第525話:「公爵はどこだ! 」
第525話:「公爵はどこだ! 」
グラオベーアヒューゲルの会戦において、ベネディクト公爵とフランツ公爵の連合軍は15万もの兵力を結集させた。
これに対し、エドゥアルドの公正軍は、11万5千の兵力を投入し、勝利した。
数で劣る側が勝利を得た要因は、いくつか存在する。
第一に、将兵の戦意で公正軍の側が連合軍を圧倒的に上回っていたこと。
第二に、ユリウス公爵が奮戦し、戦場全体を見渡すことのできる丘を奪取し、再度奪われないように死守したこと。
そして第三に、兵員数ではともかく、砲兵火力で優越し、その運用も巧妙であった、という点だ。
信念を異にするからこそ、ベネディクトは皇帝軍を、フランツは正当軍を生み出したのだ。
しかし、両公爵はその場の都合で野合し、それだけではなく度々、自己の利益のためなら他を省みない、傲慢な姿勢を見せた。
こうした姿に兵士たちは忠誠心を失い、なんのために戦うのか、どうして命をかけねばならないのかを見失っていた。
これに対し、エドゥアルドの公正軍の将兵には、明確な目標が見えていた。
タウゼント帝国の旧式化した体制を刷新し、新しい国家を[建国]するのだという大義を信じ、自身の献身には必ず意義があるのだと、そう考えることができていた。
この両軍の戦意の差は、会戦の様々な局面において如実に表れた。
連合軍の兵士たちは戦いたがらず、公正軍の兵士たちは果敢に前進した。
ユリウス公爵が果たした役割も大きかった。
グラ―ベーアヒューゲルの東側の前線で戦った彼は、増強された砲兵戦力を活用しながら劣勢な戦力で戦術上重要な場所であった丘の上を奪取し、そして保持し続けた。
結果として彼は戦場の東側にベネディクト公爵の主力を引きつけることとなり、西側で行われた公正軍の攻撃を成功させ、戦局全体を決定づける、そのきっかけを生み出した。
また、グラオベーアヒューゲルの会戦は、砲兵火力が最大限に活用された戦いでもあった。
一昨年に行われたアルエット共和国との決戦、ラパン・トルチェの会戦で敵軍の将、ムナール将軍が敷いた[大放列]の威力を目の当たりにして以来、帝国でも一層の増強が図られて来た砲兵だったが、その威力が再確認された形だった。
公正軍は装備する火砲の質でも、運用法でも連合軍に対し勝っていた。
新しい設計の火砲は旧式のものと比較すると機動性に優れており、戦局に応じてその火力を発揮する場所を移すことができた。
それだけではなく、会戦当初から対砲兵戦を実施し、脅威となる敵砲兵の戦力を大きく削いだことで、この会戦における火力の優勢を確固としたものにした。
補給事情から終盤では弾薬が不足するという問題が生じ、最後の一押しを歩兵部隊による白兵戦に依存しなければならないという事態も発生したが、この点は今後改善されていくことだろう。
勝利を得たエドゥアルドたちには、そうする時間が与えられるはずだからだ。
しかし、主要な戦闘が終わり夜を迎えても、ノルトハーフェン公爵とその周囲にいる人々には戦勝ムードが乏しかった。
自分たちがこの会戦に勝利したということは間違いのないことだ。
敵軍は散り散りになって敗走し、フランツ公爵など、主要な人物の身柄を拘束してもいる。
それでも、少年公爵に笑顔はなかった。
もう一人の敵軍の大将、ベネディクトを捕縛したという知らせが、一向に届けられる気配がなかったからだ。
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ベネディクト公爵は、いったい、どこにいる。
日が暮れてからもその所在は明らかとはならなかった。
グラオベーアヒューゲルの戦場の東側に掲げられていた、ヴェストヘルゼン公爵がそこにいるということを示す軍旗。
それは公正軍の攻撃によって連合軍が敗走した時に倒され、その後、追撃戦に転じたユリウス公爵の配下の部隊によって回収され、すでにエドゥアルドの下に届けられている。
だが、公爵本人の姿が、どこにもない。
捕縛した、という知らせではなく、その死体が発見された、という報告でも、どちらでもよかった。
とにかく、彼を取り逃がすことだけは許されなかった。
ヴェストヘルゼン公国は、帝国の西方を守る天険の地だ。
もしそこに公爵が帰還し、徹底抗戦してくる姿勢を見せてきたら厄介なことになる。
討伐するにしても多くの犠牲が出るのに違いなかったし、なにより、時間がかかり過ぎる。
場合によっては、タウゼント帝国の内乱における勝利者であるはずのこちら側が大幅な譲歩を強いられるということにもなりかねなかった。
50万と号する大軍を動員したアルエット共和国はすでに帝国にとっての実質的な同盟国であるバ・メール王国へと侵攻しており、エドゥアルドは1日でも早く事態を収拾し、この強敵に対処をしなければならないからだ。
もしあまりにも時間がかかるようであれば、妥協してでも帝国を再統一する必要があった。
ベネディクト公爵を発見した。
少年公爵たちはその報告を心待ちにし、兵士たちは戦いで疲れた体を酷使して、敵将の行方を追い続けた。
それでも、行方が分からない。
━━━ヴェストヘルゼン公爵を、取り逃がした。
誰もがその可能性を考えざるを得ない状況になりつつあった。
「申し訳もございません、殿下。我が作戦指揮が至らなかったためでございます」
夜もふけて来たころ、ノルトハーフェン公国の参謀総長、主君に代わって公正軍の作戦を指導し、その実質的な司令官を務めたアントン・フォン・シュタムは、グラオベーアヒューゲルから数キロほど北に進んだ無人化した村の建物を借りて設営された本営の中でエドゥアルドの前に進み出て来ると、跪いて謝罪した。
連合軍に対する最後の一押しをする段階で、敵軍に必死の抵抗をさせてしまい、大きな犠牲を出すことを防ぐために、退路を残して包囲をした。
そういう作戦を取ったために敵将を取り逃がしてしまったのだと、アントンは自責の念を抱いている様子で、その表情は沈痛なものだった。
「いいや、この責任は、僕が取るべきものだ。
僕は貴殿の作戦をよく聞き、理解した上で、裁可を下した。
こうなる危険は知った上で、それが最良であると考えたから実施せよと、そう、僕自身が命じたのだ。
アントン殿には、次善の策を考えていただきたい」
「は、はは……っ」
参謀総長は恐縮して深々と一礼し、命じられた通り次善の策を練るため、他の参謀将校たちが詰めている建物に向かって行った。
(今夜は、眠れぬ夜となりそうだ)
去っていく老将の背中を見送ると、エドゥアルドはため息をつく。
周囲には人が少なかった。
多くがベネディクト公爵の捜索のために出払ってしまっているし、いつもならいろいろと甲斐甲斐しく世話をしてくれるメイドのルーシェも、今は負傷兵たちの治療のために別の場所で働いている。
勝利の美酒を味わうなど、夢のまた夢。
少年公爵はたった1人で孤独に、待つことしかできない。
ルーシェのいれてくれるコーヒーが、無性に恋しくなる夜だった。




