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メイド・ルーシェのノルトハーフェン公国中興記(完結・続編投稿中) ~戦列歩兵・銃剣・産業革命。小国の少年公爵とメイドの富国強兵物語~  作者: 熊吉(モノカキグマ)
・第8章:「ラパン・トルチェの会戦」

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第98話:「殿(しんがり):2」

第98話:「殿しんがり:2」


 帝国軍は、慌ただしく動き出した。

 本営で待機していた多数の伝令が、撤退命令を各諸侯に伝えるために駆け出し、本営でも、撤退を知らせるためのラッパが吹き鳴らされ、色つきの煙弾が打ち上げられた。


 なによりも最優先だったのは、皇帝・カール11世自身の安全を確保することだった。

 もし皇帝自身がムナール将軍の虜囚とされてしまえば、帝国の権威は完全に失墜するだけでなく、処刑される危険すらあった。


 すでに高齢で長時間の乗馬に耐えられない皇帝を逃がすために、馬車が用意された。

 それも、ここに来るまでの間使用されて来た、皇帝専用の豪華な馬車ではなく、なるべく目立たない質素な見た目の、速度の出せる馬車だ。


 これから帝国軍は、敗者として、これまで侵攻して来たアルエット共和国の領内を撤退していくことになる。

 たとえこの戦場を逃れることができたとしても、皇帝が豪華な馬車に乗っていればすぐに見つかってしまうし、共和国軍の追っ手や、侵略者に怒り狂った民衆の手によって攻撃を受けることになるだろう。


 とにかく、皇帝に万一があってはならない。

 皇帝自身は地味な馬車に護衛の騎兵をつけて帝国領へと向かうが、その一方で、元々皇帝が乗っていた豪華な馬車も、護衛の騎兵をつけられ、囮として別の方面へ向かって走らせるという安全策が講じられた。


 そうして皇帝の馬車が走り出すと、それに続いて、帝国の親衛軍の一部も撤退を開始する。

 ひとまず安全そうな場所まで皇帝を逃がしたのちは、帝国の親衛軍によって皇帝を厳重に守りつつ、帝国領へと撤退を行う計画だった。


 あとには、ノルトハーフェン公国軍1万5千と、帝国陸軍大将、アントン・フォン・シュタム伯爵に率いられた残りの皇帝親衛隊、1万5千の、計、3万の軍勢が残された。


 この3万で、20万の共和国軍の追撃を防がなければならない。


「アントン殿。

 共に殿として戦っていただけること、感謝を申し上げる」


 皇帝、カール11世を乗せた馬車が無事に戦場から遠ざかっていくのを見送ったエドゥアルドは、そう言って彼に向かって感謝を述べていた。


 3万対、20万。

 相変わらず絶望的な数字ではあるが、しかし、1万5千のノルトハーフェン公国軍だけで戦うよりはずっとマシだ。


「いえ。


 このような敗北をもたらしたこと、わたくしにも、大きな責任がございますから」


 しかし、アントンはそう言いながら首を左右に振った。


「なにもかも、わたくしは後手に回ってしまいました。


 適時に進言し、適切に軍を導くことができなかった。

 わたくしは、帝国陸軍大将として、皇帝陛下の軍をお支えする身として、その役割を果たせなかったのでございます。


 わたくしとしては、むしろ、エドゥアルド公爵にこのような困難な任務をお引き受けいただいたことに、感謝しております」

「それこそ、僕の[役割]だ。


 どうか、気になさらないで欲しい」


 アントンはどうやら、自身の責任を痛感している様子だった。

 その、穏やかな表情でありながらも、内に尋常ではない決意を秘めている様子のアントンに、エドゥアルドは内心で不安を覚える。


(まさか、アントン殿は、自ら命を絶つつもりなのでは? )


 すでに、死を覚悟している。

 アントンの表情は、エドゥアルドにはそう思えてしまう。


 殿は、危険な任務だ。

 アントンはその任務に自らの身を置くことで、敵弾によってその命を絶たれることを望んでいるのかもしれなかった。

 もし、運よく生き残ったとしても、アントンは自ら命を絶つのに違いなかった。


 帝国軍を勝利に導くことができず、多くの将兵を犠牲にしたあげく、生き残った司令官に待っているのは、不名誉と共に生きる人生だった。

 戦争中、その司令官がどのように戦ったのか、なにを考えていたのかなど人々は考慮せず、その結果だけを見て、愚かな将だ、無能者だと、後ろ指を指し、さげすむのだ。


 それだけではない。

 戦役によって失われた将兵の遺族や、親しかった者たちから、恨まれることにもなる。


 人臣の身で、そのような[罪]に対する償いをするには、自らの命をもってする他はない。

 不名誉な生を生きるよりも、潔く命を絶って、自らの指揮の至らなさによって命を失った将兵に謝罪し、主君に代わって責任をとろうというのが、今のアントンの決意なのだろう。


(立派な人だ。


 だが、ここで命を絶つのは、して欲しくないな)


 エドゥアルドはアントンの覚悟に感銘を覚えつつも、内心で、惜しんでいた。


 アントンは、確かにこの戦争を勝利に導くことはできなかった。

 しかしそれは、帝国の旧態依然とした体制のせいであって、アントン自身は常に、正しい進言をしてきたのだ。


 同じ軍議の場でその様を見てきたエドゥアルドからすれば、今、アントンを失うことは、帝国の将来にとっての大きな損失だった。

 アントンが優秀な将官であったことは明らかだったし、共和国軍の想定外の援軍を前に右往左往するばかりでなにも進言できなかった他の将校や諸侯たちの様子を見るに、帝国にはアントン以上の者はいない。


「アントン殿。


 貴殿、もしや、死ぬつもりではなかろうな? 」


 だからエドゥアルドは、アントンにそう問いかけていた。


「それが、わたくしの務めであると、そう心得ております」


 アントンはエドゥアルドの問いかけに、ただ、静かに、穏やかな口調でそう答える。


 すでに、アントンの決意は固く、揺らぎのないものである様子だった。


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