の中に、久しぶりに新しい力が湧き上がるのを感じた。

 

 魔術師は扉を開け、久しぶりに明るい日差しの下に出た。

 そして、大きく深呼吸をして、意を決すると、魔獣を抱え森から出てきたリュディに呼びかけた。


「デュピィ、デュピィと呼ばれて、そいつが褒められるのを聞いていたら、こっちも何かしなきゃいけない気分になるじゃないか! ……しかたない……次の仕事から、俺も一緒に行くぞ! 古今無双の魔術師の力というものを、おまえに見せてやる!」


 魔術師の復帰宣言を聞いたリュディは、抱えていた魔獣を思わず強く抱きしめた。

 そして、扉の前で偉そうに腕組みをして立っている魔術師の頭を、精一杯背伸びをして撫でてやりたくなった。実際は、怖くてできなかったが――。


(ポペさんもシャミナード様も、こうなることをわかっていたのかもしれないわね。お師匠様って、二人にとっては、気儘でほっとけないペットみたいなものらしいから……)


 リュディは、もぞもぞとむずかる魔獣を地面に下ろしてやった。

 すると、魔獣は、あんなに嫌っていた魔術師の足元へ、転がるように走って行き激しくじゃれついた。

 驚き慌てふためきながらも、魔獣を抱え上げた魔術師の柔らかな笑顔を、例えようのない幸福感を胸に、リュディはうっとりと見つめていた。



 ―― FIN ――


 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 次の投稿は、来週になると思います。ぼちぼち進みます。

 お付き合いいただければ幸いです。

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