第六話 乙女座生まれは、旺盛な好奇心の持ち主なのです。
本編の続きです。やや長めですが、分割場所に迷い……。
申し訳ありませんが、一気にお読みください!
「おまえら密猟者だろう? そのマジックトラップは、どこの魔術師から手に入れたんだよ? そいつは、生活魔法のカテゴリーに入らないから、違法な! い・ほ・う! わかったか、あん?」
ここは、アルベルトージ谷。
ブルーロングファーゴートの群れが、避暑地へと移動するために、まもなくこの谷を通過する。美しい空色の毛皮を持つ稀少な野生動物を狙って、たくさんの密猟者たちがこの谷に集まってきていた。
ブルーロングファーゴートは、足が速い。
毛皮に傷を付けたくない密猟者たちは、縄などを使って群れの最後尾を行く弱った個体を生け捕ろうとする。
しかし、今日は、魔術師から手に入れたマジックトラップを谷の両岸に仕掛け、魔力を使って獣を昏倒させる大がかりな捕獲作戦を立てていた。
この方法により、かなりの数のブルーロングファーゴートを捉えられるはずだった。
先ほど、それが非合法な行いであることを指摘した若い男は、麦わら帽子を被り、釣り道具を手にしていた。
足には、履き古した革のサンダルをつっかけている。
密猟者たちは、目配せを交わし合い、この面倒くさそうな釣り人を早いところ追い払っておくことにした。
「兄ちゃん! 俺たちのことはほっといてくれ! 余計な詮索をすると、痛い目を見ることになるよ!」
「おまえさんは、向こうの方で大人しく川釣りでもしてな! 警備隊なんぞ呼びに行くんじゃねえぞ!」
密猟者たちに脅かされても、男は平然としていた。
恐れをなして立ち去るどころか、そばにあった岩に腰を下ろし、釣り道具を地面に置いてしまった。
そして、密猟者たちをちらりと見た後、麦わら帽子のブリムの縁を右手でなぞり、小さな声で何か長々と呟いた。
「何してんだ、てめぇは?! き、気持ちわりぃヤツだな?! どっか行け!」
「おい! こんなやつにかまっている暇はねえ! もうすぐ群れが来るぞ!」
密猟者たちは、この一言に色めき立ち、それぞれの持ち場へと散っていった。
その様子をつまらなそうに見ていた若い男は、しれっとして言った。
「来ねーよ……群れは」
岩に座ったまま、けだるそうに首をひねり、肩を回している男から飛び出した、耳を疑うような言葉に、密猟者たちは固まった。
男は、整った形の唇の両端を上げながら、酷薄な笑みを浮かべて続けた。
「群れは、たった今、俺が魔術で転移させた。この谷を跳び越えて、山裾の草地までまとめて送ってやったよ。それにしても、でかい群れだったなあ! 少し魔力を使いすぎたかな……、くくくっ……」
「ま、まさか……、そ、そ、そんなことが……」
「何だよ、怪しげなマジックトラップは大枚はたいて買っちまうくせに、空間転移の術は信じねえのかい? まあいい、勝手にしろ! 好きなだけここで待つがいいさ! いくら待ってもやつらは来やしないがな……。さてと……、用は済んだんで、俺は帰る。じゃあな!」
男は、釣り道具を拾い上げ、岩から立ち上がった。
二、三歩歩き出してから、何かを思いついたように振り向いた。
そして、いまだに状況を把握できずに、その場に立ち尽くしている密猟者たちに、のんびりとした調子で声をかけた。
「おっと、忘れてたことがあったよ……」
「な、何だ?! ……ま、まだ、な、何かしようってのか?!」
「いや、仕事が済んだら、ちゃんと名乗っておけって言われてた……」
「な、名乗る……? お、おまえの名……か?」
「おれじゃない。俺の弟子の名だ。いいかぁ、よーく聞けよ! 俺の弟子はなぁ……、泣く子も黙る災厄の女、冷酷無比な蛇蝎の魔女だぁ!!」
「ひ、ひえぇぇぇーっ!!」
恐怖のあまり、その場で腰を抜かし、震え上がり身もだえる密猟者たち。
麦わら帽子の男は、軽く左手を挙げて挨拶すると同時に白い光に包まれ、あっという間に姿を消してしまった。
―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ―― ❤ ――
ここは人里離れた、バルバストーレの黒き魔の森。
木立に隠れひっそりと建つ小さな石造りの三階建ての家こそ、希代の魔術師デュプレソワールの館だ。
家の扉の前に白い光の塊が現れ、そこから麦わら帽子の男が飛び出してきた。
