第二話 乙女座生まれは、ストレスを多く抱えがちなのです。
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海賊船「女神の報復号」のメインマストの上に、小柄な女が立っていた。
海は激しくうねり、船は波にもまれて大きく揺れていたが、女は動じることなく、平然と甲板の海賊たちを見下ろし叫んだ。
「サミュエル・パトリック・ドニ・ファロ! お前もこの船もこれまでだ!」
黒ずくめの女は、魔女独特の深いクラウンと大きなブリムを持つ黒い帽子を目元まで深く引き下げて被っていた。
マストを掠めていく風に飛ばされないように、杖を抱えた右手でブリムの端を掴んでいた。
女の左手には、小さな鳥篭が提げられていた。背後に走った稲光により、鳥篭の中の生き物のシルエットが一瞬浮かび上がったが、それは、小鳥というよりもコウモリに近かった。
女がカタカタと鳥篭を揺すると、中の生き物は自分で戸を開け、外に出てきた。
そして、女が前に伸ばした左腕に飛び乗ると、「クピィーッ」と小さな鳴き声を上げた。
「プッチー、思い切り暴れて、こいつらを震え上がらせておやり!」
その声を聞くや、プッチーと呼ばれた生き物は一気に巨大化した。
―― ギエエエェェェェェェーッ
咆哮と共に、一匹の翼竜が嵐の只中へ飛び立った。
大きな翼から生み出された突風が、帆を引き裂き、さらに船を大きく揺さぶった。
「出やがったな! 蛇蝎の魔女! ひるむんじゃねえぞ、野郎ども! こんな小っちゃっけぇ魔女一匹、さっさと片付けちまえ!」
「おおーっ!!」
海賊たちは、船長であるサミュエルの言葉に勢いづき、銃やら剣やらを手に立ち上がった。しかし、その直後、彼らは、甲板に向けて滑空してきた翼竜の格好の餌食となってしまった。
翼に引っかけられて海に落とされたり、くちばしや両足で掴まれ波間に放り出されたりし、瞬く間に十人ほどが甲板上から姿を消した。
いつの間にか女は、メインマストから翼竜の背に飛び移っていた。そして、雷雲が渦巻く空を大きく旋回しながら、サソリの尾節のような形の緋色の宝玉がついた杖をメインマストに向けて突き出した。
宝玉は、後ろに伸びた鎖をメインマストに巻き付けながら、するするとその先端へ向かって上っていった。そして、宝玉が最上部へ達すると同時に、雷鳴が激しく轟き渡り、メインマストに向かって鋭い稲光が走った。
―― ズダダーーンッ!!
海賊たちの目の前で、メインマストは巨大な松明と化し、炎を揺らして空を焦がした。甲板に残っていた海賊たちは、慌てふためき小舟を下ろすと我先に乗り移った。
船長が何か大声で叫んだが、誰も耳を貸す者はいなかった。
炎はすでに甲板に燃え移り、舵輪を握る者も消えていた。なすすべなく、女に向かって悪態をついていた船長を、壁のような波が海賊船ごと飲み込んだ。
翼竜の背で、杖の宝玉を引き寄せ元に戻すと、女は困った顔で呟いた。
「まずいわ。このまま船が沈んだら、奴らが奪ってきたお宝も沈んじゃう……。どこかに引っ張っていって座礁させなくちゃね。プッチー、もう一飛びして!」
女は、再び杖を振るい、宝玉とその鎖を海賊船の舳先に巻き付けた。
翼竜は、力強く翼をはためかせ、浅瀬に向かって海賊船を引きずり始めた。
見ている者がいれば、女を乗せた翼竜が先ほどの三倍以上の大きさになっていることに気づいたであろう。
そして、目指す場所に辿り着くと、船をそこに残し、翼竜は、女とともに嵐の中をどこへともなく飛び去っていった。
翌日、「魔力・魔術師管理庁」から連絡を受けた海上警備隊の帆船が、座礁した「女神の報復号」を発見した。そして、他船から奪い取られた物資や財宝を残らず回収し、乗組員全員を捕縛した。
冷酷無比な蛇蝎の魔女は、その伝説をまた一つ増やすことになったのだった。
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ここは人里離れた、バルバストーレの黒き魔の森。
木立に隠れひっそりと建つ三階建ての石造りの家こそ、希代の魔術師デュプレソワールの館だ。
リュディは、扉の前に立つと、小さな声で魔術師に帰還を告げた。
「お、師匠様ぁ、今……、戻りましたぁ……」
