第77話:「活路:1」
第77話:「活路:1」
民衆に対する略奪行為を、黙認しなければならない。
それは、若く純粋なエドゥアルドにとって耐えがたいことだったが、しかし、エドゥアルドは、ノルトハーフェン公爵だった。
公国の運命と、他国の民衆の運命。
どちらを重視し、どちらを優先するべきか、悩むまでもないことだった。
その厳然とした現実に、エドゥアルドは簡単には納得することはできなかった。
戦争を起こしたのはエドゥアルドたちであって、略奪を受けることになった民衆には、そのような災いを受けるようないわれはないはずだからだ。
そして、そう感じられるほどに、エドゥアルドは若く、純粋な公爵だった。
そもそも、ソヴァジヌの街に帝国軍が長期間にわたって駐留しようとしたことが、間違いだったのだ。
そんな後悔が、エドゥアルドの中で大きく膨らんでいく。
ソヴァジヌに集結している帝国軍は13万という大軍だ。
ソヴァジヌは決して小さくはない、むしろ大きな都市だったが、一気に人口が2倍になればどうなるかは、誰でも簡単に想像がつくことだった。
帝国軍がソヴァジヌに長期にわたって駐留したのは、そこが、補給に都合がいいと思ったからだった。
しかし、ソヴァジヌの街には元々、長く続いた内乱の影響で物資の備蓄が少なく、帝国軍はそこで物資を得られず、補給を帝国本土からの輸送に頼らざるを得なかった。
補給が、到着するまでは。
補給を受けさえすれば、アルエット共和国の首都へと一挙に進撃し、この戦争を終わらせることができるのだ。
そんな思惑が、帝国軍を1か所に長くとどまらせた。
だが、結局、細長くのびた帝国軍の補給線は求められた役割を果たすことができず、徒に時間ばかりが過ぎ去り、物資の少なさに窮した帝国軍は、民衆からの略奪に及ぶこととなった。
すべて、ソヴァジヌに長く滞在し過ぎたことが原因だった。
もし帝国軍がその大軍を1か所に集結させず、敵からの反撃のおそれを容認して分散配置し、敵の首都目指して進撃を続けていたら、こんなことにはならなかっただろう。
たとえ他の地域でもソヴァジヌと同様に物資が乏しいのだとしても、1回帝国軍が通過することに耐えられる程度には、物資はあったはずだからだ。
事実、帝国軍がソヴァジヌへと進撃して来た数百キロメートルの間は、それで補給は間に合っていたのだ。
敵の首都にたどり着くだけであれば、不可能ではないはずだった。
起こってしまったことは、もう、取り返しがつかない。
ヴェストヘルゼン公国軍、そしてズィンゲンガルテン公国軍が実施した略奪により、ソヴァジヌはその市街地の3分の1が焼け落ちることとなった。
そこに住んでいた人々は家を失い、財産も根こそぎ奪われ、傷つきながら、難民となって逃げ散って行った。
帝国軍はいくらかの物資を得ることができはしたものの、その犠牲者は数千人を数え、負傷者を含めれば万に届くという惨事だった。
戦に略奪はつきものだといってしまえば、その通りだろう。
だが、エドゥアルドにとってそれは、あまりにも不名誉なことだとしか思えなかった。
戦う意思も、戦う力も持たない弱い民衆に対して、武力を使って搾取するというのは、それはもう、軍隊ではなく、強盗と同じだと思えるのだ。
だからエドゥアルドは、このようなことはこれで終わりにしたいと考えていた。
だが、エドゥアルドだけでは、その解決方法は見いだせない。
エドゥアルドに請われたヴィルヘルムは、そのためには帝国軍を前進させることが必要であると進言した。
これ以上この場所にとどまっていても物資不足が解消する見込みはなく、このままでは、被害を免れた人々からも略奪をしなければならなくなる。
そうなる前に、まだわずかでも物資が残っている他の地域に進撃し、なんとか物資を確保しつつ、アルエット共和国の首都へと至り、そこでムナール将軍の軍と決戦をする。
それが、補給不足に困窮する帝国軍を延命させ、かつ、勝利の栄光を持って祖国に凱旋する道をもたらす方法、エドゥアルドにとっての活路であった。
「プロフェート殿。
貴殿は、我が帝国軍が物資不足に陥っているのは、ムナール将軍の作戦かもしれないと、そう言っていたな?
ならば当然、我が軍がそのような策をとることなど、予想しているのではないか? 」
「左様でございます、殿下。
ムナール将軍の狙いは、我々を共和国の内部に引き込み、補給不足によって衰弱させ、弱ったところを一挙に叩くということでございましょう。
当然、我が軍が早く勝負を決めようと、首都に向かってくることも承知しているはずでございます」
「ならば、貴殿の言うことは、我が軍をわざわざ、敵の罠の中に飛び込ませることなのではないか? 」
「申し上げにくいことですが、左様でございます、殿下」
帝国軍を、補給不足によって苦しめ、衰弱させる。
それがムナール将軍の狙いであるとすると、このまま突っ込んで行っても、待っているのは敗北だけだとしか思えない。
しかし、ヴィルヘルムは、それしか方法はないと考えているようだった。
「しかし殿下、他に、我が軍がとるべき方法はないのです。
すでに軍を起こした以上、また、未だに大きな戦果を得られていない以上、仮に撤退を進言したとしても、皇帝陛下は同意してくださらないでしょう。
また、他の諸侯の皆様も、同様でございます。
ここにこのまま、満足に到着する見込みのない補給を待ってとどまるか。
それとも、罠と知りつつも、敵のふところに飛び込み、死中に活路を見出すのか。
前者は、遠回しな自殺に等しい行為でございます。
民衆から略奪しつくしたとしても、満足な物資は得られず、我が軍は戦わずして形骸化し、そこを、満を持したムナール将軍に一撃されて、粉砕されてしまいます。
ですから、我が軍には、前に進むことしかできないのでございます。
勝算は、さほど高いとは言えません。
ですが、勝機はございます。
バ・メール王国軍と合流するのでございます。
そうして戦力を確保し、決戦に臨めば、我が軍が補給不足で弱っていたとしても、勝機はございます」
勝算は、高くない。
ヴィルヘルムは言葉を選んではいたが、おそらく、五分五分の勝負ではないのだろう。
だが、それにかけるしかない。
エドゥアルドがここで退却を主張したとしても、諸侯から「臆病者」というそしりを受けるだけで、受け入れられるはずがないことは分かりきったことだからだ。
ソヴァジヌの民衆にこれ以上危害が及ぶことを防ぎ、帝国軍に勝利をもたらす方法。
ヴィルヘルムの進言を熟慮したエドゥアルドは、彼の策にかけることにした。