釣り道具を抱えた男は、上機嫌で扉の前に立った。
すると、音もなく扉が開き、家は粛々と自分の主を迎え入れた。
「おーい! リュディ! 帰ったぞー!」
玄関ホールで魔術師が声をかけると、書斎の方からリュディが走り出て来た。相変わらず、前髪を下げて目元を隠している。
「お、お帰りなさいませ、お、お師匠様! あの……、ず、ずいぶん早い、お戻りでしたね?」
「ああ、簡単な仕事だったからな!」
「えっ? で、でも、ブルーロングファーゴートの群れを狙う密猟者を、一人残らず捕縛するんでしたよね? 結構な人数だし、大変な仕事だったかと……」
「はぁ? 捕縛ぅ? そうかあ……。密猟の邪魔さえすればいいと思って、密猟者をほったらかしにして帰ってきてしまった……。まぁ、みんなすぐには動けなさそうだったから、最終的に警備隊に捕縛されるだろう。どうせ、依頼してきた魔力・魔術師管理庁が後始末に来るわけだし――。俺が、捕まえるまでもないさ」
密猟者の取り締まりは、わざわざ魔術師が出張るような仕事ではない。野生生物保護局辺りが動けばなんとかなるはずである。
今回は、マジックトラップが絡んでいたので、魔力による支援が必要だったのかもしれないが、密猟者の捕縛まで魔術師に頼むというのは、いくらなんでも虫がよすぎるだろう――と、魔術師は思う。
それもこれも、リュディが、真面目に仕事に励み過ぎたためである。
最近は悪事を企む連中の間で、「冷酷無比な蛇蝎の魔女」の名前が知れ渡り、リュディが姿を現しただけで、しっぽを巻いて逃げ出す者もいるほどである。
違法なことに手を染めれば、必ず蛇蝎の魔女が現れて、苛烈な方法で罰を下していくという噂は、犯罪の抑止においても効果を上げていた。
(でもなあ……、蛇蝎の魔女の正体は、とびきり可愛らしくて気のいい娘なんだよな……)
魔術師は、彼の前で、紅茶の缶を持って心配そうに立っているリュディを見て、小さくため息をついた。
はっ? 紅茶の缶? 魔術師は、あらためてリュディの手元を見た。
「おい、リュディ、おまえどうして、紅茶の缶を持っているんだ?」
「えっ? あ、あの……、お、お留守の間に書斎のお掃除をしておこうと思って……。書棚に空の紅茶缶があったので……、片づけようかと……」
「空の缶? そうか……。いつの間にか、飲みきってしまっていたな……」
魔術師は、リュディから缶を受け取ると、「Second flush」と書かれたラベルを感慨深げに見つめた。去年の夏に買った缶だ。
一人で飲んでいた茶を、数ヶ月前から二人で飲むようになって、茶葉の減りがいつもの年よりもずっと早くなった。
今年も、そろそろ夏摘み茶が出回る時期だ。
茶園を選んで買い揃えるつもりなら、急いだ方がいいだろう。
「リュディ! 俺の部屋へ来い!」
「えっ? えっ、えええぇぇぇ~っ?!」
「こらこら、変な声出すな! わんころが良くない目つきで俺を見てる!」
書斎の作業机の下で体を伸ばして寝そべっていたデュピィが、頭を上げてこちらを見ていた。
わざとらしく欠伸をしながら、最近鋭くなってきた牙をちらりと覗かせた。
デュピィは、魔術師にもリュディにも同じように懐いているが、自分の主はリュディであると認識しているらしく、彼女の危機(?)に敏感に反応する。
「な、なんで、お、お師匠様の部屋へ……、い、行かなきゃ、いけないんですか? こ、ここでは、だめなんですか?」
「だめだ! ここじゃできないことだ!」
「ええ~っ?! な、何を、し、しようと……」
「いいから、黙ってついてこい!」
魔術師は、紅茶缶をぽいっと放り投げた。缶はくるくる回りながら、勝手に棚へ戻って行き、もともとあった場所にすとんと着地した。
それを見届けると、魔術師はリュディの手を引き、二階へ続く螺旋階段を上り始めた。青くなったり赤くなったりしながら、しかたなくリュディは彼についていった。
魔術師は、自分の部屋の扉を開けると、天蓋付きの大きなベッドの横を通り過ぎ、部屋の一番奥にある姿見の前に立った。
「ここからしか行かれないのさ。地下の隠し部屋には――」
「隠し部屋?」
魔術師は、にやりと笑うと、二人を映す姿見にフゥッと息を吹きかけた。
鏡はたちまち白く曇り、やがて枠だけを残して消えてしまった。
「さあ、行こう!」
魔術師は、鏡があったところにできた四角い穴に足を踏み入れた。リュディも慌てて後に続いた。