音もなく扉が開き、魔術師が姿を現した。リュディは、濡れそぼった帽子をさらに深く被り、プッチーの鳥篭をしっかり胸にかかえてうつむいた。
「お……、ウゲッ! なんでそんなにびしょ濡れなんだ?! おまけに潮臭い! そしてぇ、めちゃくちゃに焦げ臭ーい!」
相変わらずの言いたい放題である。遙か遠方の外洋まで出張して、海賊を成敗して帰ってきた弟子に、労いの言葉もかけてやれないとは、とんだ人でなしである。
いや、そもそも人ではないのであった。この美しい男は、齢二百を越える異能の魔術師なのだから――。そして、おそらく前世は犬なのだから――。
「どうして、術を用いて身綺麗にしないのだ? 簡単だろう、お前なら?」
「自分のために魔力を使うのは、あまり『良きこと』とはいえませんので……」
「はぁん?」
魔術師は察した。リュディは、彼に魔力を使わせようとしているのだ。
彼女は、育ての親の老魔女の言葉をかたくなに信じている。
「良きことに魔力を使えば、魔術師の寿命は延びる」という教えだ。
「つまり、最近たいして人のために魔力を使わず、自堕落に暮らしている俺に、せめて弟子であるお前のために魔力を使って、『良きことをなせ』と言いたいのだな? そして、自分の寿命をしっかり延ばせと――」
ぽたぽたと全身から水滴を落としながら、リュディは無言で「うんうん」とうなずいた。相変わらず、入り口の前に立たされたままである。
魔術師は、しばらく考え込んでいたが、やがて、面白い悪戯を思いついた子どものように無邪気な笑顔を浮かべて言った。
「わかった! 思い切りお前のために魔力を使い、望みどおりできる限りの『良きこと』をしてやろう! さあ、中に入れ! そして、覚悟せよ!」
(へっ? 覚悟しなきゃいけない『良きこと』って何? そんなのある?)
状況が上手く飲み込めず、もさくさしているリュディのマントを、左手の親指と人差し指で摘まんで、魔術師は彼女を玄関ホールへ引き入れた。扉が音もなく閉じる。
もちろん、魔術師は、右手に持った手巾で鼻を覆っている。
リュディからプッチーの鳥篭を奪い取り、床の上に置くや否や、魔術師は手巾の陰で何か呟いた。すると、マントも帽子も杖も強い風に奪い取られ、リュディの全身はたちまち白い光に包まれた。
「お、お師匠様……、ひ、ひゃあぁっ!」
魔術師が作り出した魔力の渦に閉じ込められたリュディは、自分の魔力では、それに抗うこともできず、力の差に呆然としながらも渦の動きに身を任せた。
体の周りで、何かがパチパチと弾けたり、ぴかぴかと煌めいたりした。
やがて、魔力の渦は温かい風に代わり、濡れて芯まで冷えていた彼女の体をほんわりと優しく包んだ。リュディは、我慢できずにうっとりと目を閉じた。
心地よさにボーッとなっていると、魔術師がパチンと指を弾く音が聞こえて、リュディは我に返って目を開けた。
「まあ、こんなものだろう。ああ、久しぶりにガッツリ魔力を使ったよ……」
魔術師は、わざとらしく肩をもみながら言った。
いつの間にか室内は明るさを増し、暖炉の上の鏡が何かを映してきらきらと光っていた。リュディは、恐る恐る自分の衣服に目をやった。
「ひ、ひゃあぁっ!」
今やリュディは、びしょびしょの潮臭くて焦げ臭い魔女ではなく、豪華な衣装と装身具で人形のように飾り立てられた若く美しい貴婦人となっていた。
まるで海そのもので染め上げたような、ラリマー色の波模様のドレスには、様々な大きさの真珠がちりばめられ、胸元や裾には襞をたっぷり寄せた真珠色のレースが、ふんわりと重ねられていた。
リュディは、全身を確かめようと、急いで目線を鏡に移した。
首飾りや耳飾りは、ラリマーで統一されていて、頭には、ドレスと同色の小ぶりな帽子がのっていた。そして、そこからリュディの視界を軽く遮るように、チュールのベールが下ろされていた。
「我ながら、いい仕上がりだな! ほら、感想を聞かせてみろ! お前の感謝の言葉が俺の寿命を延ばすのだぞ。どんどん言ってくれ! いや、それにしてもお前ときたら、本当に見れば見るほど――、……痛っ!!」
いつの間にか隣にきて、一緒に鏡を覗き込んでいた魔術師が、禁句を口にする前に、リュディは、なぜか手に持たされていたラリマー色の扇で、彼の口元を軽くはたいた。
そして、扇を目一杯開き、それで顔を隠しながら言った。
