第三話 乙女座生まれは、観察好きで分析好きなのです。
閲覧ありがとうございます。
本編の続きです。やや長めです。
「墓泥棒ども、墓荒らしはもう終わりだよ! そろそろ自分の墓穴でも掘りな!」
墓守を気絶させ縛り上げて、地下墳墓に入り込んだ墓泥棒たちは、その声に凍り付いた。
暗い地下通路の先で、燃えるように耀く宝玉をつけた杖を手に、小柄な女が仁王立ちしていた。
黒ずくめの女は、魔女独特の深いクラウンと大きなブリムを持つ黒い帽子を目元まで引き下げ、その表情を隠していた。
「出やがったな! 蛇蝎の魔女!」
「これ以上、死者の尊厳を傷つけるような真似はさせないよ!」
「魔女ふぜいが何を言いやがる! てめえこそ、さっさと自分の墓穴の準備をしやがれ!」
「魔女にゃ、墓はいらないんだよ! 死骸は残らないからね!」
「そりゃあ、都合がいいな! おまえを殺っちまっても、証拠は残らねえってことだ! ようし、みんなぁ、こいつを消しちまおうぜ!」
「おおーっ!!」
墓泥棒たちは、持っていた松明をその辺りに転がし、女の杖の宝玉を目標に、棍棒や剣を手にとり、一塊になって打ちかかっていった。
女は、服のポケットに左手を突っ込むと、何かを取り出して叫んだ。
「ゴロリン、ゴロッチ、ゴロピー、ゴロンゴ、丸まって転がって全員まとめて伸しておしまい!」
言うや否や、女は左手に握っていたものを、墓泥棒たちに投げつけた。
それは、豆のように見えたが、地上に落ちるや人の背丈以上の大きな玉となり、墓泥棒たちに向かって転がりだした。
墓泥棒たちが、棍棒や剣で殴りつけたり切りつけたりしても、玉には傷一つ付けることができなかった。玉は、鋼でできているかのように硬く重かった。
それらは、ただの玉ではなかった。生きており、はっきりとした意思を持っていた。墓泥棒たちを追い回し、ぶつかり、下敷きにし、壁に押しつけ、一人一人確実に仕留めていった。
本来なら、鎮魂の場であるはずの地下墳墓が、今や阿鼻叫喚の巷と化していた。
最後に残った墓泥棒の首領も、玉たちに壁際に追い詰められ、身動きできない状態になっていた。首領は、顔を引きつらせ、女に必死で命乞いを始めた。
「た、頼む……、どうか、い、命だけは……」
「子分どもをけしかけておきながら、今さら何をお言いだい?! 覚悟を決めな!」
「く、くっそう……、これでも食らえ! ……ぐえええぇぇぇー!!」
首領が、玉に押しつぶされながら、必死で投げつけたナイフを、女はこともなげに杖でたたき落とした。ナイフが地面にぶつかる金属音が、地下通路に空しくこだました。
女は、自分のもとに集まってきた玉を軽く撫でて、もとの大きさに戻した。
きちんと四つ揃ったことを確かめると、優しくポケットに戻しながら言った。
「みんな、ご苦労さま。おうちに帰ったら、綺麗に洗ってあげるからね。」
蛇蝎の魔女――リュディは、命を粗末にはしない。杖を一振りし、倒れている墓泥棒たちに、命を失わない程度に癒やしの術を施した。もうすぐ、役人たちがやって来て、きちんと後始末をするはずだ。
身を翻して、出口へ向かったリュディは、夜の闇に紛れて、どこへともなく消えていったのだった。
―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ――
ここは人里離れた、バルバストーレの黒き魔の森。
木立に隠れひっそりと建つ三階建ての石造りの家こそ、希代の魔術師デュプレソワールの館だ。
リュディは、扉の前に立つと、小さな声で魔術師に帰還を告げた。
「お、師匠様ぁ、今……、戻りましたぁ……」
音もなく扉が開き、魔術師が姿を――現さなかった! 扉は開いたが、誰もいない。リュディは、慌てて家の中へ駆け込んだ。もちろん、帽子を少し引き下げることは忘れない。
家の中は、なんだか酒臭かった。
玄関ホールと一続きになった書斎をのぞく。魔術師愛用の大きな作業机の上には、いつものように本が積まれて――いなかった!