穴の先には、下の方へ向かって狭い階段が伸びていた。
魔術師はリュディの手を離し、ゆっくりと階段を降り始めた。
彼が踏んだ段の横には、次々と灯りが点り足下を照らした。それを頼りに、リュディも恐る恐る階段を降りていった。
階段を降りきったところに、小さな扉があった。
「この中が、隠し部屋だ。館の地下にあるんだが、地下の他の部屋とは壁で仕切られていて、行き来できないようになっている」
「一階や二階に比べて、地下は部屋数が少ないように思っていましたが、そういう作りになっていたのですね。なるほど……」
薄暗く互いの顔がよく見えないせいか、リュディは、いつになく落ち着いて魔術師と言葉を交わしていた。
持ち前の好奇心に火がついたようで、両目をきらきらと輝かせていた。
そんなリュディを、魔術師は至近距離から面白そうに眺めていたのだが、その表情にすら彼女は気づかなかった。
魔術師が、ノブに手をかけ扉を開けた。
灯りは見当たらないが、隠し部屋の中は、淡い光に満たされていた。
窓は一つもなく、部屋の奥に扉が三つあった。どの扉も閉まっていた。
閉ざされた空間なのに、不思議とかび臭さなどはなかった。
「さてと――。では、すこし服装を整えてから行くか!」
そう言うと魔術師は、部屋の隅にある大きな衣装ダンスの扉を開けた。
そして、そこから、同じ布地で仕立てられた上着とズボン、襟の堅いシャツ、革靴や帽子などを取り出した。
続けて、アイスブルーのワンピースと同色の花飾りがついた帽子、白い皮の靴とバッグを手に取り、それらをリュディに差しだした。
「これから行くところに相応しい服装だ。残念ながら、魔力が効かない場所なんでな。これらもあっちで手に入れた物だ。さっさと着替えよう」
「お、お師匠様! こ、これを着て、ど、どこへ、行くつもりなのですか?」
魔術師は、悪戯っぽい笑みを浮かべただけで、リュディの問いには答えず、さっさと服を脱ぎ始めた。リュディは、小さな声で「ひぃっ!」と叫び、急いで彼に背を向けた。
「振り向かないでいてやるから、おまえも早く着替えろ! 少し大きめに作ってもらったが、もし窮屈なら、あっちへ行ったついでに直してこよう」
何が何だかわからないまま、リュディは、大急ぎで着替えた。
ワンピースは丁度良い寸法だったが、スカートの丈がやけに短く、すねの途中までしかなかった。
足下がスースーして、リュディは、少し落ち着かない気分になった。
靴を履いて、バッグを手に持った。
最後に帽子を被ろうとして鏡を探したが、どこにも見当たらなかった。
困ったリュディが、魔術師に尋ねようと振り返ると、すぐ目の前に、魔術師が立っていた。
「うひゃ……、おひ、お師……」
おたおたしながら、変な声を出してしまったリュディの手から、帽子を取った魔術師は、器用な手つきで花飾りを整えながら、彼女の頭にピンで帽子を留めた。
続けて、後ろで束ねていた髪をほどき、肩に掛かるように広げた。
そして、これまでリュディが聞いたこともないような、気取った声音で言った。
「お似合いですよ、お嬢様。それでは、買いものに出かけましょうか?」
「へっ?」
魔術師はリュディの手を取り、部屋の奥へ進むと、真ん中の扉を押し開けた。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
眩しい光に、思わず眼を閉じてしまったリュディが、ゆっくりと目蓋をあけると、見たこともない町並みが、目の前に広がっていた。
広い道を挟んで、滑らかな石でできた巨大な建物が並んでいた。
大きなガラス窓が、明るい夏の日差しをきらきらと反射させていた。
様々な大きさの箱形の乗り物が、道を行き交っていた。
動物や人が曳いているわけでもないのに、くるくると車輪が回り、ものすごい速さで乗り物は進んで行った。
乗り物だけではない。たくさんの人々で、道は埋め尽くされていた。
何かに急き立てられるかのように、早足ですれ違っていく人も多い。
ぼんやりしていると、誰かに突き飛ばされそうになった。
「おっと、危ない!」
魔術師が肩を抱いて庇ってくれたので、実際にぶつかったわけではなかったが、リュディは背中がひやりとした。
ぶつかりかけた男性は、険しい顔で手に持った小さな薄い箱を眺めていた。
(お師匠様は、魔力が効かない場所だと言っていたけれど、ここは、魔術以上に不思議なことに溢れた世界だわ!)
