第531話:「果報は寝て待て:1」
第531話:「果報は寝て待て:1」
エドゥアルドは、ベネディクトを発見した、という報告が得られることを心待ちにしていた。
生きていようが、死体であろうが、どちらでもかまわない。
とにかく、この内乱の首謀者がその故国に落ちのびることを阻止できれば、この戦いを終わりにすることができる。
そうすれば、これ以上の犠牲を増やさずに済む。
すでに公正軍は、ベネディクトを逃がしてしまったという前提に基づいて動き始めている。
少年公爵自身がそう命じたのだ。
だが、その備えが無駄になることを祈らずにはいられなかった。
「公爵殿下。少々、お休みになられてはいかがでしょうか?
昼寝でもなさるとよろしいかと存じます」
公正軍はグラオベーアヒューゲルから北上し、適当な平地を見つけて野営地としていた。
その本営として設営された天幕の奥、ノルトハーフェン公爵のために用意された席でじれったそうに組んだ手の指をせわしなく動かしていたエドゥアルドに、彼のブレーンであるヴィルヘルムがいつもの仮面のような柔和な笑みを浮かべながらそう提案して来た。
「いや、睡眠なら十分にとっている。
他の者たちが忙しく働いているのに、僕だけが昼寝をするなどというのは……」
「殿下。主君の務めとは、重要な局面で判断を誤らぬことでございます」
せっかくの厚意だが断ろうとする少年公爵に、そのブレーンはチクリ、と釘を刺す。
「睡眠時間は十分、とおっしゃいますが、私にはそうは思えません。
殿下、実はよく眠れておられないのではないですか?
目の下に、クマができておりますよ」
「むっ……。そ、そうなのか? 」
その指摘にエドゥアルドは思わず自身の目元に手をやってしまう。
━━━指摘された通り、夜はあまり眠れていないのだ。
十分な時間ベッドに横になってはいるのだが、ベネディクトの行方が気になって落ち着いていられない。
するとブレーンはしたり顔で、「それはもう、黒々としたのが。私にははっきりと見えます」とうなずいていた。
「殿下がそのような状態でありますと、臣下はみな、不安に思ってしまいます。
つけ加えますなら、主君がこのようにご自身の身体を酷使して働いておられるのですから、そのことを慮って、自らも不眠不休で働こうとする臣下も出て参りましょう。
そうなれば、殿下のみならず、軍全体の効率を低下させることにもなってしまいます。
適度にお休みになるのも、殿下のお役目なのです」
「な、なるほど……」
主君が働きづめだと、そのことを意識してしまって臣下も満足に休めなくなる。
そこまで考えが至らなかったことを少年公爵は素直に反省していた。
「果報は寝て待て、とも申します。
殿下はすでに出されるべき指示はすべて済ませておいでなのですから、後は、その結果がもたらされるか、あるいは新たに状況が変化するまで、昼寝でもしてお待ちくださいませ。
きっと、いいことがございますよ」
「ふぅ……。わかった、そうさせてもらうよ」
淡々とした穏やかな口調で、しかし、一切の反論を許さない断固とした言葉。
ヴィルヘルムにここまで言われてしまうと、断ることもできない。
エドゥアルドは苦笑すると、彼の配慮に感謝しつつ、勧められたとおりに昼寝でもすることにした。
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公正軍は、すでにグラオベーアヒューゲルの戦場を後にしている。
ベネディクトを追って、ヴェストヘルゼン公国に向かって進んでいるのだ。
その進軍速度は、エドゥアルドが望んだとおりのものではなかった。
会戦の後、続々と降って来る諸侯の軍を受け入れる必要があって、あまり進軍がはかどっていないのだ。
それでも、新たな戦いに向かって進み続けている。
兵士たちの士気は未だに高いままであったし、エドゥアルドの憂鬱に反して、彼らの所作はきびきびとしていて勇ましかった。
すれ違う兵士たちから向けられる敬礼に応えながら自身の私的な天幕へと向かっていき、出迎えた警護の兵士に「少し休憩しに来た。1時間か、2時間くらい休ませてもらう」と告げながら中に入った彼は、そこで少し驚いて動きを止めてしまう。
「あっ、お帰りなさいませ、エドゥアルドさま! 」
そこにはメイドのルーシェがいて、彼女は腰かけていたイスから慌てて立ち上がると手で衣服を整え、ペコリ、と丁寧なお辞儀をして主のことを出迎えてくれたのだ。
そこに、彼女がいるとは思っていなかった。
というのは会戦からずっと、ルーシェは衛生隊の一員として働いており、負傷兵たちを治療する手伝いを優先してエドゥアルドの身の回りの世話をするという仕事を休んでいたからだ。
自分のことはいいから、負傷兵のために尽くしてやって欲しい。
それが少年公爵の願いだったし、メイドはその意志を受けて、これまで懸命に働いていたのだ。
「あ、ああ、ルーシェ……。戻ってきていたんだな。
もう、負傷兵の治療は大丈夫なのか? 」
「はい。手のかかる患者さんはもういませんし、大半の方も後送が終わっていますから。
それで、手が空いたのだから貴女は公爵殿下のところに行きなさいって、シャーリーお姉さまが」
2人とも微笑んでいたが、どこかギクシャクとしていて、ぎこちない。
というのも、1週間もの間顔を合わせずにいたのは、初めてのことだったのだ。
普段ならなにも考えずに会話をすることができるのに、どういうわけか、どんなふうに会話をしていたのかが思い出せない。
「あの……、とりあえず、コーヒーでもご用意いたしましょうか? 」
するとルーシェがそうたずねて来る。
ひとまず仕切り直しというか、このままいてもなんだか気まずいので一度この場を離れようというふうに考えている様子だった。
「あ、ああ、そうだな。
そうしてもらえるか? 」
「はい。かしこまりました、エドゥアルドさま」
同じく仕切り直しをしたいと思っていたし、久しぶりにメイドの用意してくれるコーヒーを味わいたいとも思ったエドゥアルドがうなずいてみせると、彼女ははにかんだ笑みを浮かべて一礼をし、黒髪のツインテをなびかせながら去って行った。




