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メイド・ルーシェのノルトハーフェン公国中興記(完結・続編投稿中) ~戦列歩兵・銃剣・産業革命。小国の少年公爵とメイドの富国強兵物語~  作者: 熊吉(モノカキグマ)
・第22章:「グラオベーアヒューゲル」

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第527話:「落ちのびた先で見たもの:1」

第527話:「落ちのびた先で見たもの:1」


 グラオベーアヒューゲルの戦場から逃げ出したヴェストヘルゼン公爵・ベネディクト。

 その逃亡劇は、成功しつつあった。


 まず、逃げ出したタイミングが早かった。

 誰もがまだ戦場で戦うつもりだろうと考えていた時点で見切りをつけた彼は、後のことをリヒター準男爵に任せて戦場に背を向けた。


 そして逃げ方に迷いがなかった。

 公爵としての身分がバレそうなものはすべて捨て、一般の将校の衣服に着替え、護衛も最低限だけを引きつれ、一目散に走って来た。


 剛健な軍人然とした人物。

 以前から人々がベネディクトに対していだいていたイメージは、概ねそうしたものであった。


 実際のところ、ベネディクトもそのように、豪快で豪胆な人物であるように振る舞って来た。

 元々の性格としてそういう雰囲気はあったし、そうして[強い自分]を見せつけることが皇帝位に近づく有効な手段だと考えていたからだ。


 だが、実際のところは、彼は繊細で慎重な部分も持ち合わせていた。

 多くの貴族が有している、陰険さも。


 だから皇帝位を巡るライバルを蹴落とすためにサーベト帝国との戦いを長引かせるという策略を用いたし、状況によっては陥れようと目論んでいたはずのそのライバルと手を結ぶということも厭わなかった。

 そして多くの部下を戦場に置き捨てたまま逃げ出すことも、躊躇わない。


 ━━━最後の勝者になりさえすれば、それでいい。

 皇帝位への執念を、ベネディクトは敗北の屈辱の中でも燃やし続けている。


 それは自分の一生を歴史に刻みつけるという野心のためだ。

 人間はよく、[なぜ自分はこの世に生まれて来たのか]という問いかけをする。

 その答えを、彼は自分の手で作り上げたかったのだ。


 最初は夜通し走り続け、決して歩みを止めることはなかった。

 護衛の者も遅れればそのまま見捨て、疲労の余り倒れ伏した馬の下敷きになろうとも振り返りもしなかった。

 必要なものがあれば、目についた者から手当たり次第に奪い取った。


 それは決して、公爵という高位の貴族が見せるような態度ではないはずだった。

 しかしベネディクトは戦場を後にする際に、そのようなプライドはすべて捨てている。


 本来であれば、自分はあの場で、戦死するべきであったのだ。

 フランツがそうしようとしていたように。

 タウゼント帝国の諸侯を代表する公爵の1人として雄々しく、勇敢に戦い、華々しく散る。

 そうしてこそ、貴族としての面目を保てたはずなのだ。


 だが、ズィンゲンガルテン公爵とヴェストヘルゼン公爵の置かれていた状況には、違いがあった。

 前者はすでにその本国を敵に抑えられており、この決戦に敗北すれば本当に後がなかったのに対し、後者の本国はまだ無傷であり、しかも天険によって守られているから、大軍を相手にしても十分に戦うことができる。

 再起を図ることができるのだ。


 信頼していた臣下、リヒターからの進言もあったから、というのもあった。

 だからベネディクトは、このまま自身の生命を潔く終えるのではなく、どんなことをしてでも生き残り、エドゥアルドたちに一泡吹かせてやろうと決心したのだ。


 すべてを捨てて逃げ出したというのに、目的を果たす前に捕まることだけはあってはならない。

 だから彼は貴族としての体面などもはや考えず、ひたすら逃走を続けた。


 途中、替えの馬を確保したり、食料を得たりするために農場を襲ったりしたので時間はかかったが、最初の一昼夜を不眠不休で逃げ続けたおかげで、グラオベーアヒューゲルの戦場から80キロ以上も逃げ延びることができた。

 その後は馬がダメになってしまったので、徒歩で逃げた。

 食料がないため空腹で、飢えと渇きをいやすために水たまりの泥水をすすらなければならなかったほどだったが、それでもさらに30キロは移動できた。

 その翌日はまた見つけた農場を襲い、馬と食料を奪って、また逃げた。

 以降も同じ有様で、逃走劇を続けた。


 過酷な逃避行による疲労と不規則な活動により、時間間隔が乱れて来る。

 おそらくは敵に背中を見せてから、4日、いや、5日は経過しているだろう。


 ベネディクトと、わずか5人にまで減少した護衛兵たちは、かつて自分たちがエドゥアルドの公正軍を迎え討つために野戦築城を実施し、堅固な防御陣地を築いた場所にまでたどり着いていた。


 士気のあがらない兵士たちを無理やり働かせ、どうにか構築した野戦陣。

 だが、結局使われることなく放棄された場所。


 そこには味方の兵士も、物資もなにも残されてはいなかった。

 役に立ちそうなものはすべて持ち去ったのだ。


 だからそこにあるのは、敵がまっすぐに攻撃してくることができないように堀や崖を作り、細い枝などを使って編んだ籠に土を詰め込んで並べ、弾除けの臨時の城壁とした、無人の防衛設備だけだ。


 しかし、その姿を目にした瞬間、ベネディクト公爵たちは奇妙なほど強い安心感を覚えていた。


 防御陣地の堅固さを頼もしく思ったわけではなかった。

 もはやそこを守る兵力はどこにもなく、守る者がいなければどんなに堅牢な名城であろうとその防御力は発揮されない。


 ようやく見慣れた場所にまで戻ってくることができたという、安堵。

 そしてなにより、ここまで逃げてくれば逃避行の半分はもう、完了したようなものだったから、彼らは安心することができたのだ。


 公正軍は必死にベネディクトたちの後を追いかけてきているはずだったが、まだ追いつく気配はない。

 あまりにも徹底した逃走により、距離を詰めることができていないのだ。


 ━━━このまま行けば、無事に故郷へと帰り着くことができる。

 一行は激しく疲労していたが、そう希望を抱くとまた前に進む気力が湧いて来る。


 だが、彼らはそこを通過することができなかった。

 なぜなら、その防御陣地にはいないはずの、守備兵がいたからだ。


 その数は少なくはなく、5千以上はいるように見える。


 敗残兵が再集結したという可能性はなかった。

 ベネディクトたちは最速でここまで落ちのびてきたのであり、歩兵の集団が、しかも野戦砲まで伴って目の前にあらわれることができるはずがないからだ。


 そして、行く手に立ちはだかった兵士たちの集団に、戦塵にまみれた者は誰もいなかった。

 つい先日に万端の準備を整えて出陣して来たばかりとしか思えないほど軍装が整えられており、武器も十分に整備されて、いつでもその威力を発揮できるようになっている。

 兵士たちの血色も良く、疲労のために半ば土気色になっているヴェストヘルゼン公爵一行の顔色とは対照的だった。


 彼らの正体は、いったい、なんなのか。

 なぜ、再起を図ろうとする自分たちの妨害をするように、進路を塞いでいるのか。


 呆然として左右に展開している兵士たちの姿を見回していたベネディクトは、彼らの所属を知って、愕然とする。


 整然と隊列を組み、無感情な視線で逃走者たちを見つめている兵士たち。

 彼らは、アルトクローネ公国軍の軍旗をかかげていた。


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