この世界は、リュディの好奇心を大いに刺激したが、何もわからない今は、魔術師に導かれるままに、大人しく後をついていくしかなかった。
リュディが最初に連れて行かれたのは、薄緑色の外壁に美しい文様の装飾が施された、格式の高そうな店だった。
「Witches」という金文字の看板と紅茶のカップを手にした魔女の人形が、入り口の上に掲げられていた。前掛けを賭けた黒ネコが、カップと同じ柄のポットを持って、魔女の向かい側に立っている。
ガラス扉を開けた魔術師に続いて店内に入ったリュディは、「まあ!」と、思わず大きな声を上げてしまった。
動植物や妖精などが描かれた凝った意匠の茶器や、美しい絵柄のラベルが貼られた紅茶缶が、磨き抜かれた木製の平台や棚に整然と並べられていた。
館の棚で見た紅茶缶と同じラベルの缶を幾つか発見し、魔術師があの美味しい茶の茶葉を、この紅茶店で買い求めていたことをリュディは知った。
やがて、魔術師の顔に目を留めた一人の人物が、店の奥から二人に近づいてきた。銀縁の眼鏡を掛けた初老の男性だった。
男性は、ちらりとリュディを見た後、にこやかな顔で魔術師に声をかけた。
「これはこれは、ハートフィールド様! いつもありがとうございます。本日は、どのような物をお探しでございますか?」
「そろそろ、夏摘みのダージリンが出回る頃かと思って訪ねてきたのだが――」
「さすがでございますね。昨日より店頭にて販売を始めました。オリジナルブレンドの他に、契約茶園から届いたスペシャルティーもいくつかご用意してございます」
「それは嬉しいな。試飲はできるかね?」
「もちろんでございます。どうぞこちらへ」
リュディは、二人のやりとりを、驚きをもって聞いていた。
(どういうことかしら? お師匠様と男の人が何を話しているのか、はっきりわかったわ。この世界の言葉は、わたしたちの言葉と違う気がするのだけど……。本当に、奇妙なことばかり! でも、とても興味をそそられるわね……。それに、お師匠様が、聞いたこともない名前で呼ばれていたのも気になる……)
試飲は魔術師に任せ、リュディは、この魅力的な店内をじっくり見学することにした。
小さなポットとカップや皿が重なった一人用のティーセットや、本棚やテーブルなどの家具の形をしたティーポット、様々な素材で作られた華やかな色合いのティーコゼー――。
繊細で愛らしい品々に、リュディはすっかり心を奪われていた。
「お嬢様、何かお探しでございますか?」
リュディに声をかけてきたのは、マホガニーブラウンのワンピースを着た、若い女性店員だった。栗色の瞳が、優しくリュディに向けられていた。
(『お嬢様』って、言ったのよね? ちゃんとわかったわ! 本当に不思議! わたしの言葉も通じるのかしら?)