代わりに、二人の男が机に突っ伏していた。そして、その原因と思われる酒瓶が、十本あまり机の上に転がっていた。
一人は、もちろん魔術師デュプレソワールである。
もう一人は、リュディが初めて見る男だった。
男の赤茶色で緩やかにウェーブがかかった髪は、ふわふわの感触を予感させ、リュディは、「もふもふしたい!」という衝動に必死で耐えた。
リュディは、状況をじっくりと観察し、二人の関係を、久しぶりに会ったので、昔話に花を咲かせたあげく、限界を超える量の酒を調子に乗って飲んでしまった酒好きの旧友どうし――といったところかな、と分析した。
納戸から掛け布を二枚持って来て、二人の背中に掛けてやった。
ひどい二日酔いにならないように、ちょっとだけ癒やしの術を施した。
転がっている酒瓶を一まとめにして、机の隅に片づけた。
それらを終えると、リュディは辺りをぐるっと見回し、ふんふんとうなずいた。そして、二人を起こさないように小さな声で囁いた。
「お休みなさいませ、お師匠様。それと……、お師匠様のお友だちさん……」
リュディが去ると、部屋の中は暗くなり、一つだけ残された燭台のマジックライトが、酔っぱらいたちを優しく照らした。
翌朝、窓から差す森の木漏れ日に起こされ、いつもと変わらぬリュディの一日が始まった。
ベッドから抜け出すと、夜着から朽葉色のワンピースに着替えた。汲み置きの水を瓶からたらいにすくい、顔を洗ったり口をすすいだりし、前髪もととのえた。
身綺麗にしたところで、前掛けをつけ、魔術師の書斎兼居間兼食堂である、大きな机のある部屋へ向かった。
「お師匠様、おはようございま……す……?」
誰もいなかった――。十本ほどの酒瓶は、昨日リュディが置いた場所にそのまま置かれていた。
掛け布は、二枚まとめて乱雑に丸められ、椅子の上に載せられていた。
(お師匠様ったら、夜中に目を覚まして、自分の部屋に行ったのかしら? でも、お友だちさんは? 客間の準備を、お師匠様がするとは思えないのだけれど……)
館の入り口の横にある螺旋階段を上がり、二階にある魔術師の私室を覗きに行くことにした。
階段を上がってすぐの所にある客間は、魔術で施錠されていた。
(やっぱりこの部屋は使っていないわ……。お友だちさんは、夜中に帰ってしまったのかな?)
リュディは、二階の最奥にある魔術師の部屋へ向かった。
扉の取っ手に手を掛ける。鍵はかかっていなくて、扉はすいっと開いた。
おそるおそる部屋に入ったリュディは、部屋の中央に設えられた、天蓋付きの大きなベッドを見た途端、「ひ、ひゃあぁっ!」と叫びかけた口を押さえ、くるりと向きをかえると部屋から飛び出した。
部屋の外へ出たところで、ドキドキする胸を押さえながら、今見た光景を慎重に分析することにした。
(お師匠様とお友だちさんが、一緒に寝てたわね……。お友だちさんは仰向け、お師匠様はお友だちさんの方を向いてた……。二人とも服は着てたわ。ちょっと、胸の辺りを寛げていたけどね……。それで、えっと……、お師匠様は、手を伸ばして……、お友だちさんの髪の毛を一房……指にからませて、ちょっともふってましたね……。それから……、二人とも幸せそうな寝顔でした……以上)
リュディは、地下に下り、魔獣部屋の魔獣たちに朝食を与えることにした。
先ほど見た光景を思い出して、ぼやっとしていたら、うっかり餌をやり過ぎてしまった。
なぜか、今朝の魔獣たちは、とてもご機嫌で、リュディにしつこく甘えてきた。
昨日大活躍したばかりのゴロゴロ虫たちまでが、カシャカシャと音を出しながら、リュディの手に登ろうとしてくるので、ちょっとびっくりした。
その後、一階の台所へ行き、朝食の支度に取りかかった。
薄切りにしたパンをあぶって温め、作り置きのジャムやペーストを用意する。
あとはお茶の準備が残っているのだが、茶葉の選択だけは、魔術師のこだわりを尊重し、リュディは手を出さないことにしている。
書斎の方から、話し声が聞こえてきた。どうやら、二人が起きてきたようだ。
「おうい、リュディ! 台所にいるんだろう? 早くこっちへ来―い!」
何だか、魔術師の声もいつもより張りがあって、浮かれている感じだ。
リュディは、盆に朝食を載せ、いつも以上に深くうつむきながら、魔術師たちが待つ、書斎の大きな机に静々と運んだ。
「おう、来たぞ来たぞ! リュディ、夕べは酔っ払っちまって出迎えてやれず、すまなかったな」
