第532話:「果報は寝て待て:2」
第532話:「果報は寝て待て:2」
コーヒーは、すぐに準備された。
この飲み物を愛飲している主のために求められればすぐに出すことができるよう、メイドが修行をし、いろいろと道具などを工夫して来た成果だった。
「ああ……、美味しい」
ずいぶん久しぶりに飲んだ気がする。
1週間ぶりにそれを味わったエドゥアルドの口からは、自然とそんな声が漏れ出ていた。
「お気に召していただけて、なによりです! 」
するとメイドは屈託ない笑みを浮かべて喜ぶ。
少年公爵は彼女のその笑顔を目にすると、自身も自然と笑顔になっていた。
さっきはぎこちなかったが、また元のように打ち解けることができた心地がしたからだ。
「それで、エドゥアルドさま。いつまでお休みされるのでしょうか? 」
「ああ、1、2時間くらいのつもりだ。
ヴィルヘルムに、目に酷いクマができているって言われてしまってな」
「え、目に、クマが!? 」
お茶菓子のクッキーをつまみながらなにげなく会話をしていると、メイドは少し驚き、心配そうに主の顔をのぞき込んで来る。
だが、すぐに彼女は怪訝そうな顔をして首をかしげた。
「そうでしょうか?
エドゥアルドさま、お顔色はよろしいように見えますが」
「あれ、そうなのか? 」
エドゥアルドは驚き、身だしなみを整えるためにいつも使っている姿見の方に視線を向ける。
確かに、目にクマができている、なんていうことはなかった。
多少疲れていそうではあったが、健康的に見える。
(ヴィルヘルムの奴……)
少年公爵は自身のブレーンが、彼を休息させるためにウソをついたのだと気づいた。
そして、おそらく彼はルーシェが戻ってきているということも知っていたのだろうと思った。
きっといいことがある、などと言っていたが、そのセリフには根拠があってのことなのだろうと思えてくる。
ずっと緊張して張り詰め、思い悩んでいる主君に気分転換をさせ、肉体的にではなく精神的な休息を与えるためにわざとあんなことを言ったのだ。
「でも、エドゥアルドさまがお元気で、よかったです!
私も、もちろんシャーリーお姉さまも、ずっと心配していたのですよ」
ルーシェは心底から安心したように笑っている。
(……あれ? )
ヴィルヘルムの気づかいに感謝しつつ、彼女の顔を眺めていた少年公爵だったが、ふと、違和感を覚える。
よく見ると、メイドの目元の色合いが他よりもくすんで見えるのだ。
上から化粧かなにかでごまかしている様子だったが、おそらく目にクマができているのだろう。
「ルーシェ、そう言うお前の方こそ、目にクマがあるんじゃないか? 」
「えっ!? ど、どうして、そう思われるのですか? 」
「化粧が少し、崩れているぞ」
エドゥアルドが自身の目元を指さしながら指摘すると、ルーシェは「う~っ、ちゃんと」隠したはずなのに~」とうめき声をあげながら、慌てて懐から化粧道具を取り出しつつ姿見に向かい合った。
それから彼女は、ゆっくりとエドゥアルドの方を振り返り、恥ずかしそうに頬を染めながらねめつけて来る。
実際には化粧など崩れてはおらず、自身がカマにかけられたのだということに気がついたからだった。
「やっぱり、お前も寝ていないんじゃないのか? 」
飲み終わったコーヒーのカップをソーサーの上にかちゃんとかすかな音を立てながら戻した少年公爵がたずねると、メイドはこくん、とうなずいて肯定したが、すぐに体の前に両手でガッツポーズを作り、胸を張って見せた。
「でも、全っ然、平気です!
私、元気だけが取り柄みたいなものですから! 」
彼女らしい言い草だと苦笑しつつ、エドゥアルドは少し心配になっていた。
自分がベネディクト公爵のことで心を痛めている間、メイドも衛生隊の一員として働き続けていたのに違いない。
敵、味方を合わせて4万名を超える負傷兵の治療と、後送。
もっとも忙しかったのは会戦のあった当日からその翌日にかけてだったはずだが、その後も軽症者の手当てなどは続いていたはずだったし、後送を待つ患者たちの看護のために、ほぼ不眠不休で忙しかっただろう。
エドゥアルドは横になっても眠ることができず、疲れを溜めている。
しかしルーシェはきっと、横になることさえあまりできなかったのに違いなかった。
僕は昼寝をするから、お前も下がって休め。
少年公爵はそう言おうとして口を開きかけて、閉じる。
そんな言い方では、メイドは休んではくれないと知っているからだ。
もちろん、命じれば彼女は下がって、自分の休息できる場所へ向かうだろう。
だがそこでまともに休むことはない。
自分だけが休んでいてもいいのだろうか。
そんな風に考えてしまう性格なのだ。
ルーシェは、常に仕事をしていないと、誰かの役に立っていないと、自分はここにいてはいけないのだと考えてしまう。
ワーカホリックの一形態といってよい状態で、単純に休めと言われても少しも休まらない、面倒くさい性格をしている。
少し考え込んだエドゥアルドは、休め、という言葉を、工夫して伝えてみることにした。
「なぁ、ルーシェ。
僕は、しばらく横になって、昼寝することにするよ。
ヴィルヘルムが言うには、果報は寝て待て、なんだそうだ。
だから寝て、待つことにする」
「はい。でしたら、私は他へ行って、何かお手伝いでも……」
「いや、お前はこのまま、ここにいてくれ」
「かしこまりました。……って、えっ!? 」
さっそく新たな仕事をしに行こうとするメイドだったが、呼び止められたのが予想外だったのか戸惑った顔をする。
そんな彼女に、わざと両手を上にのばしてあくびをしながらベッドに向かったエドゥアルドは、さりげなく命じた。
「急にまた、喉が渇くかもしれない。
だから、お前にはこのままいてもらわないと、その、困るんだよ。
ルーシェ、お前は僕のメイドなんだから。
僕が寝ている間、お前も、そのイスに腰かけて、少しゆっくりするといい」
「……わ、わかりました、エドゥアルドさま」
まだよく状況がのみ込めていない様子だったが、メイドが主の言いつけに逆らうわけにもいかない。
彼女は言われた通り自身のために用意されたイスに腰かけ、少し脚を崩して休むモードに入る。
ベッドに横になるのに比べれば、休まらないのに違いない。
しかし今のエドゥアルドが彼女に休息をとらせるために考えつく方法の中では、これが精いっぱいであった。
(まったく……。
手間のかかる奴だ)
少年公爵はメイドのワーカホリック体質に呆れ、自分自身の限界というものを少しも考慮せず尽くそうとしてくれる献身に感謝しながら、しばしの眠りに落ちて行った。