リュディは、勇気を出して女性店員に話しかけてみた。
「上の棚にある、薄いクリーム色の地に、ラベンダーが描かれた一人用のティーセットを見せてもらえますか?」
「承知いたしました」
女性店員は、背後の棚からリュディが選んだティーセットを取り出し、カウンターの上のフェルト張りのトレイに載せた。
手にとって見れば、花の一つ一つにまで陰影をつけ、写実的に描かれたラベンダーはうっとりするほど美しく、今にも香りが立ち上ってきそうだった。
言葉が通じた嬉しさもあって、リュディは、この愛らしいティーセットをどうしても手に入れたいと思い始めていた。
しかし、この世界での買いもののしかたがわからない。リュディが困っていると――。
「ああ、そのティーセットも同梱してくれたまえ。支払いも一緒で頼むよ」
いつの間にか試飲を終えて、リュディの隣に戻ってきていた魔術師が、女性店員にそう命じた。
すると、彼女は嬉しそうに棚から箱を取り出し、「お買い上げありがとうございます!」と言って、それを奥へ運んでいった。
「お、おし、お師匠様……、あ、ありがとうございます……」
「気にするな。全部、おまえが、先月片づけた仕事の報酬で支払うから――」
「へっ?」
「それにしても、そのドレス、本当によく似合っている! おまえは気づいていないかもしれないが、道でも店内でも、何人もの男が振り返っていたぞ! 俺のことを羨ましそうに睨む奴もいた。まったく、可愛すぎるというのも罪なものだよな!」
(可愛い? かわいい?! カワイイ! 可愛いですってぇー!!)
いつもなら、この言葉が引き金となって、リュディの胸に体中の熱が集まり、魔力の暴発が起こるのだが、今日は、ただ気恥ずかしいだけだった。
頬を赤く染めながら、この世界では、魔力が効かないということを、リュディは身をもって知った。
「では、リュディ! 次の店に案内しよう!」
「は、はい……」
魔術師はリュディの手を取り、自分の肘につかまらせると、出入り口に向かってゆったりと歩き出した。
先ほどの女性店員が、扉を開けて待っていて、恭しく二人を見送った。
「あ、あの、買った物は持っていかないのですか?」
「大丈夫! 帰りにもう一度ここに寄るからな」
道に出ると、魔術師は箱形の不思議な乗り物を呼び止め、座席にリュディを押し込んだ。そして、前の席に座る御者と思われる人物に行き先を告げた。
乗り物は、滑らかに動き出し、馬車のように揺れることもなく進んで行った。
(なんて快適なの! これなら何日乗ることになっても、馬車と違って、腰が痛むことはないわね! 魔術はなくても、便利な物が揃った世界なのね)
乗り物が止まり、二人が降り立ったのは、大きな仕立屋の前だった。
女性物の美しい衣装が、大きなガラス窓の向こうに、たくさん飾られていた。
扉を開けてくれた青年が、二人ににこやかに笑いかけた。
「いらっしゃいませ、ハートフィールド様! お嬢様!」
「こんにちは、アレックス! マダムは、いらっしゃるかな?」
魔術師の声に気づき、店の奥で店員に作業を指示していた女性が顔を上げた。
女性は、二人の姿を目にするや、感に堪えないという表情で叫んだ。
「まあっ! ハートフィールド様! ああ、それは、この間お求めいただいたワンピースですわね! なんて、お似合いなのかしら! 素晴らしいわ!」
今日のリュディの衣装は、魔術師がこの店で買い求めた物らしく、マダムは手を振り回しながら、リュディに駆け寄ってきた。
魔術師は、にんまりしながら、マダムからの賛辞を聞いている。
しかし、リュディの関心は、店内で見つけた不思議な装置に向けられていた。
布を縫い合わせたり、刺繍をしたりするその装置は、彼女の心を一瞬のうちに魅了してしまったのだった。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
魔術師が仕立屋に発注しておいたという、秋冬用のリュディの服が入った紙箱や、紅茶店で買った紅茶缶や菓子や茶器の詰まった箱、リュディの希望で買い揃えた数冊の本、そして、小型の「ソーイングマシン」の箱を載せた台車と共に、二人は館の地下の隠し部屋に戻って来た。
もとの服に着替え、脱いだ服や小物をクローゼットに収めると、後は荷物を片づけるだけとなった。
とりあえず、リュディの秋冬用の服は、ここのクローゼットに掛けておくことにした。それらは、あの世界へ行くときにだけ必要な物だからだ。