「ありがとう……ございます。でも、ですね……、これから魔獣たちに餌をやって、お師匠様とわたしの夕餉の支度をして、台所の片付けをしまして――、仕事がたくさんあるのに、ど、どうすりゃいいんですか、こんな格好になっちゃってぇ!!」
「それこそ、どんどん自分の魔力を使って、魔術で片づけてしまえ! 今、お前が言った仕事は、弟子としての務めだろう? 魔術で片づけたとしても、師匠である俺に対して『良きこと』をしたことになるはずだ! お前の寿命が延びまくるぞ!」
「どうして、この格好にこだわるのですか? もう、いちおう感謝はしたんですから、元に戻せばいいじゃないですかぁ!……」
「それは……、う~ん、明日までしない……」
「へっ?」
「明日は、シャミナードが尋ねてくる日だろう? どうせなら、再現不可能かもしれない俺の魔力の最高傑作をあいつに見せたいじゃないか。あいつは、きっとお前を褒め倒すだろうさ。そうなれば、今度こそ、俺がしたことはお前だけではなく、シャミナードにとっても『良きこと』となり、俺の寿命を延ばす。お前の思っていた以上に素晴らしい効果をもたらすってわけだ」
美貌の魔術師は、青藍色の瞳を怪しく輝かせ、ゾクッとするような笑みを浮かべて言った。素早く扇で目元まで隠したリュディは、その蠱惑的なまなざしから間一髪逃れることができた。
しかたなくリュディは、ドレスの上に前掛けを重ねた。
ドレスの腰の飾りが邪魔になり、後ろで上手く紐が結べず、ぐずぐずしていると、魔術師はさっと近寄り、鼻歌を歌いながら紐をリボン結びにしたのだった。
プッチーの鳥篭を、地下にある魔獣部屋の棚へ戻し、いつもの餌を与えていると、奥にある檻の方から「ミュウ~ン」という声が聞こえた。
ホワイトサーベルタイガーのシマシマーが、可愛い子猫になって、檻の中で伸びをしていた。こちらにも餌をやり、軽く喉を撫でてやった。
このときも、ドレスの袖のレースが、シマシマーの爪にひっかかりそうになり冷や冷やした。
夕餉は、その辺にあった野菜や干し魚を適当に鍋に放り込み、スープを作った。
彼女自身は、ドレスに締め付けられていることもあって、あまり食欲が湧かなかったが、背中の向こうで「旨い!」と呟く魔術師の声は聞こえた。
食後は、ドレスの袖をまくって、鍋や食器をきれいに洗った。
結局、リュディは、魔力はいっさい使わずに自力で仕事を成し遂げた。
(おばば様が言ってたわ。魔力の使いどころを間違えちゃいけないよって――。魔女といえども、魔力頼みの暮らしをしていては身を滅ぼすって――)
いよいよ就寝という時間帯になり、リュディはちょっと悩んだ。
この格好では、窮屈でゆっくり眠ることもできないだろう。
お気に入りのドリーミングティーをゆったりと味わっている魔術師に、もう一度、ドレスからの解放交渉を試みることにした。
「お師匠様、あの……、そろそろ、寝ようと想うのですが……」
「そのまま寝ればいい。崩れたら、明日の朝、ちょちょいっと直してやるからな」
「で、でも、帽子は取りますよ……」
「それは、しかたないな。そうか……、髪型は、明日の朝もっと豪華に仕上げてやろう! 頭に帆船とか乗せたりするか?」
藪蛇になりそうだったので、リュディは交渉を諦めた。
結局、その晩リュディは、ドレスの乱れを気にしながら、人形のようにぴくりとも動かず眠った。いや、眠りたかったが上手く眠れなかった。
そして、翌朝、疲れと胃の痛みを抱えて、げっそりやつれて起きることになった。
魔術師は、言った通り、見た目だけは、ちょちょいっと直してくれたが、リュディの胃の痛みにまでは気づかなかった。
彼は、自分の魔力による傑作を、早くシャミナードに見せたくてしかたがないらしく、用もないのに何度も庭へ出て行った。
そして、ようやく館に到着したシャミナードを、魔術師は、嬉々として部屋に招き入れた。
リュディの姿を一目見て、シャミナードは驚きの声を上げた。
「リュ、リュディ、ど、どうしたんだ? そ、その格好は?」
「どうだ? 俺が本気を出せば、リュディでも魔術でここまで変身させることができる。惚れ直しただろう? こいつを遠慮なく誉めたたえろ! ありとあらゆる甘い言葉を囁いてやれ! なんなら、連れて帰ってもいいぞ!」
魔術師は、称賛の言葉を求めてくるが、シャミナードは言葉を失っていた。