「は、はい……、いえ」
「紹介するよ。俺の古くからの友だち、ポペだ!」
「ポペだよ! よろしくね、リュディちゃん」
リュディは、恐る恐る顔を上げ、ポペと名乗った男を見た。
昨夜、机に突っ伏していた、そして、さっきまで魔術師のベッドに寝転がっていた、赤茶色のもふもふ髪のあの男だった。
「お師匠様の……弟子の……リュディと申します。よ、よろしくお願い……、いたします……」
ポペが手を差しだしてきたので、リュディは、急いで盆を机に置き、両手でその手をとった。しっとりと温かく、ふんわりとした触り心地の手だった。
心がときめく感覚があり、思わずぎゅっと掴んでしまった。そのまま、頬ずりしたい衝動に駆られたが、恥ずかしがり屋の自分が心の中で警笛を鳴らし、さすがにそこまではしなかった。
魔術師が、呵呵と笑ったので、リュディは慌てて手を離した。
「ポペは、いちおう魔術師なんだが、まあ、ちょっと特殊な存在ではある」
「特殊な存在……、ですか?」
「ああ。こいつの専門は、魔獣狩りと魔獣の保護育成だ。魔獣を捕まえて、魔力を注ぎ込みやすいように矯正することができるんだ。それから、親と死に別れた幼獣や見捨てられた卵を育てることもある。いわゆる、ブリーダーっていうやつだな。うちのシマシマーやプッチーは、こいつから分けてもらったんだよ」
「へえぇ……」
ポペは、自分の髪を自分の左手でもふもふしながら、照れくさそうに微笑んでいた。
彼もまた、とても整った顔立ちをしていた。その上、笑うとできるえくぼが、口元にえもいわれぬ愛嬌をにじみ出させていた。
見た目は青年だが、暗い紫色の瞳は、リュディの育ての親である老魔女と同じような、老練さを感じさせる強い光をたたえていた。
ポペは、もしかすると老魔女と同じぐらいの年齢なのかもしれない、とリュディは思った。
「デュピィは、少し性格に難がある獣も引き取ってくれるんだ。いつも助かっているよ。リュディちゃんも、欲しい魔獣がいたら言ってくれ。安くしておくよ!」
「あのう……、デュピィ……って……」
リュディが、小首を傾げ、その呼び名を受け入れがたそうに、顔をしかめてみせると、ポペは、魔術師の方を見て悲しそうに言った。
「もしかして、デュピィって呼んでいるのは、今やオレだけなの?」
「うん……、まあそうだな。ここ数十年ぐらいは、そうだろーな……」
「そうかぁ、デュピィも長生きし過ぎたかもなぁ……。でも、よかったじゃないか! こういう若くて有能でぴちぴちした弟子ができてさ。これで、死ぬまで一人ぼっちにならないですむね。絶対に今度こそ、逃げられたり、追い出したり、食べちゃったりするんじゃないぞ! いいね?」
「あっ……、うん、あー、努力する……」
魔術師は、「余計なことを……」と呟きながら、紅茶の缶を取りに棚の前へ行った。棚には、同じブランドの美しい紅茶缶が、整然と並べられている。
今朝は、小枝に止まる小鳥がたくさん描かれたクリーム色の缶を持って戻って来た。魔術師お気に入りのイングリッシュブレックファーストティーだ。
魔術師は、いつものように、トントントンと机を指で叩いた。
台所の方から、今日も、猛スピードでカップやポットが飛んできた。
今朝は、カップと皿が三組なので、曲がり角で一瞬ぶつかりそうになった。それを見たポットが慌てまくり、リュディの鼻先を掠めるように飛んでいった。当然、前髪は風にあおられ、綺麗に真ん中で分けられた。
それに気づいた魔術師が、嬉しそうに声を上げた。
「おう! リュディ、お前って本当に、史上最高のかわ……痛っ!」
魔術師を左手で張り倒し、ポペが両手を広げてリュディの所へ走ってきた。
「なんて綺麗な瞳なんだ! まるで、南洋に広がるブルーホールのようじゃないか! どうか、そこにオレだけを映しておくれ! そして、その瞳の海でオレを永遠に溺れさせておくれ!」
あっという間に、ポペに抱え上げられたリュディは、とうとう誘惑に負けて、ポペの首に両腕を回すと思う存分その髪をもふった。ついでに、ポペの首筋に顔をこすりつけ、獣のように臭いを嗅ぎまくってしまった。
途中で、ポペの手の動きが、動物を宥める動きに似ていることに気づいたが、例えようもない幸福感に負けて、彼にしなだれかかるのをやめられなかった。
そのまま机の前まで運ばれ、椅子の上に下ろされた。その頃には、リュディの心は十分に満たされ、自分の行いに恥ずかしさを感じる程度には、冷静さを取り戻していた。