「空間転移を使えば簡単なんだが、この隠し部屋の中で魔力を行使するのは危険だ。残りの物は手に持って、俺の部屋まで運び出そう」
「はいっ!」
二人は、荷物を抱えて狭い階段を上り、それらを魔術師の部屋へ運び込んだ。
しかし、リュディは荷物を下ろすことなく、そのまま一階の書斎へ持って行ってしまった。一刻も早く、荷を解きたいらしい。
しかたなく魔術師も、紅茶店の大きな箱を抱え上げ、螺旋階段を降りて一階へ向かった。
書斎で荷解きし、品物をそれぞれ所定の場所へ収めると、作業机の上には、ソーイングマシンの箱だけが残った。
「リュディ、買ったはいいが、これをどうやって使うつもりだ? これを動かす力が、この世界にはないんだぞ」
「だ、大丈夫ですよ、お師匠様。こっちには、魔力があるんですから……」
「魔力ぅ? どういう意味だ?」
「あっちの世界は、魔力はなくても、空を飛んだり離れた人と話をしたりすることができる、『科学力』というものがあるんですよね?」
「ま、まあ、そういうことのようだな……」
「だったら……、『科学力』を魔力に置き換えれば、こっちでもどうにかなるんじゃない……でしょうか?」
リュディは、仕立屋で見かけたソーイングマシンがどうしても気になり、買って帰りたいと言い出した。
店に連れて行く道すがら、魔術師は、あっちの世界の仕組みについて、わかる範囲でざっくりとリュディに説明したのだが、リュディはリュディで、自分なりに解釈していろいろと考えたようだった。
一刻も早く、自分の考えを試してみたいようで、リュディは、ソーイングマシンの箱を抱えて、自分の部屋へさっさと引き上げてしまった。
作業机の下でのんびり寝ていたデュピィも、いつの間にか起き上がり、しっぽを振り振り嬉しそうに彼女の後をついていった。
魔術師は、ぽつんと一人、書斎に取り残された。
長い一日だったが、夕食までにはまだ時間がある。
魔術師は、書架から古びた魔術書を一冊取り出した。
表紙をスッと一撫ですると、一瞬で本の表紙が変化した。
―― 『English dictionary』
他にも、あっちの世界の言語を学ぶために、たくさんの本を手に入れた。
言語だけではない。地理や歴史や社会情勢など、あっちの世界で暮らすことになっても困らないぐらい、様々な知識を彼は身に付けた。
ここの書架にも自分の部屋の書架にも、あっちの世界から持って来たたくさんの本が魔術書に紛れ込ませてある。
「わっ」とか「ひゃぁっ」とかいう叫びと共に、機械がシャカシャカ動く音が、リュディの部屋から聞こえてくる。
ソーイングマシンを、とうとう魔力で動かしてしまったようだ。
いや、自力で魔道具に造り替えてしまった、というべきかもしれない。
(まったく、なんて娘だろう!)
魔術師が、驚き恐れながらも存在を認め、なんとか理解しようと必死で研究してきたあの世界を、リュディは、ただただ面白そうに、たいした抵抗もなく受け入れてしまった。
おまけに、何やら新たな能力を発揮して、苦もなくあの世界の言語を使えるようになったようである。
(これからも、ときどき連れて行ってみよう。俺は、すっかりあっちのことがわかったつもりでいたが、リュディと一緒だとまだまだ新しい発見ができそうだ。それから、もしかすると、あの扉があっちの世界と繋がっている理由も、そのうちわかるかもしれない。そうしたら――)
魔術師は、一瞬遠い目をしたが、ぶるぶるっと首を振ると、頭に浮かんだ面影を追い払った。
「お、おし、お師匠様―っ! こ、これ……、す、すごいですぅーっ!」
リュディの遠慮のないはしゃぎ声が家中に響き渡り、彼を現実に引き戻した。
(まいったな! この調子では、しばらくは他のことが手につかないほど夢中になってしまうかもしれない。魔道具の開発は、魔女修業の内容としては、悪くはないかもしれないが――)
シャミナードやボルグヒルドの呆れ顔を思い浮かべながら、魔術師は、苦笑を浮かべつつ、軽い足取りでリュディの部屋へと急いだ。
書斎の椅子に掛けてあった、ポケットが取れかけた釣り用のズボンを、無意識のうちに右手にぶら下げて――。
―― FIN ――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
いろいろと謎を残しましたが、いずれ説明されます。
続きは、来週になります。よろしくお願いいたします。