彼の目の前には、どんな社交場に行っても注目を浴びるであろう、この世のものとは思えぬ神秘的な美しさで耀くリュディがいた。
どの角度からどこを眺めても、リュディは美しかった。それは、希代の魔術師が、その魔力を注ぎ込んで仕上げた、美の結晶であるのだから当然だ。
いやいや、そもそも素材が良いのである。幼い頃からリュディを知る彼には、それがよくわかっていた――。
(デュプレソワールが許すならば、本当に連れて帰ってしまおうか――)
惚けたようになってリュディを見つめるシャミナードの様子に、ほんの一瞬、少しだけ面白くなさそうにした魔術師は、すぐにさばさばとした口調で独り言ちた。
「まあ、いいか……。言葉にしなくとも、十分に、シャミナードを喜ばせたみたいだからな! これで『良きこと』は完了だ!」
魔術師は、唐突にパチンと指を弾いた。
一陣の風が、リュディの周りを吹き抜け、彼女の体をくるりと一回転させた。すると、そこには、いつものように前髪を下ろし、こざっぱりとした黒いワンピースを着たリュディが立っていた。
少しがっかりした様子のシャミナードを、魔術師は愉快そうに見つめていた。
しかし、その直後に、彼もシャミナードも色を失い、その場に立ち尽くすことになった。
目の前に立っていたはずのリュディが、お腹を押さえて苦しそうに床にくずおれたのだ。
「「リュ、リュディーッ!!」」
リュディに駆け寄ったところで、二人は揉めだした。
「わたしが運ぶ! リュディの部屋はどこだ?!」
「俺の家だ! そして、俺の弟子だ! 俺が魔術で運ぶ!」
「だったら、早くしろ!」
「そう言うなら、リュディから手を離せ!」
シャミナードが手を離すや否や、リュディの体はふわりと浮かび、見えない担ぎ手にでも運ばれるように、ゆっくりと空中を進んで自分の部屋へと向かった。
魔術師は不安げな顔で、足を急がせリュディについていった。
シャミナードも、慌ててその後に続いた。
自室のベッドに横たわったリュディの体に、白く光る右手をかざしながら、魔術師は何かを調べていた。やがて、大きなため息を一つつくと、隣に突っ立っているシャミナードに言った。
「こいつは――、あっちの方の世界でいうところの、『ストレス性胃炎』というやつだな」
「『ずっとレース声援』って……、何だ? それから、今聞き捨てならないことを言ったな?! 『あっちの方の世界』って、あんたまさか……」
シャミナードの言葉を途中で遮り、魔術師は「ストレス性胃炎」について説明した。
「嫌なことや辛いことがあって、それをうまく解消できずに、心に疲れを溜め込んでいると、体が変調をきたすんだ。そういう病があるんだよ」
嫌なことや辛いこと――。二人は顔を見合わせたあと、同時に叫んだ。
「おまえが、盗賊退治だの海賊征伐だの、魔術師に相応しくないおかしな仕事ばかり、ここに持ち込んでくるからだ!」
「あんたが、自分の魔力を出し惜しみして、何もかも全部彼女に押しつけて、いっこうに仕事に出ていかないからだ!」
騒ぎで目を覚ましたリュディは、魔術師が施してくれた癒やしの魔術で痛みが去ったお腹をさすりながら、男たちの言い争いが終わるまで寝たふりをすることにした。
しかし、あまりにうるさいので、「コホン」と一回だけ咳をしてみた。
たちまち二人の言い争いが、ひそひそ声に変わったので、リュディは可笑しくて笑いそうになった。
(しばらく病人でいるのもいいかな――)
このぶんなら魔術師は、彼女が回復するまであれこれと世話を焼いてくれることだろう。もしかすると、シャミナードが持ってくる案件を、自分の魔術で解決する気になるかもしれない。そうなれば、『良きこと』がまとめてできて、彼の寿命も一気に延びるはずだ。
(そろそろ、少しぐらいは、お師匠様を困らせて、魔力を使っていただいてもいいわよね!)
それは、彼女にとって、最高のストレス解消になりそうな思いつきであった。
リュディは、二人に気づかれないようにそっと欠伸をした。
そして、囁くような声で続く言い争いを子守歌にして、夕べの分もぐっすり眠ろうと掛け布に潜り込んだ。
―― FIN ――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
もう一話、本日中に投稿する予定です。
よろしくお願いいたします。