急いで前髪を下ろし魔術師の方を見ると、今日は自分で茶を淹れ、一人でゆったり味わっていた。彼は書架の方を睨んでいて、リュディのことは見向きもしなかった。
ポペは、上機嫌でリュディの隣に座り、ジャムをたっぷり塗ったパンを頬張っていた。食事の間も彼の手は、リュディの頭や背中を優しくなでていた。そして、ときどき「おお、よしよし」と囁いた。
食事がすみ、北の海へ魔海獣をとらえに行くというポペを、二人で送り出した。
ポペは、自分の鞄から取り出した小箱の蓋を開け、小さなトカゲをつまみ出した。それをポイッと空に投げ上げると、巨大な黒い飛竜が姿を現した。
その背に飛び乗ると、ポペは二人に大きく手を振った。
「じゃあ、元気でね、デュピィ! 絶対にオレよりも長生きしろよ! それから、あんまりリュディちゃんに迷惑掛けんなよ! リュディちゃん、またね!」
明るい声を魔の森に響かせて、ポペは北の海へ旅立っていった。
ポペは一年の半分以上、旅をして暮らしているのだ。
大事な魔獣は、あの鞄に入れて連れ歩き、旅先では商売にも励んでいる。
ポペが消えた空を、頬を紅潮させながら、いつまでも見つめているリュディに向かって、魔術師が背後からぼそっと言った。
「あいつの体からは、不思議な香りがするんだよ。魔獣たちは、その香りを嗅ぐと、とても幸せな心持ちになって、あいつの思うがままに操られてしまうんだ。
噂によると、その香りは魔術師にも効果があるらしい。特に、魔力の強い者ほどその香りに激しく惹かれ、我を忘れて抱きついたりしちまうんだとさ……」
「え、えぇっ?!」
「まあ、俺は付き合いも長いし、自己抑制ができるから、いくら魔力が強くても、あいつにいいようにされることはない。しかし、お前は気をつけろ。もっと自制する力を身につけなきゃだめだ!」
「はあぁ……」
リュディは、ようやく納得がいった。魔獣たちが浮かれていたのも、自分が衝動的にポペに抱きつかずにはいられなかったのも、そして、酔っ払った魔術師が、ベッドでポペの髪の毛をもふっていたのも、その謎の香りのせいだったのだ。
意外なことに、魔術師は、夕べ自分がポペの髪の毛をもふっていたことに気づいていないようだ。あの香りの誘惑に、自分だけは耐えられると信じているらしい。彼の魔力は、リュディをはるかに凌駕するのである。だとしたら――。
リュディは、そのまま空を見つめながら、魔術師に質問した。
「お師匠様、昨日のお酒は……、お師匠様が用意されたんですか?」
「いや、あれはポペが持って来たんだ。あいつは必ず酒を持って訪ねてくる」
「それから、あのう……夕べ、何か楽しい夢をご覧になりませんでしたか?」
「夕べか? 酔っ払って……、ポペと一緒に俺のベッドに倒れ込んで……、なんだかすごく気持ちのいい夢を見たな……。ああ、あれだ……、羊を追っかけて、抱きついて捕まえる夢……。もっこもこで、ふわっふわっの茶色い羊! そういえば、あいつが来ると、いっつもその夢を見るなあ……」
「うふふふふ……」
「な、何だよ? 急に笑い出したりして、気味悪いぞ。でも、かわ……おい!」
リュディは、魔術師の言葉を最後まで聞かずに、森に向かって走り出した。
(『あいつにいいようにされることはない』って――、いえいえ、お師匠様……、あなたは、もう、かなり前からポペさんに魅了されていますよ! きっとポペさんは、ときどき訪ねてきて、あなたへの香りの効果を確かめているんですよ! お師匠様の魔力が衰えていないか、気にかけてくれているんですね……。)
リュディは、何だか嬉しかった。
たぐいまれな魔力を持ち、希代の魔術師と呼ばれる男にも、案外可愛らしいところがあることがわかったから――。
そして、彼の身の上をいつも気にしてくれる優しい友だちが、まだ一人は生き残っていることを知ったから――。
リュディの歓喜が伝わったのか、森の木々の花のつぼみが、一斉に開き始めた。
後ろで、花吹雪に行く手を阻まれて近づけず、何ごとかを叫んでいる魔術師を振り返ることもなく、リュディは花々が咲き乱れる森の中を両手を広げて駆け回った。
―― FIN ――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
次の投稿は、明日の夜になると思います。
よろしくお願いいたします。